江端さんの忘備録

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2011年 07月 31日
「孤独な老人」行き
30年も前に、電子メールの便利さを宣教して回っていた私は、今や、新しい技術を試すのが面倒で仕方ありません。

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図書館の図書予約がWebで可能と知った時は本当に嬉しかったです。

携帯電話のGPSは、我が家の自動車のカーナビとして働いています。

Skypeで、シンガポールのネイティブと英会話クラスに参加しています。

amazonで最初に商品を購入した時、詐欺に会うのではないかと思いました。
ヤオフク(Yahoo Auction)で初めてオークションに参加した時も、緊張で一杯でした。

今では、amazonやヤオフクなしでは、我が家の生活は成立しません。

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しかし、Twitterや、FaceBookとかの、人間と人間の間を取り持つツールの利用は、面倒で憂鬱です。

なにしろ、人とのコミュニケーションに、そんなに興味がない。

自分のブログに対してさえ、第三者がコメントを残せないようにしていますので、炎上しようがありません。

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しかし、システムのエンジニアたるもの、「面倒」だの「憂鬱」だのとは言っていられません。

いやいやながもTwitterとか、FaceBookとかの準備を開始しています。

これらのコミュニケーションツールを無視しては、システムは成立しないからです。

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「仕事だからやっている」という面は否定できません。

もし仕事から離れたリタイア後は、「孤独な老人」行きは間違いなさそうです。
2011年 07月 30日
列車運行管理システム
列車運行管理システムとは、以下の4つで成立している。

1.ダイヤ作成・配布
○基本ダイヤは、年に1〜2回のダイヤ改正時のみ。
○整理ダイヤは、 臨時列車等を加味して毎日、EDP(Electronic Data
Processing Computer )が作り、PRC(自動進路制御装置 : Programmed Route
Control)がそれを喰う。

2.運転整理
列車に遅れなどが生じた場合に、時刻調整や発着順序変更など行う。
変更があった場合、その変更をEDPが作り、PRCがそれを食う。
旅客案内装置などにも反映される。

3.信号・切替制御
PRCが信号を点滅させ、またはポイントを動かす。
また、それらの情報を上位システムか、隣接PRCにもばらまく

4.顧客案内
電光掲示版に表示される電車の発着時刻案内のこと。
遅着情報や、変更後情報なども表示される。

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外国(先進国)でも、上記3の信号やポイント切替を、「人力」でやっているところもあるそうです。
2011年 07月 29日
永遠のお別れ
製品に興味を持って、マニュアルやパンフレットを読みたいと思った時に、会員登録の作業をさせるベンダのホームページを見ると、

つくづく、

『ダメだな、この会社』

と思います。

ユーザ登録させる作業で、ビジネスチャンスをドブに捨てていることに気がついていないならダメですし、気がついていて、なおユーザ登録を強要しているなら、救い難いと言わざるを得ません。

我々は、その製品を知った時からから、5秒以内に情報を見て、15秒以内に決断をしたいのです。

5秒を過ぎた段階で、その会社の製品とは永遠のお別れです。
2011年 07月 28日
合掌
小松左京先生がお亡くなりになったというニュースは、夕食の社食を食べながら、携帯電話のヘッドラインで知りました。

『あ、これはちょっと、暫く落ち込むな』と思いました。

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ほとんどのメディアが、先生を「日本沈没」の著者として紹介していましたが、私の中での先生の代表作は、誰がなんと言おうと、

「果てしなき流れの果に」

です。

―― 先生も、旅に出られたのだ。
そして、再び、また時空の旅を、経て帰って来られるに違いない、と ――

などとボンヤリ考えていたら、食堂の周りの人が、すっかり入れ替わっていました。

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以下の話は、出所も不明で、単なる風評なのかもしれません。
あるいは、誰かが作った願望かもしれません。
それでも私の技術者としてのプライドを支えてくれる逸話ではあります。

小松左京先生が、弊社の講演の依頼を断われたことがあったそうです。

その理由が、

『あの会社の社員の質問は怖い。技術論でごまかしが効かないから』

だったとか。

「技術を通じて社会に貢献すること」を社是としている会社の社員にとって、これ以上の賞賛はないと思います。

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小松左京先生の著書がなければ、私は、技術の世界で生きていなかったと思います。

まだまだ多くの作品を読ませて頂きたかったのですが、それはわがままなのでしょう。

偉大な知性が、ここにその役割を十分に果し終えたという事実が、なんとも悲しくて仕方ありませんが、時空の旅に出られた先生の、その旅路の安全をお祈りしたいと思います。

―― 合掌。
http://www.amazon.co.jp/果しなき流れの果に(ハルキ文庫)[文庫]/dp/489456369X
2011年 07月 27日
作、演出、私。
ティーンの子供達は、

「自分の活動を親に見て欲しい/欲しくない」

の2つに分かれるようですが、私の二人の娘は両方とも「見て欲しい」に属するようです。

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親の方が

「子供の活動を親に見に行きたい/行きたくない」

に分かれるかどうかは不明です。

私の場合、「運動会」などはあまり興味が出ません。

「俊足」とは真逆にあった私にとって「運動会」などは恥辱の発表会であり、呪わしいイベント以外の何ものでもありませんでした。

今でも、娘が出場するイベント以外では、日陰で本を読んでいます。

しかし、これが「お芝居」となれば別です。

小中学校で、寸劇の脚本、演出、出演の全てを担当してきた私としては、当然に血が騒ぐ訳です。

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関東地区の中学校の大会ということで、娘が登場をしているものを含めて、2本を丸々見てきました。

感想は、「中学の演劇のレベルも、相当に高いのだな」ということです。

しかしレベルが高いだけに、演出等、例えば、セリフの回しかた、間の取り方、立ち位置など、細かいことが、始終気になり、逆にストレスにもなっていました。

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まあ、そんな訳で、多分厳しい顔をしていたんだろうと思うのです。

休憩時間に、私がトイレに入っていくと、どこかの中学校の演劇部と思われるの青年から、『お疲れ様です!』と礼儀正しく敬礼されてしまいました。

(あ、学校関係者(多分、演出者)と間違えているな)と思いましたが、そこはそれ、私も、かつては役者の端くれ。

「うむ、ご苦労である」と言う風に軽く頷き、彼に目でエールを送ったのであります。

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本番が終って、ちょっとハイになっている娘を含めて、レストランで夕食を食べました。

「あのさ、『保護者が脚本を書いて提供する』っていう前例って、かつてあった? 『演出までさせろ』とまでは言わないから」

娘は、また、この父親が何か変なことをたくらんでいる、と危険を察したのだろうと思います。

「ない」と、言下に却下されました。
2011年 07月 26日
ツイッターを使ってみた
システムの運用とは大きく、定常時、緊急時の2つあると捉えて良いと思います。

緊急時とは、人命が危機的な状況に即している状態で、システム自身の機能によっては、救済できない状況が含まれ、具体的には地震や火災などがあります。

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今回の震災では、「ツイッターが緊急インフラとして有用に機能した」という話ありました。

