江端さんの忘備録
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- ■2011年
10月 31日
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- ・ドラえもん最終回(その3)
- ドラえもん最終回の、著作権法の関する解釈について、まだメールを頂いておりませんし、私も文献を発見できておりません。
せめて、法学部の学生が、自分のブログに自分なりの解釈を展開しているものがあるだろうと思ったのですが、これも見つけられていないですね。
ちょっと情けなくないか
>
知的財産権専攻ゼミの教授や学生の皆さん
(と挑発してみる)
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こうなってみると、「ドラえもん最終回」の著作者と小学館は、和解などせずに、最高裁判所まで闘って欲しかった。
なぜか。
最高裁判所判例(以下「最判」という)が手に入るからです。
「最判」というのは、原則としてその効力は当事者(この場合、著作者と小学館のこと)の間のみで有効です。
しかし、「最判」が確定した後は、殆ど法律と同様の扱いを受け、他の裁判の判断に影響を与えるます。
特許法などでは、「最判」確定後に、数年くらい待って(再判でひっくり返らりそうにないことを確認して?)、改正法として適用されるようです。
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なんとなく、この問題、当事者(同人誌の著作者や、出版社)が触れることに躊躇しているように感じるのは、私だけでしょうか。
仮に、キャラクター権(例えば「ドラえもん」というキャラクターそのものに権利が発生する)を認定すると、何が起こるか。
有償、無償を問わず、アニメやコミックのキャラクターを使ったパロディ系の同人誌は、全滅です。
いわゆる「コミケ」というイベントは、事実上実施不可能に追い込まれる。実施すれば、公権力(警察)がそれを取締ることができるようになるでしょう。
(もちろん、キャラクターに依拠しない著作物も沢山あるでしょうが)
また、「表現の自由」という根本的な問題以前に、出版社側にとってもデメリットが大きいのではないかと考えています。
なにせ「コミケ」と言われているものの市場は、
◯同人誌のみで300億円弱、
◯流通形態のみで300億円強
合計600億円市場
と言われているらしいです。
「電子書籍サービス市場規」が600億円なので、電子書籍が生み出す金を、同人誌が生み出していることになります。
「キャラクター権」が「著作権」として確定し、これが厳格に適用されれば、この600億円市場が、完全に吹き飛ぶ。
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明確な判断を、誰もが欲していない。
今、コンテンツ産業は、そのような、法的不安定な状況にあるように思えます。
- ■2011年
10月 30日
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- ・父に似てきた、と思うようになった
- 昨日、嫁さんが出展する町内会のイベント(フリーマーケット)の手伝いに行きました。
テントの設営を頼まれていたので、ひとりでコツコツとテントを立てていました。
町内会の役員の人が、手伝いする旨、おっしゃって頂いたのですが、丁重にお断り致しました。
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話は変わりますが。
父は昔、木工所を経営していた社長でしたが、同時に一人の職人でもありました。
私はティーンエイジャの頃、父について、よく作業現場に行ったものです。アルバイト代の為でもありましたが。
これは、「反面教師」となるでしょうか。
経営者は、人を最適に動かす為、現場で采配を行わなければならないのですが、父は、どちらかというと現場で自分の作業をしてしまう方でした。
あの時から、リーダというものは「偉い人」ではなく、「全体を把握して、指揮する役目を持った人」なのだ、ということが分かりました。
管理職も、非管理職も、どちらがエラいという訳ではない。
両方とも必要なメンバであり、ただ管理職側に、全体を管理する為の「権限」があるだけだと
(で、その権限の中には、当然「金」の問題を含む)。
だから私は不当に上司を尊敬したりもしないし、意味のない命令を部下にすることもしない ―
と思っており、その通りに振る舞っていたいと思っています。
『会社のチームとは、業務遂行の為の一時的な構成員の集合体』であり、運がよければ、それ以上のもの(連帯感、信頼感、達成感等)が生まれることも(稀に)ある、で良いと思っています。
閑話休題
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テントの話に戻ります。
町内会の役員の人にとって、「テントを立てる作業」とは、単なる作業に過ぎず、直ぐに終った方が良いと思ったのでしょう。
そして、一般的にはそれは『正しい』。
しかし、私にとって、「テントを立てる作業」とは、工具を駆使して、構築物を完成させるという、娯楽のパズルなのです。
パズルを解いているところに、正解を言われたら、愉快ではありません。
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できるだけ、明るい声で、感じのよい大人を演じつつ『もうすぐ終りますから(お手伝いは不要です)』と言ったつもりなのですが、帰宅した嫁さんから、少々苦言を頂戴しました。
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最近、父に似てきたな、と思うようになってきました。
- ■2011年
10月 29日
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- ・「ドラえもん 最終回」(その2)
- 「ドラえもん
最終回」を視聴した娘。
私が、このコンテンツの持つ著作権の問題やらを簡単に解説していたのですが、
『もうこれで良いよ。ドラえもんの最終回はこれに決めようよ』
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そんなこと、私に言われてもなぁ。
http://www.youtube.com/watch?v=WSfEc9JmLNU&feature=related
- ■2011年
10月 28日
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- ・「ドラえもん 最終回」に関する著作権侵害について
- 困っています。
誰か教えて下さい。
設問1
「ドラえもん
最終回」
http://www.youtube.com/watch?v=WSfEc9JmLNU&feature=related
を視聴した上で、以下の問いに答えよ。
同人誌の作成者甲は、「ドラえもん最終回」が記載された同人誌を作成し、これを発行した。また、甲はこの同人誌を販売することによる対価を得ていた。
「ドラえもん」の著作者は、藤子・F・不二雄、著作権者は小学館である。
かかる場合、著作者、または、著作権者は、甲に対して著作権行使を行い得るか否か、また行い得るとした場合、いかなる権利行使を行えるかについて簡潔に述べよ。
但し、甲と小学館は、上記権利に関する一切の交渉を実施していないものとする。
また、上記視聴したコンテンツに関する権利については言及する必要はない。
また、「ドラえもん最終回」のストーリは、(著作物が創作される段階において、すでにWebで開示されていたという事実はあるが)本文においては、甲がそれらに依拠せずに独自に創作したものして回答せよ。(30分)
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1.事案分析
(1)著作者人格権(18条、19条、20条)について
(a)「ドラえもん
最終回」は、藤子・F・不二雄によって創作されたものではない。
(b)また、著作者はすでに死亡しているので、一身専属的に発生する本権利は、消滅している(59条)。また、人格権的保護(60条)の観点からも問題はない。
(c)従って、本著作物に関して、著作者人格権の侵害は発生しないと考え得る。
(2)著作権(21条〜28条)について
(a)甲は、「ドラえもん最終回」を独自に創作をしており、「ドラえもん」とは異なる著作物に基づく著作権である。
(b)二次的著作物の利用に関する原著作者の権利(28条)についても、著作物Aが、「ドラえもん」の著作物を利用している関係にあるとは認められない。
2.
