江端さんの忘備録

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2010年 03月 31日
鼻で笑われた「サンダーバード構想」
「サンダーバード」とは、ご存知の通り、1965年にイギリスで放映された人形劇による1時間枠の特撮テレビ番組です。

世界各地で発生した事故や災害で絶体絶命の危機に瀕した人々を、国際救助隊と名乗る秘密組織がスーパーメカを駆使して救助する活躍を描く、21世紀(2026年)を設定としたSF番組です。

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私が大学生であった頃、自衛隊の海外派遣(派兵?)に対して、国を二分する議論が行われていました。

勿論、憲法第9条の拡大解釈を認め得るかどうか、という点でした。

「人命救助に限定する行為のみを明文化して、海外派遣すれば問題ないと思うけど。『国産サンダーバード構想』だな」

と言った私に、法学を専攻していた私の友人は、ちょっと上を向いて溜息をついた後で、私に向って言いました。

彼女:「あのね。国家をスポンサーにする軍隊が、人命救助のみに限定して行動する訳ないでしょう。第一、国益に資さないでしょう」

私:「いや、国際貢献という観点で、国際的な評価が・・・」

彼女:「じゃあね。古今東西、国家が他の国家に派兵する場合、その理念は、例外なく「サンダーバード」を掲げた事実は理解している」

私:「・・・え?」

彼女:「「旧ソ連のアフガン侵攻、ソマリアの米軍介入、古くはベトナム戦争だって、『人道支援、人命救助』を掲げていたし、帝国主義か共産主義やらの脅威排除とやらは、広義の「国際救助隊」と言えるでしょう」

私:「そ、そりゃ、そうだけど」

彼女:「旧日本帝国が、人様の国の中に別の国(満州国)を作ったのも、邦人保護を理由とした「国際救助」が理由だったのよ」

私:「・・・・(沈黙)」

彼女:「あの『サンダーバード』という番組が、本当に凄いことは、『国家に依存しない国際救助隊』をコンセプトとしている点にあると思うな。
つまり、『金持ちの道楽による国際救助』という、前代未聞の概念こそが、真に評価すべき点よ」

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ぐうの音も出ませんでした。
2010年 03月 30日
ベン・ブルース・ブレイクニー弁護士
歴史上の尊敬できる人物に「坂本竜馬」か「織田信長」等を挙げた人に対して、どうしても、私は斜に構えてしまうという話は何度かしました。

では、「斜に構えない」ですむ回答はどういうものだろう、と考えてみました。

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『歴史上、尊敬できる人物は誰ですか』
『最近でも良いですか。70年前くらいの人なのですが』
『どうぞ』
『ベン・ブルース・ブレイクニー弁護士です』
『? どういう方なのですか』
『ブレークニー弁護士は、・・・』

自分だけの尊敬する歴史上の人物を持っている、というだけで、なんか知的な感じがしませんか。
# しないか。

知識をひけらかすという感じではなく、なんかこんなこと言うのは照れくさいけど、というシャイな感じで、少しだけ喋るのが良いかと思います。

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昔、三国志の登場人物や時代背景をベラベラベラベラと、こっちがウンザリしている顔を見せて、溜息をついてみせても、続けたやがった奴がいました。
カルトなゲーマであることが一目瞭然です。

偏見加えていいますが、こういう「会話のキャッチボール・レス」のしゃべり方をする男性には、彼女がいないことが多いように思えます。

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ブレークニー弁護士の勇気ある弁護(当時では自殺行為に近い爆弾発言だったろう)を知って、私は弁護士になるのを断念しました。

# 嘘です。弁護士はスコープにすら入っていませんでした。
http://www.jiyuushikan.org/tokushu/tokushu3_yoshikawa1.html
2010年 03月 29日
結婚式に関する一考察(その3)
独身のころ、結婚を控えていた時に、頼みもしないのに、主導権がどうのこうの、最初が肝心だのとのアドバイスしてくる既婚者が、イナゴの佃煮のようにウヨウヨいました。

私は、独身のころから、ずっと不思議でした。
『不幸な夫婦生活をしているんだなぁ。そんなに言うならやめりゃいいのに』でした。

この人たちは、伴侶と『対決』する為に結婚したのか。
それなら、最初から結婚なんてしなくても良いのに。
そうか。この人、馬鹿なんだ。

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既婚者は、結婚を控えている人達や、結婚で悩んでいる人達に、ニッコリ笑って一言。

『結婚って、いいものだよ』

といって、微笑むだけで良いと思っています。
2010年 03月 28日
結婚式に関する一考察(その2)
結婚式というイベントを不合理と考える人は多いと思います。

実際、不合理です。

二度と顔を会わせたくない親戚や、死んだ後に墓石を倒してやると誓った上司まで、招待しなければならないという話に、愕然としたことがあります。

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『結婚式をやらない』と誓った人は、絶対的、圧倒的な意思で、結婚式を実施しては*なりません*。

