江端さんの忘備録
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- ■2011年
01月 31日
-
- ・一般教書演説
- あの「合理主義の教師」とも言うべきアメリカ合衆国が、その議会において、えらく不合理なことをやっていうな、という気がします。
大統領の演説の一フレーズごとに、立ち上って拍手する、という作業を、延々と続ける。
不気味だ。
#
ニュースで見る、<<北>>の指導者の集会に似ているようにも思える。
拍手を続ける方も、大統領の演説の全てに感動している訳ではないでしょう。
もし本当に感動しているなら、為政者としては適格を欠いているのではないか、と邪推してしまいます。
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と思っていたら、案外そうでもないらしい。
『演説中、言及される個別の政策項目に賛成する議員による拍手でしばしば演説が中断されるが、当該項目に反対する議員の意志表明は拍手を控えることにとどまり、野次やブーイングなどが行われることは通常ない』
それならそれで、一度でいいから、「全員が拍手をしないで、議会会場が完全な沈黙に支配される」という場面を、見てみたいものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/一般教書演説
- ■2011年
01月 30日
-
- ・いやはや、なんとも、耳が痛い
- 「N山さんって、ミネソタに1年いただけだよな?」
「ああ」
「なのにどうして日米関係の専門家みたいなつもりでいられるんだろう」
「しかも、15年前の勤務経験なのにな」
「遠くに行けば経験値が付くと思ってるんだよ」
「ったく。ドラクエじゃあるまいし」
(出展:小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句)
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いやはや、なんとも、耳が痛い。
自分のことを言われているようです。
「江端さんって、コロラドに2年いただけだよな?」
「ああ」
「なのにどうして日本の英語教育に、あんな批判のコメントを山程書けるんだろう」
「しかも、10年前の勤務経験なのにな」
「英会話力が付いているとでも思っていやがるんだろうか」
「ったく。ブロークンの上に、デタラメな英語で聞き苦しいったりゃありゃしないのに」
「正面向いて批判すると、後が面倒そうだし」
「あの人、なんでもブログに書くしな」
「メールも、やたらブロードキャストするから、仕事に差し触りがあるんだよな」
「自分では、粋な文章書いているつもりだから、本当に性(たち)が悪いよ」
「部長とか注意してくれないかな」
「それなりに、成果もあるんだろ。正面切っては言い難いのかもしれんぞ」
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なんか、書いていて、だんだん、自分で腹が立ってきたぞ。
文句のある奴は、出てこんかーーーい!
(と、一人でキレる)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110120/218057/?P=5
- ■2011年
01月 29日
-
- ・NHKの大河ドラマの功罪
- 嫁さんと娘が、小学校の社会の教科書を見ながら、二人で文句を言っていました。
「源義経って貧相」
「源頼朝、全然かっこよくない」
「坂本竜馬って、美男子じゃないよね」
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NHKの大河ドラマが悪い。
貧相で、かっこよくない、醜男の俳優を主人公とすれば、こんな問題は発生しないのである。
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新年から始まった大河ドラマも、例にもれず「織田信長」賞賛の形を取っていますね。
だから、ストーリーに無理が出てくる。
「人格障害」という心の病を持った為政者、という自然な解釈でドラマを作れば良いと思うんです。
視聴率が取れるかどうかは、さておき。
http://www.kamakura-burabura.com/jinbutyositune.htm
- ■2011年
01月 28日
-
- ・神の火
- 私は読書家ではありません。
しかし、高村薫の「神の火」と「リヴィエラを撃て」を、繰り返し読んだ読者としては、おそらくギネス記録を持つと思います。
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「神の火」の上巻を紛失して久しいのですが、昨日図書館で、ハードブックを見つけたので、借りてきて、土曜日で一気に読み終えてしまいました。
それで、この複雑な物語の全容をようやく理解しました。
この本と出会って、すでに10年以上も経とうというのに。
私が、如何に、いい加減に本を読むかが分かるエピソードと言えましょう。
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高村薫さん(「さん」を付けてしまいます)が、----いいですか、
○1991年の段階で、これだけ<<北>>のことを正確に記述し、
○恐らく、2011年の今の<<北>>と我が国の状況をピタリと当てている
ことに、私は畏怖を感じます。
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○<<北>>は、一般の民間人(未成年の少女を含む)ではなく、なによりも、日本の原子力技術者を拉致したかったであろうこと。
○そして、<<北>>の暗躍に対して、日本の政府や警察(公安)が、公にできない舞台の上で、長い間、誰にも語れない闘いを続けてきたのであろうこと。
○「超安全」を誇る日本の原発であっても、海の向うからやってくる、ミサイル一発にすら対抗できないということ。
それと、
