「IETF惨敗記(最終回)(パパからの贈り物)」
Privious:江端さんのひとりごと 「IETF惨敗記2(白夜のノルウェー編)」
マリオットホテルの宿泊2日目、正午過ぎ。
ミーティングのアジェンダを眺めながら、『午後のセッションは、特に聞い ておく必要のあるものはないな』と一人つぶやき、私は近くの酒屋で手に入れ てきた、サミュエルアダムス(*1)の栓を抜いて、ラッパのみしながら、服を脱 ぎ始めました。
(*1)ビールの名称。「フォギーボトム」なども大変美味しかった。
出国前から調子の悪かった私の体調は、完全に昼夜の逆転する生活で完全に ぶっ壊れたようで、明日以降に今回の渡米で一番大きなミッションが残ってい ることを考えても、ここはきちんと休息すべきであると判断し、『本日午後か ら安息日』と勝手に決め付けてて、風邪薬を飲んで寝込むことに決めました。
一眠りする前に、私宛に届いている電子メールに目を通しておこうと思い、 シャワーから出てきた後に、自動ダウンロードされたメールをチェックしてい た私は、不審なサブジェクトのついたメールを見つけました。
"Paper for INET?"
先日、私は同じサブジェクトのついたメールがあることに気がついていたの ですが、『どうせ、論文募集のメールだろう』と考え、軽く読み飛ばしていま した。
そして今日、同じサブジェクトを、今度は、同期の同僚M氏から受け、不審 に思った私は、彼のメールを開いてその内容を読みました。
そして、吃驚したのです。
それは、私たちが執筆したインタネットドラフト(*2)に対して、IETF議長で ある、あの巨人フレッドベーカが、直々に、INET2000で論文出さないかと依頼 してきたメールだったことが分かったからです。
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初冬のワシントンD.C.
紅葉の季節は終わり、乾いた冷たい空気が頬を叩くのを感じながら、背中に はノートパソコンが詰まったデイバッグをしょって、私はIETFミーティング会 場のホテルへと向かいました。
IETFもすでに3回目か、と思うと感慨深いものがあります。
ミネアポリス、オスロー、そして今度はワシントン。その間にデンバーとベ ルリン。その時、私ははっと気がつきました。これではまるで、世界をまたに かけて活躍するビジネスマンみたいじゃないか。
私達が一般的に持つ、世界をまたにかけるビジネスマンのイメージとは-----
(1)背景は、成田空港の第一ターミナル
それも第二ターミナルではなく、第一ターミナル。
なぜなら、第一ターミナルじゃないと、下りのエスカレータに乗った海外に 旅立つビジネスマンの恋人が、手を振りながら地下の出国手続きカウンターに 消えていくことが出来ないからです。
第二ターミナルのほうは、出国するために荷物をもって列に並んでいる人を、 見送る人が見えてしまいますから。混雑時など、見送る人が、『いいかげんに、 消えて欲しいなあ』と思ってしまうでしょう。
空港で、ロマンチックな別れをしたい人は、全日空のコードシェア便(第二 ターミナル発)などは絶対に選ばないことをお勧めします。
(2)スーツ姿で搭乗するビジネスマン。
ナンセンスです。
到着する場所にも関係しますが、アメリカなら10時間は飛行機の中で、同 じ格好をしながら、椅子の上から動くことなく、飯を食い、眠っていかなけれ ばならないのです。仕事をしに行くのに、わざわざ疲労する格好で出かける奴 は、阿呆です。
最近の私は、ディスカウントショップで手に入れた、だぶだぶのジーンズと、 サンダルです。背負ったリュックの中には、ミネラルウォータ一リットルと、 睡眠薬の効率を何十倍にもするウイスキーのボトル一本、程よく眠りにつくた めの英語論文、てなものを携帯して搭乗しています。
(3)美人スチュワーデスと英語でお話
通路を完全に封鎖するな、というほど太った、UA(ユナイデッドエアー)の おばさんは、私は機内に持ち込んだ荷物(勿論、持ちこみ基準をクリアしてい る規格)を入れるスペースがなくなって困っていると、『荷物を持って、飛行 機の外に出て、手続きをしてこい』と言いました。
"Must I do it by myself ?"
"Sure."
