最近、非常識な悪ふざけを、Twitter等のソーシャルメディアに投稿して、騒ぎになる事件が後を立たないようです。
かかる事件を置こす彼ら/彼女らは、共通して、以下に示す「5重の低能さ」を露呈していると考えます。
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(1)そのような所業しなれば、自己アピールができないという「低能さ」
(2)上記(1)を記録媒体に残すという「低能さ」
(3)上記(2)をネットワーク上に配布するという「低能さ」
(4)上記(3)の行為が社会的に認容されるという見込の甘さや、そのような自体によって発生する影響を推定できないという「低能さ」
(5)ニュース、新聞等のメディアを全く視聴していないという「低能さ」
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これは、「低能 of 低能s」、まさに「低能のエリート」「低能の帝王」といっても言いくらいの、低能さです。
これは、冗談でも皮肉でもなく、心底から敬意に値する「低能さ」だと私は思っているのです。
同じ「低能」であるなら、ここまで極めなければならない。
人間は、どうしても、ここまでの「低能さ」を発揮することは難しいと思うのです。
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それともう一つ、彼ら/彼女らの行為は、素晴しいことをしてくれています。
このような、ニュースになっている程度の規模を発生させている「低能者」は、私の計算する限り、100人には至っていないように思います。
この数は、本当に事件を発生された確定的にGivenな固定の人数であり、その人数以外には当て嵌まらないと言って良いでしょう。つまり、この100人以上の人間には、無関係であることが、はっきりしているからです。
我が国の15〜22歳の人口は、ざっくり、960万人ほどいるのですが、その内の、100人というのは、
「10万人に1人」程度です。
これは統計的な観点から見た「母集団に対する歩留まり」から考えても、
―― 驚異的に小さい値です。
このような観点から見ると、「5重の低能さ」は、間違いなく個人の資質に起因するものと断定して良いでしょう。
このような「低能」さを、若い世代全体に一般化する人(マスコミや評論屋も含めて)は、若者に対して「失礼にも程がある」上に、その程度の計算もできない程、自分自身が「低能」であることを主張しているようにさえ見えます。
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私達の世代は「しらけ世代」「遊んでばかりいる大学生」と批難されていました。
しかし、私が知る限り「しらけ」つづけていて、続けられるような勉学ではなかったし、「遊んでばかり」いて、卒業できるほど大学のカリキュラムは甘くはなく、本当に、日々、勉学とのバトルでした(少くとも、私には余裕などなかった)。
ですから、無神経に、このような「一般化」を、マスコミや世間を、心底から
―― 「憎悪」していました。
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若い世代に対する、根拠のない不当な「一般化」は止めましょう。
「五重の低能者」は、その資質として「選ばれし低能者」であり、
世代とは全く無関係に、本質的に根本的に絶対的に「低能」なのです。
どこぞの著名なソフトウェア会社が、来年の4月でOSのサポートを止めるというものですから、今、パソコンのOSの総入れ替えをやっております。
これまでの私なら、
―― サポートだぁ、そんなもんに、最初から当てにしていないし、そもそも、あんた、私をサポートしてれたことあるか?
というスタンスだったのですが、
さすがに、セキュリティパッチが期待できないという状況は、私でも「怖い」と思います。
パソコン1台でもやられたら、我が家のパソコンは勿論、ホームセキュリティシステムが、根こそぎやられる可能性があります。
しかし、それにしても、面倒くさい。
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家には、現在7台のPCがあるのですが、できるものなら、全部Linuxにしてしまいたい。
しかし、それをやると、
■嫁さんがフリマのチラシを作れなくなり
■娘達が私の原稿のイラストを描けなくなり、
そして、彼女らの友人から送付されてきたワードやらパワーポイントのファイルを取り扱えなくなる、と
もちろん、別のやり方もありますが、それを嫁さんや、娘たちに強要することは、論外です。
当然メンテナンスは、全部、私が面倒みなければならない。
ああ、本当に面倒くさい。
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この貴重な週末、OSの入れ替えで音がでなくなったノートPCのドライバを求めて、6時間。
メーカは新しいOSのサポートしていないし、配布先メーカは合併してもうドライバを配布していない。
ここは、PCを諦めて捨てる、が「正解」なのですが、そうも言えないのが、我が家の経済状況です。
OSがドライバのインストールを弾こうとするのを、力づくで押えつけて、無理矢理嵌め込みました。
なんか、誰かに、似わわない服を無理矢理着せるような、気分の悪さです。
コンピュータが高性能になるのに併わせて、我々はどんどん不幸になっているように思えます。
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私は、MS-DOSがあって、BASICと86アセンブリがあれば、結構幸せだったと思うんですよ。
技術は進歩し過ぎたなぁ、と思います。
1988年から2003年の15年間で、コンピュータの処理能力は4300万倍になったそうです(出展:「機械との競争」) 。
私の頭脳の処理能力は、1.0を中心に±0.05程度しか変動がないのに。
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コンピュータの処理能力が、4300万倍になったのであれば、
我々の労働時間が、1/4300万 になっていないのは、何故なのでしょうか?
(私だけだろうけど)WindowsXPで抜群の安定度を誇り、これまで、私の3000以上ものコラムを量産してきた、私のIME、
"SKKIME"
との決別を決意しました。
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「なにを大げさに言っているんだ」と思われるかもしれませんが、私にとっては大事件なのです。
SKKIMEは、私の文章を、私の思考速度で量産してきました。
時々、私が考えてもいなかった文章をも創作するという、魔法のようなIMEでもありました。
しかし、WindowsXPのサポート中止に伴い、新しいOSへの移行に際して、このSKKの後継版が、インストールできない。
先程、挑戦すること二十数回目に、初めて漢字変換に成功して喜んでいたところ、念の為、OSを再起動させたら、動かなくなっていました。
もう、気力と体力の限界、と感じました。
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勿論、文句の言える筋合いではありません。
SKKはフリーのソフトウェアで、プロジェクトの人達の無償の貢献の上に提供されてきたものです。
米国で仕事をしていた時、英語のWindowsの上で漢字出力を実現した唯一のIMEでもありました。
しかし、もう私は疲れてたのです。
私は、SKKIMEを設定する為に、平気で徹夜するような年齢をとうに越えているのです。
私は、ここに「SKKの引退」を宣言致します。
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で、これからどうするか、です。
「20年ぶりに、ATOKに戻ろうか」と、考えています。
ここ20年、機械漢字変換を拒み続けてきた私が、その逆方向のIMEを選択するのです。自分で言うのもなんですが、凄い「日和(ひよ)り」方だと思います。
ええ、私は日和ります。「反革命分子」とも「ファシスト」とも、「大衆迎合」とも、何とでも呼んで下さい。
ここに、江端の「世界革命」は潰えたのです。
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しかし、問題はそんなことではないのです。
最大の懸案は、SKKIMEなくして、あの品質のコラムを、これからも量産できるだろうか、という一点にあります。
私の駄文製造システムの「超高速コア」を交換するということが、どれほど恐しいことか ―― これを理解して頂くのは、難しいかと思うのです。
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ただし、
SKKIMEを、インストーラ付き、ワンストップで提供してくれるメーカーが出てきたら、値段がいくらであれ、私はパッケージ購入する意思があります。
そして、その場合は「世界革命」を再開する予定です。
昔から、嫁さんは「パソコンは使い難い」と文句を言い続けていました。
最近は、娘たちまで「パソコンは使い難い」と文句を言い出し始めました。
それは、私も同意するのですが、
―― 何故、私を睨みながら、文句を言うのだろう
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私は、IT業界を牛耳っている訳ではないし、R&Dの国家プロジェクトの予算配分を担当している訳でもありません。
パソコンのインターフェースの悪さは勿論認めますが、その責任を、私が一身に負わされることには、納得できないです。
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私は、ちょくちょく、嫁さんの会合用の資料や、娘たちの自由研究のレポートの作成を手伝うことがあるのですが、
私は、図や表を望む場所から持ってきて張りつけ、文字のサイズや配置の変換を、ショートカットキーを使って1秒以内で作業を完了することができます。
そのような作業を見ている彼女たちは、「魔法を見ているようだ」と言います。
―― 「どうせ、私達はパソコンに愛されていないもんね」
と、拗ねるのですが、一体私にどうしろ、と。
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―― パソコンなんて簡単だよ。毎日、少しづつ扱っていれば、これくらい簡単にできるようになるよ ――
といいかけて、「ハッ」と気がつきました。
これは、TOEICで毎回900点の以上のスコアを弾き出す、あの野郎と同じ台詞だ。
この台詞だけは、少くともこの私だけは、絶対に言ってはならない。
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「そうだな。パソコンは使い難いのは、『パソコン』が悪いからだ。私達には一切の責任はない」
と、家族には言っておきました。
江端家のパソコンの話題の続きです。
Microsoft社が、来年の4月にWindowsXPのサポートを停止することを、昨夜家族に説明しました。
嫁さん:「で、サポートが停止されると、どうなるの」
江端:「サポートの停止後、ウイルスに感染したり、インターネットから攻撃を受けてパソコン(のデータ)を破壊されたり、あるいはパソコンから個人情報を盗まれる可能性が、格段に上がる」
嫁さんや娘たちは、口を合わせて「酷い!」と言いました。
「そうだよなぁ。まったく世の中には、しょーもない犯罪をする奴がいて、本当に困るよな」と私も呟いていたのですが、どうやら、彼女たちの攻撃の方向が違う。
「なんでサポート停止するの!」「パソコンに投資するお金なんかないよ!!」「まだユーザ沢山いるんでしょう?」「企業や学校はどうなるの」
―― あれ? 怒りの矛先が、Microsoft社に向かっている?