結論
藤子・F・不二雄の承継、または小学館は、甲に対して、それぞれ著作者人格権、または著作権侵害に対する権利行使を、行えない。
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あれ?
著作権法からでは、侵害は成立しないように思えるぞ。
しかし、この結論は「直感的におかしい」と感じる。
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ええい、しょうがない、解答を見るか。
という訳で、「ドラえもん最終回」「著作権侵害」でググってみたのですが、全然、回答が出てこない。
『感動できるから許される』だの(滅茶苦茶な理屈)、そういう観念的、情念的な話は、ワンサカ出てくるのですけどね。
私は、今回のケースが「著作権、著作者人格権侵害の法的な論理構築ができるのか」が知りたいのです。
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法務関係の方、是非ご意見をお聞かせ下さい。
http://www.kobore.net/mailAddress.gif
http://www.youtube.com/watch?v=WSfEc9JmLNU&feature=related
- ■2011年
10月 27日
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- ・剥き出しのパソコンにお茶をそそぎたくなる衝動
- 昨日から、3台の巨大なサーバを相手に格闘しています。
「サイバー攻撃に対する迎撃」ではなく、「クソ重いサーバの移動」や「部品の交換」やらです。
要するに「肉体労働」です。
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今、実験室で、紙パックのお茶を飲みながら休憩しています。
そして、私の目の前には、筐体が分解され、CPUボードや部品が剥き出しになっているパソコンが横たわっています。
この基盤の上に、このお茶をこぼすだけで
―― このパソコンは即故障する。
――
そして、この労働から開放される。
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この衝動が発動される前に、私は一度、実験室を飛び出ました。
危なかった。
- ■2011年
10月 26日
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- ・電子メールの信頼性
- 昨日の日記で、
『先日、娘が豪雨の中、小学校に登校した「後」に、休校の連絡が入りました』
の続きです。
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先ず、嫁さんが怒りました。
『こんな連絡を、「今」貰って、どうするのか』と。
当然の反応と言えます。
で、学校へのそのクレームを、私に依頼してきました。
私は少し考えて、作戦を立案し(作戦内容は秘密)、根回しを完了した後に、小学校に連絡しました。
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ところで、「電子メール」というものですが、これが必ず届くことを保証しているものではない、ということをご存知でしょうか。
インターネットの立ち上がり期においては、3割のメールが失なわれたと言われており、また、最近でも『5年前のメールが、昨日届いた』という話が、普通にあります。
電子メール(正確には、SMTPやPOP等のIETFでプロトコルが規定されている電子メール)は、宛先に対する送達を保証しておりません。
「届くといいな」が、基本ポリシーです。
もし小学校が、この「電子メール」の性質を知り尽した上で、電子メールによる緊急連絡網を維持しているのであれば、
「それは、大変立派なこと」
ですが、まあ、多分違うでしょう。
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その日の午後、私は自分の携帯電話から、小学校に電話をしました。
『緊急連絡網を、電子メールで実施しないのは、何か理由があるのでしょうか』
という、私の問いかけに、電話対応頂いた先生からは、手慣れた感じでお話されました。
『対応が遅れているだけです。メール連絡システムの導入は、決定済みです』
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作戦立案したことは、全部無駄になってしまいましたが、まあ、よかったです。
- ■2011年
10月 25日
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- ・はじめての買い物
- もうすぐ私の誕生日になります。
私は、この誕生日に、生まれて初めて「ゲームソフト」を買おうかと考えています。
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私は、今迄の人生で、たった一度も「ゲーム機」や「ゲームソフト」を購入したことがありません。
子ども達に買い与えたことはありますが、それを使ったことはありません。
『面倒だなぁ』と感じてしまうのです。
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分っています。
間違っているのは私です。
こういう『面倒だなぁ』の理屈が、未だに「携帯電話のメール」すら「使えない」と主張する、我がままなシニアの存在を許しています。
そのシニア達は、小学校の緊急連絡(台風の日や、インフルエンザによる休校)を電子メールで行なうことを妨げ、未だに電話連絡網という、不確実な通信手段の使用を(結果として)強制しています(本当)。
先日、娘が豪雨の中、小学校に登校した「後」に、休校の連絡が入りました。
まあ、その話は別の機会に。
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ゲームソフトは、当然に「シュタインズ・ゲート」です。
『アニメの感動は、ゲームの感動に及ばない』と書き込まれていれば、それはもう、買うしかないでしょう。
ゲーム連続実施時間の最大時間が10分、人生全部のトータルでも多分2時間を切る(ちなみに、パチンコの消費時間も30分、金額は500円程度)というこの私が、一つのゲームをコンプリートすることができるのか?
