江端さんの忘備録

2012年09月分を表示
2012年 09月 30日
魔法少女まどか☆マギカ(その4)
娘の所感ですが、

「この作品は、この『画風』で損をしているのではないか」

ということです。

もっと、大人向けの絵柄であれば、全部の世代が見れる作品になったのではないか、と。

―― お、いいこというじゃんか。

流石に、私の専属イラストレータとしてギャラを稼いでいるだけのことはある。

いつのまにか、言うようになったね、娘。

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それと、私も気がつかなった、時間遡及者のタイムパラドックス問題を指摘されました。

―― 生意気な。私が看過した時空間の矛盾点を指摘するとは。

こっちは、面白くありませんでした。
2012年 09月 29日
魔法少女まどか☆マギカ(その3)
この作品を娘に押しつけて、無理矢理、視聴させました。

作品に対する批評をしあう仲間が欲しいという一心だけで。

「勉強なんかしなくていいから、これを見ろ」と。

『一番最初に「第10話」の半分だけ見させる』で、落しました。

これで「つかみ」はO.K.です。

あとは、第3話まで見させれば、ほっといても勝手に見続けます。

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「マミさん、本当に死んじゃったの? 生き返らないの?」

と、驚愕の表情で、私に尋ねる娘。

■「魔法による玉虫色の解決」という概念が全て排除され、

■「幸せへの道が全て閉ざされる魔法少女」という観念が挿引され、

■少女達が理不尽な死を遂げるだけで終らず、

■もっとも残酷で悲惨な終末を迎える

―― こんな恐しい悲惨な「魔法少女」が今まであっただろうか。

残酷な描写に対して放送倫理・番組向上機構(BPO)への苦情もあったとのこと。

まあ、それはさておき。

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娘は、作品に出てくる「可愛いマスコットキャラクター」に「激怒」していましたね。

当然ですが。

私が、このマスコットキャラクターに対して感想があるとすれば、

「条件が完全に開示されずに行われた契約は、無効だ」

「契約した少女達は、契約前の状態に戻す(現状復帰)旨の交渉を行うべき」

と思ったことでしょうか。

「民法の基本原則すら分かっとらんのか、この小動物は」と、憤慨していました。

人を騙して、エネルギーを盗むということは、「詐欺」でもあるし「窃盗」でもあります。

「知的生命体のくせに、恥を知れ。バカもの」、と。

・・・ふむ。

この作品は、ティーンエイジャに、「詐欺」の本質を、ダークファンタジーで教えることができる、と把握することもできるかもしれません。

■「契約」は、徹底的に履行条件を確認し、

■必ず第三者を交えて、

■独断で「判子」を押さない、

と言うことを、骨の髄まで思い知らせるアニメとして、文化庁(*1)ではなく、上位組織である文部科学省が推しても良いかもしれません。

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そうですねえ、キャッチフレーズは、

「詐欺師は、可愛い顔してやってくる」

でどうでしょうか。

(*1)2011年第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞

(続く)
2012年 09月 28日
魔法少女まどか☆マギカ(その2)
見た。

感想。

怖かった。本当に怖かった。

あまりに怖くて、2回目の視聴を「来年にしよう」と決めてしまったくらいに、怖い。

どこが「魔法少女」だ。ファンタジーの要素、絶無じゃないか。

この題名は、内容に対する「詐欺」といっても良いぞ。

「第3話まで我慢」しなればならないという意味も良く分かりました。

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しかしながら、これは、

「文句なしに素晴しい作品」

でした。

世界に配信され、あまたの賞を総なめにしているのも、確かに納得できる。

思い出しただけでも、輪廻思想、エントロピーの法則、エネルギー保存法則、因果律、時間遡及、食物連鎖、多元宇宙、「業」の思想 ・・・ 理系的、哲学的テーマ、てんこ盛りです。

確かに、「シュタインズゲート」と双璧を成す作品として、最高ランクの評価をさせて頂きます。

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そして、この作品が、今回のような「押し売り」のような手法で、世間に広まっていることも知りました。

# まるで、映画「リング」のようです。

確かに、これを、私がTSUTAYAで借りてくるのは、相当に難しいと思う。

題名が悪すぎる。

「魔法少女」の部分がなければ、もっとDVD視聴者を増やすこともできただろうと思う。

しかし、この題名が、この題名でなければならない理由も、作品の中で明示されていましたが。

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それにしても、こんな凄いストーリが次から次へと、よく出てくるものだ。

これからも、新しい「時空間」のネタは、無限に出てくるだろう。

私の老後の娯楽は、若者達の想像力にかかっている。

本当に頼むぞ。

(続く)
2012年 09月 27日
魔法少女まどか☆マギカ(その1)
以前、私は、以下のような日記を掲載しました。

<2011年 09月 04日の日記 から抜粋>
私は愛想が悪いですし、仕事をしているとき「黒いオーラ」を出していると、家族全員が証言しています。

確かに、仕事中の私に声をかけるのはリスクがあるかもしれない。

「いらんこといって怒られたら損だ」と思うのは、ある程度やむを得ないと思います。

特に、若手研究員が、古参の主任研究員にプライベートな話をすることに、躊躇があるというのも理解できます。

しかし・・・、しかしだ。

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○「時をかける少女(筒井康隆)」「無限回廊(小松左京)」「未来からのホットライン(ジェームズ・P・ホーガン」「果てしなき流れの果てに(小松左京)」「JIN(村上もとか)」、その他多数の、時空間を取り扱う著作または映画・ドラマに関して、数多くのコメントを発表してきたこと。

○私が前世紀(1999〜)から、時空間に関するメッセージ通信の研究を続けてきたこと

○「過去へのメール転送」という概念の特許発明の発明者であるということ

を、知っているハズだ。

# いや、知っていなければならない。

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なのに、若手研究員の諸氏は、何故、この私に、

アニメ「シュタインズ・ゲート」

のことを教えなかったか。

</2011年 09月 04日の日記 から抜粋>

という日記を公開しました。

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先日、研究所の同僚から、

「魔法少女まどか☆マギカ」

を強く勧められ、コンテンツを手渡されました。

いくら私がもの好きでも、「魔法少女」の題名を冠するアニメを視聴するのは、正直、無理だと思いました。

「『プリキュア』を見ていると、説教されているようで腹が立つ」という私は、「なんでも願いを叶えてくれる」という「魔法」というご都合主義的な概念が嫌いなのです。

でもって、「魔法」で「少女」ですよ。

そりゃ、無理にも程があると思いました。

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それでも、私が最も信頼している同僚の一人が、

『「シュタインズゲート」が見れる江端さんなら、これも見れるはず』

と、力強くエールを贈ってくれたのですが、それでも、なかなか試聴に入る勇気がありませんでした。

かなり、憂鬱だったのです。

そんな訳で、視聴に入る前に、インターネットで色々調べていたのですが、

―― なんか、この作品、半端でなく凄いらしい

ということは判ってきました。

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「そうそう江端さん。一つ言い忘れていましたが、『第3話までは、我慢して』見て下さい」

一体、この作品はなんだと言うのだ。

(続く)
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20110904
2012年 09月 26日
時限パス
ノートパソコンを使って、電車で仕事をしている人は、結構見かけます。