―― いや、そりゃちょっと、Microsoft社に酷に過ぎないか。
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江端:「Microsoft社は、もう何年も前から、サポートを終了すると宣言してきた上に、実際にこれまでサポート期間の延長もしてきたのだから、それは、ちょっと気の毒だと思うぞ」
嫁さん:「だって、我が家のパソコン、何の問題もなく動いているんだよ。一体何の為に、そんなことするの」
江端:「そりゃ、『WindowsXPではセキュリティの問題を担保できないから』が表向きの理由だけけど、実質は『Microsoft社も、新しい製品を売りたいから』だろうね」
嫁さん:「それ、企業としてどうなの。製品を担保するのは、企業倫理からしても当然でしょう?」
江端:「しかしなぁ、冷蔵庫や洗濯機にしても、部品を保管している期間は7年しかないし、7年過ぎれば修理できないというのが業界の常識だよ。WindowsXPは10年以上サポートされてきたよ」
―― あれ、なんで、私は、Microsoft社の弁護なんかしているんだ?
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私の出した方針は
「ビクビクしながら、今のパソコンを使い続ける」
です。
調べてみたのですが、現在のパソコンが古すぎて、対応ドライバが見つからず、また調べてみてもOS移行の成功例が発見できなかったからです。
嫁さん:「で、その方針だと、どうなるの?」
江端:「メリットは、『金がかからん』の一点。デメリットは、セキュリティの脅威に怯え続けることのほか、他のベンダによる新しいソフトウェア(ブラウザ)やミドルウェアのインストールなどができなくなることが挙げられるかな」
長女:「よく分からん」
江端:「かなり乱暴だが、数年以内に『"Youtube"が見れなくなる』『Podへの音楽の録音ができなくなる』という理解でいい」
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「その時 江端家が動いた」―― と感じました。
(NHKで放送されていた日本の歴史情報番組「その時歴史が動いた」風に。この音楽で思い出せるかと思います)
家族が、新しいOSへの対応に必要な対応やコストについて、私に尋ね始めました。
先日、職場で「『新婚』に定義がある」という話を聞いてビックリしました。
なんでも「新婚とは、結婚から3年間を期間を言う」というものなのです。
ただ、その出展が不明とのことでしたので、独自で調べることにしてみました。
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実は、我が国には、「結婚法」という法律はないのですよね。
民法に規定されています(第2章 婚姻(第731条-第771条))
以前、こんな例で「結婚」のお話をしました。
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(例2)
『結婚は、所定の要件を備えた当事者間の合意で成立する。YesかNoか』
答えは、Noです。
婚姻届けを提出するという手続を行い、登録されないと結婚は成立しません。
結婚とは、法律行為で、かつ、第三者対抗要件だからです。
ちなみに、「結婚」とは実体としての「愛情」やら「経済力」やらを全く規定しておらず、単なる手続としての法律行為のみです。
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つまり「愛」は結婚の成立要件ではありません。必要なのは「書類」と「手続」です(根拠条文は、民法739条1項)。
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先ずは、民法に「新婚」があるかどうかを調べてみました。
私が期待した条文の内容は、
「新婚とは、民法第739条1項の届出による効力が発生した時から、3年の期間の満了の日までをいう」
てな、記載があるんだろうな、と思っていました。
しかし、調べながら思ったのですが、
「もし『新婚』を法律的に定義したとして、その場合、法が規定する権利 と義務はなんだろう?」
と考えてしまいました。
例えば、パリ条約26条4項風に書けば、
「いずれの夫婦も、『新婚』の期間が満了するまでは、民法第743条に規定する婚姻を取り消すことができない」
というような「離婚の禁止期間」を規定するとか。
しかし、残念ながら、民法では「新婚」という用語すら見つけられませんでした。
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次に、社会通念上の観念の方から調べてみたのですが、
「愛しあっていれば、いつまでも新婚」(→愛しあっていなければ、新婚の期間がゼロになる)だの、「新婚気分であれば、いつまでも」(→主観的要因のみ)とか、「1年」とか「2年」(→根拠なし)とか、もう、メチャクチャです。
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私が調べた限り、「新婚3年説」の根拠として、もっとも説得力があったのは、以下のものだけでした。
「『新婚さんいらっしゃい!』での応募期間が、結婚の日から3年以内」
昨日のゲリラ豪雨で、通勤電車が完全にスタックしてしまい、しかたなく駅ビルでウロウロしていました。
近くの電気量販店に入って、あの評判の悪いWindows8を、初めてこの目で見ました。
Microsoftの意図が、理解できたような気がしました。
―― Microsoftは、パソコンを終わらせるつもりだ
と。
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多くの人が言っているように、このGUIは、タブレットにシフトしています。
ということは、「これからの業務はタブレットがメイン」になる、というビジョンを明かにした、ということだと思います。
もちろん、入力デバイスとして「キーボード」があっても構わず、それは、単に、無線で繋がれば良いだけのことです。
これまで「ノートPC」と言われてきましたが、「ノート」と呼ぶには、無理があったのだと思います。
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私も予言してみたいと思います。
■近い未来、タブレットは、厚さ1ミリを切るようになり、そして、紙と同じように、丸めることができるようになります。クシャクシャにしても問題がなく、また踏んだり、水没させても大丈夫になるでしょう。
■色々な入力デバイス(ペンとか鉛筆とか)が利用可能となり、紙と同様の重さになると思います。
■そして、なんでもデータを公開したり共有することが、「本当に有意義なことなのか」という、疑問が投げかけられるようになります。
■本来、創作とは個人の才能と資質に基づくものであり、なんでもかんでもインスパアされるものではない、ということが、社会的に認識されるに至ります。
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で、今から50年後。
Microsoft社は「紙のノート」を売っている、と。
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どうでしょうか、この予言。
もし、この予言が「真」であれば、私はこのトレンドを50年先取りしていると言えます。
最近の私のノートとペンの消費量は凄くなり(ペンのインクが3日でカラになることもある)、私の「情報アナログ化」は、半端でない勢いで進んでいます。
今、未読メールのリストを見ていたら、
『「女性の負け組が復活する為に」セミナー開催◆9月30日 [Tech-On!・・』
というフレーズが見えて、椅子から落ちそうになるほどビックリしました。
―― この会社は、炎上による自殺願望でもあるのか?