○1991年の段階では、インターネットは一般ではなく、UNIXのシステムは一般には手に入らず、特別な大学のみが専有できる高価なシステムであったということ。
ついでに言えば、当時は「ファイアウォール」という概念すらもなかった、という事実も。
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と言う訳で、私の回りでネットワーク研究をやっていて、多分、この「江端さんの忘備録」を読んでいるであろう皆さんへ。
市井の人が、この本の内容を理解するのは、(残念だが)難しいと思う。
しかし、あなたなら、確実にハマる。
- ■2011年
01月 27日
-
- ・グローバル化を止めてみませんか
- Q:海外で働いたら損でしょうか
A:正直、損だと思います。
あまりキャリアとして評価されないから。
→特に、研究員の場合、共同研究やら調査やらを目的とするので、事業としての利益の直結しない。
→金も人も出さず、リスクを取らない。『あわよくば、事業化』というような中途半端な覚悟。
→命令内容が滅茶苦茶。『でかけて事業を探してこい』って、言っている本人ですら、信じていないような命令がされる。
今や、「海外で働きたいと思う社員」は3割以下だそうです。
無理もありません。
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ちょっとした事業計画書を作って、それに伴う収支計算をしてみると、愕然とします。
『2桁、計算を間違っているのではないか』、と。
日本企業のグローバル化が本当に必要かと問われれば、私は間違いなく必要と応えることができます。
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でもねえ。
海外展開の提案書を読んでいると、そこに、「汗を書く私」が見えないんですよ。
『誰かが、これをやれば、きっと上手く行く』
というような、なんか他人事のような提案書に読めるんです。
邪推でしょうか。
文部科学省は、英語の開始年齢を小学校の高学年まで引き下げたようです。
これで問題が解決するとは、文部科学省ですら信じていないはずです。
#
もし本気で、信じていたら「バカ」と言ってやる。
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「グローバル化を止めてみる」という選択肢を考えてみる価値があるかもしれません。
○エコ・クリーンエネルギーによる完全循環型社会の実現
○穀物を中心とした200〜300年規模の食生活パターンへの復古
○国内資産価値の徹底的な下落による日本国の不動産価値の徹底的な破壊と国土の無価値化
○それによる国防の無価値化。さらには国防費の事実上の凍結
○老人福祉予算の廃止。安楽死の合法化、および適用条件の緩和
誰も外国に行きたくなくて、それでも生きていきたいのであれば、それを満たす要件は、「グローバル」にはないような気がしています。
多分、答えは、
『鎖国』
です。
- ■2011年
01月 26日
-
- ・政治家の属性
- 官房長官や現職大臣の失言等で、問責決議やら辞任要求やら予算審議を遅延させることは、いわゆる「政争」であるので仕方ないと思います。
ただ、現職大臣と言われている人達が、原則として『もの凄く頭がいい』ということを、知らない人が多いと思います。
官公庁から出向(?)して、現職大臣の補佐のような仕事をしていた友人がいたのですが、官房長官や現職大臣の、その頭の切れ方たるや、半端ではなかったそうです。
100ページ近いレポートを、1枚1秒くらいで読み、問題点があればその場で指摘し、答えられないと激しく叱責され、レポートの再提出を要求される。
再提出しても、大臣の要求に応えていないものであれば、その場でゴミとして廃棄される、という厳しさだそうです。
で、そういう大臣の元で育てられるブレーン達も優秀さも、また半端ではない訳です。
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夏休みや正月休み、国民の大半がのんびりとテレビなど見ながら、軽くビールなどを飲んでいる間、
首相や大臣達は、政府官邸や各省庁の部屋に閉じ籠って、早朝から深夜まで、条約や法律の勉強をしているそうです(そして、官僚もそれにつきあわされる)。
他の国会議員達は、票田である地元に戻って、これまた、朝早くから夜遅くまで、運動資金を提供してくれる会社の社長や組合の委員長を訪問し、時間があれば、駅なで演説などをして支援を求める活動に余念がありません。
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つまり内閣に属する人達や、国会議員の人たちは、私から見ると、
スーパーマンであり、
常に恐しい程の努力を詰み重ね続け、しかも、
決して「あきらめない」忍耐の人たちなのです。
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だから、私は、こんな風に邪推してしまう訳ですよ。
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こんなに死にもの狂いで努力している人達が、
のんべんたらりと生きている
私のような人間を、
本気で
助けようと
思うかなーーー
==========================================
と。
- ■2011年
01月 25日
-
- ・無許諾転載
- 「忘備録」を読んで頂いた方から、メールを頂きました。
本人 *無許諾*
で転載します。
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今、帰宅しました。ほぼ毎日こんな時間です。
「こぼれ」を読んだので感想をば。
・GPS
日本は独自のGPSを持つべきだという話、激しく同意します。
衛星の名前は「INO」で決まりでしょう。(*)
*
伊能忠敬
EUのガリレオは...まだ打ち上げてないのか。
企画倒れになる気がしてならない。
・円空仏
買うよりも彫刻刀で自作しては?
