江端さんの忘備録

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2010年 05月 22日
倒れている人がいる場合、その人を助けるか。
昨日の続き。

倒れている人がいる場合、その人を助けるか。
これは結構難しい命題ですが、私の基準は、明快です。

美人、体重が軽そうな人、変な体臭がしない人であって、私がその日、他人を助けたいという奇特な気分にある場合には、助ける。

そうでない場合は、見捨てる。

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私は、海外の一人旅の最中で、外国の人に命を助けて貰った経験がありますので、外国人の救助には結構フラグが立つのですが、同胞である日本人には、あまりマインドが発揮されません。

赤痢の疑いが噂されていた私を、インドのデリーのドミトリーに見捨てていった日本人への怨念は、(理不尽ではあることは重々承知の上で)日本人全体に一般化されております。
2010年 05月 21日
地面に寝そべって涼を得ること
本日は、5月でありながら、最高気温が30度近くまで達する暑い一日でした。

出張先移動の最中に、スーパーマーケットの入口の前で、仰向けに寝ている男性を見ました。

『暑い日は、地面に寝そべると涼しいんだよな』と思いながら、男性の横を通り過ぎましたが、その後、私の背中では、スーパーの人が飛び出てきて、騒ぎとなっていました。

「こういう場合は、『人が倒れている』と認識するのが正しいのか」と、学習することができました。

地面に寝そべって涼を得ることが日常である私には、結構新鮮な発見でした。
2010年 05月 19日
日本国が世界に誇る二大規範
コロラドに赴任していた時、ライフルやピストルが量販店で、普通に販売されていました。

当時、私は銃器を購入できたのか、最近気にかかっています。

米国のグリーンカードは持っていないのですが、一応社会福祉番号(ソーシャルナンバー)は貰っているので(死亡まで有効)、もしかしたら購入できたかもしれません。

そして、引っ越しの膨大な荷物(ダンボール100箱以上)に、銃器を分解すれば、密輸できたのでないか、と。

なんで、そんな物騒なものが欲しかったかと言うと、「自決用」

回復の可能性のない苦痛を伴う延命を絶対的に拒否することは、法律や世論がなんと言おうが、知ったことではない、と、どっかで書いた様な気がします。

苦痛を伴ってしまった段階では、自力で自決が実行できない環境下にある場合が多いだろうと思いまして、比較的に楽に実施できる器具は、私には魅力的だったのです。

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あ、思い出して来た。

日本への帰国が決ってから、そういう話を嫁さんと真剣にしたことがありました。

結論として、メリットに対するデメリットが測りしれない程デカイ、ということで、断念したのでした。

失職は言うまでもないでしょうが、間違いなく執行猶予のない懲役刑を喰らうでしょう。

なにより、日本国が世界に誇る「平和憲法」と「銃刀法」は、命をかけて守る価値があると思うのです。

こんな私でさえも。
2010年 05月 18日
「エリート育成」
嫁さんが、私立中学校の学校説明会に言った時、『「エリート育成」を乱発していて、鼻につくことこの上もない』と言っていました。

英語の辞書を引いてみました。
elite [eli@�t] 選ばれた人々、エリート、えり抜き、精鋭集団、精粋、選良

確かに、これは文章中では使われるかもしれませんが、会話中やプレゼンで、普通に使われるような単語ではないと思います。

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「この程度の感覚が分からない」という点が、『自称』エリート学校の校長や教師の限界、一言で言えば「世間知らず」なのでしょう。
2010年 05月 17日
「エリートの一人」だった私
我が家では怖い話ができません。

嫁さんの怖がり方が半端ではなく、そのような話をすると、例外なく睡眠障害(悪夢でうなされる)を発症し、後遺症(トラウマ)が残るからです。

子供達に至っては、「怖い話をするぞ〜」と脅した段階で、すでに泣き出しています。

大学時代に、過激な海外旅行や、無謀な冒険をした我が身には、それなりの「怖い話」は蓄積されていますが、その出口がありません。

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ところで、自分では、「過激な海外旅行、無謀な冒険」をしてきたという認識はなかったのですが、最近、同じような体験した人が僅少ということが分ってきました。

当時の私は、旅先で出会う人達の話を聞いていると、自分の旅が、日和見主義的で恥しい気持すらありました。

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過激な一人旅のエリートの中では、所詮、私の旅の恐しさなど知れたもの、だったのかもしれませんが、社会人という集団の中では、私もその「エリートの一人」だったと言うことです。