ですから、今回検討している対象のシステムにも、ツイッターの導入について調査する必要があると考えております。

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私は以前、

○GPSのサービス研究をしているのに、携帯電話のGPSのナビサービスすら使ったことがない。
○スマートグリッドの研究をしているのに、自宅の家電製品の消費電力すら計測したことがない。
○ネットワークの研究をしているのに、通信ドライバ一つプログラミングしたことがない。
○OSの研究をしているのに、カーネル再構築すら試みてみたことがない。
○特許権の効力を説明するのに、特許法すら読んだことがない。

という人を批判する内容の文章を、『笑わせるな! 』という題目で記載したことがあります。

ですから、多分、ツイッターを使ったこともないような私が、ツイッターを語ることは、許されないのです。

まあ、「自縄自縛」の典型例ですが。

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で、使ってみました。

はっきり言いましょう。

『気持ち悪い』

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この気持悪さの原因は、私の気質に因るものだとは思うのです。

『私は、他人の振舞に興味の片鱗もない』ということです。

例えば、芸能人に関していては、私を楽しませてくれる「芸能」を提供してくれれば十分ですので、その交友関係などには興味はありません。

政治家が、私に利益を与えてくれるのであれば、私生活がどんなにインモラルであったとしても、私にはどうでも良いことです。

ましてや、赤の他人が何をどうしようが、なんの興味も持てないですし、自分の状況を開示する時間があれば、その時間でやりたいことが沢山あるのです。

そして何より、『他人のつぶやいている内容』が、徹頭徹尾、面白くない。

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「お前の書いている文章だって、同じようなものだ」と言われるかもしれませんが、決定的に違うのは、『世界中の誰より、この私自身が、私の文章を読むのが大好きだ』という点は違うでしょう。

# 自分で書いた文章を読んで『なんて旨いこと言うんだろう』と、感激できるこの私の性格は、なにより「私を凄く幸せにしている」と、本気で思う。

ま、それはさておき。

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ツイッターが『気持ち悪く』ても、役に立たない訳でありません。
というか、その有用性においては、凄く優れたメディアだと認めます。

特に、「各種ニュース」は勿論ですが、「天気予報」「鉄道運行状況」などの、リアルタイムの情報の威力は決定的です。

例えば、私は、

『庭の自動散水装置作成ナウ』

などというどうでも良い情報を他人に伝達する気力はありませんが、「鉄道の人身事故の情報は、皆に早く伝えなければ」という使命感には駆られるのです。

既存のシステムの仕組みを補完してくれるメッセージングシステムとも言えます。

これは裏をかえせば、皮肉に言えば、その既存の情報システムが「全然役にたっていない」という痛烈な批判と言えるかもしれませんが。

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と言う訳で、現在、私が検討中のシステムの構成要素には、ツイッターが入る予定です。

現段階での、システムの最大の課題は、私にとって「気持の悪い」システムと、現存の人命と隣接している緊急情報システムをどのように融合させるか、という一点に尽きます。
2011年 07月 25日
「学研」の商品広告戦略
子供達が、「学研」の教材を購入していた経緯もあり、今でも「学研」から教材や添削コースの広告がくるのですが、これが、なかなか楽しい。

少年少女マンガを使って、商品の宣伝を打ってくるのです。

物語は毎回ワンパターンでして、

(1)中学に入って成績が落ちてしまった子供が主人公

(2)そこに、中学に入って、部活をしても成績が落ちないで、逆にクラスでトップを張っている、上記(1)の友人が登場

(3)主人公が、なんで成績がアップしているのかを尋ねると、「学研」の教材を使っているから、と応える

(4)上記の友人は、暗記用の音声レコーダ等(所謂、デジタルガジェット)で、一日30分だけ勉強をしているが、成績がアップしていることを説明する

(5)この友人の言葉を間に受けた主人公も、同じ教材を購入して、成績がアップして、充実した中学生ライフを送っている、という話で完了

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まあ、子供なら騙されるだろう。

場合によっては、保護者も騙されるかもしれない。

それを購入すれば、一日30分で成績が伸びるという「幻想」を持てる訳だから。

なんたって、学研の教材を購入すれば、いつだって成績が伸びるのですから、子供の成績が悪くたって、慌てる必要はありません。

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私も一度、購入してみようかな、と思っています。

で、子供に使わせて、成績が伸びていないことを、研究員としてのスキルを最大限発揮して、完膚なきまでの客観性を持ったレポートで証明する。

で、成績が上っていないことを理由に、損害賠償請求と、商品の差止を要求する。

「学研」は当然に、両方の要求を拒否する。

で、私は、提訴に踏み切る。

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さて、司法はどう判断するだろうか。

マスコミはどのように報道するか。

学校関係者や保護者のコメントは、どのようなものになるのか。

考えるだけでワクワクします。

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しかし、多分、「請求却下」になるだろうな、とは思います。

判決書の要旨は、多分こんな感じ。

『本件における、少年少女のキャラクターを利用した商品の宣伝および効果は、その表現の程度等を全体的に勘案しても、顕著に悪質なものとまでは言えない。第一に、このような製品宣伝は、どの時代においても行われていたと認められる』

→要約:「そんなもの、昔からあったじゃん」

『少くとも保護者に相当する成人であれば、かかる教育用教材が、予定どおりの効果を発揮することが極めて稀であることは、当然に予想し得るだけの見識はあるはずであり、仮りにそれらの教材が効果を発揮しなかったとしても、その責の全てを、販売者に帰することとすることは酷であると言える』

→要約:「『楽して成績が上がることなど絶対にない』ということを大人なら知っている筈だ]
「こんな広告を真面目に受ける大人がアホであり、そいつに責任があるのだ」

『一方、広告による過剰な効果は、国家社会の一般的利益、または社会の一般的道徳に反することもあるが、本件の少年少女のキャラクターを利用した商品の宣伝および効果は、同様の事象の一例として「ダイエット」などの宣伝広告に類似するものとして比較考慮すると、社会の公序良俗を反するとまでは断じることはできない』

→要約:「『ダイエット』の宣伝よりはマシだろう」

『よって、主文のとおり判決する』
2011年 07月 24日
「地デジ」が見られないこと
私は無理だと思っていたのですが、総務省はついに地デジ移行を実現しましたね。

『誰かがなんとかしてくれる』と思っていた人もいたかもしれませんが、甘かったようです。

私の実家では、私が1年前から対応を完了していたのですが、それでも、しつこく「大丈夫か」の電話がかかってきて、そのしつこさに、少々腹を立てておりました。

『テレビのない時間を、試しに過してみよう』『楽しんでみよう』とか思えないのでしょうか。
食料がなくなる訳じゃなし、ましてや、この世が終わる訳でもない。

実際、私がテレビを見ている時間は、1週間に3時間を切っていますが、別段困っていません。

もっとも、私の場合、パソコンとインターネットがあるという強みがある点、かなり不公正な批判だと思いますけど。

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電子メールやインターネットを駆使できない人にとって、テレビは、まだまだ世界とのインターフェースなのかもしれません。

世界が『明日からお前とは関わらないよ』と言われたら、それは、それなりに怖いかもしれません。

しかし、我々IT世代に生きる者は、テレビのインターフェースなど、いつ消滅しても一向に構わない。
マスメディアに対しても、絶対的な信用などは、すでに「ない」ですしね。