休日に一心不乱に丸太に向かい、仏像を彫る!
渋すぎる趣味と言えましょう。
己の中に眠っていた仏性を発見してしまうかも知れません。
その結果、妻子を捨てて出家したとしても責任は取れませんので悪しからず。
-----
- ■2011年
01月 24日
-
- ・渋い趣味
- ティーンエイジャの頃は、自転車やバイクを乗り回していました。
『盗んだバイクで走り出す』というような、阿呆な薬物中毒/低能歌手の歌詞を目的とするものではなく、専ら、
寺社・遺跡めぐり
の為です。
-----
ティーンエイジャの趣味としては、ちょっと渋すぎる様な気もします。
しかし、私は渋谷や原宿のような原色系の街は、大変居心地が悪いのです。
女性の友人に、青山に連れていかれた時は、『一刻も早く逃げたい』一心で、彼女の言うカーディガンを言われるままに購入して、すぐに街を脱出しました。
#
あの時に、色々『大切なもの』を落して来たような気もするけど。
閑話休題
-----
「古代史ファン」という程ではありませんが、すでに中学時代には大和・飛鳥地方を旅していました。
#『うちの親って相当に寛容だったんだな』と、今、自分の子供を持って初め
て思う。『何も考えていなかった』のかもしれないけど。
山の辺の道(全長20km)を、一日かけてテクテクと歩いていましたし、その途中にある、宮内庁管轄の立ち入り禁止の墓所に、柵をよじ登って侵入したりしていました。
#
盗掘等はしていません。時効成立しています。
-----
原色・暖色系の街が大好きな嫁さんと、モノトーン・冷色系の街が大好きな私では、団体行動できません。
スキー、ディズニーランド、キッザニアの方向に向かうのは仕方ないと思います。
寺社・遺跡めぐりも、しなくなって久しいです。
-----
最近、木彫りの円空仏が欲しいなぁという気持ちになっています。
すでに、人生の終りの始めに至ったという、観念の域に達しているような気もします。
こんなの
↓
http://www.enku.jp/
- ■2011年
01月 23日
-
- ・「GPS」という戦略兵器(その7)
- 米国が永久的に我が国の友好的な同盟国であったとしても、それでも、我が国は「GPS」とは独立した、「位置」と「時間」を取得するシステムを持っておくべきです。
我が国と敵対する第三国が、我が国の上空に向けて、GPSの妨害電波を発した場合でも、同じ効果が得られます。
#
しかも、とっても簡単。
#
GPSと同じ周波数の発振器一つ(1000円くらいで作れる)と、その増幅装置、指向性アンテナがあれば足りる。
-----
と言う訳で、我が国は、国防の観点からも、是非、
==================================
地上GPS方式(スードライド、IMES等)
==================================
を、公共インフラとして敷設すべきです。
屋内でもGPSが使えるので、東京駅や大阪阪急3番街のような屋内や地下迷路であっても、携帯電話のナビゲーションが使えるという、*副次的*な効果もあります。
どうでしょう。政府関係者の皆さん。
どーんと1兆円規模の公共事業として立ち上げてみては。
橋や道路やダムなんぞより、国防やIT産業の活性に資することこの上もないこと、この私が保証致します。
- ■2011年
01月 22日
-
- ・「GPS」という戦略兵器(その6)
(「GPS」という戦略兵器(その5)からの続き)
SFでも映画の話でもなく、多分、本当にこうなる。
そして、GPSは我が国のものではなく、我が国の法律の効力の及ばない第三国の
*善意のサービス*
です。
それを止められたといって、文句の言える筋ではないのです。
「善意のサービス」というあやふやなものの上に、我が国のシステムは成立しているという事実に、日本人は戦慄しなければならないと思います。
-----
私は外交や国際情勢に通じていませんが、GPSのことだけでも、
我が国が当該国との同盟関係を破棄するという選択は、
*
絶対に * 取り得ません。
GPSを戦略兵器として使われた瞬間に、我が国の敗北は確定です。
- ■2011年
01月 21日
-
- ・「GPS」という戦略兵器(その5)
- (「GPS」という戦略兵器(その4)からの続き)
ここで皆さんに質問です。
もし米国が、GPSの精度を劣化させる、または極東地区に入った時だけデタラメな信号を投げるような措置を取ったらどうなると思います?