これは、大変興味深い挑戦と思えます。
- ■2011年
10月 24日
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- ・ゴールデンスランバー
- ビートルズの名曲の一つで、高校生の頃、ビートルズファンの友人から、無理矢理テープレコーダカセットを押し付けられて、聞かさせていました。
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今や、テープレコーダという言葉すらないのかもしれないけど。
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昨日、娘の二人で、以前録画しておいた、伊坂幸太郎原作の、映画「ゴールデンスランバー」を見ていました。
この映画は、国家の意思によって、何の関係もない一人の人間を犠牲にして、国家権力を維持しようとする、いわゆる「国家陰謀物」の一つです。
原作の中にも出てきますが、ケネディ大統領暗殺事件の日本版フィクションリメイクです。
ただ、ここでの「オズワルト」は、国家権力の陰謀に対して、回りの人間から助けられながら、最後に「逃げ切る」という点で異なります。
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娘が怯えながら、「これって、フィクションだよね」と言っていました。
『ま、そろそろ教えていい時期かな』と思いつつ、私は娘に語りました。
「フィクションだけど、国家権力がこういうことを行ったと考えられる事件は、現実に、相当数あるよ。基本的に、国家権力がやろうと思ってできないことなど、ほとんどないからねえ」
と言うと、娘は信じられない、という顔をしていました。
私自身が、『学生の頃、現実に、警察官に嵌められて逮捕された人を知っている』ことは、言いませんでした
まあ、それもいずれ語ろう。
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権力が出張ってきた時、個人の選択は2つしかありません。
「服従」か「逃亡」です。
私は、権力の横暴が受忍限度の範囲内であれば「服従」しますので、ちゃんと事前に警告して下さい。
「家族の安全」なんぞ出すまでもなく、私は自分が「痛い目にあう」だけでも、嫌なのです。
私は、軽い恫喝で、お手軽に「服従」します。
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例えば、私は、このページを封鎖するという判断に、2秒もかかりません。
http://www.amazon.co.jp/ゴールデンスランバー%20[ハードカバー]%20/dp/4104596035
- ■2011年
10月 23日
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- ・『一体、誰が責任を取るんだ? 』
- 義務教育の国語に推薦図書というのがありました。
『ありゃ、一体何の為に推薦しているんだろう』と思います。
子ども達から、読書という習慣を「奪う」ことを目的としているのかと邪推してしまいます。
まさかとは思いますが、日本国政府は、
晩年、2度目の革命を試みて、人生の晩秋を汚しまくった阿呆な中国の革命家と、と同じことを考えているのではないかと、
と疑ってしまいます。
#
ま、それは、考え過ぎでしょうが。
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私は、高校卒業するまでの間に、夏目、芥川、三島、太宰、川端、谷崎、その他、一通りは目を通しました。
そして今なお、これらの作品のどこがどう面白いのか、私は分からん。
私の感想は、『こいつらの屈折した精神、歪んだ社会観が生みだす阿呆な小説に、苦痛を伴いながら貴重な時間を使われた恨み』の一言につきます。
これを面白いと思える小学生や中学生がいたら、私は、心の底から『気持ち悪い』と思う。
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たった一度でいい。
宿題の読書感想文に、
『この著者は、精神を病んでいると断定する。愚劣なレトリックと、卑俗な人間関係。唾棄の一言に価する、読むに耐えない劣悪な著書である』
と一行書いた、感想文を書いてみたかった。
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面白い本の定義は、単に、「読むことが止められない本」で良いのです。
『まだ、あと◯◯ページもある』と思えるような本は、その場で読むのを止めてしまえば良いのです。
そのままゴミ箱行きでも構いません。いや、むしろ捨ててしまえ、そんな本。
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文学者や文学研究者が、「文豪」を褒め称えるのは構わんが、それを、子ども達に押しつけるな。
間違いなく、彼等は「迷惑」しているのです。もうそろそろ、本気で気がつけ。
中学受験の際に、文学者とその著書を記載される問題を見て、心底私は憤慨しました。
受験生達は、これから、この文学者と著書を「憎悪」の対象とするかもしれない。
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こんな本を紹介するくらいなら、何も紹介しない方が本当にマシです。
「世の中にある全ての本は、全部こんなに楽しくないものか」
と子どもたちが錯誤してしまったとしたら、本当にそれは
『一体、誰が責任を取るんだ?
』
- ■2011年
10月 22日
-
- ・amazonのターゲティング広告
- =====
From: amazon video-store@amazon.com
To: Tomoichi
Ebata
Amazon.co.jpのお客様へ、
以前「『NHKスペシャル キューバ危機・戦慄の記録 十月の悪夢
前編・後編[DVD]』」をチェックされた方に RED/レッド [DVD]の発売について、ご案内いたします。 ¥ 2,451(定価から¥
909OFF)で注文するには以下のリンクをクリック。
=====
ほう。
amazonが、あの「NHKスペシャル」から、推薦してきたというのであれば、一見の価値はあるのだろう。
昨夜、レンタルDVD屋で借りてきて、今朝、8時から嫁さんと二人で見ていました。
<ストーリー>
フランク・モーゼズは、アメリカ政府からの年金で、静かな引退生活を送る50代の独身男性。唯一の楽しみは、年金課の担当であるサラとの電話での会話だった。ところが、そんなある夜、謎の襲撃を受ける。フランクは、元CIAのトップエージェントで、かつて関わった極秘任務が原因でCIAから抹殺命令が下されたのだった。フランクは身の危険を感じ、自分と繋がりのあるサラを守るため有無を言わせず職場から拉致し、かつての“仲間”たちの下へと向かった。かつての仲間たちとは、CIAからコードネーム《RED》(引退した超危険人物)と呼ばれる元一流のスパイたち。さらに、元
MI6の美人スパイやかつての仇敵旧ソ連のスパイも加わり、恐ろしく、強力なタッグができあがった!
現役CIAがハイテク技術を駆使して守ろうとする巨大な陰謀に対抗するREDたちオヤジ集団。知識と経験を武器に真相に近づいていくのだが、事態はとんでもない展開に・・・。果たして彼らは真相をつかむことができるか?
