仕事がない。
正確に言うと、とりあえず今日は差し迫った仕事がないだけなのだが、半年ぶりぐら
いに来たわずかな休暇である。大切に大切にさぼりたいものである。
このところ、研修員論文やら研究報告やら学会でえらく忙しかった。昨日まで、新川
崎にある日立システムプラザで開催されている自律分散国際会議と言う学会に、事務
局員として駆り出されたりもしていた。と言っても、実際は、寒風吹きすさぶビル風に
震えながら、トランシーバ片手にシャトルバスの発着を手伝ったり、新川崎駅前でじっ
と案内用の看板を持って立っているだけと言う、限りなくブルーに近いホワイトカラー
として、頑張っていた。
外国のお客さんが多くて、対応に苦慮したことは言うまでもない。実際に喋ると、そ
の酷い稚拙な英語しか喋れない自分に自己嫌悪してしまう。昨日はついに正月から続け
ていたラジオ英会話をついにさぼってしまった。
「ネイティブと会話したために、勉強をさぼってしまう」。このような矛盾した行動
をしてしまう自分が、なんとも言えず可愛い。
しかし、2週間後には、研究発表会(研発)があるので、この「仕事がない」状態が
続くのもは、今日限りだろうが。
さっきまで研究所の食堂で、いつものように昼食を食べながら文庫本を読んでいた。
季節の変わり目にはいつもお金がなくなるが、特に今年は文庫本を買うことができない
ほど貧乏である。これもそれも全てスキーが悪いのである。特に、この冬一番最後に
行ってきた組合のスキーツアーが、財政的にとどめをさしたのである。なにしろ、あの
わんこそばで有名な盛岡まで行ってきたのである。スキー場は、世界大会が開かれた雫
石、安比である。これで金のかからない訳がない。
私が今読んでいる文庫本は、引越しをする寮生が寮の玄関に手下げ袋に入れて捨てて
いった100冊近くの本の中の一冊である。もっともこの100冊の本に目をつけたの
は私だけではなく、他に二人の寮生がいたので、結局話し合いの上、当分に山分けする
ことになり、読み終ったら交換することにした。結構悲しい絵である。
その拾ってきた本の一冊が、渡辺淳一「北国通信」(集英社)という北海道を題材に
したエッセイ集で、東北美人の話が出てきたので、私も思い出した。
私は「東北美人」と言う言葉を、せいぜい色白の女性が多いことを誇張した表現で、
(失礼ではあるが)東北地方の人たちが、色の白い北国の若い女性たちをオーバーに
言っているだけだと思っていた。都会に対する憧れとやっかみの産物が「東北美人」で
あるだけだと。
とんでもない。
「東北美人」とは、特定の女性を指しているのではないのである。奇麗な女性が特に奇
麗であると言う訳でもない。それは東京を中心とした繁華街のみに通用する、極めて限
定的な定性的な話しである。
驚くなかれ。特に男性諸氏は驚くなかれ。
「東北美人」とは、「東北(には、)美人(の女性しかいない)」と言う『定量的』な
意味で使われていたのである。
一日目のスキーを終えて盛岡市内のホテルに戻り、ツアーの一行数十人で、夜の盛岡
市街に出かけた。と言ってもネオンがきらめくケバい町並みでもなく、ゆったりと流れ
る北上川とチラホラと舞う雪の風情が、とてもよく似合う心地よい街であった。
期末の忙しい時期に年休を取ってスキーをやりにきていたので、盛岡駅の方に向かう
私たちは、家に帰るOLのお姉さんたちとすれ違うことになる。断っておくが、私は特別
美人に弱い訳ではない。いわんやメンクイでもない。美しいものを見続けていたいと思
う純粋な美への思いが、ついつい振り向かせてしまうのだけのことである。何人かのお
姉さんとすれ違って、いい加減、首が疲れて来た。一緒に歩いていた先輩のNさんに話
しかける。
「何ですか、一体これは。」
Nさんも、何気なく装ってはいたが、いわゆる平均値の高さに結構驚いているように見
える。
私は、食事が終ってホテルに帰るまでにすれ違った女性をカウントしていた。
私が認定した「東北美人」の存在率は、サンプル数約20人に対して、2名を除く全て
であった。90パーセントである。なお、若い女性はもとより、中年、お年よりもカウ
ントしていたのであり、例えサンプルに偏差が含まれていたとしても、異常なほど高い
数値である。自分の故郷を悪く言いたくないが、名古屋ではどのようにサンプルを作為
的に抽出してもこの数値は出ないだろうと思う。
夕食を食べ終ってホテルに向かう途中で、私が『信じられない、不公平だ』と騒いで
いたら、組合執行部のtさんから、「盛岡営業所へ行くか。」と冗談とも本気ともつか
ないように聞かれた。組合執行部から依頼があれば、私なんかあっと言う間に北国
の住人である。即座に私は「前向きに検討してみます。」と答えてしまったが、tさん
がちゃんと覚えていたら結構やばいかもしれない。
盛岡駅近くの焼肉屋は、カルビ、ロースがとても美味しかった。雪がゆっくりと落ち
てくる街中の歩道で、皆わいわい騒ぎながら、散歩でもするようにホテルに向かってい
く。大ジョッキ2本分のビールは、皆を御機嫌にしているようであった。夫婦で来てい
るsさんたちは、仲良くゲームセンターに消えていった。2次会をやろうと叫んでいる
ものもいる。無礼講とばかりに、執行部のtさんのセカンドバックをバスケットボール
のようにして遊んでいる女の子たち。
東北には江端君の好みにあった女性が多いのかも。」と言うNさん。ぼんやりと、酔っ
た頭でそうかも知れないと思う。しかし、黙ってしまうと、Nさんに何を考えている
のかばれてしまいそうな気がして、「東北では、きっと美形の遺伝子が、優勢遺伝子
になっているんだ。」と叫んでいた私である。
ちらほら舞っていた雪が、大きな固まりとなって落ちて来るようになってきた。
近くのコンビニエンスストアでワインを買い、ようやくホテルに着いた時には、服も頭
も真っ白になっていた。自分の頭にある雪を払った時、固まりとなって落ちた。道路に
積もっていた雪に穴が空いたが、次々に落ちてくる雪のかけらで、あっと言う間に穴は
塞がってしまった。
さてさて、
今ちょうど、文章を書き始めて2時間である。あくびをしながら外を眺めると、そろ
そろ桜が満開のようである。となりの席の先輩のtさんは、次の土曜日で30歳にな
る。話題にされるのも嫌っていたのに、誕生日パーティに誘われた。どういう心境の変
化があったのだどうか。
これから始まる、けだるい春とくそ暑い夏を考えると、ぞっとする。一年が冬だけな
らどんなにいいだろうか、と考えるのは、四季がきっちりとしている本州の人たちのエ
ゴである。と「北国通信」の著者は語っている。
いずれにしろ春である。仕事のない今日を、精いっぱいだらだらして、明日からまた 激務の日々が始まる。