たとえ、伴侶と離婚することになっても、結婚式を行ってはなりません。

何故か。

仮に「友人だけを集めて、内輪の・・・」と言った瞬間から、この意思が崩壊を開始するからです。

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♂:「友人だけには、本当に招待したい友人だけにしようね」
♀:「でもAさんは、Bさん一緒でないと招待できないわね」
♂:「助手のBさんを呼ぶのに、ゼミの教授を無視することはできないよなあ」
♀:「お世話になったしねえ」
♂:「でも教授だけ、若い人の中に呼んでも・・」
♀:「それに、教授は、『親をないがしろにするな』って普段から、俺たちにうるさかったよわよね」
♂:「じゃ、両親だけは呼ぼうか」
♀:「両親が親戚にしゃべるわよ」
♂:「あ、そうすると、私の子供の結婚式には招待したのに、どうしてあなたのところは私を呼んでくれないの、という話に・・・」
♀:「当然、なるでしょうね」

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これが、私が、結婚式の「負のリンク多重問題」と名づけているものの正体で、「既存の結婚式」から逃げられない大きな理由の一つです。
2010年 03月 27日
結婚式に関する一考察
結婚式を予定されている人の中には、

『既成のメニュー、マニュアル化した結婚式はしないぞ』
『独自性を表現した、個性的な結婚式を企画するぞ』

と思っている方が多いと思います。
(というか、ほとんどの人がそう考えると思う)。

その一方で、

『あれほどの企画力と実行力を有するあの人が、なんで、こんな普通の結婚式を?』

と思われたことはないでしょうか。

色々と理由はあるのですが、結論から言うと、
既存の結婚式のメニューは、『よく出来ているから』です。

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まず、

○思うような会場が取れない。交通の便で問題がある
○スポンサーである両親の言い分を無視して実施することはできない
○将来の伴侶との合意が取れない。または合意に至るまでに時間を要する
○人生最大級の試練の時期であり、メンタル的にも相当不安定である
○企画している時間がない
(結婚前の激務は、ちょっと言葉では言い尽せない。思い出すだけで、睡眠不足の吐き気がよみがえる)

というのは、まだ付帯的理由。

最大の理由は、

○理想の結婚式を実現する「予算」が確保できない。

に付きます。

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比して、既存の結婚式は、

○スタッフの経験値が、恐しく高い
○会場、イベントについて、基本的に考える必要はない
○細部の変更等にも応じてくれる場合が多い
○将来の伴侶とも、妥協しうる点で設定されている
○結婚式後の生活に、思いを及ぼせる余裕がある

そして、

○予算が妥当である

ということですね。
(非日常的金額ではありますが)

加えて言えば、

○独自性を貫いた結婚式は、大抵の場合、理想から相当かけ離れたものになってしまう

という現実もあります。

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既存の結婚式を無条件に肯定するものではないのですが、これが、多くのカップルが、既存結婚式メニューを採用する(採用せざるを得なくなる)理由です。
2010年 03月 26日
養子縁組
私の勤務する会社は、成立した特許権を毎年バカスカ捨てていました。
特許庁に収める特許料が半端な金額でないからです。

しかし、私が『我が子(特許発明)を殺す親(発明者)がどこにいる!』と怒鳴り続けたことで、特許権放棄以外の話が、ようやく本格化してきました(嘘です。私のアクションとは無関係です)。

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最近、私(と知財部)が成立させた特許権を、他社に売却するお誘いがあります。

これまでも、食えない親(発明者)が、我が子(特許権)を、親戚(社内事業部)に、里子に出す(特許権を移管する)ということは、よくやってきました。

しかし、ついに、赤の他人(他社)の、養子に出す(特許権の売却)、という状況になってきました。

『それでも、我が子を山野に捨てるくらいなら・・・』という、昭和初期の困窮した農村の子供の売買の悲劇の、百万分の一くらいの悲哀を味わっています。
2010年 03月 25日
肥満税
ある研修の講師の方がおっしゃっていた話です。

空いている席が少しだけ残っている電車の中でのできごとです。

老齢の御婦人が空いている席を見つけて、その席に座ったところ、その隣の席に座っていた娘さんが、席を立って扉のところに行ってしまったそうです。

講師の先生は『本当に寂しい世の中になった』と大変お嘆きになられていました。

しかし、私は講師の方が、一体何をおっしゃっているのか全然分かりませんでした。

どうやら『娘さんは、御婦人と隣あわせになって、窮屈になるのがイヤで席を立った』ということが、御婦人に大変悲しい思いをさせた、と思っているようでした。

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そうかなぁ?
私でも立つけどなぁ、と思いました。

窮屈なの嫌いだし、電車が満員でないなら、我慢しないで立っている方が、肩凝らないですし。

隣の奴が携帯電話で会話し始めたら、『睨めつけて』『舌打ち』してから立つ。
隣に肥満の男が座ってきたら、間違いなく立つ。

物事の感じ方は十人十色、を久々に実感しました。

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海外の仕事で飛行機に乗った時、隣りのアメリカ人のエコノミー席の手摺りを嵌み出す「ぜい肉」で圧迫された時には、そうとう腹を立てました。

