次の日、朝遅い時間に研究室に行って、いつものように自分の研究や後輩の指導をし ていました。作業に夢中になっていると、悪夢のような昨日の夜のことも、まるで何 もなかったかのように忘れていることができるのですが、ふと思い出すとそういう薄 情な自分に自己嫌悪したり、彼女のことを思うと辛くなってきたりして、ため息をつ いていました。後輩達は、『いつも変な江端が、今日はひときわおかしい』と思った のでしょう。つまらない質問をして怒られるのは損とばかりに、遠まきに眺めてあま り声をかけてきませんでした。
昼休みに、研究室の皆で大学生協の食堂で昼御飯を食べながら、私は同じ研究グルー プの後輩Yと話していました。今日、知人の葬式に出るんだけど、その人はこういう 状況の事故にあって、死んでしまったんだと簡単に説明したところ、
そうか、あの娘は安らかに逝ったのか。
今となれば、残った者にとっては、こんなことでも大きな救いになるものだな、と思 いました。
そして、安っぽいお悔やみでなく、分かりやすく応えてくれたYの気持ちが嬉しい私 でした。
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夕方、地下鉄京都線で烏丸今出川から京都駅へ、新幹線で京都駅から名古屋へ向かい 、とりあえず自宅に向かいました。
7時を過ぎた師走の街はすでに真っ暗でした。いつもは人通りが多い駅前の道も、何 となく閑散とした雰囲気です。香典袋を買うために、文房具屋に立ち寄って、店のお ばさんに色々聞いてみました。
突然聞かれて、私ははっとしてしまいました。
妹君がアルバイトをしていた喫茶店で、彼女とデートした時、一度だけちょっと見た だけでしたが、明るい笑顔で手を振る可愛い娘でした。
国立大学の医学部を現役で突破するほど優秀な人で、色々なサークル活動にも活発に 参加して、海外にも進んで出かけていくと言う、聞いているだけでも圧倒されてしま う程、輝いていた人でした。勿論成績も優秀で、明るくて彼女の家族の中心的な存在 でした。そんな人ですから、誰からも好かれていて、特に男性からは言うまでもあり ません。大学を卒業したら、医者のいない過疎の村で働くと言う少々出来すぎた夢を 持っていたそうです。
そんな話を、彼女から何度となく聞かされて、私の中で妹君はしっかりした現実感を
伴っていました。私は、いつの日かお酒でも飲みながら彼女と妹君と3人で、政治や
医療の話をすることを、心から楽しみにしていました。
想いに耽ってぼーっとしている私を、怪訝そうに見ているおばさんに気がついて、私 は少しだけ微笑んで言いました。
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家に帰ると父も母もまだ帰ってきていなかったようでした。家の中に入って居間の電 気を点けると、襖に父の黒の礼服が用意してありました。白のカッターシャツに黒の ネクタイを付けて、ふと鏡の前に立って、いつの間にか父の服が着れるようになった 自分に少し驚いていました。いつの間にか、こういう服も似合うようになってきた自 分に、ちょっと寂しい気がしました。
幼い頃、私は祖父や祖母が亡くなったとき黒の礼服を着て忙しく立ち回っている両親
が、私とは全く違った人間と思っていました。黒い服を着たら、大人達は悲しい気持
ちを無くしてしまうことができるんだと、そんなに悲しくはならないんだと。
(そうじゃなかったんだなあ。)
お風呂の手洗い場で洗った顔をタオルで拭いて、鏡の中のすこし疲れたように見える 自分を眺めながら私は思いました。
厳しい顔をして立ち回っていたのは、そうするしかなかったから。
笑う事も泣く事もできなかったから。
深くため息をついて手洗い場から出てくると、礼服の背広を着て黒のネクタイを締め
直しました。
そして、部屋の電気を消してから、家を出ました。