仮説の域を出ませんが、こういう人は、家では本を読んでいたりするのではないかと疑っています。

もしそうなら、バカバカしい話です。逆にした方が良いに決っています。

家でパソコンで仕事をして、電車で本を読む方が、自分にも地球にも優しいと思います。

なんかのコラムで読んだのですが、外国の方が、電車の中でパソコンを使って仕事をしている日本人を見て、

「彼は何かの罰を受けているのか」

と言われたそうです。

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私は、このような非効率的な、逆転行為を行っている人の馬鹿げた動機が、

―― 手に取るように分かる

のです。

電車の中でパソコンを使って仕事をしていると、「なんか、仕事したなぁ」という気になるのです。

「こんな劣悪な環境で仕事をしている私って、なんて立派な奴なんだろう」と。

本当に、バカだと思うのですが。

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しかし、一方、内線電話もなく、どうでも良い雑用を命じられ、出る必要もない会議から逃がれられる場所は、もう電車の中しかないかもしれません。

インターネットアクセスは不便であるから、動画サイトに飛ぶこともできないし、理由をつけてコーヒータイムを作ることもできない。

私は勉強や仕事の為に、普通電車で小田原まで往復したことがあります。

終点に到着するまでに、このレポート上げよう、という良いタイムスケジュールにもなりますし、特に真夏の日などは、快適な空調で効率も良い。

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鉄道会社各社への提案です。

「時限パス」というの、作りませんか。

■平日の朝と夕方のラッシュ時を除いて、一時間100円で電車乗り放題。

■途中下車禁止。乗車駅のみで降車可能。車内の食事禁止。仲間とのおしゃべりも当然禁止。

■マナー違反を車掌に指摘されたら、問答無用でパスを没収。

■各駅には充電用の有料のACプラグを開放。

一般客の迷惑も鑑みて、女性専用車ならぬ、受験専用車を別途用意しても良いかもしれません。

有料の学習室というのは既にありますが、風景がかわりながらの電車の中での仕事や勉強は、結構悪くないと思います。

特に、夏場の省エネ対策には、結構な威力を発揮するのではないか、と。

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大学受験生がざっくり70万人。2%が使ったとして1万4千人、一人500円のパスを購入するとして売上700万円/月。2億1千万円/月。
しかも、増発、ダイヤ変更等一切なし、ですよ。

ここに、就労人口6500万人の社会人が入ってくるとすると、1%でも参入してくれば、その50倍の利益、約100億/月が見込めます。

美味し過ぎるマーケット、とも思えるのですが。
2012年 09月 25日
地獄
「地獄」という絵本が出版されているようです。実際に私も読んでみたのですが、これは大人でも十分に怖い。

子供の躾(しつけ)に効果が出ているそうなのですが、子供のトラウマにならないか心配です。

嫁さんなら、確実にPTSDになると思います。

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これを読み聞かせるというのは、躾(しつけ)に疲れた保護者が、「楽をしたい」為に行う暴力に置きかえることができるようにも思えます。

「虐待」の名に十分値するかもしれません。

しつけというのが、完全に論理的、平和的な会話や対話でおこなえるものではないことは、よく判っていますが、この手の手段はあんまり濫用すべきではないかと。

せめて、

「悪いことするとこうなるらしいよ。知りたかったら自分で読んでみなさい」

といって、子供が自分自身で、絵本を手にする自由は残しておくべきではないかと思うのです。

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私の場合、小学高学年の時に読んだ、「はだしのゲン」の原爆爆発直後のあのシーンだけで、もう理屈抜きに、

「原爆 = 悪」

という、洗脳が完了しました。

もう、こうなると、どんな理屈も、どんな言い訳も、私には通じない。

「原爆は悪か否か」というテーゼは、私には成立しないのです。

「原爆は悪である」というところから、私の思考は始まるよう完成しているのです。

# これが無条件に「悪い」と言っている訳ではありません。

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私には、子供の頃に、絶対的な恐怖を植えつけるということが是か非か、判断しかねます。

しかし、可能なかぎり、かかる濫用は行なうべきではないと思います。

論理的思考が「破壊された」子供が形成される、というリスク(権力に盲従する人間になる、等)を十分に理解しておくべきだと思うのです。
http://www.amazon.co.jp/絵本地獄―千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵[大型本]/dp/4892190950
2012年 09月 24日
研究の被験者
娘のクラスの自由研究のレポート、全部(30通程度)を、くまなく読んできました。

私が秀逸だと思ったのは、

(1)手を洗わないで握ったお握りの、腐敗の進行状態に関するレポート
(2)花壇に捨てられたゴミの種類が、草花に与える影響に関するレポート

研究の内容(質や量)はともかくとして、その「着想」に感嘆しました。

(1)については、その膨大なデータにも感動しました。これだけのおにぎりを握って、かつ腐敗の様子を観察するのは大変だったと思います。

考察において「腐敗と判断するのが難しかった」という文言も、私のハートを掴みましたね。

―― そうだよなぁ。食べてみる訳にもいかないだろうし。

(2)については、「捨てられたゴミの内容によっては、草花の成長を促進する効果があるものがある」という、この率直な観察眼に、大変感動しました。

なんかホッとするんですよね。

このような知性を有する少女達がいるなら、私の老後も安心だ、と。

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もっとも、「こんな、宿題かったるいなー」という感じを全面的に出しているものも多くありました。

■やたら写真を張りつけて、レポートの枚数を増やしているもの
■結論を、数値データの表で纏めているだけのもの

『こんなことは、興味のある奴だけにやらせればいいんだよ』という主張が、全ての行間から読み取れて、これも、なかなか清々しいレポートではありましたが。

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この夏は、発酵条件を変えたパンを大量に食べさせられました。

その結果、娘は、美味しいパンの作り方の、一つのアプローチを掴んだようです。良い研究になったと思います。

しかし、「酒粕のようなパン」「水気の感じられないパン」「弾力係数が0のパン」を食することを命じられた被験者の所感としては、

―― 食品メーカが提供してくれる普通のパンが、いかに安く、いかに旨いものであるか

ということを、ガッツ(腸)の底から理解させてくれた、ということになると思います。
2012年 09月 23日
もう追いつけない
娘の文化祭にいってきました。

毎年(といっても昨年からですが)、娘が所属している演劇部の観劇と、娘のクラスの自由研究のレポートを読むことが目的です。

家族は色々見て回るようですが、私はこの2つを完了すると、とっとと帰宅してしまします。

さて、観劇の感想なのですが、

「声が出ていた」
「台詞の速度も的確だった」
「役を完全に掌握していた」

と、僅か一年の間でこれだけ技を磨きやがったか、と、私は、父親として大変

―― 面白くない

まあ、そもそも、有志の劇団に、ちょろっと所属していたような私と、一年間、ほぼ毎日芝居の稽古をつけられている娘とは、そもそも比較にならない、とは判っているのですが。

『もう追い付けない程の差をつけられてしまった』と思うと、誠に悔しい思いです。

もっとも、サラリーマン研究員の私が、「差を付けられてしまった」ら、どうだ、というものでもないのですが。

例えば、「退職後に、老人のエキストラとして端役で使って貰おう」などと言う、壮大な野望は、―― 勿論持っていませんとも。

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最後のシーンで、舞台の中央で、娘が一人で独白するシーンがありました。

『私の父は、私が小学5年生の時に、リストラされました』

―― えっ? リストラされたの、私?