こいつは、何の権利があって、私の私的な空間に「肉」を侵入させていやがるのか、と。

航空会社は、エコノミークラスの座席を越える「肉」に対して、どうして何の措置も取らないのでしょうか。

「肉を迫り出す奴は、搭乗させない」の措置が取れないなら、せめて、隣の席の人の搭乗代金の一部を弁済させるべきでしょう。

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肥満は、今や、医療費を圧迫する社会的な問題の一つです。

そこで、私的空間の侵害の甚しい肥満に対しては、「肥満税」を導入し、その税収を、肥満治療にあてることを提案します。

もっとも、日本人で、席を迫り出すような肥満の人は滅多にいませんので、税収は期待できないかもしれませんが。
2010年 03月 24日
愚劣教育の極み
小学生の頃、放課の時間になると外に追い出されていました。

真夏の炎天下、真冬の小雪の吹雪の中でも例外なしです。
そして、真冬の授業開始前に、マラソンと称して、校庭を10周も走らされた日々は、「小学生」という私の人生の貴重な時代を、決定的に暗黒の時代にしてくれました。

あのマラソンなる阿呆なイベントは、小学生の私を重度の鬱病にし、不必要に風邪などの病理を招いたことは、今となっては明白な事実です。

当時の教師達か、A県の教育委員会か、なんだか分からないけど、そういう組織か法人に、損害賠償請求(民709条)を請求したいものだ、と、ふと、今日思いました。

が、すでに時効が成立していました(20年)。

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それと、今でも、給食を食べ切れない児童を、居残りさせてまで食べさせる意義が、どこにあったのかを、私は知りたいのです。

どなたか、小学校の給食が食べられなくて、栄養不足で死亡した児童がいたら教えて頂けませんか。
私は確信を持って、一人もいないだろう、と断言できます。

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クラス全員が「逆上がり」ができることで、『全員達成!』を標榜し、逆上がりができない子供を追いつめる教育をしていたA県の小学校の教育は、「愚劣」を百万回称呼しても足りないくらいの愚劣教育の極みだと断言します。

戦時中の「隣り組制度」や、日本の隣に位置する独裁国も真っ青の全体主義教育を、当時の保護者はどうして看過できたのでしょうか。

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当時の小学校とは、私には、理不尽の集大成でした。
理不尽であることを学ばせることを目的としているのであれば、その意義は十分に果せていると思います。

A県は、私の出身地です。
私がA県から離れた理由は、A県の教育に起因しています。

いずれお話します。
2010年 03月 23日
アニバーサリー

『ママがいなくなったら、誰が御飯を作ってくれるの?』
『パパがいなくなったら、誰がキッザニアまで運転してくれるの?』

我々の存在価値は、それだけかい! と、子供に突っ込んでいます。

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今日は、アニバーサリーです。
2010年 03月 22日
失敗は投資だ!
この連休は、自家用車の電気系を自分で扱ってみようと思い、自動車のパネルを外しては、配線の束に顔を突っ込んでいました。

そのメリットは以下の通り。
(1)12ボルト電源ラインを見つけ出して、自力で電装装置の設置ができた。

デメリットは以下の通り。
(1)パネルをツメを破壊して、元に戻らなくなった。
(2)カーナビと、バックミラーのアクチュエータが動かなくしてしまった。
(3)結局ディーラにいって、パネルを嵌め込んで貰い、ヒューズを交換して貰うことになった。
(4)ディーラの処理の後、他の電装装置が止ってしまったので、クレームした後で、自分の配線ミスと分かり恥しい思いをした。

分ったことは以下の通り。
(1)電源ラインの制御の組み合わせは、OFF, ACC, エンジン可動 の3通りに、ヘッドライトの点灯等の条件の組み合わせがあり、テスター等で丹念にチェックしないと、大量の出戻りが発生することが分った。

(2)ホームページにかかれている内容を鵜呑みにして、素人が手を出すと、結構な損害が発生することとが分った(特に、『簡単に○○できます』という文面を信じてはいけない)。

(3)成功からは学習できないことが分った。
壊して、無駄に時間を使い、散在し、失敗し、落ち込み、その後に、学習は始まる、ということを再認識した。

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今更ながら、失敗は投資です。
続ければ取り返すことができますが、失敗して止めたら、単なる散在に終ってしまいます。

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私がこれまで破壊したオペレーティグシステム(OS)は、20を下りません。

朝9時、何かのアプリをインストールする→ 他のソフトが動かなくなる →原因をネットで調べる →原因と思われるドライバを排除する → 全部動かなくなる → OSの再起動を試みる → 10回目繰替えすころには、"System Error"の一文字を残して、システムが完全に停止する(午後4時)。

OSのサイインストールを行う → アプリを全部入れなおす →バックアップデータをドライブに入れなおす。
(午後9時すぎ) → システムの稼動確認をする (午後11時)

