日立製作所システム開発研究所のスキー同好会では、毎年2月に「ポールスキー講習
会」が実施されます。ポールスキーとは、フラグ(旗)の付いた棒を巧く避けながらコ
ースタイムを競うもので、オリンピックではお馴染みの競技です。
今年の講習会の参加人数は15人と大盛況で、全員が5台の車に分乗してスキー場に
やって来ました。上手下手はさておき、いずれも(シ研)の名うての男女混合スキーヤ達
です。一日たった一回すら転ぶこともなさそうなこの連中は、同好会の誰がゲレンデで
転ぼうと、手を貸すような精神構造をしていません。全員が全員、転倒者を笑い者にし
て捨てて去って行く者達ばかりです。
ポールスキー講習会の日程は、毎年、初日が専属コーチによるポールスキー教室の受 講、二日目がナスターレースとなっています。ナスターとは、誰でも一回200円を機 械に投入すれば、ポール専用のコースで滑走時間を測定することができる装置で、最近 は多くのスキー場で見られるようになりました。
滑走開始地点には短い棒のゲートがあり、「ピッ・ピッ・ピッ・ポーン!」の音で、
ゲートを足の脛で蹴飛ばして勢いよくコースに飛び出します。フラグをかいくぐりなが
ら滑っていき、スキーヤーがゴールを通過すると光センサが反応して、ゴールの後ろに
あるポストからタイムが記入されたレジのレシートの様な紙が出て来ます。
今回のナスターレースでは、ゴールの直前で大転倒し必死の形相でストックをゴール に投げ出す(シ研)のお姉さんや、安全ネットに激突、転倒、さらにコースアウトして私 達の視界から消え去った(シ研)のお兄さんなど、コースタイムを少しでも短くしようと するためとは言え、実に美しくないレースが次々に展開されました。
コースアウトした後、這いつくばってコースに復帰したものの、機械に測定を中止さ
れてしまった人もいました。私達がこの人を「ナスターに捨てられた男」と呼ぶように
なったのは、言うまでもありません。
私はリフトの上から、レースをしている同好会員達をため息をつきながら眺めていま した。
(もっと美しいレースをして貰いたいものだなあ)
と、私は一人、コースタイムを気にしないで美しいスタイルのスキーに興じていたの でありました。
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私の友人の久保川君は日立(シ研)の所員ではなく、野村総合研究所の所員です。この 講習会があると私を通じて申し込みをしてくる、スキーの上級者で、大学時代は私のス キーの師匠でした。
初心者だった私を、林間コースには連れて行くは、チャンピオンコースからたたき落 とすはと、まあ大変な先生だったのですが、そのおかげもあって人一倍運動音痴だった 私が、人並みにスキーを楽しめるようになったのですから、感謝していると言っても良 いでしょう。
彼は、出発の日に鎌倉に出張していた私を、愛車マツダMXー6に乗って、わざわざ 近くの駅まで迎えに来てくれていました。そんな訳で、私は行きも帰りも彼の助手席で 、彼専属の噺家となり、『居眠り防止用ノンストップトークメーカー』と化していまし た。
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今回の「ポールスキー講習会」の全スケジュールが無事終わり、私達は中央高速を東 京方面へと帰路の途につきました。
5台の自動車のそれぞれには、アマチュア無線の免許を使用できる人が乗り込んでい たので、私達はいつでも群れになって移動することができました。途中、チェーンをは ずしたり、ガソリンを入れたりする為に、こんな会話をしていました。
勿論スキーを楽しんでいる最中にも使えるので、スキー必須アイテムであるのは、言
うまでもありません。
帰路の途中、渋滞に巻き込まれたので、無線機で連絡を取りながら、渋滞を突破しよ
うとする車2台と、高速道路を降りて渋滞を回避しようとする車3台に分かれることに
なりました。しかし、情けないことに渋滞突破を宣言したグループが、いとも簡単に棄
権して、結局5台とも高速を降りてしまいました。
付和雷同な日本人の軟弱な精神構造を垣間見る思いでした。
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5台のうち、久保川号、中代号、野尻号の3台が、日立美しが丘寮に向かう為に国立
府中インターを降りたときは、すでに夜の9時を過ぎていました。その日は、関東地方
も随分と冷えこみが強かったようで、途中の空き地には所々に雪が残っていました。
中央高速道路の側道を走っていた時、私は学生時代を思い起こさせる妙な臭いに気が つきました。その匂いは、電子回路を作る時に部品を基盤に接着する鉛、『半田』が焼 ける匂いで、学生時代電子回路を作りまくっていた私にとってはとても懐かしい匂いで す。
(ふーん。この辺に、電子回路を作る町工場があったんだな。)と思いながら、無線
機のマイクを手にとり、他の2台の車に『鉛の匂いがしない?』としゃべりかけようと
した、まさにその時です。
私の助手席の右足付近から、これ以上もないと言うくらい密度の濃い白い煙がもくも
くと舞い上がって来ています。そして、その煙がやがて私の足元に充満し、私の膝を見
えなくして来る頃になって、私は叫びました。
その時私が瞬間に考えたことは、久保川君が煙草の火を私の足元に落として、私が足 元に置いていたお菓子の箱やゴミに引火したということです。
(足がぁ〜、足がぁ〜燃えているぜ〜〜!!)