『そして、母と上手くいかなくなりました』

―― えっ? 夫婦円満だと思っていたのに・・・

「作っている」と思われるかもしれませんけどね、舞台のクライマックスで、こんなことを、感情一杯に独白しているシーンに、立ちあったら ――

絶対、あなただって、

ビビる
2012年 09月 22日
世代を継ぐ者
迷子の子犬や子猫を拾って帰ってしまう少女は可愛い、かもしれない。

しかし、所有者が不明のイーサネットケーブルを拾って持ち帰ってしまい、おまけに、カテゴリー7まで認定できてしまう中年男性は、絶対に可愛くないだろう、と思う。

我が家には、とにかく、イーサネットケーブルは勿論、タップ、シリアルケーブル、果ては、RS488とかGPIBとかSCSIとか、誰も知らないようなケーブルが、ごろごろしています。

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なんでこんなことになるか、というと、新しいケーブルインターフェースの規格の登場の狭間を生き抜かなければならなかったからです。

前の世代と次の世代の情報機器の橋渡しに、これらのケーブルは不可避です。

もう、絶対にこんなケーブルは使われることはないだろう、と捨てた次の日に、古いサーバやパソコンが出てきて、その中のデータを抜き出す必要に迫られる。

OSが10世代以上違おうとも、エミュレータがそのソフトを動かしてしまう可能性がある限り、私は、それらのデータを救済する最後の綱である、これらのケーブルを捨てることができない。

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8ビットマイコンの時代のゲームや、PC98シリーズが残してきたエロゲーを、復活させたいと思う人たちの執念は半端ではありません。

また、8ビットマイコンのソフトウェアが、現在のソフトウェアより劣っているということもありません。

むしろ、少ないメモリ(数キロバイトで稼動)、厳選された機能、限定されたユーザインターフェース、どれを取っても遜色なく、今でも利用可能なものばかりです。

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―― そう、私は「世代を継ぐ者」。

「ケーブルフェチ」とは呼ばせない。
2012年 09月 21日
節度ある一般化
「携帯電話のご使用は御遠慮下さい」というアナウンスが流れます。

しかし、喫煙と違って、電車やバスの中での電話は、法律で禁じられているものではありません。

いわゆる、一方の声しか聞こえない会話というのが、精神的に不快になる人が多いので、「マナーの問題」としてアナウンスするしかないのだろうと思っています。

確かに、私も不愉快な気分になります。

これと同様の問題として、「電車の中の化粧」というものもあるようです。

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この手のマナー、モラルの問題は、感覚的で論理的に説明できない部分が多く、エンジニアとしての私は、この問題には手を突っ込み気はありません。

ただ、「携帯電話」「化粧」の問題が不愉快であると感じる人が、一定数あるのであれば、「携帯・化粧専用車両」というものを設ければいいじゃん、と思ってしまうのです。

面倒な問題を、例外処理ルーチンに飛して片づけるという、エンジニア特有の思考形態です。

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しかし、この手の問題に正面から対峙するクセをつけておかないと、酷い目にあうのは歴史が証明しています。

特定の民族を地上から抹殺する、とか、人種差別に基づく教育機関の分離を是認する、とか・・・

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ウーム。「携帯電話」「化粧」程度の問題を、「アウシュビッツ」まで一般化するのは、行き過ぎか。

さすがに、この話まで「エンジニア特有の思考形態」として拡張すると、エンジニアから怒られそうです。

こちらは、単に「私の性格」としておきます。
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20100314
2012年 09月 20日
ガイドブックという虚構
我が家で全員が揃ってテレビを見る時、一人でも否認があるとその番組を見ることができない、というルールがあります。

「午後7時のNHKニュースのみ拒否権が発動できない」というルールがありますが、

■ドラマ → 私が拒否権発動
■NHKスペシャル → 娘が拒否権発動
■アニメ → 嫁さんが拒否権発動

となり、録画した番組を家族で楽しむということ自体が、大変難しい状況にあります。

現在の所、全員で共有できる番組は、「モノ(コンビニ弁当とか、家屋とか)を製造するプロセスを取り扱う番組」か「食べ物を取り扱う番組」くらいです。

それらの番組の中でも、圧倒的に多いのが「築地」と「マグロ漁」です。

これさえ流していれば、視聴率が取れるのか、というくらいの定番コースです。

# まあ、私も嫌いではないですが。

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先日、家族で築地市場に行ってきましたが、家族全員でがっかりして帰ってきました。

休日の夕方の築地は、シャッター商店街と化し、営業している店がポツンポツンと点在し、荒涼とした寂しさが際だっていました。

客の姿も殆どなく「活気」という言葉と対極の状態になっていました。

家族で、魚の定食を食べたのですが、不味くはなかったのですが、びっくりする程美味しい訳ではなく、驚く程安いという訳でもありませんでした。

まあ、そういう時に行ってしまったという「不運」と「下調べ不足」が原因とは言え、

―― あの番組に出くる「築地」というのは、別宇宙に存在しているのか?

と思ってしまう程でした。

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「築地の歩き方」という名前のガイドブックを握りしめながら、

―― このガイドブックの中の「築地」はどこかにあるのだろうか、

とボンヤリと考えながら、街を後にしました。
2012年 09月 19日
守銭奴教育
今週末は、ずっと家にいたのですが(ちょとだけ出社したけど)、結構忙しかったです。

今週末、最大の発見は「DVI端子とHDMI端子が直結できる」という驚愕の事実でした。

# パソコンディスプレイで、テレビが普通に見れたことを、私は何年も看過していたという、大変間抜けな話。

それはさておき。

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昨日は、全身鏡(体全体が映る鏡)を設置して欲しいという娘の要望で、木工作業をしておりました。

嫁さんの全身鏡台が使われていないまま、寝室の奥で放置状態であり、これを解体して、

■家族全員(私を除く)が共用でくる別の場所に設置すること

が、顧客(娘)のご要求でした。

鏡台を解体し、鏡の部分を取り外して、箪笥(たんす)の横に設置するのですが、別の顧客(嫁さん)からの要求では、

■箪笥にも鏡台にも、可能な限り穴を開けず、釘を打たないで、設置して欲しい

という、かなりご無茶なご要求。

しかも、壁へ木ネジを打つ方法では、根太(ねだ)の位置に設置できず、石膏の壁の部分に打ち込んでも、耐震強度が全然維持できない。

久々に長考しました。

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結果として、安価(1000円)な巨大コンパネ(180cm x 90cm x 2cm)を買ってきて(重かった)、コンパネに鏡の部分をボルトナットで固定し、そのままコンパネを、箪笥の裏に無理矢理差し込む、という、かなり乱暴な手段を用いました。

これで、箪笥へはゼロインパクト、鏡台もボルトの穴3つですみました。

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その後、娘に、「材料費1336円、工賃2万1千円です」と言ったら、

―― 青冷めていました。

最近、我が家は、経済原則で動いており(家内アルバイト等)、「守銭奴教育」が徹底しているので、冗談とは取って貰えなかったようです。
2012年 09月 18日
パソコンに噛みつかれる、という考え方
昔、私が誰かに質問をした時は、

「先ず、辞書を引け」

と言われたものです。

今、私は、

「先ず、ググれ」

と言っています。

先日、エクセルのコラムの中で改行できず、深夜まで私の帰宅を待っていた娘に、私が言った台詞です。

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最近は、中学校の宿題を、エクセルで提出することが「義務づけられている」のだそうです。

私は耳を疑いましたね。

エクセルで「提出しても良い」ではなくて、「提出しなければならない」のです。

―― 私が、大学の実験レポートをワープロで提出し、不受理になってから30余年。

ようやくここまで来たか、と、感慨ひとしおでした。

だが、一方心配にもなりました。

―― パソコンを所有していない家庭はどうなる?