この間にできたことは、「朝インストールを開始する前の状態に戻しただけ」です。

はたから見ると、一生懸命働いているように見えますが、最悪の事態を回避する為に、事態をさらに悪くする、の典型例です。

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しかし、この無駄な膨大な時間と作業こそが、エンジニアとしての私を作ってくれたのだと、誰がなんと言おうとも私は信じます。

信じなければ、やってられませんよ。
エンジニアなんぞは。
2010年 03月 21日
日本の赤字
私達にとって、億以上の単位の金は、「1、2、3、たくさん」という位、縁のないお金です。

しかし、社会科を勉強している子供には、その実感を持たせることが重要だと思っています。

「国家予算の3000億円を言われたら、それを1億で割りなさい。そのお金が自分のおこずかいから、引かれいると考えて、その辛さを実感しなさい」

このケースの場合、3000円になります。
「DSのゲームソフト、1本弱」のお金に相当するというイメージです。

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私:「ではいくぞ。現在の日本の赤字(国債残高)は、800兆円です。ひとり当りの負担はいくらでしょうか」
娘:「・・・・」
私:「では、1兆円で考えよう。一兆円は、1000億の10倍だから、億を消すと?」
娘:「ひとりあたり1万円」
私:「正解。では、その800倍だから?」
娘:「・・・! え、800万円!?」
私:「うちの家族は4人だから、家族合計では?」
娘:「3200万円・・・」
私:「という借金をしている訳だよ。もう一つ土地付きの家が買える」
娘:「一体、どうするの!」

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私:「昔は、国家も一発勝負に出ていたのさ。例えば、他の国の中に、別の国を無理矢理作って、そこから資源をせっせと国内に持ち込むとかね」
娘:「そんなことして、いいの?」
私:「当時、といっても、まだ100年も経っていないけど、そういう行為が一種の国家的なブームであった時代があるんだよ。『帝国主義』って言うんだけどね・・・」

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気がつくと、近代史の話になっているというケースが、我が家の場合は多いです。
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html
2010年 03月 20日
歴女
歴女、という言葉があるそうです。
歴史好きの女性を指す造語だそうです。

かかる造語が作られたということは、逆説的に、従来、女性はあまり歴史には興味がなかったということなのでしょうか。

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私は「父親による無意識の洗脳説」を挙げたいと思います。
幼少の頃から、歴史に関する知識を何度も教えることで、結果として洗脳を行ってきた、という仮説です。

あるいは、二次元コンプレックス(空想上のアニメ・漫画・ゲームキャラクターに対して恋愛感情を抱く状態)に類似する、いわば

『時空間コンプレックス』

も、ありかな、と思っています。

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しかし、『同じ時空間なら、未来を見ろ』と言いたい人もいるのではないでしょうか。

つまり、

『5年後の俺/アタシを、刮目して、見ていろ!/見ていなさいよ!』

です。

でも、「きっと正社員になってやるからな」程度では、未来にベクトルを向けさせるのは、無理ですし、「ビッグになるぜ」では、バカを露呈してるだけです。

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大きな夢を語れない時代、ベクトルが過去に向くのは、それなりの理由があるのかもしれません。
2010年 03月 19日
父権失墜のレッテル
劇団四季が、「娘とのコミュニケーション再構築の為の『ライオンキング』の観劇」というコンセプトの広告を打っています。

これは、『ライオンキング』を観劇する父親は、父権失墜であるというレッテルが張られることになり、逆効果だと思います。

大体、子供は、そういう親の「作為的な媚」を見抜くことにかけては最高の能力を発揮します。
また、親は、子供がそのような「作為」を見抜くことを、本能的に知っています。

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私には、広告の前で冷笑するお父さんの姿が見えます。

劇団四季が、こういうコピーを打たなければ駄目なほど落ち目になっているなら、『ライオンキング』を休幕すれば良いと思います。
2010年 03月 18日
3900円
一昨年、家族でスキーに行った時のことです。

初心者用ゲレンデで、怒鳴っているお母さんと、小学生3年生位の女の子。

『あなたの一日リフト券は、3900円もしたのよ!』

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お母さん。
あなたの気持ち、とても分かります。

3900円も出して、一回もリフトを使用できない我が子に、腹も立つだろうと思います。

しかし、初心者の娘さんが、初日でリフトを使えるようになると思った『あなた』に過失がある。
(私は人生最初のスキーから、リフトを使えるようになるようなるまで、9年かかった)

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娘さんは、二度とスキーに行きたいとは言わなくなるでしょう。
とても、残念なことです。
2010年 03月 17日
第三外国語は、ない
ヨーロッパのプロジェクトチームが出願した、欧州広域特許の調査報告書(サーチレポート)が届きました。

私はEUの広域発明については、知見がありませんので、黙々と、日本国特許法に準じて、特許要件の精査を行うだけです。

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でもね。

ドイツ語で記載されたサーチレポートを、私にどうしろと。

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何度も繰替えしますが、私の第二言語能力は、「英語」が限界です。