フライト3分前に、こういうことを平気で言うおばさんを雇用しているUAの 飛行機には、それ以来乗っていませんが、日本人の国際化の第一歩は、根拠の ない『スチュワーデス幻想』から離脱することだと思います。
(4)空港のタクシーターミナルに、すーっと入ってくるリムジン
国際便ともなれば、遅延到着は当たり前。おまけに簡単に欠航してしまいま す。空港のタクシーターミナルに、リムジンがJust On Timeで入ってくること など、不可能、と言うより、はっきり言って幻想です。
米国出張のビジネスマンは、場所と値段を聞いて、"Yellow cab"と呼ばれる、 『よくこれで車検が通ったなあ』と感動するほどすさまじいぶっ壊れ方をした タクシーに、---- サイドブレーキの根元のパネルが外れて、車輪に直結して いる金属アームの部分が丸見えで、さらにすごいタクシーになると、床の部分 の穴から、回転している車輪が見える様な ----- そういうタクシーに乗るの です。
とまあ、こんな風に誤解するのは、日本のドラマの制作者がアホだからです。 ニューヨークやワシントンなんぞに行って、企業の利権を漁れるマーケットが 欠片でも残っているわけがない。そんなところに、日本人をわざわざ連れていっ てどうする。
摩天楼の見渡せるマンションを借りるだけの、住居手当を出す会社があると は思えません。海外生活給なんて、『まあよくここまできっちり計算できるも んだ』と思えるほど、日本の生活の品質を絶対に上げることもなく、そして社 員から突き上げをくらうことのないギリギリの金額が支払われるのです。
どうして、中国(それも北京や上海じゃなくて)大陸内部に向かうビジネス マンではだめなのか。どうして、その分野はNHKの専売特許なのだろう。
中東の石油産出国で原油のプラントを作る技術者の闘いは、ドラマにならな いでしょうか。クーデタにつぐクーデタの中で、昨日まで有効だった紙幣が、 一夜にして紙切れになる、そんなシナリオはドラマチックだと思うのですが。
イスラム教に改宗を迫られたとしても、3秒もたたないうちに「O.K.」と応 えることのできる、宗教的観念が空気のように希薄な我々日本人のあり方は、 世界対して、宗教を根拠とした戦争や虐殺や殺戮の無意味さを、雄弁に語るは ずです。
ともあれ、いいかげんに、誤った「世界をまたにかけるビジネスマン」像か ら、ビジネスマンたちを開放してあげるべきです。
賭けてもいいけど、『海外を飛び回ること』がステータスと思っている、海 外を飛び回っているビジネスマンなんか絶対にいませんよ。
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私は、『努力は必ず報われる』などと一度も思ったことはないし、『報われ たいから努力をしている』わけでもありません。『努力はそのプロセスを楽し むもの』とカッコイイことを言いたいけど、そこまで達観しているわけではな いし、要するに、私は、色々なものに流されて生きて、その場その場で必要最 低限の努力をしているだけです。
そして、願わくば、そのプロセスでなるべく人に迷惑をかけずにいられたら いいな、と思っているだけです。
だから、誰かがやらなければならないなら、たとえ苦手な英語であったとし て、インターネットドラフトを40ページも書いたりしたわけです。そして、 そのドラフトを提出するにあたって、その内容を保護するための特許を100 ページ近くも書いたのです。
そして、ドラフトの執筆を上司に邪魔されないために、一般立ち入り禁止区 域のコンピュータルームに閉じこもっていました。十数台のマシンがうなりを 立てて、おそらくは明らかに人体に障害があるほど飛び回っている電磁線の嵐 の中で、翻訳サーバマシンのコンソールに向かって、キーボードを叩きつづけ ていたのです。
ですが、私が今なお理解できないのは、努力は報われなくてもいいんだけど、 努力がさらに私を苦しくさせていくのは何故だろう?と言うことです。
ドラフトを提出し終えてから、海外の研究者から内容に関する問い合わせが あり、やがてそのことが、部長に知れ渡ることになります。
部長は軽い調子で、私にそれらの研究者たちと、今度のIETFミーティングで、 議論をしてくるように命令しました。
その命令を受けた瞬間、私は目の前が真っ暗になるのを感じました。
何度も何度も何度も何度も繰り返して恐縮ですが、私は『本当』に英語でコ ミュニケーションができないんです。英語でコミュニケーションする「ふり」 をするのは、もの凄く上手ですが、それはあくまで「ふり」であって、コミュ ニケーションではないのです(*2)。
(*2)江端さんのひとりごと「壁」
私は苦労をしたくて努力をしているわけではないのに、どうして次から次へ 「私の能力をはるかに超越する」苦労が舞い込んでくるのだろうと、悲しくなっ てきます。