まあ、経済的観点では、パソコンは十分に低価格な電化製品となりました。テレビより低価格になった今とあっては、「贅沢品」としては分類されることはないでしょう。

しかし、「パソコンを所有している」ということと、「パソコンを使いこなせる」ことは同義ではありません。

私は、そういう所帯を少くとも、2つ知っています(嫁さんと私の実家)。

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「デジタルデバイド」と一言で片付けるのは簡単です。

しかし、パソコンの使い方を少し間違えれば、―― パソコンに噛みつかれる ―― と本気で思っている。

電子メールが「扱えない」のではなく、電子メールという「概念が理解できない」。

リモコンの外部出力ボタンをたまたま押して、テレビのチャンネルを変えることができなくなったと大騒ぎする。

このような人たちに、パソコンやスマホを使ってもらおうという考え方自体が間違っているのです。

「デジタルデバイド」とは、本人の資質や努力の問題ではなく、パラダイムの問題であるのだ、と気がつくのに、私は20年以上を必要としました。

それは、―― 3次元空間で生活している我々が、4次元以上の世界を観念として取り入れることができないというくらい ―― 絶望的に解決不可能な問題なのです。

義務教育(それに準じる教育)によって、ティーンエイジャの時代に施されていなかった知識は、その後の人生において獲得することはできない。

例外があるとすれば、生存に関わる状況下 ―― 例えばパソコンが使えないと、採用されない、とか、あるいは解雇の対象になる、とかの理由 ―― がある時のみです。

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「高齢者に、パソコンやスマホで、コミュニケーションを広げて貰おう」という試みは、例外なく失敗します。その考え方は、あまりにも「思い上がっている」からです。

彼らは努力を怠っている訳ではないのです。

「デジタル」が「パラダイムシフト」を強制するものであり、そこに、明確な苦痛がある以上、苦痛を越えてまで獲得したいパラダイム(コミュニケーション、ソーシャルゲーム、映像サービス)など、ないからです。

例えば、「大型ジャンボジェットの離着陸時の操作方法を教えて上げます」、「飛行機を操縦できるようになり、大空から大地を見れるようになるのですよ」と言われた時、私達は例外なく、こう言うでしょう。

「いいよ、地上の風景だけで、私は満足だよ」と。

繰り返しになりますが、高齢者問題を、自分達の都合のよい道具で解決しようとする試みは、全て失敗します。

我々は、このことを肝に命じておくべきです。

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話を元の状況に戻します。

私はパソコンを使いこなせる保護者です。たまたま、そう断言できる立場にいます。

しかし、パソコンを所有していても、年に1回か2回、電源が投入されるだけの家庭というのは、十分想定できる範囲だと思います。

そのような家庭において、宿題を、パソコンで作成することが「義務づけられている」ことの意味を考えると、

―― これは実に意義のあることだ

と思いました。

貧困が親から子供に連鎖するように、デジタルデバイドもまた連鎖します。

この連鎖を断ち切るには、誰かが努力しなければなりません。

一般的には保護者がその対象となるべきなのですが、「デジタル」というパラダイムの壁は、果てしなく高く、そして厚い。

ならば、子供達自身で、それを越えて貰うしかない。

学校とか、友達とか、インターネットとか、もうなんでもいいし、どんな手段を用いても良い。このデジタルデバイドを自力で突破して欲しいのです。

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保護者には、子供たちを守る義務があります。

しかし、「デジタルデバイド」に関してはだけは、この義務が発動しないことがある、ということを、ティーンエイジャには是非とも知っておいて欲しいのです。
2012年 09月 17日
じょしらく-頭山
40代後半以上の年齢の人は、これ是非聴きましょう。

まさか、「アニメ萌えキャラ」に「落語」で、

■浅間山荘事件
■尖閣諸島問題

の噺をされるとは思いませんでした。

噺家が、シュタインズゲートの「椎名まゆり」の中の人というのも、凄いなぁ、と。

sm13303374 - じょしらく-頭山-.mp4
http://www.youtube.com/watch?v=JbtGumocikw&feature=relmfu
2012年 09月 16日
じょしらく-時そば
もう、凄いなぁ、としか言いようがありません。

軽音楽のアニメでも、たいがい凄いと思っていたのですが。

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ところで、私の中では、軽音なんぞは、

―― 「頭の悪い」「チャラい」「女癖/男癖の悪い」人間の集合体が、爆音をまきちらす、昼間の集団「いいじゃないか狂舞」チームくらいのヤツら ――

という、認識でした。

もちろん、私と言えば、

―― 偏った政治思想や哲学的思考をすることが「かっこいい」と考えており、暴力を是とする考えも加味されて、軽音の奴らよりもさらに質(たち)が悪い、24時間のグルグル思考の自己完結型の自慰野郎 ――

であり、人のことを、とやかくと批判できる立場ではなかったのですが。

まあ、それにしても、軽音を扱ったあのアニメ、既存のパラダイムをひっくり返しましたね。

昨年でかけた娘の学園祭では、そこらじゅうが、軽音楽で溢れていましたよ。

それはさておき。

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今思い返せば、30余年前、私は、「自治貫徹!!闘争勝利!!」の立て看板に、萌えキャラの女性の絵を入れるべきだったのかしれません。

まあ、本当に実施したら、「即日、粛清(しゅくせい)」→場合によっては、京都御所の蛤御門の辺りで、冷たくなって発見されていたかもしれません

# これが、まるっきり冗談でないという時代が(本当に)あったのです。

それはさておき(2回目)。

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今度は、落語のアニメです。

「じょしらく」というものです(さっき見つけたばかりなのですが、多分「女子落語」という言葉から取ったのだと思う)。

落語 + 萌え(?)キャラ という、もう何が新基軸なのか、全然分からんわーい!という感じです。

試しに、ちょっとググッってみたら、そのキャラの声優達の落語がYoutubeで流れていたので、試しに聞いてみました。

びっくりしました。

・・・ 上手い。ネタも良いが、噺(はなし)も絶対的に上手い。

声優というのは、本当に恐しい技術者集団なのだな、と、鳥肌が立つ程でした。

間違いなく、その辺の寄席の前座なんかより、絶対に上手い。

これで良いのか、日本の話芸。

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「私 = 時空間通信の研究員」→「時をかける少女(時かけ)」とくれば、「時そば」に繋がるのは当然でしょう。

「じょしらく 時そば」

大変、笑わせて頂きました。

少々分からないネタもあり、残念でした。私がアニメに深く傾倒することができれば、分かるネタも広がったのだろうと思います。

しかし、サラリーマン研究員には、自由に使える時間は少ないのです。

# 私の場合、「原発」や「安全」の調査もあるし、おまけに「英語に愛されない」ですしねえ。

それはさておき(3回目)。

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是非、ご聴取下さい。

「じょしらく 時そば」

http://www.youtube.com/watch?v=nYaO_UiukEk&feature=relmfu
2012年 09月 15日
あなたは「安全」を定義できますか
ここ1週間くらい、次の寄稿コラムのネタの為、