そうですね。
位置の誤差を、北に1000メートル程度移動させる、でも良いでしょう。
また時刻補正信号を、300ミリ秒程度狂わせる、でも良いです。
方法は簡単。
GPS衛星に命令を与える地上局から送信するパラメータの値を「ひょい」と変更するだけで足ります。
○カーナビのルートはデタラメを示し、航空機は滑走路から外れて、管制塔に激突。鉄道の全線で運行管理システム停止、ダイヤは有名無実の状態へ。
○携帯電話は全て不通となり、固定電話もネットワーク同期がとれなくなり、通話確率は10%程度まで低下し、さらに発呼が殺到することで無限の輻輳が発生。インターネットを含めて、通信システムは全て断絶。
○製造業では同期が取れなくなったシステムから、矛盾するセンサデータにより、フェイルセーフシステム自動起動、製造能力がゼロへ。ロボットやアクチュエータの同期が取れず、現場で事故が多発。
○公共サービスも全部停止。火事、事故、その他への対応が行えなくなり、コンピュータシステムに依存している、水、ガス、電気のインフラも全停。
○ガソリン等も行き渡らなくなり、市民の足は完全に失われ、運送システムも機能しなくなり、物資供給が不可能。食料の配給も不能状態へ。
○病院の給電も不可能となり、病人は治療の目処なし。
そして、これが一番怖いのですが、
現在の基幹システムの多くが、GPSの時刻同期を前提としているので、
○『システムを再起動しても、正常に動かず、上記の状態から脱することができない』
という事実です。
- ■2011年
01月 20日
-
- ・「GPS」という戦略兵器(その4)
- (「GPS」という戦略兵器(その3)からの続き)
ところで、米国が提供しているGPS衛星からの電波には、大きく、民生用と軍事用があり、我々が日常使っているの民生用の電波です。
この民生用の電波は、かつて意図的なノイズがかけられおり、意図的に位置の精度が落されておりました。
米国は2000年にこのノイズを止めることにして、GPSの精度は劇的に向上しました(100メートルから10メートル程度に向上)。
-----
さて、GPSのサービスを無償で世界に提供しているアメリカ合衆国は、日本の安全保障の同盟国です。
アメリカ合衆国の空軍は、世界の数カ所から、24時間体制でGPSの精度を保持し続けています。
天候(気圧等)や宇宙の電磁波や、その他のパラメータを、地上からGPS衛星に送って、位置や時刻の精度を維持しています。
これ、全部「タダ」です。
#
私なら、GPSを使う同盟国に対して、年間数百億から数千億程度の運営費を請求する
しかし、米国は仮想敵国にすらGPSの電波を提供し続けています。
- ■2011年
01月 19日
-
- ・「GPS」という戦略兵器(その3)
(「GPS」という戦略兵器(その2)からの続き)
さて、皆さん。
我が国の運行システムのほぼ全部がGPSに依存していることは、周知のことですよね。
カーナビや携帯は言うまでもなく、鉄道、交通、航空、地上・海上の輸送、業種でいえば、運輸、交通、漁業、農業までもが、GPSを前提としています。
-----
ところが、GPSは単に位置を測定するだけではなく、世界中どこにいても、だれもが、同じ時間を共有できるという凄い能力を持っています。
これを時刻同期と言います。
GPSによって、世界中どこにいても、100万分のさらに1000分の1秒の精度の時刻を提供できます。
この精度は、光が3cm進む時間に相当します。
ネットワークシステムなどでは、すべての通信機器が同じタイミングで同時で動く必要があるので、GPSを使って時刻を合わせています。
皆さんが街中でみかける、携帯電話のアンテナの根っこにある器械は、この時刻同期の機能を持っています。
この機能のおかげで、携帯電話システムは日本全国どこにあっても、同期して動くことができ、そのおかげで皆さんは携帯電話を使うことができるのです。
また製造現場では、ロボットをタイミングよく動かし、ラインの異常を検知する為に、GPSはなくてはならない「絶対時刻を提供してくれる時計」なのです。
- ■2011年
01月 18日
-
- ・「GPS」という戦略兵器(その2)
- (「GPS」という戦略兵器(その1)からの続き)
この光のノロマな性質を使って、使って位置を測定する方法が、皆さんご存知の、グローバル・ポジショニング・システム(GPS)です。
#
"GPS"は米国空軍の採用しているシステム名称であって、正確には"GNSS"というのですが、ここでは"GPS"を使います。
皆さんのGPSを搭載したカーナビや携帯電話に搭載されているGPSは、10メートル前後の誤差を担保していると思います。
つまり、それらの機器は、1μ秒のさらに数十分の1の時間を使って、位置を算出している訳です。
光が「遅い」からこそできる方法なのです。
- ■2011年
01月 17日
-
- ・「GPS」という戦略兵器(その1)
- 最近実感するのですが、光の速度(光速)というのは、案外「遅い」ということです。
#
冗談ではなく。
光速は秒速30万キロメートル、いわゆる「一秒で地球を7回半回る速度」です。
べらぼうに速いような気もします。
しかし、1μ秒(100万分の一秒)で、たったの300メートルしか進みません。
-----
最近のパソコンでは1ギガのクロック周波数を持つものがありますが、これは1クロックあたり「数センチ」しか光が進まない時間なのです。
『光がパソコンを通りすぎる間に、何回か手拍子を打たれる』
現実世界の最高速度には違いありませんが、光はノロマだと思います。
- ■2011年
01月 16日
-
- ・きみがいた時間 ぼくのいく時間
- 演劇集団キャラメルボックス
主演 上川隆也
「きみがいた時間
ぼくのいく時間」
をNHK
BSで見ました。
上川隆也、上手いなぁ〜。
-----
「時空間」が登場するものには、例外なく、のめり込んでしまう私です。
http://www.caramelbox.com/stage/kimijikan/index.html
- ■2011年
01月 15日
-
- ・「メンタルヘルス推進センター」という名の「ストレス生成・拡張機関」
- 私は今日、最大級の*怒り*で、ストレスの限界に来ています。
「メンタルヘルス推進センター」なる機関は、一体どのように、この状況を収拾してくれるのだろうか?