一発派手に失敗してやれば、私を見直してくれるのかしら、と思うこともあ りますが、小心者の性で、また一からこつこつと努力して、被害を最小限に勤 めなければと、べそをかきながら、愚痴を言いながら、再び一人で立ち向かう ことしか出来ない、情けない私がそこにいます。
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IETFも3回を数え、さすがの私も慣れてきました。
いえ、英語が聞き取れることではなく、英語が聞き取れないことにです。
誰になんと言われようが、わからんもんは、わからんのです。
ところが、このような慣れの反面、私には今まで見えなかったものが見えて きました。それは、ある時突然目の前に開かれ、気がついたときには、そのあ まりにも凄まじい風景に戦慄を禁じ得ませんでした。
何故今まで見えなかったのか、自分でも不思議なくらいです。
それは、IETF出席者の背後から立ち昇る ----- 青白い炎
静かに揺らめく炎もあれば、一定の火力で安定して燃えつづける炎もありま す。会場から、辛辣な質問を受けた瞬間に、怒りの形相と共に爆発的に四方に 広がる炎もあります。
ただ、共通して言えるのは、それらの炎の全てが例外なく「青白い」とい うことです。
超心理学の分野では、多分別の形容表現があるのだと思いますが、これが生 体エネルギーが可視可されたもの、すなわち「オーラ」と呼ばれるものか、と 思い当たりました。
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IETF(Internet Engineering Task Force)とは、インターネットにおける標 準を作成し、それを決定する組織です。そしてその組織にて承認された標準は、 RFC(Request for Command)として公開されます。
RFCは、世界中のインターネットを使用するユーザに対して、その標準の規 格に従うことを指示する絶対無二の命令書です。そして、RFCを策定し、その Author(著者)として登録されることは、まさに世界最大のネットワーク、イ ンターネットにおいて、利用者側ではなく、建設者側にいることの証明そのも のなのです。
他の分野の方からは、分かり難いことかもしれませんが、RFCのAuthorとい う人が近くにいれば、私たちネットワーク技術者は、その人に声をかけること は勿論、近くによって影を踏むことも考えにくいです。
それは、少々説明しにくいのですが、「権威」とか「敬意」とかとは、かな り次元の異なった観念なのです。
勿論、私も自分で通信プロトコルを考案し、それをプロトタイプに実装して 実験を行ったりもしています。しかし、それは所詮は、私の管理するローカル のネットワークの中の世界に過ぎません。
RFCという「経典」が、世界中の全てのネットワーク技術者に製品を作らせ、 その製品から送り出される何億、何兆もの通信メッセージが、全世界を駆け巡 るという事実は、ある種、私たちネットワーク技術者を恍惚とされる究極の夢 の一つであることは間違いありません。
例えば、IP --- Internet Protocolは、今やインターネットは勿論、キャリ ア(電話)のネットワークにまでも採用され始め、今後全てのネットワークは IPで統一されるという見解もあります。
死を迎え、その肉体が朽ち果てた後も、その人が残した「きまり(プロトコ ル)」が生き続け、そのきまりに世界中の人が従っていくということは、その 人の魂や精神が永遠に生き続けることと同じです。
それは、世の中の多くの人が求める「金」とか「名誉」とかいうものとは本 質的に異なる、何か ----- 永遠の命、あるいはそれに近い「何か」なのです。
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また、別の見方をすれば、インターネットとは、多分、人類史上初めて国家 の枠組みを超えて存在することを許されたネットワークです。
ありとあらゆる情報は、国境を越えて易々と他の国に送ることができます。 なにより、インターネットは様々なネットワークの集合体から構成されるため、 たとえ国家が情報の制御や管理を試みようとしても、まず不可能です。
一方、この国家で統制することの出来ない巨大ネットワークが、国家のプロ ジェクトから生まれたということは、非常に皮肉なことです。
「合衆国の複数の州都が、同時に核攻撃を受けても、決して死なないネット ワークシステム」は初期の目的を達し、国家の管理を離れて、民間のネットワー ク研究員によって研究が継続されることになります。