しかし、そのような「変なエリート」は当然、実社会では全然役に立たんのです。
2010年 05月 16日
旧約聖書サマリ

旧約聖書サマリ
(1)天地創造→アダムとイブ発生→リンゴ喰い→エデン追放(失楽園)
(2)カインのアベル殺し→(しばらく経って)→ノアの箱舟(人類絶滅、一部救済)→人口復活→バベルの塔
(3)アブラハム登場→ソドム殲滅→エジプト経由カナン行き→イサクの子供殺し未遂で信仰心チェック→イサクの息子ヤコブ=イスラエルの始祖→ヨセフ苛め→エジプト到着→エジプト脱出
(4)イスラエル人とペシリテ人(今のパレスチナ人)の対立、この辺りから開始
(5)ダビデ→ソロモン→イスラエルとユダ分裂

新約聖書サマリ
イエス誕生→ヨハネ殺害(by サメロ)→イエス死刑(by ピラト)

出展:「飛びすぎる教室」 清水義範 絵:西原理恵子

各部分は結構知っていることもあったけど、ようやく、一本の線にできた。

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しかし、サマリ纏めたところで、『だから、なんだというの?』というに思いです。
旧約聖書に至っては、正直言って「ま、いろいろあったんだね」という感想です。
2010年 05月 09日
ガイアの夜明け
午後から出社する私の背中に、嫁さんが言いました。

『毎日、本当に大変だね』

私が、微笑んで振り返ると、

嫁さんは、「ガイアの夜明け」の、老舗旅館の女将(おかみ)を見ていました。
2010年 05月 08日
機会損失
私達の若い頃は、自動車を所有することが一つの恋愛成立の必要条件だったように思います。

ドアツードアの移動手段、適度なプライベート空間、エアコン、コンポ等の娯楽提供機器等を兼ね供えており、デートの手段として欠くことのできないものだったからです。

と言いつつ、私は、就職するまで自動車は所有しませんでした。

4つの車輪を具備する移動手段以外の認識を持てない私は、自動車にあそこまで入れ込む動機が、最後まで理解できませんでした。

所有が管理が面倒くさく、維持費用(保険等)が高く、旅行の大部分は、バイクで日本中を走り回っていたからです。

『自動車がなかったから、恋人がいなかった』とは言いませんが(負け惜しみにもならん)、「恋人を作る為のある種の努力を怠った」とは言えるかもしれません。

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最近の若い人だけでなく、私より10年程度の後僚の多くが、自動車を所持していないんです。

時流に即した、賢く、正しい判断だと思います。

しかし「機会損失」のデメリットもあるように思えます。
2010年 05月 07日
女子高校生に殺されそうになりました
『先日、女子高校生に殺されそうになりました』

正確に言うとですね、女子高校生の通学を凝視していた、若いトラックの兄ちゃんのよそ見運転で、正面衝突されそうになったのです。

私は視力2.0あるので、対向車の運転手の顔を視認できるのですが、兄ちゃんの顔は、進行方向に直行して、完全に歩道を歩いていた女子高生のグループを凝視していていました。

同乗していた嫁さんは、『好みの娘がいたんだね』と言っていましてが、その認識は多分甘いと思います。

『好みの娘』ならまだ許せると思うんですが、『女子高校生』という属性で殺されたら、成仏できんと思いました。
2010年 05月 06日
共感できない青春
○「♪盗んだバイクで走りだす〜」(尾崎豊)
→窃盗犯だろうが。何寝惚けたこと言ってやがる、馬鹿。一ライダーとして、お前は許さん。

○「♪分ってくれとは言わないが〜、そんなに俺が悪いのか〜」(チェッカーズ)
→悪いわ。そこまで分っているなら、止めれば良いだろうが。毎日の飯が喰えて五体満足で、何が不満だ。インドの貧民街に置き去りにするぞ、この野郎。

どうも、私のティーンは、多くの若者の琴線とベクトルがずれていたようです。

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私:「浜田省吾?・・・、誰だっけ」

嫁さん:「『もう一つの土曜日』、とか」

私:「?」

嫁さん:「♪ この週末の夜は、俺にくれないか〜」

私:「あー、あれね。『時間』を可換可能な譲渡対象にしたという、アインシュタインの相対論を歌ったという・・・」

嫁さん:「違う!」
2010年 05月 05日
憂鬱な車検
自動車損害賠償責任保険証明書コピー_2010年5月5日(水).PDF
自動車保証書コピー_2010年5月5日(水).PDF
自動車車検証コピー2010年5月5日(水).PDF

