さてさて、そろそろ結婚披露宴の招待状が届いた方も、届かなかった方も
いると思います。予算や有限数の席の都合もあって、全員をご招待できない
ことが不可能で仕方がないこととは言え、今の私としてはとても残念な想い
で一杯です。
メールで文句の一つでも送って下さい。
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で、早速来ました、クレームが。
非常に完成度の高いクレームで、私も久々に全力の弁明を行いました。
それでは、お楽しみ下さい。「メールのやりとり」シリーズ第7弾! 今回は、地平茂一氏です。
-------------- Mail from Jihira to Ebata --------------------------
私の尊敬する江端大先輩様、いつもお世話になっております。
あなたの忠実な後輩の地平茂一でございます。
さて、実はこの度、結婚を間近に控えて非常にご多忙な江端大先輩に対して
誠に恐縮ではございますが、ひとつお伺い致したき事態が出来し、今回Mail
させて頂く次第でございます。
実は昨日、寮に帰りましたら、寿色に輝く封筒が私のBOXに入っておりまし
た。これはひょっとして江端さんからの招待状だろうか?
私の心はときめきました。
これまで何度となく、この偉大な先輩とMailの交換をさせて頂いてはおりま
したが、特に根回し的な話も、暗示的な話もあった訳ではございませんでし
たし、なによりこの偉大な先輩の結婚披露宴を私のような無粋な者が末席を
汚してはならないのではないかと考えておりました。
従って、
中山・ド・エルカンターレ → "L-kan"
ebata> L-kan>
御祝儀は本当に要らないんスか。
ebata>
ebata>
したがって上記の文章は「チャペルの結婚式だけに来る人、お金は
ebata>
かからないからどんどん来てね。でも『披露宴会場』の受付では御
ebata>
祝儀ください」と解釈して下さい。
ebata>
ebata> L-kan>
そんなに経済的に余裕があるんスか。
ebata>
ebata>
ある訳がありません。資金繰りに苦しむ経理課長の気分です。
ebata>
ebata> L-kan>
公的資金を導入したんスか。
ebata> L-kan>
国民の血税を安易に使うんスか。
ebata> L-kan>
経営責任をとるべきじゃないんスか。
ebata>
ebata>
したがって、御出席頂く方から、圧倒的善意の寄付金+食事代を要
ebata>
求するものです。
このようなやり取りもひとごととして微笑ましく拝見させて頂いておりました。
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ところが!
封筒を見てみると、燦然と輝く「江端智一 持留祐子」というお名前がある
ではありませんか!
「うれしいよなぁ、やっぱり江端さんはすごい方だ。
よし、早速、圧倒的に出席に賛同する旨の連絡をしよう。
もちろん、善意の寄付金についてもその額は惜しまず、私財の全てをなげ
うってでも、尊敬する大先輩の新たなる人生のスタートとHDの増設)を祝福しよう。」
そして、何気なくその封筒を裏返してみました。
「おや?」
「何かおかしい」
「何か足りない様な気がする。」
「げげ...」
なんということでしょう。その招待状は私宛のものではありませんでした。
そこには達筆な筆(ペンか?)でこうかかれていました。
「〒573 枚方市招堤中町 住友商事牧野寮3A 地平 茂 様」
もはやなにも申しますまい。私の尊敬する江端さんが「地平 茂」なる友人を
お持ちであったとは初耳でした。
以前、一世を風靡した次の様な一文をご記憶でしょうか?
今井田佳子@松下 嬢 → "imaida"
imaida>
まあ、かつては、D大学機器研究室に江端ありと言われ、
imaida>
ゼミ生のフルネームなんぞは全て記憶していると豪語し、
imaida>
様々な素晴らしいネーミングをされた人ですからね。江端さんは。
imaida>
imaida>
そうか、あたしって”よしこ”だったんだ。
imaida>
親には、”けいこ”って呼ばれてると思ったけど。
imaida>
imaida>
あー、悲しいよなー。
imaida>
他ならぬ江端さんが、こんなに私のことを知らなかったなんて。
imaida>
まあ、しょうがないか。
imaida>
江端さん、私のこと嫌ってたみたいやし。
imaida>
imaida>
本当に、メールをみたときは、涙がでるかと思いました。
imaida>
あっ、メールだ!という嬉しさから、ガラッと反転して落された、
imaida>
こんな裏切りって、久しくなかったなあ。
imaida>
imaida>
まあ、とりあえず、
imaida>
訂正していただかなくても、大した差障りはないので結構です。
imaida>
メールも届くし、郵便物も届く。
imaida>
そのままにしておいて下さい。
今井田さん、あなたの気持ちは今の私には痛いほどよくわかります。
今は岡山にいる岡本君、君はなぜいまだに同志社大学機器研究室のみんなか
らキクゾウ
と呼ばれているのか?そのことにたいして憤りを感じたことはないか?