◯ALARA(As Low AS Reasonable Achievement:「アララ」と読む)
◯SIL(Safety Integrity Level:「シル」と読む)

について調べていました。

いずれも「安全」に関する工業的アプローチの考え方や指標です。

が、私には、これがどうにも良く分からんのです。

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さて、私が一番最初に原子力発電に興味を持ったのは、高校生くらいだったと思うのですが、そのきっかけが

三原順 「Die Energie 5.2☆11.8」

でした。

初版本は、大学在学中に、誰かに押しつけたまま失くしてしまいましたので、昨日、Amazonに注文しておきました。

昨夜も深夜に帰宅した後、早速、いつものにように、風呂の中で読んでいましが、バスタブの中で、あんなに寒い思いをしたのは久しぶりです。

―― なんてこった。私は全然分かっちゃいなかった。

どのページにも、たった今、原子力発電が抱えている問題が、1982年、――スリーマイルの事故の後、チェルノブイリや。そして福島の30年も前に ―― すべて予言されていることに、私は衝撃を受けています。

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今回、この本を購入したのは、「アララ(ALARA)」を、概念として理解できる「フレーズ」が、どうしても必要となった為です。

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ALARA(as low as reasonably achievable)というのを知ってるか。『合理的に達成可能な限り低く』放射線の被曝線量を減らす... つまり経済上負担できる範囲の金で危険を―なるべく少なく―するってのが会社のいう妥当な安全性だ..
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これは、ある意味正しくて、同時に間違ってもいます(それについてはいずれ)。

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昨日、私は

<引用>

原子力発電関係の技術者も同じなのかもしれません。

「お前ごときに、原子力発電の何が分かる」

と、言いたい人はいるのかもしれません

</引用>

と記載しました。

原子力発電に従事している人から見ると、私のコラムは許せないような誤解を多く持っているのだ、と思い当たりました。

「Die Energie 5.2☆11.8」の中には、私が今ざっと眺めているだけで、以下の事項について、私の寄稿したコラムの杜撰(ずさん)さを指摘できるものです。

■「ウラン」と「濃縮ウラン」と「プルトニウム」を、同じ放射性物質として纏めて説明している

■ウラン「235」と「238」を、区別せずに説明している

そして、特に、

■原爆と原発の燃料を、一緒くたにして説明している

このことだけは、『絶対に許せないこと』だろう、と、一人のエンジニアとして、私は理解できるのです。

私が、今回のようなコラムを寄稿できるのは、私の「立場」と「無知」に立脚するものだと思っています。

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ところで話を戻しますが、

あなたは、「安全」というものを説明できますか。

誰からも文句の出ない、完全な「安全」の定義を、です。

少なくとも、工学に関わる研究者、技術者達は、この無謀とも言える挑戦を試みてきました。

そして長い年月をかけて、「安全」を「数値化」するところまで、持ってきました。

さらに、その「数値」は、工学と全く縁もゆかりもない人に対しても、一定の妥当性を説明できるものになっています。

私には、これが「奇跡の仕事」とも思えるのです。

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原子力の技術者達が、これまで、「安全」を命がけで、考えて、考えて、考え抜いてきたことを、私は知っています。

私は、その誠意を疑っていないし、逆に、彼らの、原子力発電の「安全」に対する取り組みは、ちょっとした「狂気」の域にある、と思えることすらもあります。

だからこそ、私の寄稿コラムの内容の杜撰(ずさん)さが、許せない気持は理解できます。

が、今回の福島の事故で、アララ(ALARA)やシル(SIL)の概念の限界性が露呈したと考えることもできますが、

―― 福島原発は「予定通りの規模の範囲の事故として収めきった」

と主張することも、また可能ではあるのです。

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もちろん、そういうことを、公に口にする人はいません。

文字どおり、そのような行為は、命に関わることでしょう。

でも、今回の寄稿コラムに対するコメントで、そのように考えている人が「現実に存在している」ことは、ハッキリとしました。
http://www.amazon.co.jp/三原順傑作選(’80s)(白泉社文庫)[文庫]/dp/4592883772
2012年 09月 14日
P検と原子力発電
パソコン検定(P検)という資格試験があるそうで、今、嫁さんが受験を検討しています。

派遣業などの職種では、結構、採用の成否に関わる重要な資格のようです。

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私も受験してみようかなぁと思い、ちょっと問題集を見てみたのですが、「こりゃダメだな。私は多分受からない」と思いました。

例えば、「OS(オペレーティングシステム)とは何か」という4択問題で、

『正解がないぞ』

と顔をしかめ、解答を見ては、

『解説が間違っている』

と文句を言う。

また、

■ネットワークのプロトコルの概念の説明にケチをつけ、

■デバイスドライバの定義が間違っていると騒ぎ、

■パソコンの歴史認識(?)が誤っていると憤慨する

私はパソコンの誕生から、本日に至るまで、本意であるか否かを問わず、ずーっとパソコンと寄り沿って生きてきましたので、こういうことになる訳です。

分かっています。

間違っているのは、私の方です。

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原子力発電関係の技術者も同じなのかもしれません。

「お前ごときに、原子力発電の何が分かる」

と、言いたい人はいるのかもしれません

そう、その通り。

私は、原子力発電に関していえば、パソコン検定の受験生の理解よりも、遥かに、幼稚な理解で、到底分かっていると言えるレベルではない、と自覚しております。

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しかし、

「なぜ、私のような素人(しろうと)が、このような記事を寄稿しなければならなかったか」

という理由に想到することのできた、原子力発電の研究者、技術者、エンジニアの方はいないのでしょうか。

そして、私はお伺いしたいのですよ。

「どうして、あなたたちこそが、このような記事を書いてくれなかったのですか。1年半もの時間があったのに」

と。

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それはさておき。

今、現在進行形で、「5重の壁」を掲載している電力会社は、Googleで簡単に調べられます。
http://biz-journal.jp/2012/09/post_649.html
2012年 09月 13日
「模倣」は発明の母
ちょっと前の話になりますが、「中国が日本の新幹線を模倣している」ということがニュースソースになりました。

それが、「非難」のような論調になっていて、私は違和感を感じたのを覚えています。

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人間の創作の源は「模倣」です。

何のない状態から生まれてくるものはありません。

意外に理解されていませんが、特許法や意匠法は、その法目的において「模倣」を「奨励」しています。

このように他人の技術やデザインを踏み台にして、通常よりも早いスピードで技術などを進化させることを、

「累積的進歩」

と呼んでおり、このような「模倣」は法目的と合致しております。

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但し、このような「模倣」を無制限に認めていては、世の中から、発明をしようとする力が失くなってしまいます。

そこで、特許法も意匠法も、一定期間(20年間)の間、国家による後ろ盾もある、独占的利益(自分だけが使えて、他人が使うことを禁じることができる利益)を認めている訳です。