</ストーリー>
久しぶりの、「痛快」を絵にしたような、ハリウッドのアクション映画。
頭を真っ白にして楽しめる映画で、夫婦で堪能致しました。
-----
しかし、
「キューバ危機・戦慄の記録
十月の悪夢」というノンフィクションドキュメント作品から、
なんで、
「ハリウッドアクション映画」
のリコメンデーション(推薦)になるのだろうか。
敢えていえば、「『CIA』つながり」程度しかないんだけどなぁ。
-----
それでも、「私が楽しめた」ということは、「amazonは、正しいターゲティング広告をうってきた」ということにはなりますが。
- ■2011年
10月 21日
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- ・苦笑する新郎
- http://www.kobore.net/tex/alone96/node9.html
より抜粋
=====
フィナーレは新郎・新婦および各々の御両親の挨拶。
まずは代表として新郎の父君がスピーチを始める。
型通りの挨拶に続き、新郎について語り始めた。
「智一はまだ未熟者で、常識が全然ありません!」
身内を卑下するのが日本社会の風習とはいえ、30にもなった男をつかまえてまるっきり社会常識が欠落しているかのように言うのは、いかがなものか、と思っていると、引き続き次の様に語った。
「智一は私に似て、ハッキリ言って、馬鹿です!!」
会場は笑いに包まれた。
苦笑する新郎。
「しかし、幸いにも、智一に母親の血が半分入っている、とするならば」
するならば、って仮定してどーする・・・。
新郎が最後に挨拶する。
相変わらず役者魂を発揮しており、我々が普段は決して目にすることのない、凛々しく、理知的で、決断力に富み、寛容な心と冷静な判断力に溢れた、ヴァーチャル江端の姿がそこにはあった。(完)
=====
『「逃げなかったバカなやついる」 東日本大震災の津波避難で平野担当相』
私はこの記事の背景を一切見ないで(できるだけ見ないようにして(予見を排して))、今、この文章を書いています。
国民の100人中、99人が、この「バカなやつ」を、「愚鈍なやつ」と理解する人はいないだろう、と思う。
勿論、野党の党首は、与党を倒すのがミッションなのだから、その発言を擁護することはできず、インタビューされれば、それなりの正論を言わなければならないだろう。
しかし、野党の党首は『下らないことで、いちいちインタビューにきやがって、面倒くせーな。ヒマなのか、てめーら』と思っていると思う。間違いない。
そんなもの、社説でちょっと苦言を呈しておけば足りる程度のことだろう、と思う。
-----
震災復興対策の最大の敵は、
『政権党大臣の言葉じりを掴まえることでしか、毎日のメシを食えない低能な記者と、それを雇用する法人』
ではないか、と思うようになってきました。
http://www.kobore.net/tex/alone96/node6.html
- ■2011年
10月 20日
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- ・「家庭教師」は合理的に失敗する
- 以下にその理由を説明する。
(1)「家庭教師」を行う者は基本的に学力がある。人に教える為には、その前提となる知識が必要である為である。
(2)「家庭教師」として選択された本人は、本気で自分の勉強技術が、優れており、それが万人共通に適用可能な技術であると信じている。
(3)保護者は、著名な大学に在籍する者を「家庭教師」として選択する。そこそこ著名な大学であえば、優れた勉強方法(短期間で成績をアップさせる等)を技として持っていると思っている為である。
上記(1)〜(3)の錯誤が、以下の悲劇を招く。
(4)「家庭教師」として選択された本人は、勉強を心底面白いと思えない者が、この世の中に存在するという事実が認められない。
どんな者であれ、知識を自らのものとして吸収し、成績が上がることが、嬉しいハズであると、無条件に信じている。
そして、「『自分がなりたい将来のビジョン』のない人間」の存在が、よく分からない。
(5)「家庭教師」から授業を受けている生徒は、一方的に話をして、勝手に盛り上がり、将来の夢をしつこく尋てくる、この「家庭教師」とやらが、鬱陶しくて堪らない。
何がそんなに毎日が楽しいのか、どの将来に明るい未来があるのか、全く理解できない。
そして、「家庭教師」とやらが来る日が、辛くて堪らない。
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以上、「家庭教師」「保護者」「生徒」の3人は、それぞれの思惑の中で、共同して本来の「成績を上げるという」目的に対して合理的に失敗する、という結果に帰着する。
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なぜ、私はこのようなことを主張できるのでしょうか。
決っています。
上記の「家庭教師」とは、私のことだったからです。
- ■2011年
10月 19日
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- ・一緒に泣こう
- YouTubeで予備校の名物講師の講義を視聴しています。
S+V, S+V+C S+V+0 ・・・・
というような文型の話です。
『ああ、そうだ・・、確かにこんなことを教えられたなぁ』と思い出しています。
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一方、私の目の前には、本日中に内容を理解しなければならない、74ページの英文の技術仕様書があります。
返事をしなければならない、英文のメールの案件もあります。
そして、この目の前の仕事について、この「S+V,
S+V+C
S+V+0・・」は、一体何の役に立っているのだろうか、と考えています。
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しかし、早計な結論を出してはならないとは思います。
「文型」は、意識下の暗黙知として、今の私の業務に役に立っているのかもしれません。
この「文型」は、英語を教える者からすれば、確かに「最大公約数」的な機能を有しているとは言えます。
英文を5つの範疇に分類して、解析して、意味を把握する。
極めてシステマティックで、効率的で、短時間での理解を促進する一つの方法論であることは否定できません。
ただ一つ。
徹頭徹尾「つまらん」と言う問題を除けば、です。
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昨日も書きましたが、(私にとって)「英語の勉強方法に決め手がない」ということは、現在も継続中です。
「英語の勉強方法に決め手がある」と信じている人の話を聞いてみると、これまた統一された意見がない。
○1000時間英語を聞いているだけで、なんとかなるとか言う「マラソン」やら、
○推理小説を読んでいるだけで、成績が伸びるだか言う「ドリッピー(?)
ドランカー(?)」
なるものと、その、成績が伸びたという「喜びの声」がセットになってい教材やら、
○英語の字幕が出てくる映画を見るだけ、やら、
そして極めつけは、
沢山の英文を読ませれば、英語力が伸びるとばかりに、夏休みの宿題に英語の本一冊を翻訳させた、紛れもなく、
『クソ野郎』
の称号に値する、愚劣愚鈍の高校の世界史の教師がいました。
こういう、無茶をやらせることで、英語なんかなんとかなると思っている、「馬鹿」を100回かけ算しても足りないくらいの「大馬鹿」が、英語をさらに嫌いにさせたのです。
少なくとも、私には何の効果がなく「苦痛」だけが残っただけです。
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と言う訳で、「英語の成績の伸びないあなた」に対して、今の私にできることはありません。
しかし、
「君の英語の成績が伸びないことに対して、一緒に『泣いてあげること』」
くらいは、できます。
- ■2011年
10月 18日
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- ・英語だけは教えられない
- 私は英語の義務教育の開始時(当時は中学1年生から)、「英語の重要性」を理解しており、本当に一生懸命勉強してきました。
そして、いつも受験で足を引っ張るのが「英語」でした。「英語」という教科がなければ、私の進学は、もう少し楽になっていただろう、という確信があります。
こんなに一生懸命勉強しているのに、どうしても「応えて」くれない。それが「英語」。
『絶対に成就しない、熱烈な片思い』という感じでしょうか。
片思いが上手くいかないのは、仕方ないです。相手の意思があるのですから。
しかし、「英語の片思い」のが上手くいなかいのは理不尽だと思いました。
そりゃもう、それこそ、ありとあらゆる手段を試しましたよ。
「英語の成績を上げる」という本(当時)は、全て読破したという自信はあります。
いろいろな参考書や予備校の授業を受け、朝早くから起きてラジオで英語を聞き、単語や例文を覚えまくり完全に暗記して・・・、それでも、成績は伸びるどころか、どんどん落ちていきました。
努力が必ず報われる訳ではない、ということを、完膚なきまでに私に教えてくれたのが「英語」でした。
-----
で、同じように、今、娘も「英語」で苦しんでいるようです。
ですけど、私は娘を助けることができない。
嫁さんから、『アドバイスをしてやって欲しい』と言われていますが、私は、本当に分からないのです。「英語の成績」を上げる勉強方法が。
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数学や物理や化学、歴史、行政や法律関係は、まあ、なんとか教えられるような気がします。
英語に関しても、
○「英語で記載された文章を、要領よく短時間で理解したような気になる手段」は分かる。
○「英語でコミュニケーションしているように見せかける手段」も分かる。
-----
でも、「英語の成績を上げる手段」だけは、今なお、どうしても分からないのです。
http://www.kobore.net/ietf2.txt
- ■2011年
10月 17日
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- ・「憲法 > 条約」
- 図書館に予約しておいた「プリンセス・トヨトミ」が届いたので、昨日、一気に読了してしまいました。
嵌るという程ではありませんでしたが、まあまあ面白かったです。
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ただ、一箇所だけ、どうにもひっかかったフレーズが。
「憲法
> 条約」
の一節。
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条約と国内法の関係について、ちょっと調べてみました。
(1)国際法(条約)は、国内で立法化されるまでは有効ではない、という一元説。
(2)国内立法化は不要であり、条約と国内法は併存しうる、という二元説(とは称呼されないかもしれないけど、便宜的にここではこう言う)。
ここで、条約と国内法が対立した場合は、(a)国内法が優位であるという説、(b)国際法(条約)が優位であるという説。
纏めると、(1)、(2)(a)、(2)(b)の3つの説があるようです。
例えば、特許法では「国際法優位説」(2)(b)を採用しています。なにしろ、特許法の中に記載されていますから(特許法第26条)。
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しかし、ここで「待てよ」と思いました。
法律と憲法は取扱いが違うかもしれない。
条約が憲法の上位に位置するとすれば、国会(または国民投票)で決ていない内容が、法律となって国民を拘束する場合もあり、これまた不合理です。
なにしろ、条約って、国民でははくて、政府が勝手に締約できますからね(国会で審議されない)
では、
憲法 > 条約 > 法律 かな?