-----
○「あなたと家族の関係の良し悪し」
→ 25%以下
本 当 に い・い・か・げ・ん・に・し・ろ・よ! 毎 年、毎 年
!!
この「JMI」のおかげで、良好な家族の関係が、年々悪化していきます。
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○仕事に対する正確度(ミスへの意識)
→ 90%
? ? ?
「先ず出す。叱られる。その後修正すれば足る」をモットーとして、「出たとこ勝負」をポリシーとする、この私の仕事のやり方を愚弄、嘲笑したいのでしょうか。
-----
○飲酒のトラブルがない傾向
→ 49%
飲 ま な い の に、ど う や っ た ら ト ラ ブ ル を 起 す こ と が で き る
か。
是非、教えて欲しい
。
-----
これまで、この「JMI」なるものを受診して、「良い」ことなど何一つありませんでした。
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「メンタルヘルス推進センター」
(と書いて、私には「ストレス生成・拡張
機関」と読める機関)
にお願いがあります。
当該センターは、アルゴリズムを公衆に開示し、その妥当性を第三者機関に検証させて下さい。
正しい診断をしているか、極めて疑わしいからです。
「誤診」で、逆に状況を悪化させている恐れがあります。
大きな事故を発生させる前に、実施して頂くことを強くお勧めします。
-----
とりあえず、JMIの「誤診」で、多大な迷惑を被っている被害者の事例が、「ここ」に、「確実」に、「一件」あります。
- ■2011年
01月 14日
-
- ・「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その6)
- (続き)
寒い日々が続いています。
この寒い中、私達がそれでも生きていけるのは、少し歩けば、そこに暖かい家があり、食べ物があり、「お帰りなさい」といってくれる家族がいるからです。
この「寒い」状態を、近い未来に終了させることができるという確証があるから、私達は立ち向うことができる。
「がんばれ」と言い、言われることができる。
しかし、この寒さが無限に続くものであり、そこになんの未来も希望もないと考えている人に対して、そんな臓腑を抉り出すような残酷な言葉は言えません。
全部の日本人に対して、供給する富は絶対的に少ない。
そして、既得権を得ているだろう私は、自ら進んで、富の少ない人に対してその既得権の分配などはしないし、その予定もありません。
私は私の人生だけで、いっぱいいっぱいなのです。
-----
今、私が言えることは、一つだけです。
私が何もかも失ない、
万策付きた絶望の漆黒の闇の中にある時、
私が狂い出す前に、
最期の理性を維持して、
「手続なし」
を選択することをここに約束する
と言うことだけです。
- ■2011年
01月 13日
-
- ・「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その5)
- (続き)
もちろん、そうであったとしても、そこに同情の余地はありません。
上記の「手続」を一言で総括すれば、「かまって欲しかった」に尽きます。
年間3万人の自殺者を出す、自殺大国日本においては、自殺は当事者、身内、関係者を除けば、単なる「数」で「データ」で、そこには「手続」すらない非業の死が、ゴロゴロしています。
多くの人は「手続」が欲かったかもしれないが、それでも、それを求めずに逝っている。
この現実を見い出さず、自分勝手な理屈で、全然関係の無い第三者を殺傷する者を弁護する言葉は、私にはありません。
そのような狂った理屈を許してやるほど社会は甘くはないし、その程度の命題を乗り超えれなかった弱さを認めてやる程、私も寛容でありません。
万策付きた絶望の漆黒の闇の中でも、「手続なし」を自分の意思で選択することはできたはずですから。
- ■2011年
01月 12日
-
- ・「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その4)
- (続き)
○『自分の人生が、そこに存在していたかどうか』を、世界の誰からも認識されず、そして、自分自身ですらもよく分からない。
○10秒後に自分がいなくなったところで、そこには何も変わらず続く世界が残り、信号交差点の信号機が切り替わるように、自分という点滅が消えるだけ。
○「自分の死」に幾許(いくばく)かの意味も見い出せず、そして、多分その通りである。
このような認識に至った時、人は、自分の死に対して、飢えるような気持で、「手続」を求めるのではないか、と。
-----
自分以外の誰かに、身柄を拘束され、自分の人生に評価がなされ、議論がされ(被告と原告での争い)、判断がされる(裁判官の判断)、執行される。
ステップ1→ステップ2→・・・、と順番を付けられ、自分の人生の終結を他人に委ねることになろうとも、そこには「自分の人生」の為の手続がなされ、そ
れなりの取り扱いがなされること。
前述した、(1)「自分の人生を終わりにしたかった」→(2)「ついては、死刑になりたかった」の間を埋めるべき「もの」とは、
万策付きた絶望の漆黒の闇の中で、最期の人間としての取り扱いを求めて、彼らが餓えるような思いで求めている
「手続」
なのではないかと。
- ■2011年
01月 11日
-
- ・「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その3)
- (続き)
なにげなく、特許法をパラパラと眺めていて、ふと気がついたことがありました。
特許発明とは、ただの発明ではなく「新規な創作で、自明でない具体化がされている発明」であり、特許権は、そのような特許発明に対して付与されます。
加えて、特許権となる為には、特許発明をしただけでは足りず、国家に対して特許付与の手続を行わなければなりません。