そして、それらの研究員の多くは、合衆国に国籍を持ち、アメリカ式の民主 主義者の信奉者でした。それらの技術者の多くは、反体制的で、インターネッ トに国家が介入することに逆らってきました。
そして、決してインターネットを国家の統制下に入れないという意志も加わっ て、IETFは機能を続けています。
はっきり言えば、IETFは、そもそもの存在意義が「反体制」だったのです
よくよく考えてみれば、そういう「永遠の命」を求める「反体制主義者」が、 普通の人間であるわけがない。
そりゃ、青白いオーラの一つや二つ、燃え上がらせながら、会場ホテルを歩 き回っているのも当然と言えば当然です。
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実際のところ、私はこの「IETFミーティング」に好きで出席している訳では ありません。
文字どおりの意味で、私は、日立の業務命令で出席しているわけですから、 好き嫌い以前の問題なのですが、それにつけても、このIETFミーティングの出 席者が醸し出す雰囲気は、何度体験しても慣れることが出来ないのです。
例えば、ミーティング会場で、発表者のプレゼンテーションを聞いている 時、私ですら『それは、違うんじゃないかなー』と度々思う内容の発表があり ます。
勿論、私は生涯IETFなんぞで、質問をする気は ----- というか、質問する だけの語学力がつくとも思えませんので ---- ありませんが、たまたま同じ疑 問を持った出席者が同じような質問をする時など、 『なんであんな自信たっぷりに、的を外れた回答ができるんだろう?』
と、驚いてしまうことがあります。
質問者が表現を変えて、同じ内容の質問を試みますが、胸を張って威風堂々 と、さらにへんてこりんな回答を返す。
これを才能と呼ばずに、何を才能と呼びましょう。
まあ、ここまでは、日立内部にも転がっている馬鹿と同じですが、
----- 日立にも、自分のアイデアはなくて、IETFではどういった、こういっ たのと、人の書いたドキュメントやドラフトを振り回して、あたかもそれが自 分のアイデアに振る舞うような、うっとうしい馬鹿がいるのですが -----
しかし、さすがに「踊りながら」プレゼンテーションを行う奴は、日本には、 いや、世界中見渡したって滅多なことでは見つからないと思います。
スライドが表示されたスクリーンの前を、聴衆を目の前にしながら、カニの ように横歩きをし、何度も往復しながら、両手を広げ、腰をくねらせ(時々小 指が立ってたりするし)、怒り、悲しみ、哀れみ、そして喜びの全ての表情を 駆使して、聴衆に訴えかけるそのプレゼンテーションを一言で表現するのであ れば、
恐い
こんな、恐いプレゼンテーションには、なかなか巡り合えるものではありま せん。
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ちょっと話を離れますが、これは米国至上主義者がよく吐く台詞です。 「アメリカでは、意見はYes/Noとはっきり言う。これはすばらしい文化だ。」
そいつは、もしかしたら米国に行ったことがないのか、あるいは米国できち んとした議論を見たことがないんじゃないかな、と思います。
昨年5月の、あるIETFのワーキンググループのInterim(中間会議)に出席 してきたのですが、まあその議論の凄まじいことと言ったら・・・。
「馬鹿か!」
「意味がないだろうが!」
「もう一度ちゃんと考え直せ!」
「無駄だ!」
「やめてしまえ!」
「どっかに行ってしまえ!」
あなたは、こんな言葉を、一つでも会議の最中に言えますか?
たちまち議論は感情的になって紛糾、次回のミーティングの日程すら立たな いでしょう。
こういう言葉を駆使しなければ、反対意見に抗弁できない文化って、はっき り言って野蛮。
「すばらしい文化」などとは、私には到底思えません。
しかし、さらに恐ろしいことは、こういう相手を殺さんばかりの議論が終わ ると、和気あいあいと一緒にコーヒーを飲めるその精神です。
『お前たちの言葉は、質量(重さ)を持たないのか!』と叫んでしまいそう になるのは、こんな時です。
閑話休題
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私が、まともな英語のコミュニケーションが出来ないのは、何度も話してい ますが、そんな私が曲がりなりにも、一応任務を完了させて帰国出来るのは何 故か、と訝しがる方がいるかもしれません。
『結局、なんだかんだ言っても、江端は有能なんだよな。』と思われるのは、 誠に本意なのですが、事実ではありません。
それは、私のバックエンドに常に控える、後輩のT君。