と思って、検索してみたら、
○条約(じょうやく)は、国際法上で国家間(国際連合等の国際機関も締結主体となり得る)で結ばれる成文法である。
○日本国においては、国家が同意しているものは、国事行為として天皇が公布し(憲法第7条)、日本では国内法として受容され法律より優先する(憲法第98条2項による。ただし憲法には劣る)。」
と記載されており、この内容通りであれば、私の考えは大きく外れていない、ということを確認しました。
-----
だから何か、と言われると、
『こういう、回り道の時間潰しをしないで、明確な目的に向けてのみ、時間を使う強い意志と努力があれば、私の人生、もうちょっと変わったかもしれない、と』
まあ、そんなことを考えていただけです。
#
身も蓋もない結論ですが。
http://www.princess-toyotomi.com/
- ■2011年
10月 16日
-
- ・神棚を作ろう
- 10年前から私には叶えたいことがあって、相当本気に取り組んでいるのですが、なかなか実現しません。
私が本当に困っていることは、「もう、何をしたら良いのか分からない」「打つ手が分からない」ということなのです。
そういうことは、さっさと止めてしまえばいいんですけどね。
「止めてしまうこと」は、幸せな人生を生きる、かなり優れた手法の一つということも知っていますし、その手法は決して間違っていない。
叶わないことの原因は明快です。「能力不足」(つまり「私の頭が悪い」)です。
私は、この事実を100%受けいれているのですが、それでも、叶えたいことが叶わない、というその事実に「どうしても膝を折ることが」できない。
#
正直なことろ、とっとと「膝を折りたい」。
##
もう疲れた。面倒。
-----
で、今、私が何を考えているかというと、
「神棚を作ること」
です。
-----
また社会的責任のある人の多くが、神棚を祭っていることは、ご存知の通りです。
彼等は基本的に聡明で、神力や神罰を無条件に信じるような愚鈍な人たちではない。
しかし、彼らは、たった一人で生きることを許されず、多くの人の人生を守らなければならないという立場にあります。
毎日が「どうしていいのか分からない」の連続だと思います。
そんな彼等が、神棚を作って、すがるような想いで、
「私の力では、もうどうしたら良いか分かりません」
「なんとか、上手く行くように、物事を流して下さい」
と祈らずにはいられないという気持ち、今の私には、良く分かるのです。
また、本当に神に祈っていい人は、もっと沢山いるはずです。
家族の命に関わるような、切実なお願いをしているような人の前で、私の願いなど、芥に等しいトリビアなものであることも、よく分かっています。
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ところで、これまで何度も記載してきたように、私は無神論者ではありません。
「我々人類に対して、何にもしない、全く何の役にも立たない神」の存在を、絶対的な意味で信じています(というか、「知っています」)。
だから、神棚の前で、私の唱える祝詞・・では意味が違うな、請願?
は、こんなイメージを想定しています。
『あんた(神様)が、私なんぞに興味がないことは知っているんだけどさーーー』
『そんで、私の願いなんぞ、全く瑣末で、チンケなことだとも分っているけどさーーー』
『ちょっとだけー、そうだなぁ、「小指を動かす程度」のことでいいからーーー』
『ちょっとだけ、そう、一瞬だけ、力を貸してくんないかなぁ』
という意味を込めた、でも、誠心誠意、真剣な請願を、これから毎朝しようかと考えています。
- ■2011年
10月 15日
-
- ・保護者が、子どもの評価を落してどうする
- 長女(中学一年生)の学園祭に展示されていた「夏休みの自由研究のレポート」の全員の全レポートの全ページを読みました。
これらのレポートは、概ね3つの範疇に分けられる、と思いました。
(1)まったくやる気がないレポート
(2)やる気があるか、そのように見せかけることに成功しているレポート
(3)明らかに第三者が介在したことが明々白々であるレポート
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(1)「まったくやる気がないレポート」について
○背景、動機、目的なしで、いきなり実験の内容を書いている
○実験結果は、表や図にすれば半ページで足るものを、写真等で無用にページを増やしている
○実験結果から導かれる、独自の見解(結論)がない
○考察は「楽しかった」という主観の表明で終っている
とにかく、
夏休みの最終日に『何とか形にして提出しなければ』という必死感と、
『自由研究なんぞやりたい奴だけがやればいいじゃん』という不満が、
余すところなく見られ、誠に
清々しい。
(3)「明らかに第三者が介在したことが明々白々であるレポート」について
○完璧な背景、動機、目的、実験環境、結果、考察が記載されている
○しかし、『そりゃ無理だぜ』ということが明々白々である実験結果が記載されている
例えば、
(a)インターネット等を駆使しないと得られないような情報収集手段と、
(b)専門の大学生でないと使用しないような計算手法(フーリエ変換方式等)と、
(c)特殊な装置またはソフトウェア(音声サンプリング装置等)と、
から成る実験環境に基づく、実験結果などが該当します。
○その結果、レポートの中には「実験環境」に関する記載が全くない、奇妙なレポートとなってしまっている
思わず、笑ってしまいました。
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この保護者は、どこかの組織に属する研究員なのでしょう。
多分、娘に代わって、レポートを書いている研究員の母親/父親は、途中で気がついたのでしょうが(気がついていなかったら、間抜けだと思うが)、そのまま、娘に提出させたのでしょう。
しかし、そのような保護者であれば、当然、現在子どもがもっている知識に合わせて、研究の内容を変更・減縮する必要に気がつかなければなりません。
この保護者は、研究者らしからぬ客観性の欠如によって、子どもの自由研究に対する関与の度合いを誤ったのです。
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担任の先生が「優秀」のシールではなく、「良」のシールを張っていたということは、そのような保護者の過剰な関与が、
『完全に見抜かれていた』
という事実を物語っています。
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結論:
『保護者が、子どもの評価を落してどうする』
- ■2011年
10月 14日
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- ・2分もあれば、創り出してみせる
- 長女(中学一年生)の学園祭に家族で出かけてきました。