中国語の拒絶理由対応の時にも書きましたが、第三外国語によるレポートは、厳に送付を禁止します。
2010年 03月 16日
ツイッター
最近は、ビジネスでのツイッターの効用が叫ばれているようですが、私はもう少し様子を見ます。

パソコンが登場した時、ビジネスの問題点は恒久的に解決されると言われていました。
メールが登場した時、(以下同文)。
Webが登場した時、(以下同文)。
ブログが登場した時、(以下同文)。
SNSが登場した時、(以下同文)。

これだけの技術が登場しているにも係わらず、ビジネスの問題は一向に解決の方向に向っているように思えません。

図書館に籠って、過去の雑誌30年分を全部レビューして、『永久的に解決する』と断言した人を、全部晒してみようか、という衝動に駆られることがあります。

やらないのは、その中に、自分も含まれる可能性もあるからです。

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とにかく、ツイッターで全員が踊り出すまで、私は壁の所で、ウイスキーでも舐めながら待つことにします。
2010年 03月 15日
今後10年の長期事業戦略
私の努めている会社では、10年規模での将来の社会・市場動向を予測して、長期的な事業計画を立てるという業務があります。

従来より、私が主張してきた『全自動育児機』が、ろくな議論もされずに却下されたことに憤慨しています。
日本の出生率を上げるのに、これ以上の方法があれば出して見せろ、と言いたいです。

まあ、名称が良くないのは認めるのですが。
『育児支援システム』あたりなら、少し風あたりが変わったかもしれません。

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今年度は、これに次ぐ第2のコンセプトを挙げましたが、同じく議論されずに却下されました。

『合法麻薬』

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だから! 先ずは、私の話を聴け!!ってば。
2010年 03月 14日
化粧というエンジニアリング
電車の中での化粧というのは、特に同性からの批判が多いようです。
私は、この「化粧」に関しては、正直、よく分かりません。
人前で着替えをするような、羞恥や嫌悪といったようなものなのでしょうか。

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先日、朝のラッシュ時を少し越えた時間帯、電車に乗っていた時のことです。
車両の連結部近くに座った小柄な若い女性の前に立っていました。

私は、最近の「つけまつげ」というものが、2ミリのチップ状のものを、複数個、まつげに追加していくという態様であることを知りませんでした。

その女性は、手鏡とピンセットを使って、その人工まつげを、自分のまつげに装着していくのですが、揺れている電車の中では、ピンセットの先の目標も定まりません。

時おり、ピンセットの先が空を走り、その黒色チップが眼球に突入しそうになります。

私は、ヒヤヒヤしながら、彼女の作業を盗み見し続けていました。

しかし、彼女のピンセットの作業は、産業用プロセスコンピュータによってコントロールされたアクチュエータのように、黒色チップを、正確にまつげに装着させ続けていました。

彼女の顔が、完成に向って少しずつ遷移していく様子は、さながら製品の製造工程を見学しているようで、終点に到着するまでの間、まるでドキュメンタリー番組を見ているような真剣さで集中することができました。

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このような女性の技を、技術または精神的な観点からドキュメンタリとして作成することを提案します。

題目はこんな感じで良いと思います。

NHKスペシャル「顔面製造の最新技術」
NHKプロフェッショナル、化粧の流儀 「入魂の化粧(けわい)、匠の技」
2010年 03月 13日
「もったいない」
嫁さんにプロポーズをした時に、「もったいない」と言われたことを覚えています。

これは、

「私みたいな人に、貴方のような素敵な人は『もったいない』」

という意味だと思っていたのですが、これが誤解であったことが、結婚十何年を遥かに過ぎた、先日判明しました。

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大学の2年生まで、私は思想的には左翼に属する自治寮に属しており、いわゆる男女間の差別問題等についても勉強をさせられていました。
当時は、夫婦別姓論に関する議論が、世の中を席巻していました。

その寮生活において、普通の生活の中での、普通の発言や振舞の中で、自分の意識しない差別が存在することを御互いにチェックしあえる機会を得ることができました。

例えば、次のようなことがありました。

ある種の政治運動をしている女性について、

『女性であるのに、大変立派なことをされている』

という感想を漏らした時、寮の先輩から

『江端。今、お前は、明確な差別発言をしてしたことに気がついているか』

と言われました。

こういう日常生活での批判は、何百冊の本を読んでも得られない貴重なものであり、今でも、この点に関しては、寮生活を送れたことを心から感謝しています。

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で、「もったいない」の話に戻ります。

嫁さんが、「もったいない」と言った発言の趣旨は、

(1)『私は、社会のフロントで闘っている多くの女性を知っている』

(2)『その女性の多くは、男性の意識的、無意識的な女性差別観念によって、その活動を制約されている』

(3)『そういう差別観念を自己認識して、改善していこうとする男性は極めて少ない』

(4)『貴方のような人は、そのようなフロントの女性にこそ供給されるべきである』

(5)『従って、限りある人的資源が「もったいない」』

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要するに、私は、レアメタル(希少金属)のようなものだった、ということです。