我々は、マスでない多数のメディアからも、情報を取り入れる手段を、すでに確立してしまっているからです。

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例えば、Twitterは地震速報より早く流れ、2CH情報は、鉄道の人身事故の状況を正確に伝えてくる。
道路交通情報センタによるテレビやラジオ放送は、その存在意義を失い始めています。

将来に目を向ければ、数円単位まで価格の落ちた雨量センサは、携帯電話に取りつけられることによって、分単位の天気情報を提供できるようになるでしょう。

また、市民による映像によって、権力による事実の隠蔽などが、簡単に暴かれていくのを、ここ数年間の当りにしてきました。

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マスメディアが、これからどうやって生き伸びていくかは、大変興味深いところですが、『地デジも将来消えてなくなる』は、私の中では確立している認識です。
2011年 07月 23日
後発という戦略
私は、「新しいモノ好き」と対極の生き方をしております。

CDウォークマンが出てきたころに、カセットウォークマンのパチモンを手にい
れて移行、必ず一世代遅れて、そのメディアに乗っかかることにしています。

この戦略の最大のメリットは、「安い」「初期障害がない」ことです。

それ以外にも、

○特に音楽や映像のメディアなんぞ別になくても困らんし、
○パソコンなんぞ、作業ストレスがなければスペック不問、

という、私特有の気質に因ります。

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この気質は、これは、若い頃、高スペックのパソコンを求めて、酷く散財した挙げくに、1〜2年後に、それ以上のスペックのパソコンを、数分の1以下の値段で入手可能となって愕然とした経緯と、

なにより、そこに残る

「怨念」

の残滓に因ります。

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地デジもこの対応をしています。

今、高性能の地デジ対応のHDDレコーダを買うのは得策ではない、と考えました。

地デジチューナ(×BS、×CS チューナ)に、ちょっとHDD録画機能のついた、(私から見れば)オモチャのような機械を購入して、7/24日以後の体制を完了しました。

どうせ来年の今頃は、現在の高性能HDDレコーダは、半額以下の値崩れを起こしているはずですし、もっと高性能の製品が発売されているかもしれません。

ブルーレイ対応なんぞは、私が見るに、2年後に動き出せば足りるでしょう。

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家計簿を持った嫁さんが、我が家の地デジ対応の支出を尋ねにきたのですが、その金額に驚いていました(安くて)。

「我が家定番の『後発戦略』だ」と言って上記の対応を説明すると、納得していたようです。
2011年 07月 22日
テクニカルライティング
私は客観的に記載された文章が、常に優れているとは思いません。

また、レトリックを全て排したテクニカルドキュメントこそが最上のものだ、と思ったこともありません。

しかし、英文で記載された技術仕様書が、不適切な形容詞(「凄い」だの、「顕著である」だの)や、過剰表現な言い回し(「せざるを得ない」だの、「我々は逃れられない」だの)とか、記載されていると――

―― 太平洋や大西洋を軽く越えて、その憎悪で、著者を殺せるくらいの殺気を発生させることができます。

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『そうでなくても日本人には英語の翻訳は辛いんだ』

『テメーのようなテクニカルライティングもできんようなエンジニアが、外国向けの仕様書を書いているんじゃねーよ、ど素人野郎めが』

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と呟きながら、技術翻訳をしている人間が、今、日本に一人はいます。
2011年 07月 21日
「クールビズ」というパラダイムシフト、未だ至らず
私の衣服の購入の動機付けは簡単です。

(Step.1)服が経年劣化(要するに「破れた」)で、その機能を果たさなくなった(着れなくなった)。

(Step.2)その服の代替分を補充する。

(Step.3)終り。

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夏用のスラックスが1本だけになってしまったので、紳士服量販店にいって、3着程、試着・購入してきました。

基準は、「涼しい」「ラク」「色またはデザインが同一でないこと」の3つで、店員さんに適当に選んで貰いました。

選択に消費した時間のみを考えると、今回も、多分30秒を切っているのではないかと思います。

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『ところで、クールビズ対応の、オフィス用の半ズボンとか、ポロシャツとかは、どこにディスプレイされていますか』

と尋ねたとろ、店員さんは困惑したように、

『そういうものは、存在しませんし、御購入を希望される方もいないようです』と言われました。

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「なんだ、その程度か」、とガッカリしました。

この夏、営業担当が、アロハシャツで顧客回りしているのを見れると思っていたのですが、私は、随分認識が甘かったようです。

確かに研究用の機器のセールス担当、まだ、スーツにネクタイしてくるもんなぁ。

見ているこっちが暑い。
2011年 07月 20日
私がエンジンを動かしているのではないという事実
先日、嫁さんが、『アクセルをどんなに踏み込んでも、時速10km以上で走行しなくなる』アクシデントに遭遇したことは、報告しました。

そして、面倒なことに、このアクシデントの後には、全く同じ症状が現れなくなりました。

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現在の自動車は、エンジンコントロールユニット(ECU)という、小さな電子基板が、エンジンを制御しています。

アクセルを踏むと、踏み込んだ深さ(cm)を電気の信号に変換して、その電気信号をコンピュターであるECUが感知します。

ECUが登場する前は、アクセルを踏み込むと、ガソリンパイプのバルブが開いて、噴霧状のガソリンを爆発させて、エンジンをさせていました。

いわゆる、アナログ制御です。

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EUCによるエンジン制御の効果は図りしれないものがあります。

走行中、誤って「バック」にギアを入れたとしても、突然停止して、後方に動き出すことはありません。アナログ制御で、こんなオペレーションしたら、間違いなく車のギアがふっ飛びます。

EUCが、ドライバーの誤ったオペレーションと判断して、「無視」してくれるので、惨事を避けることができる訳です。

その他、ガソリンを消費しない運転パターンを計算したり、空気とガソリンの混合比率を替えて、省エネ運転が下手なドライバーをサポートしてくれます。

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さて、今回の故障ですが、ディーラー担当者の方が、何度も同じ条件で運転を行い、ついに故障の再現に成功しました。

私は、『素晴しい!』と賞賛しました。

コンピュータの不良を発見することは、この分野にいる人であれば、誰でも知っているように、至難の技であるからです。

その後、ディーラの方と私の間で、何回も話し合いが行われました。

原因が、電磁バルブ部の動作不良である、というところまでは追い詰めたのですが、問題は、その原因を発生させている部分を特定できない、ということにありました。

つまり

(1)EUCが狂った信号制御命令を出している。
(2)電磁バルブが経年劣化で、正常に動かなくなっている。
(3)上記(1)(2)の両方が起っている。

の3つの可能性があったからです。

ディーラの方は、EUCと電磁バルブの両方の交換を勧めたのですが、コストが倍近くになります。

私は、「EUCが故障するなら、もっと色々な変なこと(例えば、いきなりバックで走り出すとか)が起きているはずだ」と主張し、電磁バルブの交換で足りる、と判断しました。

