第10章 Ending



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第10章 Ending

キャプテンのMさんは「ここで働きませんか?」と言う冗談を言いながら、司会役の 私を労ってくれた。

友人のF嶋は、「なかなかうまかったよ。」と言ってくれた。

新婦の友人たちと写真を取ったりしているうちに、古田さんがやってきて「また落ち ついたらゆっくり話そう。」と、お礼を言うと、またドタバタとどこかに消えて行った 。本当に忙しそうである。

私は今日、京都の親友の家に泊めて貰う約束になっていた。

普段着に着替えて、更衣室からでると、ラフな服に着替えた古田さんと奥方が待って いた。私に「御礼」と書かれた祝儀袋を差しだした。一応ボランティアのつもりだと、 一応断ったが、「食事してないでしょ。」と言われて、あっさり受け取ってしまう。 古田さんが用事を済ませたら一階の玄関まで送ってくれることになった。

その間、私は一人でぼんやりと立っていた。

大きなため息をついて、肩に手をやり軽く左の腕をぐるぐると回す。さわやかな疲労感 で、体全体に充実を感じる。気分が高まっているみたいで、誰それ構わずに、ついつい 声をかけそうになってしまう。

深呼吸をし、気持ちを静かにさせて、8階のエレベータで帰っていく人たちを見る。

あの人たちは、今日の夜、自分の家で何の話をするのだろう。
明日は何を考え何をしているのだろうか。
明後日は、そして一年後は。

人生の大部分は確かに取るに足らない日々だけど、ときどきそれに見合うような気持 ちにさせてくれる何かもある。

(さてと、次はどこに行こうかなあ。)

私は、いつでも点と点を結んだだけの一本の紐の上を一人で歩いて来た。

そして、多分これからもそのように生きて行くのであろう。

天井まで上り詰めるガラスの窓から広がる風景が、私を大空の下、果てしなく広がる 大草原の中に一人立たせているような気分にさせる。ほっとするような安堵感と、限り ない孤独感が複雑に絡み合って、どこまでも広がっていく。

戻ってきた古田さんたち二人と一緒に、あのガラス張りの吹き抜の空間を真っ直ぐ に延びているエレベータを、今度は8階から1階のロビーへと下っていく。
私が先に、そして古田さんたち二人が後ろに続く。
天気はすっかり回復した様子。

夕方の空の色で、吹き抜けの空間全てが、薄い明るい赤で染まる。
ホテルの照明がきらびやかに夜の装いを始めるほんのちょっと前のわずかな一刻、空間 は夕焼けの空へと伸び、そしてつながる。

エレベータに乗っているのは私たちだけで、他には誰もいない。
雲の上から降りて行くような気持ちがする。
古田さんに話しかけようとして後ろを振り向き少し顔を上げる。少し遠く、そして少 し高いところに、二人と、その後ろに広がる空を見つけた。

ガラス張りの空間から果てしなく広がる薄明るい赤で、空に溶けていく二人。
ぼやけた輪郭でどんどん小さくなって、無くなってしまう。
私はその時慌てたのかもしれないけど、やがてその中心から柔らかい光が見えて、 安心した。その中には、あの懐かしい風景があった。

花束の入った箱を両手で抱えている彼と、そっと横に連れ添って立っている彼女が、 ただ微笑んでたたずんでいる。

その時、私の時間が止まり、その空間はいつまでも色あせることの無い一枚の絵とな ったのである。

「一枚の絵」完



Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:11:56 JST 1996