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歩いていると白い息が顔にかかってくる、そんな寒い夜でした。
一人で凍てついた空気の中を歩いていると、無理矢理時間を止められ封じ込まれたよ うな気持ちになるような、厳粛な寒さでした。
まだ、心のどこかで何かを期待していたのでしょうか。
道脇の電柱に張ってあった葬式会場の矢印を見たとき、ふっと崩れ落ちる何かを感じ ました。
一昨日の夜まで、何もなかった彼女の家族の平和。
それが何の予告もなく一瞬にして吹き飛ばされたのです。
こんなに理不尽なことが、本当にあっていいのでしょうか。
納得出来ようはずがありません。
私は、妹君のDNAを残しておけば、理論的には再生はできる、とかぶつぶつ呟きながら、実際に
起こった事を拒否しようとしている自分を、心のどこかでちょっと恐ろしく感じてい
ました。花で包まれた彼女の家を見つけても、大がかりな芝居で誰かが私をだまして
いるのではないか、とまで。
初めて訪れた彼女の家。私が名乗ると彼女のお母上は丁寧に私に挨拶をされ、玄関に
降りている階段に向かって、彼女の名前を呼びました。それに応えて、黒い服を着た
彼女が階段を降りてきました。普段それほど化粧をしない彼女でしたが、今日はうっ
すらと紅を引いているのが印象的でした。一瞬、黒が似合うな、と考えていました。
玄関を上がって、居間には大勢の親戚の人と思われる人たちが、お酒を飲みながら話
をしていました。彼女に連れられて彼女のお父上とお母上の所に行き、お悔やみを述
べました。「この度は、本当に・・なんて言ったら良いのか、本当に分かりません。」
ご両親は、彼女の方を見て「この娘がいつもいつも京都にお邪魔していて、すいませ
ん。」とおっしゃっていましたので、私はすっかり恐縮してしまいました。
私が、「妹君に会いたいな。」と言うと、彼女は「うん。」と答えて「お線香をあげ
てやって。」と言いました。棺の前に座って、妹君の遺影に向かって手を会わせまし
た。
二人でしばらく、彼女の遺影を眺めていました。
不意に彼女が、遺影の方を向きながらつぶやくように言いました。
「この娘、本当にバカなんだから。」
私が少し驚いて、彼女の方を見ると、彼女は正面の遺影を真っ直ぐに見つめていました 。
「こんな事故で逝っちゃて、ねぇ。」
最後の方は、震えた声でした。
彼女は、京都から名古屋に帰る時になると、ぐずって私を困らせたこともありましたが、こ んな風に言葉に詰まっている彼女を見るのは初めてでした。
そして、私も拳を畳に押さえつけて、こみ上げてくるものを押さえるために少し顔を
上げて深呼吸をしていました。
親戚の方達の集まっているところに戻って、出されたお茶を飲んでいると、
「・・・24日の日に、私、京都に行っていい・・・?」
と彼女がお母上に尋ねていいました。お母上は
「江端さんは、おじゃまじゃないかしら・・・。」
困った娘ね、と困惑したように応えていました。
慌てたのは私の方です。24日は明後日でしたから。
本気?と聞くと、彼女は頷きました。
「あの娘が怒るから。『せっかくのクリスマスを、私のせいで台無しにされたって言わ れるのは嫌だわ。』って、きっとそう言うに決まっているんだから。」
ああ、確かに妹君だったらそう言うだろうな、と私は思いました。
また、お母上も彼女が京都に行く事が、今の彼女にとって一番良いことに違いないと
思われたのでしょう。私も彼女の事が心配だったので、しばらく私の部屋に閉じこめ
ておけば安心、と言う気持ちもありました。
「江端さんに部屋に上がってもらったら?」とお母上に言われた彼女が、自分の部屋 を片付けに2階に上がっている間、私は一人居心地悪く座っていました。
人がそれぞれ色々な形で亡くなった人を悼むのでよいと思うのですが、今日だけは、
私は私が悲しんでいるのと同じか、それ以上の悲哀で妹君を惜しんで欲しいと心から
切望しました。ですから、彼女が自分の部屋に私を連れていく時に、私の後ろで聞こ