彼は、TOEICでは「Nativeと同等」と判定されるスコアを叩き出し、基幹系 ネットワークからローカルネットワークに至るまで、今まで私が出した質問に、 未だ一度たりとも答えられなかったことはなく、そして、IETFの議論の内容の ほとんどを理解できるという、真の切れ者です。
なぜ、「真の切れ者」と書いたかというと、英語は江端より駄目で、ネット ワークはごくごく一部の部分を専門的に知っているだけで、さらにIETFの内容 なんぞ殆ど理解できていないくせに、知ったかぶりをして偉そうにしている 「真の馬鹿者」がいるからです。
我々は、もう、こういう馬鹿と議論をするのが面倒くさいので黙っているだ けですが、それを、みんなが納得したと勘違いしているほど救いがたいので 「真の馬鹿者」と呼ぶのですが。
後輩のT君は、何故か私の後ろに控え、私を全面に押し出して、私の困難な 任務を支えます。それほど能力があるのだから、自分で企画して自分の成果と すればいいのに、誠に不思議な青年です。
要するに彼の助けで、私は失敗も出来ずに、ここ、ワシントンまで来てしまっ たのです。まあいずれボロがでて、私の上司たちも気がついてくれると期待し ています。
繰り返しますが、私は国際的なミーティングに出席する器ではなし、外国の 企業に乗り込んで製品開発を推進するような能力を持ちあわせている人間では ないのです。
自分としては、町内会の夏祭で、太鼓をどこから搬入するかに苦慮する「町 内会の若衆の頭(かしら)」あたりが、しっくり来ると思っているのですが。
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今回のIETF開催会場のホテルの中で最も大きなホールで、あるワーキンググ ループのミーティングが開かれており、私たちはその会場で聴講していました。
そこでは、提出されたドラフトの説明を行うために、アジア系の顔立ちをし た(多分、日系アメリカ人)若いマイクロソフトの社員が、プレゼンテーショ ンを行っていました。
体格は、小太りでやや背の低い、いわゆる「標準化活動担当者標準体型」と 言われるその風貌は、この会場では特に珍しい体型ではありません。
彼の喋っていたドラフトの内容は、現在ホットな議論の一つらしく、彼がプ レゼンテーションを行っている最中に、早速質問が飛び出しました。その質問 は、議論の核心を突いていたらしく、彼は早くも回答に詰まってしまったので した。
その時突然、若い彼の背後、もう一回り大きい「標準化活動担当者標準体型」 の影が現われました。
IETF議長、フレッドベーカ氏の登場です。
『はて、なんでこの場面にフレッドベーカが?』と、再びプレゼンテーショ ンの画面を見てみると、なんとシスコシステムの彼が共著者となっているドラ フトだったのです。
彼は、若いマイクロソフト君の前に出ると、あの全ての人の腹にずしりと堪 えるテノールで、敢然とその質問に対して立ち向かっていました。
フレッドベーカ氏は、私だったら、あの声でしゃべりかけられた瞬間、その 内容がなんであれ、その瞬間「ごめんなさい!私が悪かったです!!」と謝っ てしまうと確信できる、そういう迫力のある低周波の音波を吐いて、質問者に 対して、片っ端から反論を続けていました。
いくつかの質問に対して、それに対して答えようとするマイクロソフト君の 前を遮り、フレッドベーカー氏は、ついには彼のマイクを取り上げると、噴火 直前の活火山の火口で微かに揺れる大地に響き渡るような ----- そしていつ 爆発してもおかしくないような ----- 地響きを思い起こさせるテノールの声 で、全ての質問を封殺してしまったのでありました。
この奇妙な風景を見ながら、私たちはぽつりと言いました。
江端:「ありゃ、何なんだろうねえ」
T君:「『パパ』と『息子』ですね」
後ろで控えるマイクロソフト君を前に、フレッドベーカパパは、マイク ロソフト君を苛めるいじめっ子に対して、敢然と立ちつづけていたのであり ました。
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今回のIETFで、私たちは、私の書いたインターネットドラフトに対して、 質問をしてきた、米国電話会社(MCI)の人と会って、議論をすることになりま した。
先ほど書いたように、私は、部長の命令(要するに業務命令)でミーティン グの申し入れをせざるを得ませんでした。
勿論、その時の私はメールを書きながら、「頼むから、『都合がつかない』 と返事を返してくれ!!」と願っていましたので、『喜んで招待に応じる』と 返事が戻ってきたときは、パソコンのコンソールの前でがっくりと肩を落とし たものです。
IETFの3日目の昼、私たち日立スタッフに、急遽GMD/Fokus(*2)のカレルさ んも加わり、MCIのY氏とT氏を迎えて、一緒に昼食をとることになりました。