協議の結果、

(Step.1)まず、電磁バルブを交換する。
(Step.2)それでも故障が再現したらEUCを交換する。

という二段階構えの対策で対応することになりました。

現在のところ、故障は再現しておらず、電磁バルブに原因があったという読みが正しかったように思えます。

もう少し走り込んでみないと分かりませんが。

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いずれにしても、今回の事故は、

◯私達が行っている運転作業は、エンジンを動かす「きっかけ」を与えているだけで、
◯大部分のエンジン制御はコンピュータ(EUC)が行っている

という、当たり前の事実を、強く再認識するに至りました。
2011年 07月 19日
父親の役割
昨年、娘の中学受験の真っ最中のことです。

私は、娘が、学習塾の塾の先生に質問しても理解できない、算数と理科の問題の講義を行わなければなりませんでした。

しかし中学受験試験の算数と理科は、結構タフな問題ですし、塾の先生でも教え切らなかった問題を解いて理解することは、結構辛いことでした。

大体、私の帰宅は、家族全員が寝静まった深夜でしたので、問題を解き終ると、午前2時に就寝とかもザラでした。

今は、時々、英語を見てやるくらいで、勉強を教えることはほとんどなくなりました。

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そして、今。

演劇部に入部した娘が、役作りに困ると、私に所に相談しにやって来ます。

相談するだけならともかく、即興の演技まで要求されます。

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先日は、

『天国における受付業務を担当している先輩指導員が、後輩新人研修を行なう際に新人を叱責する』という演技。

本日は、

『選挙において自分を売り込む候補者が、選挙カー近くきた有権者に愛想を振って、好感を持って貰う』という演技。

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そもそも、私は、そういうことに関しては、結構器用な方です。

シナリオの内容を教えて貰い、状況と人物の心象風景を想像して、2〜3パターンの演技を見せているのですが ――

―― これって、一般的な父親の役割なのでしょうか。
2011年 07月 18日
日曜日の江ノ島行き普通電車
私の通勤に使用している電車の線区は、東京と逆方向(下り方面)であり、加えて、時差通勤をしているので、基本的に「通勤ラッシュ」とは無縁の世界です。

輪番停電の影響で、土日が通常出社になっておりますが、「普段より通勤が楽になった」ということもありません。

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ところが、昨日、普通に列車に乗ったところ、喧しい若者で溢れており、ビックリしました。

一体何事かと思って考えていたら、私の乗っている電車が「江ノ島方面」の電車であることに、その時、初めて気がつきました。

普段は、静かな移動学習室として機能している通勤列車が、この日曜日はとんでもないことになっていました。

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高校生の兄ちゃん達が10名程度、私の回りに集って、たわいもない話で盛りまくり、その浮かれ具合は、滑稽を通り越して、怖いくらいでした。

それにしても、『海に行くならカップル』が、一番「様(さま)」になります。

しかし、恋人のいない男どもが、ナンパを目的に、夏の海に繰り出すのも、まあ、それなりの「風景」ではありでしょう。

でも、10人という集団は頂けない。

泳ぐにしろ、ナンパするにしろ、男がそこまで群れて行動するのは、なんか情けない。

敢えて言うのであれば、『不純で邪な行動に対する、純粋で真剣な意思がない』と言いましょうか。
あるいは『非日常(ナンパ等)の遂行に対する成功戦略シナリオがない』とも言えましょう。

兄ちゃんたちの群の逆の方向を見ると、顔を群青色でデコレーションした女性が5名、やはり群れておりました。
顔を毒蛾で覆われた様に見えて、その恐しさに目を背けてしまいましたが。

どっちも、どっちですが、やっぱり「10名の男達」は、もう海に到着する前から「お前は、すでに負けているぞ」と、いらんことを考えていました。

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私は、若い頃、一人で海水浴に行ったことがあります。

目的は「海水浴」そのものです。

「海水」に「入浴」することで、スーパー銭湯より格段に規模の大きな風呂を、独りで楽しむ為です。

文句あるか。
2011年 07月 17日
私を駄目にした男
昨日読んでいた本の中に出てきたフレーズですが、この「私を駄目にした男」のフレーズが好きです。

異次元の言葉のようで。

「私を駄目にする」というのは、少くとも交通事故で、足や腕を失ったという意味で使われるのではなく、

内面的な、あるいは精神的な何かを破壊されたか、

「ありたい自分」から大きく外れた自分にさせられてしまうことを言うのだと ――

―― ま、多分、そうだろう思うのです。

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私には、「私を駄目にした男も女」が、思いあたりません。

そもそも、私が「駄目」なのかどうかも分かりませんし、「駄目」ってどういう状態を示唆することかも分かりません。

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仮に、私が「駄目」ならば、残念ながら

『私を駄目にした私』

という、自己完結的な結論で完了しそうです。
2011年 07月 16日
九電やらせメールの叩き台例文
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■将来的には再生可能エネルギーへ転換していくことが望ましいかもしれませんが、現段階においては、安全対策を講じながら原子力発電を運転していくことが必要であると考えます。

そのことが九州経済、ひいては日本の経済維持発展に大きく寄与するものと考えます。

日本全体のことを考え、九州を含む西日本が元気を出して、生産や経済を回さなければならない中、電力不足は絶対にあってはならないことです。

発電所の安全対策を強化し、徹底した監視のもと、早く(九州の)原子力発電を再開すべきと強く要求致します。

============================

というような、やらせメールのサンプル文を配布して、社員に投稿させたことで問題になっております。

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溜息が出ました。

いくつかの点で、この電力会社は『何も分っていない』。

第一に、基本的に『原発を擁護する人』は、こんな明瞭な論旨の文章は書かない、というか、書けないのです。

日本人の多くは、

◯「電気は欲しいが、事故はいらん」のであり、
◯「日本国の経済には興味はなく、自分の給料のみに興味があり」
◯「基本的には、『暑い寒い』は嫌」

であるという、

自然な欲求ではあるが、矛盾を内在する欲求に従って毎日を生活しているのです。

こういう矛盾を内在する欲求をベースに構築する論旨は展開しにくく、強行すれば、論理破綻します

現時点において、原発を擁護する人は、基本的には上記のような矛盾した気持を持っている人が大勢を占めており、そういう人は、そもそも「メールを書かない」。

論理的な文章のメールには、ならないからです。

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メールをわざわざ送ってくる奇特な人は、

『原発の運用に、生活の糧のかかっている「電力会社」と「経済産業省」の人』



『論理構築が自己完結している「原発反対派」の人』

だけです。

いずれの人も、日本国民という母数の中では、極小の数となるでしょう。

つまり、メールの投稿では、一般大衆の意見を、まったく吸い上げることはできないのです。

もっとも、だからこそ『やらせメール』に意義が生じてくるのだ、とも言えますが。

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第二に、そもそも、「九電やらせメール」の内容は、評論家や新聞社の社説のようなマクロな視点からの内容であり、庶民感覚から乖離すること甚しい。

誰がこんな、政治家の演説のような文面のメール書くか。

この文面を起草した奴は阿呆だ、とさえ思う。

私に言わせれば、この「やらせメール」は、考えうる最悪の文章であり、はっきり言わせて貰えば「ど素人の駄文」である。

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原発擁護をする為の「やらせメール」なら、徹底的に推敲した上で、