クラスの展示に「夏休みの自由研究のレポート」が展示されていたので、
『全員の全レポートの全ページを』
読んできました。
楽しかった。
多分、生徒達は、全部のレポートを査読する父兄の一人を、相当気味の悪い思いで見ていたと思いますが、まあ、それはさておき。
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さて、それぞれのレポートは、担任教諭の評価付きのシールが付与されていましたが、それらの評価は、一つのレポートを除き、ほぼ一致していました。
評価の観点は「ストーリー」です。
研究レポートは、概ね、
(1)背景、動機付け→(2)研究の目的→(3)研究環境の説明→(4)研究結果→(5)まとめ→(6)考察
の6つで構成されます。
彼女達のクラスの全レポートを読んで、私(と多分、担任の先生)の評価を決定づけた項目は、
(1)背景、動機付け
(6)考察
の2つの有無とその説得力です。
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「(1)背景、動機付け」を、
『夏休みの宿題だから』
『かったるいけど、仕方ないから』
のように(正直に)書かれたレポートは、さすがに一通もありませんでしたが、ここをキチンと書いているレポートは、全部を読む前に半分の点数が付きます。
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この夏、私は研究指導を行いませんでしたが、この「(1)背景、動機付け」だけは、きっちり指導しました。
初版:『色によって吸収する熱量が変化すると効いて、本当に違うか試してみようと思いました』
私は、即座にやりなおしを命じると共に、娘に、一つの例を示しました。
(背景)
○夏場のお葬式の出席は大変辛いと聞きました。黒い喪服は、熱を吸収しやすく、夏場はその暑さで大変だからだそうです。
○しかし、夏場であれば、どんな服を着ていたとしても暑いことには違いはありませんし、具体的にどれくらい暑さに差があるのかが判りません。
(動機付け)
○そこで、本当に黒い服が暑さの直接的な原因であるかどうか、また、原因である場合には、どの程度の影響があるかを、本人の感想ではなくて、具体的な値で知りたいと思いました。
というような、ストーリーを、
『自力で創作しろ』
と言いました。
間違っても、
『インターネットで「夏休みの自由研究」というキーワードで出てきたので、その実験を行った』
などとは記載するんじゃないぞ、と、念入りに注意しました。
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これは、我々企業研究者にとっても同じです。
背景や動機付けを、
『依頼元事業部が依頼してきたから』
と書いたら、
「それを言っちゃあ、おしまいよ」
です。
それが真実であるかどうかは、さておき、
『国内外において、大量輸送に対する要求は今後も増加し、特に高速移動体内部における通信の需要は、今後も増大することが予想される。かかる高速移動体通信に関する、高信頼の通信を実現することは、鉄道、空輸、陸路、すべての物流分野において、必須のコアコンピタンスであり、今後の当社のビジネスの根幹となる技術分野となることは・・・』
てな文章は、
「2分もあれば、創り出してみせる」
のが、企業研究員というものです。
- ■2011年
10月 13日
-
- ・天地明察
- 2010年の本屋大賞作品です。
「博士の愛した数式」以来、この賞は私の中では権威があります。
それはさておき。
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面白かったー。
江戸時代の人が当時の数学や天文学を駆使して、最新の正確な暦を作るというお話です。
江戸時代に、すでに日本人は「ケプラーの法則」を認知していたことになっています。
それに、幾何学の問題が漢文で記載されている、この「違和感」がなんとも堪らない。
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で、この本を楽しく読みながらも、ずっと頭の中に染みついていた疑問は、
『この人達、積分計算を「そろばん」でやっていたのか』
ということです。
Δxの値をどのように決定してきたのかと思うと、膨大な再計算が必要となるハズで、考えるだけで気の遠くなる話です。
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この時代に、パソコンを一台放り込んできたら、彼等なら3日もあれば新しい暦を完成してしまったに違いない、などと考えながら、読了ました。
http://www.amazon.co.jp/天地明察%20[単行本]/dp/404874013X
- ■2011年
10月 12日
-
- ・それでは、いかんだろう
- 職場では昼休みに入る合図として、音楽が流れてきます。
いわゆる、『♪この木、なんの木、気になる木〜』という、超著名なCMソングです。
『♪名前も知らない、木ですから〜』
『♪
名前も知らない 木になるでしょう〜』
大変優れたイメージソングだと思います。
しかし、グローバル化を掲げる我が社が、こういうアバウトなビジョンのままで良いのか。
-----
『♪
この木、なんの木、気になる木』
『♪ 名前も知らない 木ですから〜 』
『♪
品質、原材料、効能、用途、数量、形状、属性、出所、成分、構成の調査、および知財、市場分析等を行い、ビジネスの成否を判断すべきでしょう〜
』
くらいの別バージョンのCMを作って、国内外に我が社の気概を見せるべきではないかと。
- ■2011年
10月 11日
-
- ・「それ、俺が、昔検討したよ」
- 研究の世界にドップリ使っていると、10年サイクルくらいで、同じ様な技術が登場してくることが結構あります。
ですので、若い研究員が、ある発明を着想しても、それはすでに検討を完了している発明であったりすることがあります。
ですから、私には、あなたが若い研究員に「それ、俺が昔検討したよ」と一言、言いたい気持ちは判ります。
あなたの研究が、その当時の案件やトレンドに合わずに、放棄された悔しい気持ちが、「それ」を言わせることは、本当によく分かるのです。
でもね。
その時代に合わなくても、我々がその発明を具現化して、製品化できなかったのは事実なのです。
我々は、なんと言おうと、その時、「負けた」のです。
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今になって、後僚に、自慢や愚痴を言うのは見苦しいです。
打合せの後に、だまって、「こんなのもあるよ」と一行だけで記載したメールに昔の資料を添付して、後僚の発明の改良・拡張を助けてやる、ってのが、「粋」ってもんでさあ。
分ったな
> 自分
- ■2011年
10月 10日
-
- ・ハードとソフトの結婚
- 「性癖」のことを言っているのではなく、「エミュレータ」のお話です。