と。
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今、未読メールのリストを見ていたら、
■Subject: [家電・半導体の負け組が復活するために]セミナー開催◆9月30日 [Tech-On! Mail]
■Subject: 【月刊NBO】「女性活用の成功」とは何か
の2つが出ていました。
結論から言うと、未読メールの順番が差し替わる途中で、フレーズが混在して見えただけ、のことでした。
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それにしても、
■「女性の負け組が復活する為に」セミナー
というのが本当あったとしたら、ちょっと半端ではない、強烈なメッセージですよね。
私も、ちょっと考えてみました。
■「エンジニアの負け組が復活する為に」セミナー
■「英語の負け組が復活する為に」セミナー
■「独身の負け組が復活する為に」セミナー
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上から2つについては『申し込んでもいいな』と、思える私がいます。
「機械との競争」を読み終わったのですが、まあ、なんというか「これが結論なの?」という感じでした。
『人間は、機械にできない「創作」に関わるところをやればよい』
って、そんな「中学生の作文」程度のことを言う為に、最後のページまで引っ張られてきたか、と思うと腹が立ってきました。
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しかし、私のようなエンジニアでは当たり前のことでも、意外に、他の業種の人には、当たり前のことではないのかもしれません。
そういう意味では、一読の価値がある本、とも考えられます。
しかし、「自動車の自動運転」と「クイズ王になったコンピュータ」の例を挙げていますが、この程度のもので、「機械との競争」の事例としては貧困過ぎる。
まあ、「クイズ王」の方は一定の評価ができるにしろ、「自動運転」の方は、基本的には技術の話でなく、法律あるいは規制が障壁です。
「事故が起きたとき、その責任は誰のもの」―― 自動車オーナなのか、自動車メーカなのか、国土交通省なのか、という問題が解決できなかっただけです(今でも解決しているかどうか、よく知らないのですが)。
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私は、自動車の運転なんぞという下らないことを、まだ「やらされている」ことに腹を立てていますし、電車に運転手が必要であることに納得できません。
食料品なんて、勝手に在庫状態を調べて、自動的に冷蔵庫の中まで運ぶ装置がでてこないことにも、イライラしています。そもそも機械が料理を作れよ。
また、パソコンの周辺装置を動かす為に、見たくもない下品な掲示板まで巡回して、ドライバソフトを探さなければならないことに、ほとほとうんざりしています。
統計データを解析する為のスクリプトを、まだ、この「私」が記述しなればならない面倒くささにも、いい加減頭にきています
私なら「機械の怠惰」「機械の堕落」という題名で、執筆するぞ。
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まだ、文句いい足りん。
機械の進歩は遅すぎるし、ダラダラしすぎている。
設計書には、すべての機能を網羅して記載しなければならないし、メンテナンスは必要だし、ナンセンスな事故は起こすし、自分で自分の自己修復すらまともにできやしない。
あんなもんが、私の「競争相手」か。
なめんな。
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もし、「機械との競争」という書籍があれば、私なら、結論をこう導く。
「『機械との競争』に勝つということは、『機械を勝たせる』ことを助ける側の仕事に従事する」ことである、と。
機械を勝利に導く側であれば、常に、機械より上位にたっていることになります。
で、それは、そのような職種かと問われれば、当然それは「エンジニア」です。
我々エンジニアにとって、機械はいつでも、屈服させるべき「格下」です。
しかし、そろそろ「本当の競争相手」になってもらいたいものです。
2020年の東京オリンピック誘致に成功したそうです。
私は、オリンピック誘致に「反対」を表明してきましたが、それはそれとして、この誘致に全力を賭けて取り組んできた方々に対して、最大級の敬意と、心からのお祝いを申し上げたいと思います。
家族は、喜んでいるようです。「英語の勉強をがんばって、ボランティアやる」と言っています。
娘たちに、そのようなモチベーションが立ち上がった点では、オリンピック誘致成功は、私にとっても「ポジティブ」です。
それはさておき。
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日本でのオリンピックの開催は、東京(夏)→札幌(冬)→長野(冬)と、今回の東京(夏)で4回目になります。
長女が「まだ、一度もやっていない国が優先されるべきではないの?」という素朴な疑問を呈してきました。
この疑問に対する、私の答は以下の通りです。
■開催日までに、オリンピックスタジアムを完成できない可能性のある国もある。事実、本当にヤバかったという事例はたくさんある。
■最悪なのは、オリンピック開催中に、テロ事件なんぞが起ったら、その国の政府のメンツは丸潰れだし、開催を決定したIOCの見通しの甘さが非難されることになる。
■そうなると、その国の国際的な信用は地に落ちるし、「IOCなんかいらんわ。俺たちだけで勝手に世界選手権大会やるわ」という話も出てきかねん。
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「オリンピック中にテロ事件なんか起きたことあるの?」
「ある。ドイツのミュウヘンで、選手11人が殺害されたオリンピック史上、最悪の事件があった。まあ、今回の候補の中で、『テロや暴動(治安)』の観点からは、「東京」は有利であったと思えるよ」
―― 娘は、絶句しているように見えました。
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この機会に、日本人が引き起した国際テロ事件のことも話そうかな、と思ったのですが、中学生の娘にはまだ刺激が強すぎるかと、思い留まりました。
次回のコラムの為に、先週末から結婚に関するデータ解析をやっています。
以前「西暦3000年に、日本の人口が1611人になる」という試算結果を出しました。
精度を上げて、再計算してみたら
―― もっと悪くなった
私のシミュレーションプログラムのバグを疑って、他の研究機関や、行政庁の予測と比較してみたのですが、
「計算結果が、気持ち悪いくらい一致する」
先週末から、私の気持ちは暗いです。
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気を取りなおして、洒落で、独身者が既婚者人口を越えて、「マジョリティ(多数派)」になる時期のシミュレーション計算をやっていたのですが、
―― 今、真剣に青ざめています
コンピュータは「絶望的な数値」を叩き出しています。
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緊急告知します。
■「本当に」結婚をしたい人は、今直ぐに、可及的速やかに、結婚を決断・実施して下さい。
結婚相手は後で決めれば良い。取り急ぎ、結婚式場の予約の電話を今すぐ入れる。 ―― くらいの気持ちで。
■お子さんをお持ちの保護者の方で「孫」を期待している方は、今の結婚のトレンドに「流されて」は、絶対にダメです。
「太平洋戦争前の結婚の社会通念」まで立ち戻るくらいの覚悟で、マインドリセットして下さい。
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今夜、江端家においては、娘たち(中学3年生と小学5年生)にこのシミュレーション結果を開示し、『運命の出会い』などというものが、殆ど機能しない時代に突入してしまったことを、数値で示す予定です。
そして、
「どっちを選んでもよいが、いずれにしても『覚悟』または『決断』はしておけ」
と、言い含めるつもりです。
昨日の日記で、
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今夜、江端家においては、娘たち(中学3年生と小学5年生)にこのシミュレーション結果を開示し、『運命の出会い』などというものが、殆ど機能しない時代に突入してしまったことを、数値で示す予定です。
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と書きました。有言実行で、昨夜話をしてきました。
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江端:「―― という訳で、どんなに遅くても、20代内での結婚を強く勧告する。逆算すれば分かると思うが、これは10代において、恋愛はすでに『戦略的』である必要がある。勿論、『結婚は考えていない』というなら、それはそれで良いが」
長女:「あのね。女子しかいない学校で、どのような『恋愛戦略』が取れるというの?」
江端:「うむ。現代において、『男子校』や『女子高』への進学は、『結婚』というプロジェクトにおいて、最低にして最悪のチョイスであったことは、もう、論を待たないだろうな」
長女:「でしょ?」
江端:「とすれば、戦略の舞台は『大学』に移行せざるを得ない。可能なら、有名大学、いわゆる『ブランド』価値の高い大学への進学が、より良い戦略になるえるだろう」
長女:「何、それ。『進学の動機は何ですか?』と尋ねられたら『結婚です』って答える訳? 」
江端:「『最適な結婚』と答えるなら悪くなかろう」
長女:「保護者が自分の子どもに向かって言うセリフとは、到底、思えん」
江端:「だが、事実だ。『私』が言っているのではない。『データ』がそう言っているのだ」
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江端:「恋愛においては、外面が重要だ。『見た目が8割』というのは、事実だ。そこへいくと、すでに、お前は、その条件をクリアしているのだ。つまり、無試験で『結婚』に入学できているようなものだ。ありがたいと思わなければならない」
長女:「ちょっと待った。何を持ってして、私の外見が『見た目が8割』を『クリアしている』と断言できる訳?」
江端:「主観の話を言っているのだな? 勿論、親の贔屓目(ひいきめ)は、排除しなければならない。しかし、客観的観点からも『クリア』しているのは自明ではないか」
長女:「なんで?!」
江端:「こんなかっこいい私と、あんなに美しい嫁さんから生まれたお前の外観が、客観的に美しいのは当然だろうが」
長女:「どこを、どうしたら、そんな破綻したロジックが導き出せるんだ!」
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―― というように、昨夜は、娘と大変有意義な議論が行えました。
今回は前半のみ記載しました。ご要望があれば、後半も記載します。
昨日の日記で、「今回は前半のみ記載しました。ご要望があれば、後半も記載します」に対して、ご要望が1件のみありましたので、続きを記載します。
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長女:「そもそも、ママと結婚を決めた理由は、何?」
江端:「顔」
長女:「捻り(ひねり)のない答だなぁ。普通、もっと『言い方』があるでしょう」
江端:「結婚したら、原則としてその後の人生をずっと一緒に暮していくのだ。『インターフェース』が、最重要アイテムであることは当然だろうが」
長女:「それは『美人は得だ』と?」
江端:「それは正しい理解ではない。私は『ママのインタフェース』が気に入ったのであって、『ママが美人である』とも『ママが美人でない』とも言っていない」
長女:「パパの言っていること、分かんないんだけど」
江端:「好みのインターフェースということだ。例えば、HTMLのようなレイヤ7層のインターフェースが良いという人もいれば、レイヤ2層のイーサネットフレームを直接操作したいという、私のような人間もいる」
長女:「パパの言っていること、分かんないんだけど!!」
江端:「『好みの顔』と『美人』は同義ではないということだ。『美人』は主観的だ」
長女:「でも男性は一般的に『美人』を、共有できるんでしょう?」
江端:「うむ。男の『美人』についての認識の共有度は極めて高いな。それは『犬くらい単純』といっても過言ではない」