Y氏と出会ったその瞬間、私は(多分T君も)なんだか妙な感じを受けました。 Y氏の案内で、レストランに向かう私たちは、なんだか主人に付き従う付き人 のような、奇妙な錯覚に襲われ、それはこの昼食会が終わるまで、消えること がありませんでした。
日立、GMD、そしてMCIは、現在、インターネットを跨るネットワーク間の品 質保証技術に関する議論の場所がない、と言う認識で一致しており、これをど うにかしよう、という意図で集まっていました。
最初のうち、私たちは色々な話題で盛り上がっていたのですが、程なくレス トランの席の中央に座っていた、MCIのY氏が、周りを見渡して、静かに語り出 しました。
私たちは、一瞬にしてその場の空気が変わったことを察知し、Y氏のほうを 向きました。
「エーブリバディィィ・・・・(静かに消えていく台詞)」
(皆の者・・・)
Y氏は、その後で私たちを微かな笑顔で見渡した後、語り始めました。
「リッスン ・・・ ツゥ ・・・ミイィィィィ・・・・」
(私の話をお聞きなさい)
Y氏は、両手を軽く挙げ、虚空を見つめながら、台詞続けました。
「ウイィ・・・ ニイードォ・・・ ア フィールド オブゥゥゥ インター ドメイン 」
(私たちは、インタードメインに関して議論する場が必要である)
私たちは吸い込まれるように、彼の言葉に聞き入りました。そして、頭の片 隅で、こういうしゃべり方をし、場を支配できる人間を一人思い浮かべていま した。
ローマ教皇、ヨハネパウロ二世。
私はその時、Y氏が必要とするものなら、議論の場であろうが、何であろう が実現するだろうと、直感しました。
彼の全身からは、広大な大地を彷彿させ、地平線の彼方まで穏やかに燃えつ づける炎が見えました。それはおそらく、イエスキリストが、ゴーダマシッタ ルダが、そしてモーゼが、約束の地で彼に従う人たちに見せた、奇跡の火、そ して希望の炎。
私たちは、このMCIの神の代理人の言葉を、聞き入っているだけでした。
その後、この神の代理人は、我々の議論の場を開催することを、厳かに宣言 し、私たち代理人の付き人たちは、彼の言葉を持って、それぞれの国に帰って いくこととなったのです。
そして、これこそが、私たち使徒が代理人に対して最大の尊敬を込めて呼び つづけ、さらに私たちの後に続く、日立のIETF参加者となる若者たちに伝承す べき神の代理人の尊称なのです。
「MCIの預言者」
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日立製作所が、世界に対して「標準」を提供していくためには、少なくとも この「MCIの預言者」に準ずる者、たとえば「日立の神降し」とまで行かなく とも、「日立の狐憑き」くらいの人物の出現を待つしかないでしょう。
少なくとも私は、あるいは私たちの世代は、青白い炎を燃え上がらせて、 「神の代理人」になりうる人物を輩出することはできませんでした。
しかし次の世代、アメリカや欧米の怪物や妖怪に対して、真っ向から対峙で きる、アジアの化け物を生みだし、育てることこそが、私たちの世代の、次の 世代に対する責務であると痛感する今日このごろです。
もちろん、その育成は、私でない誰か他の人にやってもらうことになります が。
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IETF4日目の木曜日、私とT君は次のセッションに向かうため、休憩時間のコー ヒーブレークでごった返すホテルの廊下を、人をよけながら何とか歩いていま した。
すると、多分今回のIETFで、最大級の凄まじい炎の柱が、ホテルの天井を焼 かんばかりに、私たちの方に近づいてきました。
炎の音までがこれほどまでにクリアに聞こえる事例は、これが初めてです。
その炎は、コーヒーブレークのごった返した有象無象の炎を消してしまうの ではないかと思うくらいの勢いで燃えつづけていました。
あまりもの熱さで私は顔をそむけてしまい、放射熱で着ている服が発火する のではないかと思うほどでした。それでもなんとか、その炎の方向を眺めてい ると、ごった返した人込みを、まるでモーゼが海を割って歩んでくる一人の人 物がいました。
そして、IETF議長、フレッドベーカ氏は、私たちの側を通り過ぎて、そのま まホテルのロビーに消えていったのでした。 -----
私たちが放射熱の呪縛から解かれて、ようやく深いため息をついたあと後、 T君は私に言いました。
T君:「江端さん、フレッドベーカに『私のドラフトをリコマンド(推薦)してくれて、ありがとう』って言えばよかったのに」
私は、即座に言い放ちました。
江端:「目が合った瞬間に、炭にされているよ」
(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおい て、 転載して頂いて構いません。)