「エミュレータ」については、何度も記載させて頂きましたが、簡単に言うと「有体物」を、「コンピュータプログラム」で実現すること、となります。
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我が家のセキュリティシステムは、1995年に特許権が消滅したという、滅茶苦茶にレガシーな装置で構成されているのですが、最近、この装置の購入が難しくなってきました。
こんな「儲からない」「どんくさい」「低速で」「効率の悪い」装置が、時代とともに淘汰されていくことは、当然です。
しかし、セキュリティシステムを構築してしまった私からすれば、もう一度、新しい装置でシステムを構築することなんぞ、
『冗談じゃない』
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その装置のハードウェアは、電子回路としてはそれほど複雑ではありませんので、
○回路パターンを自作して、
○細かい半田付けをして、
装置を自作すれば、足ります。
しかし、私はそういうことが心底「面倒」だと思い、ハードウェアの世界(ロボットの制御回路等)から手を引いたという、軟弱者なのです。
加えて、
○マイコンチップが市場から姿を消す
ということに関しては、もうこれは、私の努力ではどうしようもありません。
-----
という訳で、私の趣味と実益(業務とも絡む)を兼ねた、今後の研究課題は、
『もはや市場で見向きもされない装置達を、ソフトウェアで延命させること』
すなわち「エミュレーション」であると考えているのです。
-----
しかし、「エミュレーション」というのは、要するに「古い技術の延命」であり、「イノベーションの否定」とも考えられます。
その通り。
最近の私は、新しい技術を試すことが、面倒な上に、苦痛なんです。
若い時代にかき集めた技術だけで、どうにか定年まで辿りつきたいんですよ。
- ■2011年
10月 09日
-
- ・メールのデータベース化
- 私は、過去12年分くらいのメールは、(スパムも含めて)添付ファイルと一緒に全て保存してあります。
なぜ、このような膨大な記憶領域の使用をしているかというと、個人用の検索エンジンとして使用している為です。
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「データを項目毎に整理する」という試みは、大抵失敗します。
ある日、突如として必要となる情報のカテゴリは、時代やトレンドによって、流動的・・・というか、カオス的に変化するからです。
こんなもんを、カテゴリとして事前に整理しておくなんざ、私に言わせれば、ただの
「時間の無駄」
です。
必要な時に、必要な情報を拾って、集めれば良いのです。加えて、自分が行ったデータくらい、自分に役に立つものもないはずです。
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最近は、メーラにも優れた検索エンジンが搭載されるようになってきておりまして、大変役に立ちます。
しかし、一方、どいつもこいつも、自分の独自のデータ形式に変換したがります。こういう変換をされると、別のメーラやデータベースでは使えんということになり、大変不便です。
メーラやデータベースは、必要な時に、必要に応じて、適当に換えていくものだからです。
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ですから、私はメールを「平文」で保存できるメーラを採用しています。
昔は"Mew"を使っていたのですが、ドラッグ・ドローの不便さに加えて、(当時は)ファイル名などの制約などもあり、捨てざるを得ませんでした。
現在は、Sylpheedを使っていますが、これもMewのキーバインドに慣れきった私にとっては、▽正直使い易いとは言いかねます。
とにかく、現在、私を満足させるメーラはありません。
-----
あと、検索エンジンにも不満があります。
「特許」「戦略」「策定」「中間処理」とかのキーワードでは、私がボンヤリと覚えているメールに辿り付けないのです。
こういう検索エンジンが欲しいのです。
『えっとね、夏の熱い日の午後だったと思う。知財部、名前は忘れたけど、確か女性で主任クラスだったと思う。戦略特許候補の中間処理対応に、こっちに来て貰った時に貰った資料が添付されているメール』
と書き込むだけで、必要なメールをピックアップして欲しい訳ですよ。
この位、なんとかならんもんですか
> 検索エンジン研究チーム各位
- ■2011年
10月 08日
-
- ・私には友達がいない
- 「友達」というのが、よく分からんのです。
多分、今の私には友達がいないからかもしれません。
しかし、友達がいないことは、それほど恥しいことや、困ったことなのか、私にはよく分かりません。
-----
娘達には、
『友達がいることは、きっと良いことだと思う。でも、友達がいないことも、そんなに悪くはないと思う』
と言っています。
友達がいるということが、なにか人より勝っていると感じる人を、私は凄く嫌な不快さ(はっきり言うと「下品さ」)を感じるのです。
-----
私には、友達がいませんが、私が、自分を命を賭けてでも助けたいと思う人が、この世の中に二人だけいます。
勿論、一方的な想いです。その人にとっては、逆に迷惑なことかもしれませんが。
しかし、迷惑であっても、その二人が困っている時、私は助けに行くことを来めているのです。
-----
一人は、予備校で知りあった友人。
私が『自分の存在意義が見い出せない』と言った時に、
『お前の存在意義など知ったことではない。お前は、私の為だけに、ただ生きろ』と言ってくれた彼。
もう一人は、大学時代にあった友人。
私が学費の為の毎日のバイトで疲れ切っていた時に、だまって御飯を食べさせてくれた彼。
どんな慰めや同情の言葉よりも、苦しい私を助けようとしてくれた彼の想いを、私は絶対に忘れない。
-----
二人とも、もう10年も会っていません。
彼等は私のことを友達とは思っていないかもしれません。
しかし、私は、彼らが、一番苦しい時に、かならず側に立って守る、と(一方的に)決めている、心から大切な二人です。
-----
私には友達がいない。
でも、「命を賭けて助けに行く」と決めた二人の人物がいる。
私は、そういう風に考えることができる私でいられることが、眩暈(めまい)がしそうなほど、幸せなのです。
- ■2011年
10月 07日
-
- ・今こそ読んで欲しい、私の2つの駄文(その2)
- やっぱりコレかなぁ。
私の「英語」に対する「魂の叫び」。
http://www.kobore.net/JapaneseEnglish.txt
- ■2011年
10月 06日
-
- ・今こそ読んで欲しい、私の2つの駄文(その1)
- 昨日の後僚との会話。
『英語が自由に使えるくらいなら、この会社に来ないで、IBMに行ったわい』
-----