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さて、日本の新幹線の営業開始は、1964年です。

仮に、新幹線に関する特許出願を中国で行ったとしていても、その特許権の効力は1984年には消滅しています(意匠法の場合は、ちょっと遅れるかもしれませんが)。

つまり、新幹線における特許発明に相当する技術があったとしても、それは、25年以上の前に、すでに、

「人類の共有財産」

となっている訳です。

特許権の効力が消滅した技術であれば、どこの誰であれ、バカスカ使い倒して良いのです。

特許権が満了した技術の「模倣」は、法律上、まったく問題がないばかりか、むしろ積極的に推奨できる行為です。

技術で、世の中の多くの人の幸せに貢献することこそが、世界中の特許法の法目的であるからです。

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まあ、多分問題はここではなくて、中国の人が、

「日本の技術など使っていない。これは中国の独自技術だ」

などと言うから、日本人としてはカチンとくる訳なのですが。

素直に、先人の技術に敬意を払って、

「日本の技術も含み、先人の技術をベースとして、さらに良いものを作らせて貰いました」

と言ってくれれば、皆、幸せな気持になれるのですけどね。
2012年 09月 12日
エンジニアにも色々いる
先日、加速寿命試験について記載しました。

こういう記事に対して、

「この加速寿命試験は、故障等が温度依存性に対する基本的な化学反応モデルを採用しているので、『人間がサウナに入る』パターンでは適用がありません」

といってくる、エンジニアがいたりします(本当)。

多分、私は「ご指摘、ありがとうございました」と応えるべきなのでしょう。

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さて話は変わりますが、先日、原発事故について寄稿したのですが、その応答コメントに対して、心から感謝させて頂けるものがありました(御礼のメッセージを差し上げました)。

しかし、その一方で、私を

―― 心底激怒させる

ようなものもありました。

実は、その激怒の内容を記載した文章は、すでにできあがっているのですが、読み直すまでもなく、あまりに峻烈(しゅんれつ)な内容となってしまいました。

そこで、私の崩壊熱が失われるまで、1週間ばかり待ってから、アップさせて頂こうと考えています。
2012年 09月 11日
江端の耐久試験
先日、茨城にある事業所で開催された研究討論会の聴講をしてきました。

この聴講で、私が以前から疑問に思っていたことが判って、スッキリした気分です。

私の疑問とは、

「20年間の耐久性を保証する製品」

を、20年かけずにどうやって証明するのか、ということです。

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全ての製品で使える訳ではないでしょうが、加速寿命試験という方法が使われていのだそうです。

<読み飛して下さい>

○加速寿命試験は故障物理と密接な関係にあり、一般的にデバイス劣化の物理的、化学的な反応には反応速度論モデルが用いられます。

○反応速度論モデルは温度依存性に対する基本的な化学反応モデルであり、半導体デバイスに対する温度ストレスによる故障 (寿命) の依存性はアレニウスモデル (参考文献1) として加速寿命試験などに広く利用されています。

http://www.semicon.toshiba.co.jp/product/reliability/device/testing/testing2/1186502_7806.html

</読み飛して下さい>

簡単に申し上げますと、高温(70度から100度)と低温(-30度から0度)を繰り返す環境(ヒートサイクル)に製品を設置して、これを60回繰り返して、故障しなければ

「20年間の耐久性がある」

と判断できるのだそうです。

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私は無類の銭湯好き人間です。

特に疲れた時のサウナは、人生最高級の贅沢です(貧乏なんで)。

私の場合、80〜90度のサウナに入った後、10〜20度の水風呂に入るということを、必ず3セットは行います。

とするとですね、これまでの人生で、銭湯には、500回以上通っている筈ですので、ヒートサイクルは1500回以上。

今からちゃんと計算してみますが、ざっくり私の耐久年数は、

「2万年」

くらいはあるということになりそうです。

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私の年金問題は、さらに深刻になってきました。
2012年 09月 10日
チーム江端家
私は、時々コラムを寄稿していますが、これは私だけの創作物ではありません―― という話は、すでに記載したと思います。

ネタの内容については先ず嫁さんに相談し、初版は必ず査読して貰い、意見を貰います。

その意見を取り入れるかどうかは、当然私の裁量なのですが、非常に的を得たコメントを貰えるので、助かっています。

しかし、技術ネタについては、嫁さんに「ここが分からない」と言われたら、そのパラグラフを全部差し替えることもありますので、結構大変なこともあります(自業自得ですが)。

また、長女には対価を支払って、コメディタッチのアイコン用のイラストを書いて貰っています。

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で、この度、この創作チームに、次女(小学4年生)を加えるべく、今回初めてイラストを描いて貰いました。

パソコンの勉強になれば良いかと思って、ドローツールを使わせてみました。

もちろん、全然上手くはないのですが

―― なんか、迫力あるなぁ

と感じたので、今回、トップに貼ってみました。

# お褒めのコメントを頂ければ、全部次女に伝えます。批判は私のところでブロックします。

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まあ、要するにですね、「私の創作物」とは、正確には、家内制手工業プロセスに基づく

「江端家チームの共同著作物」

である訳です。
2012年 09月 09日
いいわ、分かった。分かりました、江端さん。戦争をしましょう
本日の題目は、読む人が読めば分かるフレーズです(「化物語」西尾維新著)。

私の場合は、逆なのですが。

「いや、いけない。いけません、江端さん。戦争は止めて下さい」と言われる方です。

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何年か前に、ある仕事をしていた時、あるライバル他社から、「特許権使用許諾書」が一方的に通知されてきたことがありました。

どういうことかというと、

「お前の会社は、うちの特許権を侵害しているが、まあ許してやるぜ」

という一方的な通知宣言です。

私は長い間、この特許発明をウォッチし続けていて、この特許権は誤って付与されたものである ―― つまり権利に無効理由がある、と考えておりました。

無効理由のある特許権には、効力がありません(特許法104条の3)。

第一、なんの事前協議もなく、このような通知を一方的にしてくるとは、失礼にも程がある、と思いました。

怒りの火の玉のようになった私は、「審判を請求して、この特許権を叩き潰しましょう!」と、関係者に吹っ掛け回っていました。

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と、その途中のこと。

―― まあ、待て。

と、事業部のエライ方から言われました。

エライ人:「お前が、これからもずっと今の部署(研究所)にいて、この『戦争』を闘い抜くという保証はあるのか」

江端:「うっ・・、そ、それは・・・」

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確かに、研究員の異動などは日常茶飯事。

所属が変わったり、別のグループ会社に移った場合は、私は、この戦線から離脱せざるを得ません。

それは、いわば、二百三高地の激戦の最中に、乃木大将と作戦参謀が本国に帰国してしまうようなものです。

戦線を維持するどころか、一気に攻め込まれる(損害賠償、差止請求)ことになりかねません。

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「いいから、後は、こっち(政治)に任せろ」と、言われて、私はしぶしぶ引き下がりました。

どんな世界であれ、ものごとに白黒決着を付けないで、あいまいにしておくことが、双方の利益になる ―― ということくらいは、皆さん、ご存知の通りです。

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東京都知事閣下が、今回の領土問題について、そこまで読んで、あえて動いているなら、私は尊敬できるのですが。
2012年 09月 08日
GPSとミックスジュース
私は、説明が難しい技術の内容を、擬人化や偽物化して説明するのが、比較的上手い方だ、と思っています。

(例:「スマートグリッド」を説明してみる
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20120608)

なぜこのような技が使えるようになったかと言うと、2つ程理由があるかと思います。

(1)誰かから技術の話を伺った時に、私がその内容を概ね理解しているかどうかを確認する必要がある為

それと、

(2)自分の発明を、他の人に理解して貰う為

発明を技術の言葉で語っては、技術者ですら判って貰えません。そもそも、「発明」とは現段階で世の中に「存在しないもの」なのですから。

私が常日頃より、「発明の説明は3分以内」と主張しているのは、説明に3分を要する発明は、多分「役に立たず」「実現できない」から、と、3分を越えて説明に付き合ってくれる人は――いない。