長女:「じゃあ、『美人』は客観的に存在しているんじゃない」
江端:「論理的だ。では『客観的な美人は存在する』、と認める」
長女:「じゃあ、『美人』は得じゃないの?」
江端:「『美人』は得だ、と認める」
長女:「不公平じゃん」
江端:「不公平でない世の中なんぞあるか。『ふこうへい』と入力すれば『世の中』と漢字変換されるくらい自明なことだ。例えば、どんなに愛していても『英語に愛されない』人間が、確かに存在しているのだぞ」
長女:「『英語』の話はもういいよ。話を戻すけど、『美人』は結婚に有利だよね。努力とかチャンスとか作為的なものなしで、絶対的な優位な立場にあるよね」
江端:「うん・・・、だが、まあ、そんなに『自分が優位な立場にあること』を、私やママに『感謝する』必要はない。時々思い出すくらいで、十分だぞ」
長女:「だから、『その客観性』が破綻しているのだ、と、何度言ったら・・・、もういいや、面倒くさい」
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長女:「話を戻そう。ママと、いつ、どこで知り合ったの?」
江端:「学生時代。バイト先」
長女:「学生時代につきあっていたの?」
江端:「全くそのようなことはなかったな」
長女:「どうやって、結婚に至った訳」
江端:「ここが重要だ。よく聞けよ。社会人のフェーズに入ると『恋愛はしにくく』なるんだ」
長女:「そうなの? 逆に『しやすくなる』ような気がするけど」
江端:「第一に、仕事が忙しい。特に新人のころは、仕事を覚えるだけで手一杯で、気がついたら平気で3〜5年を経過していた、なんてことは普通にある」
長女:「でも、一緒に仕事をしているんだから、なんというか、恋愛に発展しやすいことも・・・」
江端:「第二に、リスクが高いんだよ。もし、その職場の中で、恋愛が破綻した場合、それでも毎日顔を付き合わせて仕事をしなければならないんだぞ。高校生のように、クラス換えとか卒業のような、決ったマイルストーンがある訳でもないんだ」
長女:「うわー・・・、確かに、そりゃちょっとキツいかなぁ」
江端:「だろ? そうなると低いリスクで、高目のリターンを得ようとすると、基本的には、『合コン』や『見合い』になる」
長女:「じゃあ、『その2つの活用』でいいじゃん」
江端:「ところが、だ。その2つにしても、『友人ルート』『親戚ルート』などの、面倒くさいコネクションが残存するから、完全なゼロリスクは望めなんだよ。例えば、たった一組の恋愛の破綻によって、グループが分裂したケースを、私はこれまで3つは見たぞ」
長女:「じゃあ、リスクゼロの恋愛なんて、存在しないじゃん」
江端:「だからこそ、ここに『大学時代の友人』という、何の関連もなさそうなコネクションが復活する余地がある」
長女:「あっ!」
江端:「なにしろ、本人達以外には情報が漏洩するルートがなく、恋愛を続けるにしろ、破綻するにしろ、本人達意外への波及度は絶無だ」
長女:「・・・パパ、大学に入った頃から、そこまで計算して・・、恐しい子・・」
江端:「勘違いするな。これは結果から見た、つまり「後ろから見た」理由の後付けみたいなものだ。いくら私でも、そこまで『戦略的』にできる訳ではない」
長女:「どーだか。パパのことだからなぁ」
江端:「つまりだな、『戦略の舞台は「大学」になる』といったのは、大学在学中に結婚を決めろ、と言っている訳ではないんだ。その「芽(=可能性)」をばらまいて卒業するだけでも、十分意味があるのだ」
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長女:「なんか、恋愛って、面倒くさくて、憂鬱なんだね」
江端:「ちゃうちゃう。「恋愛」は「楽しい」でいいんだ。でも「結婚」は「戦略」だ。これは間違いない」
長女:「・・・」
江端:「『「恋愛」の連続線上に「結婚」がある』と思うから憂鬱になるんだよ。「恋愛」と「結婚」は、「ディズニーランド」と「尖閣諸島」くらい違うものであると思えば、憂鬱にはならないだろう。面倒ではあるだろうけど」
昔、芸能集団(劇団?)大川興業のリーダー、大川総裁の「金なら返せん」といういうコラムが流行っていました。
そのコラムの中で、大川総裁は、
―― 「金なら返せん」とは、「金を返したいという強い意思がある」が「今は返せない」という意味がである。「借金の踏み倒し」とは、全く性質の異なるものである
と主張していたように覚えています。
-----
先日ツイッターで検索していたら、『江端智一て英語嫌いエンジニアのエッセイ』なる記載のされたツイートを見つけました。
多分、このことを言っているのだろうと思うのですが、
―― 全く正しくない
「誤解も甚だしい」とは、まさにこのことである。
-----
私は、
■NHKラジオ番組の「実践ビジネス英語」は、英語の内容は分からんが、そこに出てくる題材は、なんどもコラムのネタにさせて貰っているし、
■英語でしか記載されていない通信プロトコルの仕様書しかないのであれば、諦めないで、ちゃんと読むし、
■通じるかどうかは関係なく、街の中で困っている外国人がいれば、それがどこの国の人であろうとも(英語を母国語としない外国人であろうとも)、英語でしゃべりかけることに躊躇はありません。
ただ、私は、
■ラジオから流れてくる英語の内容が分からず、
■通信プロトコルの内容を正しく理解できず、
■そして、困っている外国人を、結局助けることができない、
■加えて、勉強をすればするほど、TOEICの点が下っていく
という、エンジニアなのです。
私が単なる「英語嫌いエンジニア」ならば、話は単純で簡単で、もしそうであれば、あのような大量のコラム(もう連載20回にもなります)が生まれてくる背景も動機もなかったのです。
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私は、英語が嫌いではありません。むしろ、一緒に暮して仲良くやっていきたいと思っています。
しかし、英語は、私のことが嫌いなのです。英語は私なんかには、使われたくはないと思っているのです。
このような一方通行の関係があるからこそ、私は「英語に愛されないエンジニア」なのです。
昨日、JAXAの新型ロケット「イプシロン」が打ち上げに成功しました。私としては、東京オリンピックより、こっちの成功の方が、はるかに嬉しい。
ところで、前回の打ち上げ中止の原因となったのが、「0.07秒のタイムラグ」というのが、―― こういういい方をすると誤解を招きそうなのですが ――「いいなぁ」と。
打ち上げ中止のプロセスを、私はこんな感じに理解しています。
(Step.1) 地上の計算機(管制センタにあるパソコンという理解でいいです)からロケット搭載の計算機(ロケットに搭載されているボードコンピュータという理解でいいです)へタイマーをスタートせよとの命令を送る。
(Step.2)この命令が地上側からロケット側に届くのに0.07秒を要したため、地上側とロケット側のタイミングが最初からずれてしまった。
(Step.3)ずれてしまうと、本来のデータと違う値がやってくることになる(確か、0.07秒前のデータが、"ヌル(NULL)"だったから、と記憶しているけど→間違っていたら誰か教えて下さい)、管制センタのパソコンが「ビックリこいて」しまった。
管制センタのパソコンの気持になって、めちゃくちゃ乱暴に表現してみると、「あれ?イプシロンが地上に『寝っころがっている』じゃないか!!」と、誤解してしまった、と。
―― そりゃ、発射中止するわな
「タイムラグ」を想定できなかったことは頂けないけど、発射中止は当然で、妥当な処理だと思えます。
特に、私は。
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「0.07秒」というと、大したことないと思われるかもしれませんが、皆さんが普段使っている電車の運行管理では「0.02秒」の時間が生命線だったりしています。
「0.02秒」の3倍の時間で、システムは電車を止めてしまいます。必要なら全部の電車も止めてしまうこともあります。
GPSの世界では、0.0000000001秒(1ナノ秒)の世界で勝負しています。こんな凄い時間制御モジュールが、あなたの車のカーナビやスマホの中に、フツーに入っています。
この1ナノ秒で勝負するモジュールは、秋葉原で5000円くらいで購入可能です。
人類は、このエンジニア達の脅威の時刻同期技術に、のけぞるくらい、驚嘆すべきだ ―― と思う。
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前回のイプシロン発射中止で、「時刻を合わせること」の重要性が世間一般に理解して貰えるといいな、と思っています。
時刻同期制御のネタで飯を喰っている私としては、もう十数年程度、このネタを使い回したいのです。
私の敬愛する二人のハードSFの巨匠、小松左京先生と、ジェームズPホーガン先生が、立て続けにお亡くなりになったとき、私は心底に堪えました。
あの巨匠たちから、もう作品が創作されないのかと思うと、たとえようもない寂しさがあります。
これを突き詰めて考えれば、「その人」を惜しむのでなく、「その人から生まれるはずだった作品」を惜しんでいる訳です。
そのように考えると、創作者というのは、惜しまれる対象を、いくつも持っているんだなー、と、少し羨ましくなりました。
それはさておき。
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ジェームズPホーガン先生の名作中の名作「未来の2つの顔」は、人間が、コンピュータに対して実験的に破壊攻撃をしかけて、それがエスカレートして、ついに何百人もの死傷者を出す戦争にまで発展してしまう、SFでよくある「コンピュータ対人間の戦争」の話です。
最後に、コンピュータが人間の思考形態を理解するに至って、この話は平和的に解決するのですが、最後に印象深いシーンがあったので、概略を紹介します。
『なるほど、このコンピュータは、人間と共存できる能力を獲得できたのかもしれない。しかし、他のコンピュータはどうだ? この能力を獲得する為に、またコンピュータと死傷者を出すような戦争をやらなければならないのか?』
『なんで? そんな必要ないじゃん。このコンピュータは、確かに『まぐれ』の産物だけど、その『まぐれ』の産物は、無制限にコピーできるんだよ?』
『あっ!』
という話が、このSFの「落ち」になっています。
コンピュータは、その理屈がどうあれ、「動いてしまえば、こっちのもの」という面があるのは事実です。
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このたび、私はWindows7へのSKKIMEのインストールに、「まぐれ」で成功しました。
なんで動いているのか、全然分かりません。
でも動いています。動いてしまえば、こっちのものです。
後は、その手順や構造、あるいはカーネルイメージを、別のコンピュータやシステムに、コピーしまくれば良いのです。
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今の社会を支えているインフラシステムの中には、「まぐれ」で動いているものが含まれていることがあることは、かなり公然の秘密だったりします。
仕事でも趣味でも、計画通りに進めたい性(たち)ですが、大抵の場合、そのようになりません。
締切前の勝負は、「神が降りてくる」かどうかにかかっていますが、「神」は気紛れで、私の計画通りに来てくれません。
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先週末は、パソコン一式持ち込んで、実家に帰省していました。
週末前に、原稿を片づけていく予定だったのですが、予定通りにならなくて、実家のキッチンテーブルにパソコン置いて、父の食事を作りながら、原稿書いていました。
「白菜のホワイトソース煮込みのレシピ」と「生涯未婚率の100年間予測計算の予測曲線」が、頭の中でぐちゃぐちゃになっているところに「神が降臨」してきて、もう、収集が付きませんでした。
午前5時まで、エクセル、C++プログラムも乱入して、私の頭の中で彼らが暴れまわりました。翌朝8時には御飯作らなければならないのに。
次回の私の連載コラムの内容が、グチャグチャであったとしても、それは私のせいではありません。「白菜のホワイトソース煮込み」と「乱入してきた神」のせいです。
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計画通り、予定通り、粛々と創作ができる人がいたら、是非「秘訣」の教えを乞いに参上致したく、ご連絡をお待ち致します。
先程、4コママンガを読んでいたら、「日曜大工で『マイ棺桶』を作ったら?」というネタが出てきました。
―― おお、これは良いアイデアだ !