まぁ、いい。
いま確認したいことはたった一つだ。やいっえばた!
この招待状を一体どうしろと...
そして、わたしの振り上げられた拳はどこへさまようのか...
というわけで、本件にたいする圧倒的な言い訳を期待します。
ちなみに一切の言い訳をせずor素晴らしく華麗な言い訳を展開し 今回の事態を収拾できた暁には、貴君の披露宴に出席してやらんでも 無いことはやぶさかではないことをここに圧倒的に宣言するものである。
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無礼な後輩をお許し下さい。本文の天災、もとい転載を許可します。
もちろんあなたの地平茂は喜んで出席させて頂きます。
江端の弁明、ここから。
-------------- Reply from Ebata to Jihira --------------------------
激動の昭和史・・・、それは日本の帝国主義が欧米烈強の驚異に晒され、 アジアで唯一の軍事大国を目指そうとし、露骨な中国大陸侵略を開始し、隣 国韓国を隷属同然の併合を行ない、さらには資源確保のために南方への軍事 的、精神的、そして文化的侵略を果たしていく過程であった。
このような、日本の覇権主義に激しい危機感を抱いた欧米烈強は、経済的 な制裁---ABCD包囲網で日本の経済的破綻を画策、さらには大陸からの完全撤 退を含む強硬な要求「ハルノート」を日本政府に突きつける。
中国大陸北西部を占領後、清国最後の皇帝を立てて傀儡政権を樹立し、天 皇の「統帥権侵害」をたてに政府のシビリアンコントロールを事実上無力化 した軍部は、暴走の限りを究め、日米はついに世界史上例のない大量虐殺戦 争---『太平洋戦争』に突入していく。
そして、人類最初の原子爆弾が、日常生活を営む地区---非戦闘地区の、如
何なる有効な武器も持たない非武装の市民---非戦闘員に対して投下された6
日後、ついに日本は、何百万にも及ぶ決して帰らない貴重な同胞を失い、連
合国側に対して無条件降伏をして、この戦争は終るのである。
そして、世界に冠たる---「戦争を永久に放棄する」と言う、人類史上、如 何なる国家もなし得なかった憲章を採択し、世界に対し高らかに唱った平和 憲法を樹立した誇り高き国家、日本。
そして、その新生日本を見事にリードした名宰相、その名も
「吉田 茂」
米国の強い再軍備要求より経済復興を優先、日本の防衛をかつての敵国に 守らせて自国の経済発展のみに力を注ぐ、その有効かつ姑息な政策。
1953年には、国会の質疑中に質問している議員に「バカヤロー」と言う暴 言を発し、ついに与党を解散させてしまう、その「ワンマン」で手のつけよ うのない性格。
任期期間中の5期に渡って鳩山一郎との政治闘争を繰り広げ、政権禅譲の 約束をへっちゃらで破ってしまう、あきれかえるばかりの無責任さ。 --------
帰省の度に、この名宰相について、熱く語り合う父と息子。酒を片手に語
りかける息子に、饅頭を渋茶と一緒に食べながらそれを受ける父。この親子
に「吉田茂」と言う名前が刷り込まれていたとして、一体それを誰が責める
ことができましょう。
この名宰相と、言動、あくまで類似。行動、しつこいほどに相似。名前
、わずか一字違い。この戦後最大級の偉大な人物と、私の屈指の優秀な後輩
の一人を、この親子がオーバーラップさせたとして、何の不思議があると言
うのでしょう?
「(吉田)茂」と「(地平)茂一」−−−−見れば見るほど、一致するこの文字列と語呂。
たとえ私が正確な名前を実家にFAXで送信したとしても、この熱き血潮 を分かち合う我ら親子にとって、「茂一」=「茂」と映ることは、決して想 像に難くないと私には思えるのです。
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勿論、公式の書面に対しかかる無礼、決して許されるものではなく、その 罪、万死に値すると言えども、この親子の熱き「茂」および「茂一」への想 い!何卒、何卒、ご理解頂きたく、お願い申しあげる次第でございます。
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名宰相「吉田茂」は、1967年10月20日、死去。葬儀は戦後初の国葬となりました。
私は人類初のインターネット葬を必ず実現し、名後輩「地平茂一」に対し て今回の無礼のお詫びとする所存でございます。
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と言うわけで、披露宴、来てね。