我が社は「野武士」と言われた技術カルト・・もとい、技術オタク、いや、違う、違う、技術の『新撰組』、いや、それも違う。
まあ、兎に角、技術という「刀」を持ち、寝込みを襲われても闘える「技術者集団」であるという自負はあります。
-----
しかし、弊社が掲げる方針「グローバル化」は、残念ながら絶対的な真実です。
なんの分野でも、どんな製品でも構わないので、真面目に一度市場調査(マーケティング)をしてみれば、我が国の「市場の小ささ」に青冷めます。
もはや「出稼ぎ」しか道なない、というのは、間違いありません。
-----
多分、会社の幹部クラスは、英語で苦労したことがないのでしょう。
世の中には、「英語を使える人」と「英語を使えない人」の二種類があり、「英語を使えない人」は、何をしても、どうしても、英語が使えないのだ、という事実に思い至ることはできないのです。
そこで、私は、14年も前に、「英語なしの第三の道」を提示していたのです。
-----
TOPIC
是非、御一読下さい。
http://www.kobore.net/topic.txt
- ■2011年
10月 05日
-
- ・「壬生義士伝」と実証実験
- 浅田次郎文学史上、最高傑作と認定して良いと思います。
私は、同一作品内の「異なるページ」で、3回号泣したのは始めてです。
特に、新撰組
三番組組長 齋藤一の回顧の最後のシーンは、もう、なんといって良いのか―
―
物凄い
それらについては、原作または他の人のHPをご参照下さい。
------
丁度、茨城の工場から、研究所に戻る途中の、特急「フレッシュ日立」の中で、丁度、その「齋藤一の回顧シーン」が登場してきました。
車両の中には、5人程度しかおらず、私の回りには人っ子一人見えませんでした。
これは、滅多にない実験のチャンスだ、と思いました。
実験目的:
私という人間が、現在において、どれくらい「涙」を貯蔵しているのかを、客観的に検証する。
○多感な青春時代でもなく、世界が検討をしている領域と、それに比する自分の能力の限界を客観的に把握し始めた、この年齢において、
○感情の抑制を解除した場合に、私はどれだけ「涙」することができるであろうか。
------
実験結果:
(1)「涙が頬を伝って」というレベルを軽く越え、シャツの中まで入ってきてしまい、収まる気配一向になし。
(2)やむなく、実験を中止するに至った。
考察:
(1)現段階で、被検者の「涙」の貯蔵量を定量的に測定することはできなかった。
(2)但し、被検者には被検者の予想を越える貯蔵量(ストック)があることは、客観的に認められた。
その他:
(1)「壬生義士伝」は映画、またはドラマ化されており、一応内容としては知っていたが、原作の物凄さには、到底かなわない。
(2)無理に定量評価を強行しろというのであれば(当然主観の域を越えないが)、
編集物(映画、ドラマ、コミック等):原作
= 1:20
程度の感動を保証する。
(3)浅田次郎文学は、すでに多数の作品の映画化が行われており、多くの人が鑑賞したと思うが、仮にそうであったとしても、原作に接することを、心の底からお勧めする。
http://www.amazon.co.jp/壬生義士伝%20上%20(文春文庫%20あ%2039-2)%20[文庫]%20/dp/4167646021
- ■2011年
10月 04日
-
- ・大学時代のバイト先での私の所業
- 当時のバイト先の学習塾の生徒からメールを頂きました。
彼に、『当時の私は、君達に何を教えていたか』と質問したところ、以下の回答が送られてきました。
○自転と公転を電球やなんかを使って明解に説明してくれた。
と、ここまでは良かったのですが、
○「コンセントにシャープペンの芯をショートさせ、100Vコンセントに1本ずつシャープペンの芯をさし、上からもう1本落とすと、接触した瞬間に火花が出る」という実験の話をしていた。
○こたつの遠赤外線で、上階の人を殺害する方法を説明していた。
○どこかのロケット発射の際のプログラムミス(たしか、;:or,.の違い)で、打ち上げ失敗して、宇宙のチリになった話をしていた。
○「美浜の原発へ遊びに行った」という話をしたら、『被爆した彼とは結婚するな』と苛められた。
○中国へ旅行へ行った時に、撮影禁止のところで制止されるも、「はい。そうですか・・・」と言いながら隠したカメラでバシバシと連写したと、自慢していた。
○PCの値段を自慢していた(当時の金額で80万円)。
○キリスト教を含めて「宗教」が戦争の原因である、と説いていた。
○貸した漫画×2冊を、紛失した。
-----
どうも、あんまり、良い講師ではなかったようです。
http://www.kobore.net/tex/alone93/node23.html
- ■2011年
10月 03日
-
- ・東電の当面の賠償額4兆5400億円に
- 当初の政府案の見積が4兆円だったので、政府の第三者委員会の報告書最終案とは、概ね一致していると評価できそうです。
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ま、ある程度恣意的なところもあるかもしれないけど、そういうことを言い出したら切りがない。
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一月程前のことだったと思いますが、経済産業省の試算で、
「原発事故を折り込んでも、なお原発は経済的」
という記事が出ていました。
(今、ソースを探しているのですが、見つかっていないです。でも、多分、裏は取れます)
これは、私も試算し、日記で公開しています。
確か、私の試算結果は、
500年で1000万人程度、年間2000人程度の(死亡を含む)被曝、または被爆者であれば、国家予算内で運用可能、
という内容だったと思います。
しかし、それを「私」個人が記載することと、「経済産業省」が発信することの間には『滅茶苦茶な距離がある』と思います。
- ■2011年
10月 02日
-
- ・日本版GPS衛星 7機目指す
- 「日本版GPS衛星 7機目指す」
うーむ、あれだけ準天頂衛星の打ち上げを渋っていた政府が・・・。
一体何があった?
「将来的にアメリカのGPSに頼らない日本独自のシステムにするため、7機での態勢を目指すことを決めました。」
・・・そうか。
私の、再三に渡る「GPSという戦争」に対する警告が、ようやく政府を動かしたのだな・・・、などと思う程、私もおめでたくはないけど。
-----
まあ、核武装を考える前に、自国のGPS・・もとい、GNSSの整備は不可欠でしょう。
位置情報システムとしては勿論、高精度な時刻同期システムとして。
日本中の運行管理システムや、製造機器ラインが全部停止するという恐怖が、ようやく国民の間で共有されて来ているのであれば、それは大変良いことです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110930/t10015955831000.html