と思わず、膝を叩いてしまいました。
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以前にもお話しましたと思いますが、私は無神論者ではありません。
「神または超越者は存在すると思うが、私には何の役にも立たないどうでもいい奴」という、独自の信仰を持っています。
霊魂やあの世は、「そういう物や場所はあると思うが、私とは無関係の物や場所」という考え方で、固定されています。
一言でいうと、
■「存在」は認めるが、その「効力」は(少くとも私には及ば)ない。
という感じです。
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ですので、私にとって「葬式」とはイベントであり(現時点で、開催予定なし)、「棺桶」とは、日本国の埋葬の法律に従い、死体を焼却処分をする為の「木箱」です。
「棺桶」は、最低でも5万円はするそうです。高いものになると、30万以上ももなるとか。
値段が高い上に、工夫がない。そんなことに金を使うくらいなら、回転寿司のスシローに、残った家族で、10回でも20回でも行って貰いたい。
私なら、1800mmx900mmのコンパネ2枚(2000円)で自作してみせる。
焼却処分を目的とするようなものに、「檜(ひのき)」なんぞを使ってどーする。そういう高価で良い香りのする木材は、家屋や風呂桶に使って貰いたい。
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できれば、祭壇も自作したい。
鉄パイプをジョイントで固定すれば十分だろう。鉄パイプは、DIYショップでレンタルして貰えば良いだろう。近所のDIYショップなら、「顔」が効くかもしれない。
故人の写真は、当然私が選んだ、100枚画像ファイルをプレゼンテーションモードでクルクル回す、と。
うん、考え出すと、色々アイデアが出てきて、大変楽しい。
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ただ、葬式で、私が陣頭指揮を執りたくても、当の私が「遺体」であるという点が問題です。
祭壇の自作は諦めるしかないとしても、コンパネ製の「マイ棺桶」は、諦めたくありません。
とは言え、今から作ると、かさばるし、置場もないので、嫁さんが怒るだろうと思います。
とすると、パーツ化しておき、ネジ穴等も空けておき、そして、組立説明書を添付しておくのが、良さそうです。
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問題は「誰がそれを組み立てるか」です。
電球の交換すらできないあの家族では、例え遺言を残しても、誰一人として、絶対に組み立てない。「面倒だから、一番安い、棺桶買っちゃおう」となるはず ―― これは、確信できます。
とすると、やっぱり「私」か。私が作るしかないか。
死期を悟り、かつ、マイ棺桶を製作できる体力が残存している期間の終日とは、いつだろう。
ネットで調べてみたのですが、この情報に関しては、なかなか良いネタが集まらずに困っています。
最近ネタとして上げていた、人口減少に関する内容で、先日9月分のコラムの執筆を完了しました。
<元ネタ ここから>
■2013-08-09 西暦3637年に、最後の日本人が一人だけ残ります
■2013-09-11 緊急告知:「本当に」結婚をしたい人は、今直ちに、可及的速やかに、結婚を決断して下さい。
■2013-09-12 ―― という訳で、どんなに遅くても、20代内での結婚を強く勧告する
■2013-09-13 ―― という訳で、どんなに遅くても、20代内での結婚を強く勧告する(後半)
<元ネタ ここまで>
今、次回の執筆に向けて準備しております。
ところが、必要なインタビュー結果を得られずに困っております。
まず、このインタビューのメインターゲットが「女性」ということが挙げられます。
これは、私の責任です。
世代格差の問題に加えて、私自身が交友関係をあまり大切にしないという性格、さらに嫁さんの経由以外の女性へのコネクションが絶無である為です。
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という訳で、本日はお願いがあります。
江端のインタビューに応じていいという、ボランティアの方を募集しています。
本件、主役は女性なのですが、課題は全ての日本人に関わる問題なので、全ての方をインタビューの対象とさせて頂きたいと思います。
もし、協力して頂ける方がいらっしゃいましたら、江端の公開メールアドレスから、私に御一報頂けませんでしょうか。
頂いたあなたのメールアドレスを使って、「インタビューシート」を送付させて頂きます。記入項目はYes/Noの7項目、所要時間90秒といったところです。
言うまでもありませんが、絶対的な意味において、インタビューに応じて頂いた方のプライバシー守ります(従来通り、頂いたメールは、メールアドレスごと読後廃棄します)。
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問題点は2つあります。
■報酬がありません。
1円もありません。お渡しする手段も、お金もありません。
但し、頂いたご意見等の掲載を「希望される」場合は、実名/匿名(ツイッターのハンドル名等)を問わず、全て寄稿コラムで紹介させて頂きます。これはお約束します。
■江端の「悪意の不在」を証明する手段がありません。
江端は、あなたのメールアドレスを悪用しようと思えば、当然に可能な状態になります。そして、私にその「技術」があることはご存知の通りです。
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比して、あなたのメリットは少ないです(というか「ない」)。
■江端の寄稿コラムを、先行的に読めます(秘密は守って頂きますが)。
■江端の考えている(過激な)ネタを、先行的に知ることができます。
■江端の非公開プライベートメールアドレスを、知ることができます。
■江端に感謝されます。
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なお送付して頂くメールには、あなたの名前は勿論、1文字の文面も記載して頂く必要はなく(勿論、記載して頂ければ嬉しいですが)、メールサブジェクトに
「インタビューに応じます」(検索で使うので、この通りのフレーズでお願いします。)
とだけ記入して、空のメールだけで結構ですので、送付頂ければ、とても嬉しいです。
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なぜ、私が(ツイッターなどを使わないで)このような面倒くさい手段を用いてインタビューを試みているかというと、
私の日記を読んで頂いている(大変奇特な)方の多くが、(1)理知的で、(2)礼儀正しく、(3)約束を守り、(4)気持の良い対応をして頂ける方であることを、私は経験的に知っているからです。
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それでは、私の日記を読んで頂いている皆様。
本件、何卒ご検討頂けますよう、伏してお願い申し上げます。
江端智一
昨日の日記の題目に「江端のインタビューに応じてもいいという、ボランティアの方を募集しています」と書きました。
これに対して、
『それはインタビューと書くよりも、アンケートと書いたほうが適切な気がします。インタビューと書くと、「会わないといけないの?」という先入観を与えやすくなってしまう』
というご意見を頂きました。
確かに「インタビュー」と「アンケート」では、天と地ほど違いますよね。
至極、的確なご指摘で、一瞬、頭が真っ白になってしまいました。
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そもそも「インタビュー」にしたら、私が日本全国を行脚しなければなりませんし、もし、在外者の方がいたら、インタビューが、いつ終わるかも分かりません。
また、私と面と向って、インタビューに応じたい人など、絶対にいないと確信できます。
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という訳で、昨日の日記の見出しを、以下のように訂正致します。
「江端の『メールによるアンケート』に応じてもいいという、ボランティアの方をお待ちしております」
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現在、私の家族は勿論、姉の姪たち、会社の同僚(の友人の女性)にも協力をお願いしています。
これからも、積極的に営業をかけていく予定です。私の回りにいる同僚にはは「パワハラ上等」でメールが飛んでいくかもしれません。ご覚悟下さい。
それと、よくよく考えたら、今回のアンケート、その対象のメインは「男性かもしれない」と思うようになってきました。男性の皆様。是非、軽い気持で、メールを頂けたら嬉しいです。ご連絡をお待ちしております。
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昨日、早速アンケートの結果を頂きました。
フリーコメントの欄は、記載が必須という訳でもないのに、現在の少子化問題に関する現場の生々しい「熱い想い」を頂いております。
今朝は、出勤の電車の中で、携帯電話からそれらのコメントを読みながら、ずーっと考え込んでいました。