『矛盾を内在する欲求に従って毎日を生活している人』を装った、以下の文例をベースに書かせるべきだったと思います。

(その1)
『原発、一度止めてみれば良いと思います。それで困ったら、皆で相談して、もう一度動かせばいいと思います。原発って、一度止めたら二度と動かない訳ではないんでしょう?』

(その2)
『原発事故がありましたけど、別に人が死んでいる訳でもないし、避難している人には気の毒ですが、交通事故にあったようなものと思って、我慢するしかないのではないでしょうか。事故が発生する確率は、私が交通事故に会うよりは、低い確率と聞きました。』

(その3)
『どっちでも良い。電気のない生活がどういうものか分からないので、判断できない。どっちみち、私が何をいったところで、何かが変わる訳ではないのだから』

(その4)
「夏のクーラをつける時だけ、原発を動かせば良いのではないですか。冬に使う石油ストーブと同じ取り扱いにすれば良いと思います」

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もう一度念の為に申し上げておきますが、上記は

『「原発」を維持する為の「やらせメール」のサンプル』

です。

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今後は、これを参考にして下さい。

今度は、きっと上手くいきます。
2011年 07月 15日
私達の熱中症
私が小学生、中学生の頃、『運動中に水を飲むこと』は、絶対的な禁忌(タブー)でした。

汗の量が多くなって疲れやすくなり、練習の質が低下するという理由でした。

今や、これは完全な誤解であることが医学的に証明されており、逆に『運動中に水を飲むこと』は、積極的に奨励されております。

水分を取らないと、脱水症状や血栓症を発症し、命の危険にも晒されるとも言われております。

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さて、この夏、毎日のように熱中症で何人も救急車で搬送され、死者も出ております。

子供達の熱中症のニュースは、毎日のように流れております。

そこで少し疑問が生じてきました。

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私も運動部に所属していたのですが、季節に関係なく、夏場でも炎天下の元、毎日10km程度の走り込みをさせられていました。

勿論、「水は飲むな」と言われた状態で、です。

しかし、熱中症で倒れたという事例を、目の前で見たことが一度もないのです。

当時のその阿呆な迷信に基づいて、運動部の部活動が行われていたとすれば、毎年、各学校少なくとも一人は、死亡していても不思議ではないと思うのです。

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そこで、一つの仮説を思いつきました。

私は、夏場でも炎天下の元、毎日10km程度の走り込みをさせられていましたが水を飲みまくっていました。

「うがい」と言って、吐き出す水を半分だけにして、あとはガブガブと飲みまくっていました。

とにかく、「水を飲んで、体がダルくなった」などということは一度もないので、「私はルールの適用外」と自分で決めて、姑息にルールを破っていました。

おかげで? 熱中症にもならず、死亡事故にも至らず、無事今日に至っています。

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で、「仮説」です。

『実は皆も、水、飲んでいたでしょう?』

です。
2011年 07月 14日
自動報復機能 発動
かなり無茶な仕事をして、疲労困憊で、もうどうしようもない、と判断した場合は、いわゆる「スーパー銭湯」に行くことが多いです。

そこで、高温サウナ(90度)を15分 + 水風呂 の3セットマッチで、疲労回復を図っていました。

しかし、これを強行すると、全身の筋肉繊維を破壊して、歩行どころか、体を持ち上げるこのでいないような、原因不明・治療法なしのウイルス疾患に侵されます。

先々月、この原因不明の疾患で、1〜2週間の地獄を見ました。

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仕事や勉強で連日の無理を強行すれば、顔や胸に疥癬湿疹が発生し、痒みで死にそうな目に会うようになりました。

また、3時間くらいの連続歩行をするだけで、膝や足首に激痛が走るようになりました。

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一言で言えば「歳」なのです。

通常、疲労は、その疲労分を休息で供給することで、回復するものです。

しかし、「歳」というのは、過負荷に対して、その数倍から数十倍の報復を受けるという、一種の

自己学習型の自動報復機能

と定義できそうです。
2011年 07月 13日
現職総理大臣による「原発を段階的に停止する」との旨の発言について
本日、現職総理大臣が、「原発を段階的に停止する」との旨の発言をしました。

これまでの現職総理大臣が、このような発言をしたら、えらいことになっています。

◯内閣総辞職か、内閣不信任案→解散・総選挙
◯政治献金激減、政権与党基盤ボロボロ→政権交代

というくらいの、凄いタブーなのです。

現段階でもそうですが、経団連などは、(表向き、いろいろな事を言っていますが)、結局のところ、電力の安定供給が絶対的に前提としなければならない組織です。

「再生可能エネルギー」とかいう、これまでの実績が絶無に近く、そしてこれからの実績の保障なども全然ない新エネルギーへの転換に、おいそれと「賛成」できる訳がないのです。

また、「再生可能エネルギー」という新しい試みを、どれだけ電力会社が嫌がっているかは、あまり知られていません。実績のない分野への設備投資は、リスクを伴うからです。

更に、世界二大巨大原発事故の後にも、原発建設の見直しをせずに、進めてきたことから、官僚が、「原発利権」を手放すはずがありません。

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現職総理大臣は、総理の椅子は勿論ですが、私の見るところ、「政権を野党に渡しても構わん」くらいのところまで、考えています。

これは、与党(×野党)に対する一種の自爆テロ(か、無理心中)と考えても良いでしょう。

私達は「後は野となれ山となれ」を、これほど誠実に実践している首相を、この機会に得たことを、僥倖であると考えるべきなのです。

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前にも述べましたが、自暴自棄になっている、この総理大臣を交代して、その辺の政治家を持ってきたとしたら、

党の利権、経済界、官僚も、元の体制に戻ってしまい、少くとも

「原発停止」と「再生エネルギー」の2つに関しては、

―― 私の首を賭けても良いが、

絶対に、ウヤムヤになって、消える。

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現在の首相が、政治力を発揮できないことなどは、分っています。

そもそも、近年の7人くらいの首相は、全部、政治力・指導力なしと批判されて、追い出されています。

現首相も、それは見事なくらい、きっぱりさっぱりと政治力・指導力はない、と言い切って良いでしょう。

しかし、党の利権、経済界、官僚を、完璧に無視できるという立場を「たまたま」得ている、極めて稀有な立場にある、日本国最初の首相であるという事実は絶対です。

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我々国民は、もっともらしい論評に、理性的に耳を貸しては『ならない』のです。

今や、我々は、

「ええじゃないか」を踊り狂い、

首相と共に痴呆の狂乱に興じながら、

「原発停止」と「再生エネルギー」の立法化を成立させ得る、

最後のチャンスにあることを、再認識すべきだと思います。
2011年 07月 12日
LED化計画
我が家も、全ての照明機器を全LED化していく予定です。

しかし「段階的移行」とするつもりです。

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というのは、昨年、ようやく全蛍光灯化を完了した所であり、いきなりLED化は、心情的にちょっと苦しいということの他、もう一つ理由あがります。

勿論、現時点でLED化を進める方が、結果として、電気料金や寿命などのTOC(Total of Cost)が優れているだろうことは分っているのです。

しかし、一斉に移行するには、LED電球の値段はまだ高いのです。

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それと、全LED化のもう一つの大きな課題が、「丸型蛍光灯のLED化」です。