『燃えるいい男』などとギャグをかましている余裕は全然ありません。下半身は完全に
視界から消え、私は雲の上から下界を見るような思いになり、天上はパニックに陥って
いました。
しかし、久保川君は一向に私の叫びに応じません。
そもそも彼は普段から冷静な男です。私は長い付き合いの中で彼が激昂したり、慌て
たりしたことを見たことがありません。少々語弊もありますが『ダンディ』と言えば、
言えるかも知れません。
私がもう一つ考えたことは、非常用の信号灯に着火してしまったということです。
(なんて器用な私の足!何も考えずに、信号灯を擦って着火させるとはぁ!!)
しかし、彼は相変わらず冷静でした。
そんな冷静な彼を見ているうちに、私も少しづつパニックから立ち直って来ました。
(彼は原因を完全に掴んでいて、今静かに対策を考えているのだ。車を走らせながら 、鎮火するつもりなんだ。なんて凄い男なんだろう。災害が起こった時にも、彼との通 信線だけは確保しておこう。)
煙が車の中に充満し車内が真っ白になって来て、胸を焼くような鉛の異臭にごほごほ
と咳き込んでいましたが、私は久保川君の指示を落ち着いて待っていました。
煙が腰まで達しようとしていた時に、彼がぼそっと言いました。
あまりに淡々に語る彼の台詞で、私は頭の中が真っ白になりました。
そして、瞬時にパニックに陥った私は、金属の匂いのする強烈な刺激臭咳き込みなが
ら、握っていたマイクに向かって支離滅裂なことを叫んでいました。
久保川号は徐々にスピードを落とし、左側の歩道にくっつくような形で止まろうと
していました。私は、最後に一言マイクに向かって叫びました。
車が停止すると久保川君は「出ろ!!」と叫ぶと同時に、右側のドアを勢いよく開け て車の外へ飛び出し、私もマイクを捨てて助手席のシートベルトをはずして逃げ出しま した。私達が車の外に出ると、車の中はまるで真っ白な真綿がぎゅうぎゅうに積み込ま れたように真っ白になっていました。
しばらく茫然としていましたが、助手席の足元に散らかしたままのゴミに着火してい るとしたら、間違いなく車内火災となります。下手をするとガソリンタンクに火が届く かもしれません。私は意を決して、助手席のドアを開けると同時に車内に飛び込んで、 私の足元にある荷物と無線機を全て車の外に投げ出し、歩道に巻き散らしました。
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その後、私が無線機で「多分出火はしていないので、大丈夫。」と連絡すると、皆が 心配そうな顔をして走って集まって来ました。久保川君と私が助手席足元に潜り込んで 、原因の調査をしているうちに、次の様なことが解って来ました。
「うっ、やっぱりそうなのかなあ・・」
私は反論する材料がないので、うなだれながら電線のを切断して絶縁処理をしていま
した。切断する時はショートの危険がありましたので、皆を下がらせて、私も顔を片手
で覆いながら、もう一方の手のナイフで電線を切り落としました。
と皆に言いながら作業していましたが、皆が(煙でパニックに陥っていた奴が、何を
偉そうに・・・)と言わんばかりの視線で、私の背中を突き刺していたような気がし
ます。
『学問は無力だ・・・。』とつぶやきながら、断線作業を続ける私でありました。
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その後、久保川号は危険と思われる箇所の電源ヒューズを全てはずし運転を続けまし た。ラジオ、CDは言うに及ばず、暖房も完全に停止させて、雪の残っている多摩市の 山の中の道を走り続けましたので快適な車内の温度が、一変して氷点下近くまで低下し ました。
ヒューズを落としているはずなのに、スイッチを入れると音声が聞こえてくるラジオ
を不思議がりながら、窓を開けっ放しにして再び鉛の臭いがして来ないか注意深く助手
席の足元の匂いをかいでいました。
寒々とした空気となった車内の中での、私と彼の会話。
そんな訳で、今年の6月、私はマツダMXー6のオーナーになっているかもしれませ ん。