まあ、これはこれで、賞賛の一つではあるのですが、なんか「愛」がないなぁ、と思いました。
2010年 03月 12日
準備中

理髪店やレストランなど、就業後に「準備中」という札を下げます。
「閉店しました」ではないのです。

明日の始業に向けて、休息という「準備中」なのです。
確かに、嘘ではありません。
なんか、しっくりはこないのですが

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職場の行き先掲示板に、この「準備中」を採用してみてはどうでしょうか。

「帰宅」→「準備中」
「年休」→「準備中」
「A社訪問後に帰宅」→「A社訪問後に準備中」

無断欠勤も「準備中」、病欠は当然に「準備中」になります。

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政府が提唱している「ワーク・ライフ・バランス」は、「ライフの充実」はあまり重視していないように思えます。

もっぱら「ワーク」の問題点の是正(仕事中毒(ワーカホリック、うつ病、過労死、自殺、家庭崩壊)に主眼が置かれていると思っています。

要するに「素晴しい人生」の推進、ではく、「自殺したくなるような社会の改善」。

政府としては、自殺者年間3万人は、国際的にも体裁悪いでしょうから。

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そこで、「ワーク・ライフ・バランス」を修正し、「ワーク・アンド・プリペアレーション」というコンセプトを提唱したいと思います。

日本人は、今も昔も「仕事」を人生の中心に据える。
その「仕事」を最大限に発揮する為に「準備」をする。

と、正直に言い切る方が、気持ちがいい。
2010年 03月 11日
女性性器を書籍名とする雑誌について
電車にのっていると、下品な文言の羅列からなる吊り広告がいくつもありますが、この雑誌もその中のようです。

芸能人や皇室の私的な話は、政治にも経済にも関係がなく、おおよそ我々の生活に1センチも影響を与える可能性はないと思えます。

しかし、このように発刊され続けていることは、そこに購買者がいるからです。
需要なければ供給なし、です。

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昔、あるお宅で、この雑誌を見つけたとき、そこの家の方が、慌てて『誰かが置いていった』だの、『自分は読んではいない』などと、一生懸命言い訳していました。

私は、別に何も言わなかったのですが。

その様子が、性的な娯楽要素を扱う分野の書籍および雑誌(以下、エロ本と称す)を見つけられたティーンの男子にそっくり。

「女性版エロ本」みたいなものなんでしょうか。

しかし、罵詈雑言から構成される雑誌に比べれば、エロ本の方が、遥かに高尚な雑誌だと思えます。
2010年 03月 10日
花粉症の方に、美男・美女・美少年・美少女が多い事実についての一考察
イスラム教の圏内では、女性が外出時に「ブルカ」で顔を見えないようにする文化があります。
これは、女性が素顔を晒すことで、男性を惑わせることが良くないという理由で、規定されていると聞いています。

花粉症の方に、美男・美女・美少年・美少女が多いというのは、統計を待つまでもなく、社会的一般的概念として受けいれられている事実ではありますが、私は、これを遺伝子学的観点から考察してみました。

(事実1)
花粉症の方は、くしゃみによる唾液の飛散を防止する為に、顔の半分を手で覆います。
また、マスクにより、顔の隠蔽を行うことになります。

(事実2)
上記の(事実1)は、容姿の大きな要素を占める顔面の露出を妨げることになります。

(検討1)
かかる顔面の露出の防止は、美男・美女・美少年・美少女の大きな特徴である、美男・美女・美少年・美少女であるという事実を隠蔽し、出会いの機会を著しく削減し、生物学的な結びつけをも妨げます。

これは、生物が運命的に持っている命題、「種の保存」に反する行為とも言えます。

他方、これは、美男・美女・美少年・美少女『でない方々』に対して、「種の保存」の機会を拡大させる機会を自然界が提供している、とも言えます。

(検討2)
自然界において、種が適正に進化する為には、

(1)優れた種に支配させるという行為と、
(2)優れない種を健全に存続させる行為、

という矛盾する行為が、同時かつ適切な比率で、実施されなければなりません。

上記は、GA(Generic Algorithm)等の手法では、自明の手法として採用されております。

(結論)

(1)自然界は、花粉症というアレルギー性の病理を遺伝子に組み込んだ。

(2)自然界は、その病理の発症対象を、美男・美女・美少年・美少女に限定することで、種の保存を適正に維持しようと働いた。

以上
2010年 03月 09日
花粉症と知能の因果関係について
花粉症の方に、知能の高い人が多いというのは、ご存知の通り、昨年のコペンハーゲンのアレルギー学会で発表で、統計的に証明されています。