日本の天井照明の多くが、円形か棒形の蛍光灯を使用しているはずで、これらの照明器具を全部取り外すということは、全く現実的ではりません。

蛍光灯は、そもそもが白熱灯に比べて消費電力が十分小さいですのですが、私がLED化によって期待していることは、40000時間というその「寿命」にあります。

1日4時間の使用で1万日、約27年。

実家に戻る度に、蛍光灯の入替作業が待っているのですが、おそらくLED化によって、「蛍光灯を取り替える」という概念自体が無くなっていくのだろうと思います。

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先日、ようやく、私の書斎の照明の蛍光灯が壊れ、我が家で最初のLED電球が導入されました、

うん、従来の電球と比較して、なんの違和感もない。

電球は熱くならず、光量も十分。

これから20年近く、この電球を取りかえる必要がないと思うと、ちょっとした感慨があります。
2011年 07月 11日
輪番休日
土曜、日曜が出社となって、代わりに月曜、火曜が休みになりました。

さぞかし、色々なところがガラガラだろうと思いきや、そうでもありませでした。

といっても、出かけたところは、ホームセンタでしたが。

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特に私と同世代と思われる男性が、結構な数いました。

心なしか、おじさん達は、結構のんびりと、そして楽しげに、木工や部品を眺めていたように思いました。

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私はというと、この滅多にない機会を逃がしてなるものか、と、ホームセンタで、

棚用の材木8000円分、
棚受け用の器具、
LED電球、
コンクリート5kg
その他、

を購入して、家中の改修や修繕に励んでおりました。

プロの仕事としては許されないでしょうが、設計図なしで、その場で採寸して、木ネジを埋めこみ、コンクートの型を作り、適当にコンクリートを流していました。

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クーラとか全く使わずに、リットル単位のお茶と、風呂の残り湯の水風呂を往復する、真夏日の一日でした。

なかなか大変な作業ではりましたが、ノルマのない屋内・屋外の労働は、私にとっては、なかなかのストレス解消になりました。
2011年 07月 10日
「助けてくれ」と言ってくれないと、助けることができない
『求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん』(新訳聖書「マタイによる福音書」より)

という意味は、おそらく、

◯信仰上の教義の疑問に対して、その回答を信仰の活動の中で見い出せ

という意味とも取れるし、

◯腹がへったら、取り敢えず「腹がへった」と叫べ

という、コミュニケーションの基本を教えているとも取れます。

いずれにしても、リクエスト&レスポンス の基本です。

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もっとも、『門を叩け、さらば開かれん』というのは、「門を叩かれる側」から見ると、結構迷惑な話です。

門を叩く→無視する、
門を叩く→居留守を続行する、
門を叩く→気配を消す、

というように、「門を叩く」側のアクションは簡単なのに対して、「門を叩かれる側」の対応は、その何倍も大変そうです。

「門を叩き続け」れば、そりゃ、いつかは「開かれる」でしょう。

それは、単に「うるさい」からです。

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しかしですね、「門を叩く」ことすらできない人に、「門を開くこと」はできないのですよ。

→「バカヤロー、そんなこともできないのか」
「すみません。できないんです。助けて下さい」

→「バカヤロー、そんなこと自分でなんとかしろ」
「すみません、ここまで自分でやってみたのですが、でもここからできないのです。助けて下さい」

「バカヤロー、そんなこともできないで、社会人やっていたのか」
→「すみません、でも、できないんです」

# 今や、こんな対応したら、部下は鬱になって、パワハラで訴訟の対象になりかねませんが。

それでもこれは、『門を叩く』手段の、一例にはなっていると思います。

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管理職は、無駄に歳を取っている分、部下の

「知ったふり」
「分ったふり」

を、即座に見ぬく能力だけは、素晴しく秀でています。

ですから、

管理職が、「最初から、自分で説明してみろ」と言うのは、部下をうろたえさせるのが目的ではなく、ましてや責めたてているのではなく、「知ったふり」「分ったふり」を判定する為です。

そんな時、「知ったふり」「分ったふり」をして、その場凌ぎの、適当な謝罪の文句で、その場を逃げるのではなく、

「分かりません」
「教えて下さい」
「助けて下さい」

の3つが素直に言えれば、「門が開かれる」場合もあります。

# 開かれない場合もありますが。


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「本当に分かっているのか」という問いかけに、「分っています」と応えられたら、

―― もう、私は助けることも、できないのです。
2011年 07月 09日
ストレステスト
私は、原発のストレステストというものが、どういうものか知りませんが、「ストレステスト」の意味は理解していると思います。

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あるシステム開発を行っていた時のこと、コンピュータプログラムに対する重大バグの兆候を発見したのですが、誰も問題視してくれなかったことがありました。

そのプログラムは、一日に数回くらい動く程度のものでしたが、サーバプログラムでしたので、そのバグがいずれはシステムをダウンさせると思っていました。

そこで、私はそのプログラムへのアクセスを、一日、数万回、7日間無停止で行わせるテストシナリオを作りました。

公に認められていないテストでしたし、加えて、「テスター」という役割のある人間のメンツを潰す行為でもあったので、

―― 小型の独自テストシステムを作り上げた後、それをキャビネの中に隠し、加えてキャビネの死角に穴を開けて電源を供給するという ―― 滅茶苦茶な「ストレステスト」を強行したのです。

# キャビネから、コンピュータの悲鳴が聞こえてきそうでした。

そして、ついに、誰もが文句のつけようのない、バグの証拠を突きとめるに至りました。

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首相:「ストレステストに合格しない原発は稼動させない」

いいじゃないか。

というか『そうであるべきだ』と思う。

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詭弁と思われるのは、本意ではないのですが、

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もし、「原子爆弾」を所有することが、
我が国の国益に資することが、
どのような分析結果からも明々白々であり、
どのような論理付けができたとしても、

我々日本人は、誰が何といおうとも、
「原子爆弾」を所有することを
絶対的な意味において拒否する

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という我が国のスタンスは、

平和憲法と同じく、我が国が世界に向かって、胸を張れる
「美しい奇跡」だと思うのです。

私は、原発に対して、「2つ目の美しい奇跡」があっても良いと思う。

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このような議論や野望や陰謀や思惑から出てきたかは、知りませんし、興味もありません。

「ストレステストに合格しない原発は稼動させない」などということは、議論する余地もない、当然のことだと思います。

その為のデメリットなら――

―― 例え、来年3月にすべて停止したら国民生活も日本経済も立ち行かなくなっても、

『それでもいい』と今の私なら言いきれる。

# もう、あのような死ぬ程の後悔は、二度としたくはないのですよ、私は。

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例え、来年3月、国民生活も日本経済も立ち行かなくなっても、