そう、特許権を得る為には、「手続」がいるのです。
もしかして、彼等は、「死刑」という、国家が最高レベルの緻密でかつ厳密な規定で運用されている、
「手続」
が欲しかったのかもしれないな、と思うようになってきました。
-----
多くの人は「葬儀」という「手続」を経て、人生を終了させることになります。
つまり、「葬儀」においては、故人の過去が語られ、そして故人の死を惜しむという、一定の「手続」が行われます。
どこで生まれ、どこで育ち、何を学び、どのような成果を残し、誰と知りあい、何を考え、どのように生き、そして死んでいったか、が語られます。
さらに、そのような「手続」がなくとも、自分自身で『自分の人生は、このようであった』と纏めるものかもしれません。
#
それが良い人生であったか、そうでないものかは、さておき。
突然の事故死や、意識不明のままの病死を除けば、多分死に至るプロセスで、自分の人生を振り返る機会を得ることになります。
自分の死のタイミングを決定できる、「自殺」であれば、なおのことです。
- ■2011年
01月 10日
-
- ・「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その2)
- (続き)
私達が理解に苦しむのは、
「自分の人生を終わりにしたかった」
という要望に対して、
「全然関係の無い第三者を殺傷する」
という必要性です。
#
「動機付け」といっても良いのかも。
「自分の人生を終わりにしたかった」に対しては、一定期間放置すれば、人生は終わるようにDNAにプログラムされています。
望ましいことではありませんが、自ら終了させることも可能です。(ここでは、自殺の法的責任については論じないものとします)
-----
例えば、
(1)「自分の人生を終わりにしたかった」→
(2)「ついては、人生を終わりにしなくてすむ者達が、そのまま人生を生きているのが不愉快であり理不尽に感じる。そこで、そのような者を、巻き添えにしてやりたいと思った」
と言う動機付けなら、我々は激怒しながらも、その身勝手な理屈に対して納得した上で、犯人を憎むことができます。
しかしですね。
(1)「自分の人生を終わりにしたかった」→
(2)「ついては、死刑になりたかった」
では、全然、理解できない訳です。
(1)と(2)の間を埋めるべき、私達が理解可能な理由付けが存在しないからです。
- ■2011年
01月 09日
-
- ・「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その1)
- 「自分の人生を終わりにしたかった」
「死刑になりたかった」
といって、無差別な殺人や傷害事件を行う犯人に対して、
『勝手に終わらせろよ』
『全然関係の無い第三者を殺傷する必要が、どこにある』
と非難することは、至極当然のことです。
それ以上に、「非常に分かりにくい」のです、この犯人の心象風景は。
-----
今ではちょっと信じられないかもしれませんが、1970年代には、左翼系の過激派が、大企業のビルを爆弾で爆発させたり、あるいは銀行強盗などを行う事件が多数ありました。
勿論、世間からは轟々の非難の嵐があり、その左翼は『民衆を解放する為の革命』を掲げながら、当の民衆から「汚物」のように嫌われて、やがて存在意義を失い解体していき、今ではその影も形もありません。
しかしその過激派には、
「労働者を搾取する資本主義の走狗を殲滅する」
とか、
「革命運動を維持する組織の運営資金を資本家から奪回する」
などというような、『そりゃアンタ、ちょっと無理があるぜ』というような内容でも、苦しいなりに理由付けはしていたものです。
つまり、民衆の支援は「絶無」ではありましたが、一応の「理屈」は通していたのです。
- ■2011年
01月 08日
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- ・どうしてコメント欄を設けないか
- ブログをやっている人は、読者からのコメントを入力・表示できる仕組みを使っている場合が多いです。
このコメントは、ブログ作成者のモチベーションを上げることもできますが、逆に、その匿名性から、酷い内容の書込や、そこからフレームに発展することも多いです。
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私は、この
『匿名性』
と言うものが、好きではありません。
『公の場で、正面から文句言ってこんか!』
と思っています。
私のページが引用されて、他のWebサイトで酷いコメントを晒されていることもあるようですが、
『表にも出てこれないような野郎が、何言っていやがる』
と思っています。
匿名性にも有効性があるのは分っていますが、それは公益性を有する一定の範囲(政治や公序良俗等)の事案に限定されると考えています。
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私の記載したものに対して、批判や非難するのであれば、当然、私が実名公開している程度と同程度の立場で行って下さい。
窓口はこちらです↓
http://www.kobore.net/mailAddress.gif
- ■2011年
01月 07日
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- ・実は「ブログ」ではない
- 「ブログ」とは、日々更新される日記的なWebサイトの総称、だそうです。
そういう意味でいうと、私が日々書き込んでいる、この「江端さんの忘備録」は「ブログ」とは言えません。
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ちなみに「忘備録」ではなく「備忘録」が正しい日本語です。
# 参考資料(Googleのヒット数)
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「忘備録」→18万件、「備忘録」→1020万件