―― 私の考察は、まだまだ甘い。
―― サハラ砂漠の様な広大な検討の余地があり、かつ、その解決方法は、イスカンダルに到着するより難しい。
なお、アンケートにお答え頂いた方のコメントは、寄稿コラムまたは私のホームページで、プライバシー情報を全部カットした上で、全文公開させて頂く予定です。事前に最終確認のご連絡致しますのでご安心下さい。「意に反した」掲載は致しません。
あ、それから私信ですが、『江端様に無事受信されたかどうか知りたいので、自動応答でも構いませんのでご一報いただけますでしょうか。よろしく願いいたします』とのコメントをご記入頂いた方。大丈夫です。ちゃんと届いておりませす。ご回答、ありがとうございました。
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それにしても、改めて、人脈の乏しい人生は、こういう時に困ることになるなぁ、と実感しています。
こんな方法と使わずとも、ネットを使ったアンケート方法などもあるのですが、私は自分が信用できる「輪の外」の方を、アンケート対象に含めたくはないのです。
但し、ネットであっても、私のブログを読みにきて頂いている方は「輪の内」です。あんな、長文で、説教くさく、回りくどい、読み難い日記を、毎日、読んで貰っている方は、もはや私の「身内」と認定できます。
なんといっても、私の家族の誰一人として、私の日記を読んでいませんからね。
―― というか、そもそも彼女らは、自分の父親や夫のコラムすら、ちゃん と読んでいないようなんですよ。イラスト書く時と誤字脱字の校正チェックの 時に、やむなく読む、という感じです。
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家族に内緒で「BL同人誌」を描いている訳でもないのに、この「寂しさ」は一体どうしたことでしょう。
(ちなみに、この「BL同人誌の話」は、漫画家の赤松先生に教えて貰いました。)
最近、ヤフーオークション(ヤフオク)で、色々なものを手に入れています。
といっても、やはりパソコン周辺装置が中心になるのですが。
同じ品目が出品されていても、オークションの値段が2〜3倍にも違うことがあり、ちょっと驚くことがあります。
この理由は「欠品」と「未確認」です。
例えば、OSがインストールされていない、ACアダプタが付いていない、BIOSまでの起動しか確認していない、などがあります。
逆にいうと、その「欠品」の品物は、安価に入手可能な狙い目の出展品になります。
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先日、最後の30分で +150円増しで、「ACアダプタ欠品」のプリンタ(テプラー印刷機)を落札しました。
届いたプリンタのACアダプタジャックの形状を調べて、メーカサイトからACアダプタの電圧と消費電力の記載を調べてから、出張時に、秋葉原に行きました。
2つ程パーツ屋を回って、必要な部品を購入してきました。
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自宅に帰ってから、ACアダプタの線を切断して、購入したジャックを半田付けしてACアダプタを完成させて、さらに、メーカサイトからドライバソフトをインストールして、プリンタの起動に成功しました。
私には、10分程度の「ちょろい」作業です。
とは言え、ちょっとした後ろめたさもあって、「みんな、ACアダプタくらい自作すればいいのに――」とつぶやいていたら、
「普通の人は、そういうことはしないし、できないの!」と嫁さんにつっこまれました。
なるほど、こういう意味なら「普通でない人」というのも悪くない。
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私が、学生時代に、自走走行ラジコンに搭載する電子回路の半田づけをして、マシン語でプログラミングをして、電子・電気工学のタイトル(学位)を取ったのは、
―― ヤフオクで、欠品の出展品を落札する為だったのだ
と思うと嬉しく・・・ならないですね。全く。
私が卒業するまでに、私の家族が一体いくら私に仕送りをして、私がアルバイトで学費を稼いできたことか。合算すれば、狭いマンションくらい、余裕で買えます。
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「学費をヤフオクで回収している」と考えるのは止めることにします。
単に「人を出し抜いて、オークションで勝ったのだ」という満足だけで、それ以外のことは考えないようにします。
自分の部屋の小掃除をしています。
作成資料や、ネタ帳などを保管していたのですが、もう、流石に不要かと思い、処分することにしました。
でもちょっと未練があるので、ノードの一部を写真に取りました。
それはさておき。
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先日のアンケートへのご協力を頂き、ありがとうございます。
暫くの間、続けさせて頂きたいと思いますので、是非ご協力頂けますよう、お願い申し上げます。
それにしても、人口減少問題が、これほど「目の前にある危機」とは思いませんでした。
領土問題なんぞ、屁でもありません。あちらは、最悪でも領土の一部をぶん取られるだけのことです。人口減少問題は、確実に起こり、解決方法が絶望的に難しい問題なのです。
多くの人が、課題の優先順位を間違っているのではないかと思うのですよ。
はっきりいって、外国と戦争したってこんなに人口減りません。
こういう比較は、不適切であり、不遜傲岸であることを承知の上で書かせて頂きますが、太平洋戦争の犠牲者が、軍人230万人、民間人80万人の合計310万人ですが、同程度の人口減少は、2020年(7年後)に達成可能です。
第二次大戦の犠牲者数は、ざっくり5500万人ですが、それと同程度の人口減少が、日本一国だけで、2073年(60年後)に達成可能です。
(色々な意味で)凄いぞ、日本。
とは言え、これは寄稿コラムネタなので、今日はここまでにしておきます。
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やっぱり自分で電卓を叩いてみる、ということは大切だと思いました。
といっても、今回は「電卓」ではなくて「パソコン」を使いましたが。
この今回の人口減少のシミュレーションを「電卓」でやったとしたら、たった、一年の人口の変動を調べるのに、ざっと、電卓を
「2000回以上」
は、叩かなければならなかったことになります。
100年間の計算で、20万回。 私は一回の電卓の操作をするのに、最低でも5秒かかるから、合計時間で100万秒、277時間。一日8時間の作業をするとして、34日。
2000年間の計算であれば、680日、2年弱程度になります。
今回の計算ですが、最初は、1年分づつをエクセル表を作ってやっていたのですが、10年くらい計算していたら「うんざり」してしまいました。
プログラム、というか、ノイマン型コンピュータの概念に至ったジョン・フォン・ノイマンさんは、本当に凄い人だと思います。
それを、私の自宅のパソコンで計算できるようにしてくれた、偉大な、あるいは、それほど偉大でもない、多くの科学者や技術者に感謝せざるをえません。
同時に、コンピュータも使わないで、太平洋戦争開戦前に「日本必敗」という机上シミュレーデョン結果を出していた、
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で、本日の結論ですが、
全ての人間が、電卓を使うように、コンピュータプログラムを使えるようになると、きっと、「いいことがある」と思うのです。
人口減少のシミュレーションプログラムの作成は、久々に私を「恐怖のどん底に叩き落した」という「いいこと」がありました。
サラ金のCMの利息計算から、政府発表のデータに至るまで、我々が納得できる形で、自分自身で、計算結果の「裏」を取れれば、良いと思うのですよ。
できれば、高等教育過程に組み込れれば良いなぁ、と思っています。
カリキュラムとしては、プログラミング教育の替わりに、「数列」「微分」「積分」の教育を取り止めてしまう。もう、そういう数学的概念がなくても、コンピュータプログラムで「力づく」で計算してしまえば良い。
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だって、「数列」「微分」「積分」をどんなに勉強したって、誰も、それを使って、
■サラ金の利息計算や、
■放射能の半減期の計算や
■GPSの位置測位の非線形計算を、
「自分でやってみた」という話を、未だかつて、一度も聞いたことがないのです。
そもそも、生まれてから死ぬまでの間に、「微分」「積分」を使ったことがある人って、どの程度、存在しているのでしょうか?
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幸いなことに、プログラムを組むということは、「数列」「微分」「積分」を、現実の数値を使って計算することを意味します。つまり、それらの概念を包含できるのです。
私は、テスト以外で登場することのない数式を弄くって、別の式を考え出す能力よりも、電卓を20万回叩く計算を、1秒以内で完了する道具の使い方を、教育プロセスで教える方が、ずっと利益があると思うのです。
皆さんは、どう思われますか?