現在は、その因果関係の臨床的観点からの裏付けが進められているようです。

社会現象的には、『花粉症でない人の「知能の低さ」による社会的逆差別が懸案される』という声明文で学会が閉会されたということも、結構ショッキングなできごとでした。

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という、都市伝説を、我々で作っていきましょう。
花粉症の皆さん。
2010年 03月 08日
私は衣類には何の興味もありませんが、黒色が好きです。
汚れが目立たないからです。

通勤時、リュックもバックもコートも、全部真っ黒です。
髪の毛が目にかかると鬱陶しいので、黒色のキャップをかぶっています。
重度の花粉症なので、マスクは欠かせません。
寒い時には、コートのフードをします。

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駅からの人気のない夜道に、私と同じ方向を歩いている女性(特に若い方)には、本当に申し訳ない気持でいっぱいです。

さぞかし怖い思いをさせているだろうと思います。
2010年 03月 07日
Tell Me, Sister 中島みゆき
「自分が嫌いだった」から始まる、日本人定番の自己憐憫の歌かとも思えるのですが、その歌の中で『巨大な二重否定』を行い、結論不明に陥いらせる、

本当に、素敵な曲です。

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ブスで頭もよくない私の前に現われた完璧な彼女。

曲の前半、美人で、愛想もよく、才能と魅力に溢れた彼女は、コンプレックスの塊である私に『(あなたは)そのままでいいのに』と語りかけ、そして『私には何もない』と謎の言葉を残す。

そして、曲の後半。彼女の死を、報される私。
彼女の『絶望』を全く理解できない私は、今は亡き彼女に、何度も問いかける。
「あなた何に恵まれていたのか」
「私は何に憧れて生きていけば良いのか」
と。

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この曲の感想の多くは、もっぱら「亡き彼女に何度も問いかける『私』」の観点から、書かれているようですが、私は「完璧な彼女(シスター)」の観点から書いてみようと思います。

数える程しかないのですが、私のような者でも、人から、
『あなたのような人生を生きてみたい』
『地団駄を踏みたくなる程、羨しい』
と言われたことがあります。

酷い人になると『幸せの永久機関』とまで言われたことがあります。

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なんなの、それ?

という感じです。

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自分の持っている自分と、他人の持っている自分との、この宇宙的スケールの認識の乖離。

この事実は、人間の幸・不幸の観念は、その人の立ち位置によって、全く異なるのだということを、私のDNAに書き込みました。

そして、何より『どうやら、人の評価なるものは、あんまり私には関係なさそうだ』ということが分かり、その後の私の、物事を決める基準になったようです。

# 基準:『世界の中心はこの私』

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ただ、彼女(シスター)の台詞は、そのまま採用されませんでしたが。

シスター:『(あなたは)そのままでいいのに』

わたし:『(あなたは)そのままではいけない。私を不快にしないように変わならければならない』

シスター:『私には何もない』

わたし:『私には何かある。が、あまり役には立たない』
http://www.youtube.com/watch?v=AplsE7laQKE
2010年 03月 06日
本が私を呼ぶ
歴史小説が面白いと感じるようになったのは、歳のせいだと思います。

歴史小説は、最初から結末が分っているドラマのようなものです。

間違っても「関ヶ原で、東軍の家康が敗走するシーン」とか、「明智光秀が信長の射る矢に打たれて死ぬ」などが、出てくることはなありません。

なにしろ、結論が確定している内容の本は、安心して読めます。

新しい事実や、予測のつかないストーリーに翻弄されることなく、ゆっくり楽しむことができるからです。

このような考え方に至らしめる一つの要素が、「年齢」であり、あとは、「多忙」だとか、「保守的」とか、まあ、いろいろなのだろう、と思っています。

文章や構成、ストーリーに腹を立てながら、全巻読破する、という、今の自分では信じられない本の読み方をしていたのは、若い頃だけです。
そういう読み方をする体力は、もうないのです。

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池宮 彰一郎の「島津奔る」を図書館から借りて読んでいました。
「四十七人の刺客」といえば思い出す方もいるかもしれません。

最初の3ページくらいをパラパラと読んで、借りるかどうかを決めます。なにしろ、楽(ラク)して本が読みたいので、相性の悪い本では疲れるのです。

いい感じだな、と思い、今回は久々のヒットでした。

島津の兵士が、主君の元に駆けつける為、九州から関西まで走破するシーンには、思わず落涙しました。

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どこかで書いたかもしれませんが、ティーン、20代前半の若い頃、本屋の文庫本のコーナーを通過する時に、よく本に呼び止められたものです。

『ちょっと、俺を読んでみろ』と、私に呼びかけるのです。

その場合、私を読んだ本は、大体においてヒット、場合によってはホームラン級の面白さでした。
これらの本は、今の私を構成している一部になっていると思えます。

この手の話、結構同意してくれる人、結構多数なのです。

人と人のテレパシーは分からないけど、本と本のテレパシーはあるように思っていました。

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最近、「本が呼んでくれない」、または「変な本が私を呼ぶ」という現象が多くなったように思えます。