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私は、これを文字通り「メモ帳」として使っているのです。
検索キーワードに「江端、○○○」と打ち込めば、世界のどこからでも自分のメモを出すことができることが、大変便利なのです。
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具体的には、
○「江端、555」と打ち込めば、「タイマーIC
555」 のメモを引き出せるし、
○「江端
闘争」と打ちこめば、私の学生時代の前半の所行を直にリストアップできる、
というメリットがあります。
また、昔の文章を送付するのに、単にURLを記載するだけで足りますので、メールを受けとった人の方で「無視して貰える」という点も、優れていると思います。
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と言う訳で、私のこの「江端さんの忘備録」は、基本的に、
私が私の為に作っているものであり、
私以外の読者の方のことを、片隅にも考えていないものです。
読みにくいのは至極当然なのです(と開き直る)。
- ■2011年
01月 06日
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- ・床屋における理髪師の男女差に関する一考察
- 10分/1000円という理髪店が、駅の構内などに登場しはじめて、かなり定着してきております。
「髪を切ってくれれば、それだけで足る」という私のニーズにマッチしたものであり、待ち時間や整髪時間が短いというのも、大変良いです。
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このような、10分/1000円
の理髪店においても、私にとっては「当り/外れ」があります。
それが、理髪師の「男女差」です。
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女性理髪師は、一般的に仕事が丁寧であるということなのでしょうが、私に言わせれば、
『細かい』
もっと、ザクザク切って欲しいんですよ。
それはもう、雑草を切るみたいに。
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理髪を始める前に、私は、一気に5つの注文をします。
「とにかく短めに。髪は逆立ってもO.K.」
「可能な限り漉きまくって髪の量を減らして。あと半年は来なくても良いくらい」
「前髪はできるだけ短く。本を読むのにうっとうしいから」
「バリカンで刈り上げて貰って結構」
「耳は全部出して」
丸刈りにすれば、話は早いんですけどね。
子ども達に、酷く批判を受けているので、できないのです。
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男性理髪師は、私がここまで言うと、ピンっとくるようなのです。
『この人、ヘアースタイルに「髪の毛」程の興味もない人だ』
と。
私の推測の域を出ないのですが、女性理髪師には、
「ヘアースタイルに興味のない人類」
という考え方そのものがないのではないか、と考えています。
しかし、そういう人類は、確かに存在するのです。
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私は、「10分/1000円は、まだ、簡易理髪の最終形態ではない」、と考えています。
「3分500円」の市場はあると思う。
「1分300円」の市場もスコープに入れれると思う。
さらに一歩進んで、頭をつっこめば、1分で理髪を完了する自動販売機型の理髪マシンこそが、21世紀の理髪の標準形となるだろうと。
この機械こそが、日本を救うグローバル展開のキラーアプリケーションと信じるものです。
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この私のように、
○美形で
○優れた容姿を有し、
○「歩く人格」とまで言われる、
ヘアースタイルなど気にせずに生きている男性は、日本には相当人数いる、と思っています。
http://www.kobore.net/tennis.txt
- ■2011年
01月 05日
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- ・子どものIT機器の使用に関する寛容さ
- 私は保護者としては特異な分野に属すると認識しています。
子ども達が「いらない」と言っているのに、無理やり持たせています。
携帯電話を。
年賀状もパソコンで作成させているし、来年からは年賀状のデータベースも自分でやらせる為に、パソコンを使わせる予定です。
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一般の親と何が違うかというと、私には特別なスキルがあるからです。
○子ども達が、どのホームページにアクセスしているか、ロギング可能であり、いつでも、通信を遮断できる技術を持っていること。
○その気になれば、メールを盗み見ることなんぞは、朝飯前であること
○携帯電話の通話を妨害できる手段を持っていて、いつでも稼働可能な状態にあること。
○携帯電話の位置情報を把握する機能をインストールしてあり、大抵の場合、居場所を突き止められること。
、ということを、家族には知らせてあり、
○「携帯やパソコンを使って何をやっても良いが、(その気になれば)、私は、それらの技術を濫用できる状態にある」ということ。
を、全員に叩き込んであります。
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『家族といえども、プライバシーは絶対である。原則として、これらの技術の濫用は、これまでもしてこなかったし、これからもしない予定である』