もし、「いる」とすれば、(文句を言える立場にない)あなたの部下か後輩くらいです。仕方なく聞いているだけです。

長い前置きでした。

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私が、暫くの間GPSの研究をしていたというお話は、なんども致しました。
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20080109

今朝、知財部の方に、GPSで使われている変調方式BPSKを説明する必要があってちょっと考えていました。

良い説明方法を思いついたので、折角ですのでメモしておこうと思いました。

PSK変調方式を説明する必要のある、エンジニアの方は、役に立てて下さい。

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(1)今、GPS(GNSS)衛星は48基以上が地球を回っています。

(2)これらの衛星は同じ周波数を使って、自分の座標を送ってきます。こんなことをすれば、グチャグチャに混信するに決っています。

(3)それにも関わらず、どうしてGPSレシーバは、このグチャグチャ信号から、48基のGPS衛星の信号を区別できるかというと、BPSKという変調方式を使っているからです。

(4)BPSKとは簡単に言うと、こんなことを実現しています。

(a)48種類のジュースを提供するジュースバーがあるとします。
(b)このジュースバーでは、ジュースをブレンドして提供するサービスもしています。
(c)ジュースバーのバーテンダー(以下「バ」)は、あるをブレンドジュース提供します。

バ:「お客さま。こちら、当店のスペシャルブレンドジュースでございます」
客:「ふむ、で、何をブレンドしたものかな」
バ:「お客様。あててご覧になられたら、こちらのミックスジュース、サービスとさせて頂きますが」
客:「いいだろう。これは、・・・ミルク、リンゴ、ミカンのミックスジュースだな」
バ:「お客さま。見事でございます」

というように、48種類のジュースを適当に混ぜても、その種類と数を正確に言い当てる ――

この「客」こそが、「GPS受信チップ」の中で働いている、BPSK復調機能なのです。
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20080109
2012年 09月 07日
江端はモテモテ
昨日の日記で、

「『江端は自分がモテモテだった』ことを主張している」

と、読み取れるリプライを頂きました。

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そうか ―― 確かにそう読めるかもしれない。

うむ、これは良い流れだ。

是非、その線(「江端はモテモテ」)で、世の中に広がっていって欲しい。

皆さん、よろしくお願い致します。

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しかし、残念ながら、真相は違いまして、結論からいうと、典型的な理系男子の失敗コミュニケーション事例です。

私は、誰かから相談を受けると、そのソリューション(解決策)を模索します。

ところが、相談というのは、必ずしも「ソリューション」を求めるものではなく、単なる、「相槌」や「同意」だけが欲しいというものもあります。

当時、単なる理系男子の研究員の域を出ず、そして今も出ていない私は、相談を受ければ、

■背景と動機

■課題(トラブル)

■課題を解決する為の従来の方法

■その方法では解決できない点

■それを解決する手法(メソッド)

の順でインタビューや議論をしていました(今と変わりゃしない)。

で、その内、相手(専ら女性)の機嫌が悪くなり、そして、その内に、

「あなたみたいな幸せな人には、私の気持は分からないわ!」

の台詞に至る訳です。

意訳すると、

○「あなたみたいな幸せな人」 → 問題を課題解決の為の道具としか見えない人

○「私の気持」 → 不幸な状態にある私の気持

○「分からないわ!」 → 分からないわ!(そのまま)

で、私は、上記の彼女のセンテンス全体が意味が、全然分からない、と。

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なんか、こんな内容で、昔、書いたことがあったな気がするなぁ、とGoogleで探していたら見つかりました。

江端さんのひとりごと'93 「ちがうの!」

http://www.kobore.net/tex/alone93/node22.html
2012年 09月 06日
私みたいな幸せな私
三原順の「はみだしっ子」を読み直していて、ふと思い出しました。

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昔、私が、ある女性に色々助けて貰った時に、

「ありがとう。助かったよ。優しいんだね」

と御礼を言ったら、

彼女は、少し怒ったように、

「私は、優しくなんかない」

と、呟くことがありました。

そのようなことが、何度もありました。

彼女は、私に何を伝えたかったのか ―― 今でも、考えています。


・・・ と、なんか、しんみり終わらせようと思ったのですが、やっぱりこれは私の日記ですので。

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昔、私が、ある女性(上記とは別の人)と会話をしていた時のことです。

「あなたみたいな幸せな人には、私の気持は分からないわ!」

と言われた時に、

「そうとも、私みたいな幸せな私は、君の気持が分からず、そしてこれからも一生分からず、ずっと幸せのままだ。どうだ、まいったか、わっはっはっ!!」

と、言ったことがあります。

本当です。
2012年 09月 05日
「汚ない」は正しい
これまで、様々なスケジュール管理ツール、ノートPC、PDA等を使い倒してきましたが、私が最後に選んだのは、

「ふつーの手帳」

でした。

この「ふつーの手帳」というツールは、脅威の管理ツールです。

■電気がいらない
■軽い
■どこでも書けるし消せる(風呂でもトイレの中でもO.K.)、
■フォーマットや手順を考える必要がない

これは、「消せるボールペン(フリクションボール(多分商標))」の登場も大きな影響を与えたと思います。

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そして、最近、私は、「ふつーの手帳」のスケジュール管理に関して、いくつかのルールを自分に課しました。

(1)「キレイに書いては『ならない』」
そんなことに時間を使うべきではないからです。

(2)「読める範囲で可能な限り『汚く』書く」
私の字は大抵の人には読めないので、高いセキュリティ性を維持できるからです。

(3)後で見直さない
後で「よくがんばったなー」と悦に入る時間を排除する為です。

また、このルールのメリットには、手帳を紛失しても慌てずにすみ、こだわりなくさっさと別の新しい手帳を買って移行できることです。

まあ、いくらかのスケジュールはなくしますが、メールの過去ログを読み直せば足ります。

コンプライアンスの問題はあるかもしれませんが、他人の電話番号なんぞは、携帯がやってくれます。今時、手帳に記載することもないでしょう。

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スケジュール管理ではなく、タスク管理は、パソコンでマインドマップのソフトウェアを使っています。

これも上記と同様に

(1)マップの構成にルールを作らない
我々はコンピュータではないのですから、スキーマを定義しなくとも、読めば分かります。

(2)スケジュール、アイデア、コメント、締切、一切フォーマットを規定しない。
理由は(1)と同じです

(3)終った事項(エントリ)は、片っぱしから捨てていく
どうせ、後でレビューすることはありません。

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ただ、この管理方法が、「無常観」を生じさせているのは、事実です。

自分の人生が、毎日、目の前のタスクを飛び越えるだけの「障害物競争」をしているだけ、という気分になってきます。

自分の人生で、自分の為に「何か」を残していきたいのであれば、別の方法も考える必要はあるかもしれません。

ブログなんぞは、これでなかなか、良い「何か」になっているのかもしれません。
2012年 09月 04日
サンマとサバ
私のプロフィールには、

『・・・「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに・・・』

という記載があります。

そんでもって、ちょっと色々な理由もあり、20年も前のその研究の内容を調べることになってしまいました。

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自分でもちょっと驚いたんですけどね、私が挑んだ相手は「サンマとサバ」くらいではなかったことが分かりました。