以前より、面倒くさくて、なかなか取り組めなかった「靖国問題」の勉強(単に読書)を始めています。
私も、人生の後半の前半くらいには差しかかっているし、この問題に関して、そろそろ自分なりの見解を出しておく必要はあるかなぁ、と思ったからです。
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靖国問題というのは、フェルマーの最終定理と同じように見えます。
フェルマーの最終定理は「設題は恐しく簡単なのに、その証明が死ぬ程難しい」というものであり、
靖国問題は、「論点は非常にクリアなのに、その答えが無数に存在し、合意に至りうる世論の形成が恐しく難しい」というものです。
―― どの意見も正しくて、間違っている
どんな意見を言おうとも、どこからでも批判され、下手をするとテロの対象にもなりかねない。
なるほど、この問題から逃げ出したくなる人が多いというのも、理解できます。
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「靖国問題」について、結論を出せないまでも、問題点のラインナップくらいは挙げられるようにしておきたいなぁ、と思って、色々な書籍に目を通してみたのですが、どうにも、よく分からん。
そんな時、図書館でたまたま見つけた「靖国への帰還」という、内田康夫さんの小説を読みま した。
―― 時をかける青年 + 靖国問題
靖国問題にタイムリープを導入するという、そのSFエンターテーメント性は、「時空間フリーク」の私の心にドンピシャに嵌りましたし、靖国問題の論点を、どちらに偏ることなく、絶妙のバランスとライトな感覚で描写しています。
重厚で陰鬱な問題にも関わらず、それを、登場人物のキャラクターに喋らせながら、ライトに書くという技量が、どれほど偉大な創作であるか、私は思い知っている人間の一人と自負しております。
-----
それで、嫁さんに、この本を勧めたのですが、『靖国? なんか、嫌だなー』と言われました。
まずまず、妥当な反応だと思います。
右翼宣伝カーに醜悪に記載されている「靖国」の文字だけの責任ではないでしょうが、ここまで、多くの人が「関わりたくない」と思うまでに至ってしまった「靖国」が、
実のところ、
霊験とか、尊厳とか、国威とか、国家とか、そういうややこしい話でも、
国民全員に同じ方向を向かせるような思想とか理念でも、
そういう「正解」を求める問題ではなくて、
単に、美しい山や川に対して、静かに頭を下げるように、
亡くなった人に想いを馳せて、懐しく思い出すように、
自分の心に「在る」ものを、静かに見つめる為に、
どこにでもある、町内会の集会場の横にある、普通の小さい神社と同じように、
ただ「在る」だけでいいじゃないか、ということを、
とても自然に教えてくれる、お勧めの一冊です。
(嫁さんも読了しました。『面白かった』とのことです)
先週末は、人口減少結果に関するアンケートの結果を沢山頂きました。
ご協力ありがとうございます。頂いたコメントの全てを、精読させて頂いております。
また、江端の権力(?)によって「協力」を「強要」させられた皆様(この文面を読んで心当たりのある方です)。「申し訳ありません」という言葉では、尽せないと思いますので、この機会に、一言申し上げます。
「運が悪かった」と、諦めて下さい。
江端のリンクの周辺に入ってしまった、ということは、もう、それは不運としか言いようがありません。人生には、どうしても避け得ない理不尽な力が発生します。今回のことを、是非、皆さんの人生の糧として、強く生きて頂きたいと思います。
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今週末は、図書館から参考資料を掻き集めていました。
「生殖技術」、「生殖・発生の医学と倫理」「どう考える?生殖医療」「受精卵診断と出生前診断」の4冊。
一冊目を、たった30ページ程読んだところですが、
―― 本当にとんでもないものに、手を出してしまった
と、凄まじい後悔の中にいます。
この問題、重いぞ。重すぎる。
提出してしまった初版原稿を「なかったこと」にしたい。
私は、今、、タイムリープマシンを開発してしまい、牧瀬紅莉栖を救うことのできないことに気がついた、岡部倫太郎の気持が、よく理解できます。
私の居住している市の図書館は、蔵書量が豊富で、インターネットで予約ができ、予約確保をメールで知らせてくれる
―― 夢のようなシステム
を実現してくれています。
あとは、「本の宅配」をしてくれたら完璧ですが、さすがに、市役所の人に殴られそうなので、この辺で止めておきます。
しかしですね、鶴川駅前図書館(あそこは、町田駅の図書館よりも駅に近いから、アクセスは良いかと)だけでもいいから24時間営業にするとか、いや、それが駄目なら、深夜の無人貸出・返却ステムの導入(システム構築のコンサル、無料で手伝います)とか、いっそうのこと、コンビニエンスストアとダッグを組むことだって ―― は、離せ! 私は町田市民だ! まだ、言いたいことがぁぁぁーー!!
閑話休題
いずれにしろ、属性「乱読」の私にとって、この市の図書館システムはパラダイスです。
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ただ一つ問題があるとすれば、本に「書き込み」ができず、風呂に持ち込めないことです(当たり前だ)。
これが結構、私にはストレスなのです。
本とは湯船につき落してからが、本当の「裸の付き合い」と信じている私にとって、図書館で借りる本というのは、どこか「お客さん」扱いで、今ひとつ、つっこんだ付き合いができないような感じがするのですよ。
それはさておき。
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Amazonなどで、低評価の本の書評を読むと、腹が立ちます。
「がっかり」だの、「期待外れ」だの、「ディテールが甘い」だの。
こういう書評を読むと、まるで出会った彼女/彼の悪口をいう、下品な男/女のよいうに見えて、私は、実に不愉快です。
本と出会うというのは、一期一会。その本と付き合ってみて、それが自分に気に入らなかったからといって、それを、後ろ足で砂を蹴るような言い草は、「不遜である」と思えるのです。
低評価であるのは構わんのだけど、
「私とは上手くいかなかったかな」とか
「出会ったタイミングが悪かったのよ」とか、
どこか遠い目をしながら、本の書評をする、ということができんものでしょうか。
本は自分で自分を弁護できないのです(私のように、私の著書にネガティブな評価をする人に、直接質問の攻勢をしかける人間はレアケース)。
著作物に対する「思いやり」や、「愛」が足りないのではないか、と思うのです。
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いや、勿論、分かっています。書評が「そういうもの」ではないことは。
批評は批評として、価値も意義もあるものであることも、よく理解しています。
しかし、不合理で無茶苦茶な物言いであったとしても、その著作を生み出した著者にとって、その著書は大切な娘や息子のようなものなのです。
批判は構わないのですが、そこに一定の敬意と配慮を払って欲しいのです。
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例えば、私の娘たちに対して、
「うん、この子は、美人とは言えないな。不細工と言えよう。もっと目をパッチリとさせるべきであったな」
と言う人がいたら、誓って言えますが、
―― 私は、その人を殺す。もっとも苦痛を与える手段を用いて。
我が家では、二人の絵師(イラストレータ)(中3と小5の娘)に、私の寄稿コラムの挿絵の作成アルバイトをお願いしているのですが、中3の娘が、
―― もう、やめたい
と言い出して、青くなっております。
特に、中3の長女の方は、私のコラムのコンセプトを、私との3回くらいのディスカッションで、線図に落すことのできる能力を有しており(というか、最近、怖いな、とまで思う)、ここで、「チーム"The Ebatas"」から、脱退されたら大損害となります。
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理由を聞いたところ、ギャラの問題ではなく、線図を「ペンタブレット」で描くストレスに、もう我慢ができないのだそうです。
我が家では、一度、紙に描いた線図をスキャナで取り込み、その後、それを「ペンタブレット」撫ぞるようにして、もう一度の線図を描きなおしています。これが、凄く辛いとか。
実は私、一度だけ、「ペンタブレット」で絵を描いてみたことがあるのですが、確かに、発狂しそうになりました。ですので、娘の言うことは、実によく理解できたのです。
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江端:「ちょっと待て。紙に描いた線図を、そのまま取り込めないか調べてみる。もし方法がなれば、パパがアドインソフトを自己開発するから」
で、調べてみたら、
―― あっさり見つかった。
ドローソフト(SAI)の基本機能に入っていた。
昨日、定時で帰宅して、自宅で実験してみたら2秒で成功。
「ペンタブレット」による線図作成など最初から不要だったのです。紙とペンがあれば、そのままSAIで着色可能だったのです。
昨夜は、日本のどこかに、パソコンの前でゲラゲラと笑い続けている、気持ちの悪い父娘がいました。
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そりゃね、私の調査不足を責めて良いと思いますよ。これまで、娘達に、劣悪な環境で、1年以上もイラストを描かせ続けたことに関して、猛省しています。
しかし、私、SAIの教科書を少くとも3冊は買って、一通り読んでいるんですよ。
こんな、超ウルトラ基本の、しかも相当多くの人が望んでいるだろう機能の説明が、「最初のページ」に出てこないとは、どういうことですか?
そもそも、ドローソフトの教科書って、最初から難しいこと描きすぎです。サンプルもプロ級の絵を出してくるので、なんか近寄り難いし。
私は仕事で使いたいんですよ。仕事で。
でも、Googleで拾ってきた絵を使うと、著作権に抵触することになるから、そんなもの、仕事で(特にお客さまへの説明資料では)使える訳ありません。
でも、ちょっとした挿絵でも、プレゼンテーション資料に入れられると、助かるんですよ。
「萌え絵」なんぞはいらんのです。単なる簡単なイラストでいいんですよ。
そういう、業務向けの簡易なドローソフトの教科書を、どうして作れないのですか?