えたちょっとした笑い声で、私は一瞬にして冷たい青白い怒りの炎となって燃え上が
り、そのまま一瞬立ちすくみました。それでも何とか、振り返ることを堪えたのでし
たが。
女の子の部屋にしてはちょっと地味かな、と言う感じのする彼女の部屋でしたが、彼 女の誕生日に私が贈った『のらくろ』のぬいぐるみが、窓際の本棚の上にちょこんと 置かれているのに気がつきました。
「何か飲む?」
そんなに長居はしないからと断りながら、出された座布団に座って、ようやくゆっくり と顔をあわせる事が出来た私たちでした。
そこで、私は初めて事故の話を詳しく聞いたのでした。
後日の警察の現場検証によると、車の排気ガスが充満した家の中で、彼女と家族が助
かったのは、彼女の家が広かったからだそうです。もっと狭い家だったら、多分彼女
も彼女の家族もだめだっただろう、と言うことでした。 寸での処で、彼女まで逝っ
てしまうところであったことを聞いたとき、さすがに私も真っ青になりました。
しばらく話を続けて、私が
「しかし、なんであの娘なんだろう。せっかくの人生をもっとふざけて生きている奴で
世の中一杯なのに。」
と憤りを感じながら私が吐くと、事件からずっと冷静だった彼女が、いきなり堰を切っ
たように、涙を流しながら声を震わせて言ったのでした。
「私がもっと優しくしていたら!」
「私ならよかったのに。あの娘の代わりに私が逝けばよかったのに。私の何倍も元気 に走り回って、誰よりも一生懸命生きていたのに!」
「だから、幽霊でも何でもいいから、私に取り付いて欲しいよ。もし私がいい加減な
生き方をしていたら、いつでも出てきて怒ってよ。『お姉ちゃん!何しているのよ
!!』って、怒ってよ!!」
気がつくと、何も言わずに彼女を胸に引き寄せて、私は「もういいから。」と言って
ぎゅっと彼女の頭を抱きしめていました。
「『よくやった』って全然言えないじゃないの・・・。」
それは、私が何度も彼女に言っていた言葉でした。
「僕はお葬式を見かけると、心の中で『この人生の最後に至ったあんたを世界中の誰
もが認めなくても、俺だけは認めるぞ!本当によくやった!!』って必ず言うことに
しているんだ。」
しかし、妹君のこの突然の人生の終わりに対して『よくやった』って、どうして言う 事ができるでしょうか。
止めどもなく流れてくる涙を押さえる事ができず、私もまた何も言う事ができません でした。そして、二人とも互いの相手にしがみついて、震えながら嗚咽を堪えている だけでした。
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夜も遅くなって、私が彼女の家を去るときには、参列者も幾らか少なくなってきてい たようでした。
玄関まで見送ってくれた彼女に、
「明日のお葬式に参列できなくて、本当に申し訳ないんだけど・・・。」
と言い訳をしていました。明日、私は予備校の講師として姫路に出張でどうしても休
む事ができなかったのです。彼女は「気にしないで」と言ってくれましたが。
24日に、と言って私は彼女の家を後にしました。
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その夜、思わぬ息子の帰省で仕事を早めに切り上げて帰ってきた父を相手に、私は半 ばやけくそのように飲んでいました。ちなみに父は酒が全くダメな甘党なので、日本 茶と和菓子を食べていました。
(ほうっ)、と私は思いました。
親父さんは共産主義者じゃなかったよなと思いながら、私は父に尋ねました。
父は父なりのやり方で、苦しんでいる息子に何かの答を与えてやりたいと思っていた のかもしれません。一見何の答にもなっていないようでしたが、今になって思うと、 そこには何かの解答があったようにも思えるのです。
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