昭和20年8月6日の原爆爆心地の悲劇よりは酷くはならず、
平成23年3月11日以後、理不尽な避難生活を強いられている方々以上の悲劇にはならない

はずです。

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私の主張は、むしろ逆です。

その「ストレステスト」のテストシナリオの出来の方が心配です。

私がずっーーーーと言い続けている、

(1)原発施設を占拠しているテロリスト殲滅模擬戦テスト

(2)原子炉に対するミサイル攻撃に対する迎撃テスト

(3)ミサイル攻撃後でも原子炉の安全が担保されることを確認する爆破耐久テスト

の、最低上記の3つが入っているか否かを確認したいのです。

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政府は、ちゃんと「ストレステスト」の内容を、国民に開示するんですよね?
2011年 07月 08日
やらせ
随分昔のことだと思います。

会社がスポンサーになっているサッカーリーグの選手に対して、社員の子供にファンレターを書かせて選手に送付する、という、誠に露骨な「やらせファンレター」を書かせるというイベントがありました。

多分、私はその時、まだ独身だったと思うのです。

もし、私が子持ちであれば、こんな機会を逃さない。
絶対、私が自分で書く。

文章の締めは、

『あなたの「特大ホームラン」を楽しみにしています』

です。

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九州電力は6日、

玄海原発2、3号機の再稼働に向けて

本社の課長級の男性職員が、

原発の職員や関連会社社員らに対し、

一般市民を装って

運転再開を支持する意見をメールで番組に投稿するよう

指示していたことを明らかにした。

(http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1977513.article.html)

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私は、この手の「やらせ」(陰謀ともいうか)が、法人によって行われることは、(道徳的にはどうあれ)起こり得るだろうとは思っています。

認容できる行為ではないですが、中間管理者の一人としては、高飛車に批判だけして立ち去ることには、一定の抵抗を感じます。

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しかしですね。

○この時期に、
○この話題について、
○こんなことを思いつき、実施してしまう
○この『本社の課長級の男性職員』という方の、
○このリスク回避能力(または、精神構造)

は、一体どうなっとるのだ、と首をかしげてしまいます。

『大したことではない』または『ばれない』と本気で思っていたのでしょうか。

# ちなみに公序良俗に反する情報の漏洩は、法律(不正競争防止法等)でも民事罰・刑事罰のいずれにおいても、刑罰の対象外です。

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少なくとも、「私」を構成員とする組織の管理者の皆様へのお願いと警告です。

もし、私、または私を含む組織の構成員に対して、この手の命令が発せられた場合――

―― 命令発令と同時に、私が、考え得る最低最悪の形で、即時に流出させることを、覚悟しておいて下さい。

内規違反に対する制裁があれば、法に則り、徹底的に闘う準備も気力もあります。
2011年 07月 07日
『なんで、国家に「結婚」を「承認」される必要があるのか』
1、2年前のことだと思うのですが、特許発明のブレインストーミングで、

「『婚活』とは女性の活動に限定されるのか否か」

という深淵なテーマで、激しい議論がされたことを覚えています。

# 「飲み会」ではなくて、「発明検討会」で、という点がポイント。
## これで、弊社の株価が落ちたら、怒られるかもしれない。

「婚活」の実践的な当事者資格を欠いている私は、議論に参加できなかったのですが、なかなか興味深い意見がありました。

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なんで、こんな話題を振っているかと言いますとですね、先日の、サンデル教授の講義の中で、

「同性婚」の議論から派生して、「結婚」とは何かという問題に至り、そして、そもそも

『なんで、国家に「結婚」を「承認」される必要があるのか』

という、極めて根源的な問いかけに帰着したことに起因します。

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基本的には「生殖」ですよね。

→国家が存続する為には、その国家の構成員が一定数維持されなければならない

→構成員を生成するシステムを保護する必要がある

→「結婚」と、結婚後の構成員に優遇措置(税制、福祉等)というインセンティブを与える

で、この理論に因れば、国家による「同性婚」の否定に繋る、と。

# ちょっと単純化、し過ぎていますけど。

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しかし、この理論によれば、生殖能力を喪失した高齢者の結婚や、死期の確定した末期ガン患者の結婚をも、否定することになります。

が、私の知っている限り、結婚にそういう制約を設けている国家は存在していないと思います。

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さて、と。

『なんで、国家に「結婚」を「承認」される必要があるのか』

と似たような問いかけに、

『なんで、会社が「ライフプラン」なるものを、社員に考えるように指導するのか』

というのがあります。

ライフプランとは、

――充実した今後の職業人生に向けて仕事と個人生活を合わせたライフプランを考え、さらに定年まで(定年後)の会社貢献分野と課題を明確にすること――

だ、そうでございます。

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昨年、いわゆる中間管理職研修で、この「ライフプラン」に関する説明があった時のこと、

「いらんお世話だ。ほっといてくれ」

という趣旨の発言したら、会場が シーン となった(ような気がした)。

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私は、「労働を提供し、対価を得る為の手段」という枠組みでしか、就労先を認定できていないのです。

個人の生活に思いっきり手を突っ込んできて、「ライフプラン」なるものを考えさせる、使用者側のメリットって何なんでしょうか?

誰か私に教えて貰えませんでしょうか。
2011年 07月 06日
サンデル教授の凄いところ
今年の正月にHDDレコーダに残した、サンデル教授の「ハーバード白熱教室」の音声だけをFMトランスミッタで飛ばして、MDプレイーヤで聞いています。

それを聞きながら、部屋の掃除や、二階のトイレに本棚を作っています。

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サンデル教授の講義の内容は勿論ですが、私がこの人を「凄い」と思うことの一つに、

◯質問に回答した生徒の名前を、完璧に覚えていて、
◯議論の中で、その人物を名指しで、再度質問できる、

という点です。

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私が人の名前を覚えることが苦手なことは、色々な人が知っていると思いますが、特に大学時代の研究ゼミの仲間は、良く知っていると思います。

なにしろ、私が名前を覚えられなかった為に、その後、私が適当に名づけた名前が、その後、慣用名称として使われるに至った犠牲者が、少くとも2名います。

# 『きくぞう』やら『だんな』やら。
## みんな、元気かな?

それはさておき。

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サンデル教授の講義は楽しかったです。
特に最後の講義が秀逸です。

でも、「コスモポリタニズム」というのは、自分的には「ちょっと・・・」なんですよね。

「コスモポリタニズム等の主義を否定しない、ニヒリズム」が、私の限界点のように思えます。

基本的にエゴイストですから、私が、自分の利益に係わる時のみ「対話を通じる問題解決アプローチ」を駆使することは―

― 多分、私を知っている多くの人がご存知のことでしょう。

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にしても、6時間ぶっつづけの聴講は、さすがに疲れました。
2011年 07月 05日
昨日の続き
昨日>と言う訳で、私の最近の落語の楽しみ方は、YouTubeの音声をFMトランスミッタで飛して、FMラジオ付きのMDプレーヤで落語を聞きながら、家の掃除や料理や大工をすることです。

昨日>私が、一人で爆笑しながら掃除をするのを、家族が怖がるのが「難」なのですが。

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『お願いだから、真夜中に不気味な笑い声で、目を覚まさせるのは勘弁して欲しい』