最初の30ページで、図書館返却というような、昔では絶対考えられなかったことも、普通になりました。

まあ、いろいろなことを含めて、『歳を重ねてきたのだ』と、ちょっと感慨にふけったりしています。
2010年 03月 05日
『結婚生活は、人生のパラダイス』
私が本当に苦しかった時に、このテーゼを言い切ってくれた、当時の私の課長は、私が『この人の命令なら、なんでも言うことを聴く』と言い切れる、全世界にいる3人の中の一人の方です。

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私も、今、本当に苦しんでいるかもしれない、あなたに伝えたい。

『結婚生活は、人生のパラダイス』です。
2010年 03月 04日
結婚は、スタートだ
『結婚はゴールではなく、スタートだ』というような結婚式のスピーチを、今の若者に言った奴は、殴られてもいい、と思います。

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先日、後僚が出張のついでに、私の職場に立ち寄った時の話です。

10年前、私の上司は、飲み会で『君は結婚しないのか?』を乱発しており、当時でも、セクハラ、パワハラの類いでありました。

しかし、後僚に言わせると、それは、

「まだ、その上司はマシな方だった」

そうなのです。

それは、単なるハラスメントに留まっているから。

話を聞いてみると、今の上長や既婚者は、『出会いの場』を適当に作って、そのまま『場』のコントロールに責任を持たないまま、放置するのだそうです。

前振りも、紹介もなし。

本当にセッティングだけをするだけ。

『そんな無責任なことをされるくらいなら、最初から何もしないいい。迷惑だ。その程度のことで、得意顔をするな』と、大変、憤慨していました。

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10年前の私の批判点は、セクハラ、パワハラそのものにはありませんでした。

『結婚』という私事(プライベート)に介入する以上は、『出会いの場』を提供するまで面倒を見るというという義務が付帯して発生する、という点にありました。

後僚は、これに対して、『単なる場のセッティングなら、ない方がマシ』というアンチテーゼを提示してきた訳です。

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この話を持ち帰って、嫁さんに話ました。

嫁さん:「『場』の発生だけでなく、『場』の育成まで、紹介者に負わすのは酷じゃないかなぁ」

わたし:「いや、彼がいっているのは、『場』の初期形成まで担当しないなら、『なにもしない方が、善意』であり、その程度のことで『下らない自己満悦に至っている紹介者の性根』に怒っているんだと思う」

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「ところで、」
と私は切り出しました。

わたし:「そういう、『紹介者』をやったことある?」

嫁さん:「あるよ。でも、すぐに止めたけど」

わたし:「なんで?」

嫁さん:「自分が最適と思われた組み合わせが、当事者には最悪というケースを沢山見てきたし、自分でも、そういう『最悪』になんども巡り当ったから」

わたし:「そうそう、一度だけ『紹介者』やって、酷い目にあったことがある。それ以降、他人の恋愛や結婚には絶対介入しないことにした」

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既婚者は、未婚者に紹介を躊躇するようになっています。

我が家の夫婦に至っては、その意思は絶無です。

年長者からの支援地盤も喪失しつつあり、結婚は、更に困難を極める時代に入っています。

だから、『結婚はゴールではなく、スタートだ』というような結婚式のスピーチを、今の若者に言った奴は、殴られてもいい、と思うのです。
2010年 03月 03日
コミュニケーション研修(その2)
「過去と人は変えられない」という諺があると教えて貰いました。

なるほど、「過去」と「人」は、同列に論じられる程度に「変えられない」ものなのだそうです。

だから、お互い無駄な努力は止めましょう。
2010年 03月 02日
コミュニケーション研修
研究所から、この研修に送り込まれたのは、「お前、コミュニケーションをなんとかしろ」と言われているのかなとも思いましたが、多分違うと思います。

私が研究所の幹部なら、『そんな金はドブに捨てるようなものだ』と判断できるはずだからです。
まあ中間管理職の一般的研修なのでしょう。

研修所には、各事業部からの人達が20人くらい集められていました。

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「認知」に関するケーススタディを、3〜4人のチームで行っていた時の話です。

質問に対して、自分の見方を非常に当っている場合は0点を、全く当っていない場合は6点を付けて、それをチームメンバと比較するという作業がありました。

最後にチーム全体でその差分点を算出するのですが、その差分を大きく広げていたのが私でした。

○「自分のすることは誰にも認められなければならない」
私の回答:全く当っていない(6点)、チームメンバの平均点:かなり当っている(2点)

○「ひとは誰からも好かれなければならない」
私の回答:全く当っていない(6点)、チームメンバの平均点:かなり当っている(2点)

○「どんな仕事でも、やるからには十分に完全にやらなければならない」
私の回答:全く当っていない(6点)、チームメンバの平均点:かなり当っている(2点)

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私って、会社の中では「特異点」なんだなぁ、と改めて実感できました。
2010年 03月 01日
精神技術って・・・
今日から研修合宿です。

場所は

「日本・精神技術研究所」

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なんか、行きたくないんですけど。