対象食品:

さんま、さば、ぶり、あじ(生)、あじ(開き)、焼きなす、焼きねぎ、ハンバーグ、焼きとり(たれなし)、焼きとり(たれあり)、スポンジケーキ、イギリスパン、シュークリーム、アップルパイ、型抜きクッキー、ロールパン、フランスパン、ピザ

―― 全18品目

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もしかしたら、この研究、私のキャリアの中でも「最大級の研究成果」だったのかもしれません。

なんか『本気で自慢してもいいんじゃないかな』という気がしてきました。
2012年 09月 03日
「1ミリたりとも動かしたくない」生き物
私は2005年に発売されたノートPCをメインに、文章の執筆やら調査やらを行っています。

しかし、アプリケーションの肥大化、特に映像や音声関係の処理が重くて、深夜のWeb検索は、泣きたくなる程、処理が遅いです。

検索をかけてから、キッチンに飲み物を取りに行き、戻ってくると、ようやくページが取れている、というくらい遅い。

考えてみると、我が家にあるパソコンの中でも、2005年のこのPCが一番新しいというくらい、私はパソコンを購入しません。

今、1Gバイトほどメモリ増設をして、必死の延命作業中です。

なぜこのような作業をしているかと問わえれば、基本的には、「金がない」の一言に尽きるのですが、別の理由もあります。

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当然のことながら、デスクトップの方がはるかに性能がよく、値段も安いです。

それでも、私がノートPCに拘っている理由は、「全てを持ち歩きたい」という要望に因るからです。

そのノートPCに、とってもマニアなエディタや、IMEや、キー配置変換を施しているからで、この環境を他のパソコンでい実現することは、無理だと思います。

しかも、それらのソフトウェアの多くが、すでにサポートを終えていたりするのです。

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カルトなセッティングは、その人の仕事の効率を上げます

しかし、このような環境に慣れてしまうと、データだけをUSBメモリで運んでも、結局別のパソコンでは、何の仕事もできなくなります。

折角、パソコンが世界共通で使えるオペレーティングシステム(OS)で動いていたとしても、ユーザが独自の「閉じた世界」を構築している限り、パソコンは「個人の専用機」の域を出ません。

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人間は、原則として、自分の環境を「1ミリたりとも動かしたくない」生き物です。

どんなに優れた計算機や、制御システムが発明されたとしても、現段階で何の問題もなく動いている設備を止める必要はありません。

―― 動かなくなった時や、問題となった時に、考え始めれば良い

この概念が、原発、官僚支配、各種の既得権、そして介護問題に至るまで、全ての問題を支配しています。

少くとも、7年前のノートPCに固執して、そのPCの延命を図っている私など、この格好の事例と言えましょう。
2012年 09月 02日
牢獄という名の「教室」
多分、いいこともあったとは思いますが、私の場合、ティーンエイジャ時代は嫌な思い出が強く、それが全体を悪い思い出にしているように思います。

高校の時、イナバの物置の2倍程度の巨大な建造物を、クラスの出し物として、夏休みに自分一人で作っていました。

設計図も自分で引いて、そして、親父の工場から木材を原価で卸して貰って、トラックで学校まで運んで貰いました。

そして、電動のノコギリとドライバーを使って、たった一人で全体の95%を作りました。

提案者は私でしたけど、ついに誰も協力してくれませんでした。

クラスの皆は、文化祭直前の2〜3日で本格的に動き出したけど(主に装飾)、40人が高々、残りの5%だけをやるだけの仕事でしたから、大したことではなかったでしょう。

この後、「クラスの和」だの「仲間」だのと、なんか書かれていた校内報が配布されていたようだけど、私は、一瞥しただけで、破って捨てました。

まったく『笑わせるな』です。

クラス会、同窓会など、一度も行ったことがなく、もちろん行く気もありません。

(本日は割愛しますが)いじめに会っていたこともあります。

あの嫌な思い出だけで、あの高校でのできごとを、あまり思い出すことができません。

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親友と思っていた友人がいましたし、尊敬できる先生もいました。

好きだった女の子もいて、甘酸っぱい思い出もありました。

でも、私は、卒業後、あの学校に近づくことすらしていません。

見るのも嫌だからです。

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という訳で、もし私が、エンジニアか、法律家か、あるいはエッセイストか、(なんだかよく分からんが)何かで成功することがあったとしても、

―― 絶対に、講演依頼とかしないで下さい。

# 勿論、そんな可能性は、絶無ですが。

こっちも困るが、『文化祭やいじめで嫌な目にあったから、絶対に行きたくない』と公式に回答したら、そっちも困るはずです。

私の「器」の問題だ、とは分かっているのです。

しかし「小さい器」の怨念は、小さいが故に、深くてドス黒いのです。

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今、まさに同じような目にあっているティーンエイジャの皆さんに、申し上げます。

アニメに登場するような素晴しい青春を送れる者もいるでしょうが、上記の私のように、そうでない者もいるのです。そして、そのような人は、多分、沢山いるはずです。

だからこそ、

■牢獄という名の「教室」

■不快なコミュニティを強要される「クラス」

■言葉の意味をなしていない「友達」

■リーダーシップすら取れない無能な「教師」

これらのうっとうしい概念が、人生から全て消えてなくなった時、

―― その喜びは、果てしなく広く、限りなく深い。

だから、それが終わるまで、耐えて待っている価値は、絶対にあります。

その一点だけで良いです。

私を信じて下さい。
2012年 09月 01日
赤本
赤本(あかほん)は、大学別の入試の過去問題集です。表紙が赤いことから、赤本と呼ばれています。

その大学を受験する受験生であれば、必ずお世話になる問題集で、絶対に読まなければならない本なのです。

この本は、「大学情報」「傾向と対策」「解答・解説」の3部の構成に分かれていますが、ここで重要なのは「傾向と対策」です。

以下は、私が在学中に、実際に教授に聞いた話です。

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入試問題を作成する教授は、作成前に、この赤本の「傾向と対策」を読んで、

―― そうか、私は、こういう傾向の問題を作れば良いのだな

と理解するのだそうです。

しかし、同時に、

―― このまま作ると、赤本を読んで問題を作ったことが、モロバレになる

という観点から、若干、その問題の方向をを斜めに「ずらす」か、半分は完全に「裏を欠く」というモチベーションが働くのだそうです。

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そこで、受験生の取り得る戦略は2つです。

(1)「傾向と対策」を基軸におき、ある程度「幅」を見込んだ出題予想を行う

(2)同時に、その「傾向と対策」と真逆となる出題予想を行う

ということです。

上記(2)の「真逆」とは「全範囲」と同義ではないことに注意しましょう。

出題者は、赤本を読んだ上で、「意図的に外す」ことになるのですから、そこには、恣意的な作為が働かざるを得ません。

具体的には、

■「長文読解」→「複数の短文の英文作成」

と言ったような、分かりやすい外し方をしてくる筈です。

つまり、赤本と問題作成の担当教授は、受験問題の「共同製作者」と考えましょう。

少くとも「傾向と対策」の記載内容の表と裏の両方を張っていれば、基本的には大丈夫であるはずです。

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実は、これは、受験問題だけでなく、世の中の多くが、このような「共同作成」によって成り立っているのです(続く)。