と、昨日、嫁さんに懇願されました。

# なるべく声を抑えていたつもりだったんですけどね。
2011年 07月 04日
落語鑑賞
私の数多い趣味の一つに「落語鑑賞」があります。

まあ、落語研究会に入ろうか随分迷ったという経緯もあり、そもそもが話芸が好きな方です。

どっかで書いたかもしれませんが、小学校の頃、一回だけ聞いた落語(40分)を、友人に披露して見せたという、特技も持っていました。

古典落語よりは、創作落語の方が好きでして、創作落語と言えば、桂三枝師匠の右に出る人はいないでしょう。

この人の創作落語は、本当に素晴しく、その行き届いた過去から最先端の流行に至るまでの、豊富な話題性は、日々の膨大な勉強量を彷彿させるものであります。

それはさておき。

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私一回だけ、寄席にいったことがあります。

寄席というのは、午後3時ごろから始まって、真打の登場まで4時間近くかかります。

その間の前座と言われる人達の芸の「つまらなさ」は、驚愕する程です。

『あんた、その程度の芸で、人前で話をするんかい』という程、つまらん。

「この人達が、あと100年修行をしても、前座から真打になれるとは到底思えん」、と本気で思いました。

私を寄席に連れ出した先輩は、「この4時間を我慢することで、真打の凄さを思い知ることができる」と言っていましたが、私は、この4時間なしに、直接、真打を楽しみたいです。

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と言う訳で、私の最近の落語の楽しみ方は、YouTubeの音声をFMトランスミッタで飛して、FMラジオ付きのMDプレーヤで落語を聞きながら、家の掃除や料理や大工をすることです。

私が、一人で爆笑しながら掃除をするのを、家族が怖がるのが「難」なのですが。
http://www.youtube.com/watch?v=fGVHa9qLwzI&feature=related
2011年 07月 03日
『極めない人生』
GOSICK(ゴシック)は、桜庭一樹原作の小説で、1924年の第一次世界大戦後のヨーロッパを舞台とした、天才美少女を主人公とした推理アニメ(?)と言えるものです。

そもそも、私がこのようなアニメに辿りつけたこと自体が不思議と思われるかもしれませんが、私にとっては一種の幸運でありました。

事の始めは、茨城にある工場に宿泊出張した時です。

寝つけなくてつけっぱなしのTVに、第一回目の放映がされていたのを偶然見たことから、その後、すっかり嵌り続けました。

そして、先日の週末、24話が完結しました。

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物語としても十分に楽しかったのですが、特に、第一次世界大戦と第二次世界対戦の間の間のヨーロッパの社会状況や、各国の、地政学的観点からの戦争参戦へのアプローチなど、私の興味を刺激すること、果てしなかったです。

おかげで、私自身が、ヨーロッパの20世紀初頭の状況についても、相当量調べてしまいました。

ヨーロッパの小国が大国の狭間で、いかに生きていかなければならなかったか。

列強の帝国主義の元での第三世界の搾取の形態や、また、現在においては到底考えられない「オカルト」が、政治の主たる要素となりえたという事実。

ナチスドイツに「オカルト省」という省庁の設立が現実に検討されていたことから、果ては、アーリア人の血統純潔を守る為に制定された、1935年制定のドイツの「ニュルンベルク法」にまで辿りついてしまいました。

(「ニュルンベルク法」の法施行の実例については、本日は割愛。もう流石にあの内容を具体的に記載する気力なし)

しかし、最近のアニメは、凄いなぁ、と実感します。
原作者は、本当によく勉強して調べていると思います。

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比して、私の各種の知識が、どうして、かくも、体系的でなく断片的で、連続性や一貫性を欠き、各種の仮説が説得力を欠き、応用力が効かないのか、と、常々思っていたのですが、

アニメとか、小説とか、テレビとか、ドキュメンタリとかから、適当に拾ったネタで、断片的な調査に留まり、それで満足するという、中途半端な探究心が、その一端だと思い当たりました。

が、まあ、それでも良いのかと思います。

『極めない人生』を極める、ということで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/GOSICK%20-ゴシック-
2011年 07月 02日
試算して持ってこい
最近、光インターネットのセールスが激しいのですが、私はまだADSLを使っています。

特別不便を感じていないからですが、ネットワーク回線を変更した場合の、構築作業が「こっち持ち」と言うのが、どうも納得できないんです。

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セールスの電話に対して、

『私の試算結果では、割高になって、コストメリットがないようです』

『当方の現行の仕様を全部開示しますので、その上で、コストが安くなることを示して頂けませんか?』

『それと、我が家のネットワーク、その辺の小さい会社を軽く凌駕する規模のLAN敷設がされていますが、この移行の構築も面倒見て貰えますよね』

というと、もう電話がかかってきません。

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情けないセールスマン達だ。

この程度の努力と勉強への気概もなく、『楽して契約を取ろう』とは、考えが甘すぎる。

私に何かを売り込むのであれば、命をかけて来い。

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一度凄いセールスがありました。

『光回線に入ると、地震予知のサービスが受けれらますよ』

と言い切ったお姉さんがいました。

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『あんた、正気か?』

と、初めて電話で喋ってしまいましたよ。

# 『緊急地震速報』を『地震予知』と誤認するこの無知さ加減だけは、どうしても許せなかった。

## この時ばかりは、近くにいる家族が青ざめるほど、電話口で、激しく罵倒の限りを尽してやりました。

光ネットワークの敷設ごときで、「地震予知」ができたら、2万人以上もの人間の命が失われるものか。

馬鹿野郎めが。
2011年 07月 01日
生存能力としての声
ファミレスやファーストフード店に、資料を持ち込んで、勉強やら仕事を行うことが多いです。

特にこの夏は、節電対策の一つになっているのだろうという、心理的負担の解消もあります。

ファミレスやファーストフード店は、食事をしながら、友人や家族との会話を行うところなので、喧しく騒がれても、別段腹は立ちません。

そもそも、それが嫌なら、そんなところで仕事や勉強をしなければ良いのですから。

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という訳で、別段腹は立たないのですが、

女性がグループになって喋っている時の、

あの特有の、かん高い「声」は、一体どういう成分から構成されているのだろうか、と思うことがあります。

私は、各種の耳栓を常に常備しており、大抵の音声は遮断できるのですが、あの「声」だけは、耳栓を貫き、私の脳幹に突き差さる、驚異的なパワーがあります。

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まだ人類が、文明を獲得するまでの間、男性は外界から侵入を阻止することによって、女性はによって内部の生活を安全な水準に保つことによって、子孫を存続させるという作業を分業してきました。

しかし、女性が自らの力で、外部の暴力を排除する必要もあった筈です。必ずしも、男性のみが守り切れる場合だけではなかった筈ですから。

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私は、古来、女性は自分の音声だけで、他者を撃退しうる能力があったという仮説を持っています。

この能力は文明の発達と同時に退化の道を歩んだのだと思います。

しかし、現代の科学力を持ってあの音声のパワーを極限まで高めれば、多分、そのパワーだけで生物を殺害できるのではないかと思っています。

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体力的劣位にある女性の多くが、ドメスティックバイオレンス(DV)の被害者になるというこの悲惨な状況を鑑みても、女性に、この「殺人音声」を復古させるという研究がなされるべきだと思います。

ファミレスなんぞで、この能力の一部を開放させる程度では、もったいないです。