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しかし、現在、我が国では、というか、世界中で「萌え絵」が圧倒的なパワーを誇っているのは事実です。
宣伝広告は勿論ですが、最近はOS(オペレーティングシステム)のイメージキャラクタが登場しているくらいだし。
もしかしたら、将来の営業やエンジニアに必要な資質には、この能力(画力)が入ってくるかもしれません。
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我が社の入社面接で、
『じゃあね、君。このシステムコンセプトを表現する「女の子の絵」を、そこのホワイトボードに描いてみてくれないか』
という未来が来るかもしれません(結構、本気で)。
―― 来るなら、どうか、私の退職後に。
親戚の姪から、アンケート結果を貰ったのですが、コメント欄に以下のような記載がありました。
『恋人(結婚対象になる)は、大学三年までにゲットしておくべきでしょう。私の統計ですと(聞いた話ですが)大学でお付き合いしていた人と25〜30歳で結婚している人が8割ほどだそうです』
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4割の女性が30歳までに結婚する(という私の仮説) → その8割がキャンパスライフで勝負がついている(という姪の仮説) → ってことは、ざっくり社内結婚による30歳までの結婚の確率は、未婚女性or男性の
わずか、8% ? (という単なるかけ算)
「社会人→自由恋愛→結婚」というシーケンスは、私の気がつかない間に、すでに終焉していたのかもしれません。
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結婚は人生の必須事項ではないですが、人生のオプションとして考えても、この数値は「悪すぎる」。どこかの世界の悪魔が呪いをかけたのか、と思うくらいです。
「本人の努力」でどうこうできる数値ではない。
三国志については、ゲーマーでうっとうしい奴のことが思い出されて、今後もあまり嵌るこ とはないだろうと思っています。
映画の「レッドクリフ」も、それほどには、面白いとは思いませんでした。
ま、私には、吉川英治先生と、酒見賢一さんの本で十分です。
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ただ、酒見賢一さんの「泣き虫 弱虫 諸葛孔明」の中に、発明家が出てくるので、『おや?』と思ったことを覚えています。
諸葛亮の妻、黄夫人は、木製ロボットを自作して、そのロボットにウドンを作らせた、という逸話があります。
事実なら、HONDAのアシモより凄い。
「孔明のヨメ。」 という4コママンガを、Amazonの中古本で購入したのですが、これが、なかなか面白い。
発明の父が「エジソン」であるなら、発明の母は「月英」と言えるでしょうか。ただ、この「孔明のヨメ。」を読むと、「発明の母」というよりは、「実用新案の母」という感じもしますが。
いわゆる、ゆるキャラ系三国志として、お勧めです。
横山光輝先生の三国志よりは、肩こらないかな、と。
今日は、この週末、読んでいた本の内容から、網羅的にいくつかのトピックを挙げてみます。
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(その1)
「デザイナー・ベイビー」という本を読んでいるのですが、衝撃を受けた一文があります。
「子宮は受精卵がどのような出自であっても気にしない」
えーとですね、臓器移植で最大の課題が「拒絶反応」にあることはご存知のことかと思います。
人間の体は、別の人間の体の組織を「敵」と見做して、総攻撃をしかけるようにできています。この総攻撃があるからこそ、私達はインフルエンザなどなどのような、凶悪な病気に感染しても、生き残ることができます。
なのに、子宮だけは、見も知らぬ夫婦の受精卵(胚)を、育てることができる、というのです。注意しなければならないのは、代理母の月経サイクルのタイミング(4日間)くらいなのだそうです。
私は「ベビーM事件」の最高裁判決結果(興味もある人は調べて下さい)よりも、この子宮の機能の方に驚愕しました。子宮は、乳幼児の「専用の個室」ではなく「レンタルルーム」に近いのだと。
代理母が、もちろん母体に対するリスクは、通常の出産と同様に存在(最悪、死亡事故にもなる)するものの、ビジネスとして成立しているのは(いるんです)、この、子宮の「気にしない」メカニズムに拠るのだと、ようやく理解しました。
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(その2)
しかし、子宮がスーパー機能をもっていたとしても、それ以前の問題として、人口受精等を含めて、生殖補助医療技術 (ART:AssistedReproductive Technology)による出産成功率は、驚くほど低いのです。
私がデータを読み間違っていなければ、2011年における、ART治療による、出産成功率は11.56%です。そして、40歳以上になると、数パーセントになり、48歳以上では0です。
それでも48歳以上の治療者の方は「941人」もいらっしゃる。データ表を見ながら、とても切ない気持になりました。
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(その3)
人口受精の中には、非配偶者間人工授精(AID)というものがあるのだそうです。
AIDとは無精子症の場合など絶対的男性不妊の場合に適用される方法です。つまり、男性配偶者(夫)以外の男性ドナーの精液を使用し人工授精にて妊娠を試みるのです。
―― えーっと、それって、どういうことだっけ?
と、15秒くらい考えて、ようやく気がつきました。つまり「そういうこと」です。もちろん、「あり」だと思いますし、夫婦に間において法律上も問題ありません。
根拠条文は、民法772条第1項の「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」ですね。AIDには夫の同意が必要ということになっていますから、嫡出子(ちゃくしゅつし)となり、形式的に法律上は問題なし。もちろん、それ以外には問題は色々あるでしょうが。
シングルマザー希望の女性は、勿論問題ありません。
気になったのは、誰が、精子提供者(ドナー)に成れるのだろうか、ということです。
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AIDのための精子提供者(ドナー)の条件
(1)健康青年男子であること。
未婚、20歳から27歳、適正身長、適正体重、たばこ麻薬を吸わない。輸血 を伴う手術を受けたことがない、感染症、性病の既往症がない。
(2)医学部在学中であること。
遺伝に伴う疾患に関し充分な知識があり、倫理的、社会的配慮に関してしっかりとした意見がある。
(3)精神的に安定していること。
(4)次の検査がすべて陰性であること。
B型,C型肝炎、エイズ検査(HIV1/2)、梅毒、クラミジア検査等。
(5)癌遺伝子に異常のないこと。
[選択方法]
現在の段階では、御主人の血液型(ABO、Rh型)のみマッチングして提供者を選 択しております。 その他条件(身長、肌の色など)は、考慮できません。
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つまり、私は「ドナー」にはなれません。(私は、次女誕生後に、避妊手術してきましたから、どっちみち「ドナー」にはなれないのですが)。ただ、この基準、立法化されている訳でも、政令委任でもなく、私が調べた限り、独自のガイドラインのようです。
[選択方法]の血液型マッチング、というのは、要するに「生まれてきた子どもに、できるだけAIDのことを知られたくない」ということだろうなーと、考えています。
ドーナへの謝礼についても調べてみました。ざっくり5万円以上のようですが、無償を唄っているところもあるようです。
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■日本精子バンクセンターの特徴としましては、「精子提供者を東大卒、または、東大以上の難関の国立医学部に限定」したことがあげられます。
■日本精子バンクセンターでは、男性の参加資格を非常に厳しくいたしました。
■身長は175cm以上。見た目も平均以上であり、自分の遺伝子で明らかに問題があることがない事、まっとうな定職についている事が男性の条件です。
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「見た目も平均以上」とか「まっとうな定職」という用語の使い方を、「平均以上のまっとうな組織」がするかなぁ? という気もしますが、多分、ユーザニーズの観点からは、こういう表現が一番分かりやすいのだろう、と、善解することにします。
ちなみに、「採取された精子は、0.4〜1.0mlほど小さなガラス瓶やストロー容器に入れ、液体窒素で凍結する。保存期限はなく、20年以上経った精子を使って健康な子が生まれた例もある」(http://ja.wikipedia.org/wiki/精子バンク)のだそうです。
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疲れてきたので、今日はここまでにします。
長女が小学生の頃、風邪から自家中毒になることが多くて、よく深夜(午前2時頃)に、娘を自動車に載せて救急病院に走り込んでいました。
苦しそうで見ているのが本当に辛くて、とにかく先生に懇願して、点滴をお願いまくっていました。
点滴をを投入されながら、スヤスヤと眠っている娘を見ると、「ああ、本当に、こんな幸せな時間はないな」と思いながら、午前5時頃に会社にメールを一本送ったあと、娘の寝ているベッドの下の床の上に転がって、仮眠を取っていました。今でも、「あんなに安らかな仮眠はなかった」と言い切れます。
ちなみに、娘は、人生で一番大好きだった時間は「点滴」と言い切っているくらいです。自家中毒の地獄を垣間見た人間として、重い言葉です。
それはさておき。
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あれは、娘を運び込んだ病院での、極寒の冬の夜のことでした。
娘が点滴で眠りについて、ホッとしている所に、救急車で搬入されてきた男性がいました。
過度な肥満男性、顔もぶくぶくとでかく、眼鏡をかけていて、一応スーツは着ているのですが、全体的に汚物イメージ、ベッドに入りきらない巨体、やかましい鼾(いびき)。
泥酔して道で寝こんでいたところを、搬入されたきたようです。あの極寒の中、屋外で寝こめば、確実に死んでいたことでしょうが、どこをどうみても「助けてやりたい」という気持ちが、1mmも発生しないような、汚いオッサンでした。
人道上、どのような人であっても助けなければならない ―― とは思うのですが、私は、二人目の自家中毒に苦しむ小学生がかつぎこまれてきたら、このオッサンを、ベッドから叩き落すのに躊躇はしないだろう、と思いました。
何があったのかは知らんが、もし、「真冬の夜に屋外で寝こむリスクも理解せずに、泥酔するまで飲んだだけ」であれば、私なら放置する。
これは「不作為による殺人罪」の適用の余地があるかもしれないが(最判平成15(あ)1468)、それでも、私は助けないと思う。私も助けて貰えなかったことを勘案しても、概ね妥当だと思う。
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実際、看護師さんの対応も実に冷たかった。
「早く起きて、とっとと帰って下さい」と、男性をベッドから蹴り落すくらいの迫力はありました。(お前のような奴の為に、ここの運営しているんじゃねーよ)という感じ、まったく同意できました。
そして、このオッサンは、最後まで一言も発することもなく、ゾンビのような歩き方で、診療室を出ていったようです。
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しかし、これが若いイケメンや、清楚なイメージの女性、礼儀正しい紳士や御婦人であった場合でも、私は、このオッサンと同様の気持ちを持っただろうか ―― と思うと、私には、自信がありません。
オッサンは、明かに、私に「外見で差別された」のです。しかも、「外見の為に、命の危機にさえ晒された」と言っても過言ではないでしょう。
これは、私という人間の、浅学、卑怯、狭量を表わす明らかな属性であると思うのですが、しかし、私は努力して、それを改善する気がないのです。
今、冷静になって、あのオッサンのことを思い出してみるのですが、―― 今でさえ「真冬の空の下に置き去りにできる」という自信が、私にはあるのです。