を、車種[****]-document_2010505.zip として集約
2010年 05月 04日
納得いかないこと
ブランドメーカが制作・販売する衣服(以下ブランド服という)の値段が10万円とか20万円とかすること、

と、

高度な計算能力を有し、驚くような高速処理を実施する、マイコンチップが100円程度で販売されていること

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なんでもブランド品のバックとは服は、新品でも質屋では1/10の値段になるそうですね。

もちろん、そこには、ブランドの付加価値も含まれているので、原価で計算すれば、物品としての価値は更に低下するのでしょう。

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商標法の解説によれば、商標(ここでは「ブランド」と置き替えても良いと思います)には、自他商品等識別、出所表示、品質保証、宣伝広告の各機能があるそうです。

恐るべし、ブランド力。

ブランドなき世界で闘う技術者は、結構辛いものがあると実感します。
2010年 05月 03日
地上デジタル放送移行に関する一考察(続き)
呑気に地上デジタル政策について考察していたのですが、現実問題として、我が家には、特定のチャンネル(TBS)が視聴できないことが判明しました。

北を丘に囲まれた難聴地区で、現在のアナログ波も、多摩中継局から電波を得ているのです。

私は、地上デジタルも多摩中継局から中継されると高をくくっていたのですが、中継が行われないことを電気屋さんから知らされて唖然としています。

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そもそもが、テレビを見る習慣がない私にとっては、あまり深刻な問題ではなかったので、『民放一局くらい、見れなくても大したことないよね』と嫁さんに言いました。

叱られました。

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現在、別の中継局へのアンテナ方向の変換を図る為、グーグルマップで、中継局の場所を探しているところです。

今後、屋根に登ることになるかもしれません。
2010年 05月 02日
データで嘘をつく方法
関西系テレビの看板番組として健康ブームにも影響を与えた、健康をテーマに生活情報の提供を行っていた番組がありました。

この番組は、その後、データ捏造が発覚して、番組終了となりました。

私が驚いたのは、「データ捏造」そのものではなく、「データ捏造と思っていなかった人が、こんなにも多かった」という事実です。

私は、最初から最後まで『ヤラセ』と思っていました。

第一に、母集団が小さすぎて、データとしては役に立たないだろうと思ってました。

第二に、仮に役に立ったとしても、「卵は体に良い」+「納豆は体によい」+「バナナは体によい」・・・・ イコール 「普通の食事を、普通にしていれば、それだけで体に良い」という結論に帰納する筈で、健康情報としては価値がない、と思っていました。

第三に、『この結果、納豆は健康との関連性は全く見い出せませんでした。では皆さん、来週をお楽しみに』とは、いかんだろう、と私でも思いました。

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「データで嘘をつく方法」というのは、本になるくらい著名な手段です。

統計解析をやっている人のみならず、なんとか来期の研究予算を確保したい研究員には、当然に備わっていなければならない資質です。

データの改竄は、絶対的に許されません(そんなことをしたら、研究員としては終り)が、そのデータの結果の解釈を変えることは、いかようにも可能なのです。

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まあ、それでもですね。

小売量販店のバーゲンで、値札の正規価格に二重線を引いて、その下に半額の値段を記載したたタグを見せて、

『だって、これ半額になっているのよ』

と言う人は、ビックリするくらい、近くにいたりするものですが。
2010年 05月 01日
宇宙開発に関するコメント
だれかの書いた、宇宙開発に関するコメントを読みました。

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人は宇宙空間で住める動物ではない。
月、火星へ人を送り込む計画は愚かな考え。
宇宙は全て無人探査にすべき。
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ところで、

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人はヨーロッパとアジアの間に無意味に広がる不毛な大陸(アメリカ大陸)に住める動物ではない。
(そのような大陸に)移住する計画は愚かな考え。
(そのような大陸の調査は)、全て奴隷にやらせるべき。
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という考えがありました。

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人生に大した意味はないし、人間には、それほどの価値もないだろうと思います。

ただ、『その向こうを見てみたい』という欲望を持つ、たったその一点のみにおいて、人間には価値があると、私は思っています。

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知恵も力も何もない私にとって、最低限できることは、『その向こうを見てみたい』という人達の、

「邪魔をしないこと」

だと思っています。