『しかし、必要ならいつでも行使を躊躇わない』
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核ミサイルのボタンに手をかけた父親の前で、我が家の家族のIT機器の使用は、相当寛容に運用されています。
- ■2011年
01月 04日
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- ・TCP Trace
- ファイルの整理をしていたら、良い資料が出てきたのでメモ。
TCP Trace
http://www.kobore.net/tcp-trace.ppt
- ■2011年
01月 03日
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- ・ハーバード白熱教室@東京大学
- 年末と新年に録画しておいたサンデル教授の講義を見ています。
第1回「殺人に正義はあるか」の例題では、娘(小学生2年生)が笑いながら見ていたので、内容的には決して難しいものではないと思います。
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○5人のそれぞれの臓器(心臓、腎臓、肝臓、胆臓、肺?)を必要とする患者が搬送されてきた。
○そこに、たまたま健康診断にきた健康な男が、ベッドに眠っている。
○5人の命を救う為に、その健康な男から臓器を取ることは、道徳的に許されるだろうか。
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ちょっと調べてみたら、功利主義(最大多数の幸福を実現するのがよいこと)の立場から検討しているジレンマであり、有名な難問「臓器くじ」というものらしいです。
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さきほど、東京大学で行われたサンデル教授の特別講義における、
「戦争責任を議論する」を見終りました。
○現在の世代は、過去の世代が犯した過ちを償う義務があるのだろうか
○日本、アメリカそれぞれの戦争責任を今の世代が負うべきかどうか
について、白熱した議論がされていました。
英語をこんなに普通に使える学生が、こんなにも日本にいるのか、と驚き、流石は日本最高学府だなぁ、と感心していました。
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サンデル教授は、
『我々は、哲学的にこれらの問題(戦争責任問題等)を解決することは難しいだろうし、従って議論をすることは徒労であるという意見はも、もっともなことだと思う』
と吐露しながらも、
『しかしながら、これらの難しい問題に対して真摯に真剣に議論がなされていくこと自体が、コミュニティにおける道徳的価値を形成する行為であると信じる』
と、総括していました。
ホームページに記載のあった『感動のフィナーレ』に違うことなき、素晴しい講義でした。
http://www.nhk.or.jp/harvard/index.html
- ■2011年
01月 02日
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- ・男の資質
- 能力に男女差をつけることは、時代遅れのナンセンスであることは分っています。
それでも「男であれば、できなければならない、または、やらなければならない」というものがあると思うのです。
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『自分の家の車庫に一発入庫』
ハンドルの切り返しをしないで、バックだけで一発で入庫することは、男に欠かすことができない重要な資質であると思うのです。
また、縦列駐車や、車幅の狭い道での対向車の運転手とのアイコンタクトによる意思疎通なども、重要は「男の資質」と思うのです。
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家を建てて、もう数年。
『自分の家の車庫に一発入庫』できず、酷い時には切り返しを2回もする私は、
つまるところ、「男の資質」を欠いていると思わずにはいられません。
- ■2011年
01月 01日
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- ・文句が言える筋合いではない
- 江端家サーバは、どこからか拾ってきた欧州のパソコンに日本語OSを、2〜3世代も古いものを利用して運用しています。
家族がメインで使っているパソコンは、8年前に後輩が貸与してくれたものです。
だから、我が家の情報処理システムは、拾得物や貸与物から構成されているとも言えます。
そういう環境で、写真入りの年賀状を作ることは至難の技です。
加えて、10年前に米国で購入したプリンタは、思う場所に思う文字を出せません。
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さて、今年、私の第一声です。
「年賀状が元旦に到着しなかったのは、我が家の情報処理能力の低さに因るものであります。私の(情報処理)能力だけが原因ではありません」
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システム構築に問題があるのは認めます。
江端家では、イーサネットハブ4台のポートが、ほぼ全部塞がっています。
家中にはカテゴリー6のLANケーブルが合計100メートル程度は敷設されております。
3台のHDDが常時稼働しております。
その全ての情報が、欧州の3世代前の低スペックPC一台で管理しております。
だから、このPCサーバで年賀状が上手く印刷できなくとも
文句が言える筋合いではないのです。