江端さんの忘備録

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2008年 09月 29日
YOU ARE LOVE
小松左京先生の大作、角川映画「復活の日」の衝撃的なオープニングで始まるJanis Ianの名曲。
かなり長い間、気にかかっていたのですが、ようやく先日手に入れることができました。

曲の6割くらいの歌詞が判ると、酷く他の部分も気になるのです。
フランス語"Toujours gai mon cher(いつも愛しき人)"が分からなくて、困りました。

に、しても、

It’s not too late
though when you go away
the skies will grey again

の部分で、泣きそうになりましたよ、私は。

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あなたが、すでに希望が途絶えた道を
進もうとしていても、
それでも遅くはないのです。
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No regret
for the light that will not shine
No regret,
but don’t forget, the flame was mine
and in another place, in another time

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輝く光りなき道を選んだことを、私は悔いない。
どんな時にも、どこにいても、私の中の松明(たいまつ)を
私は忘れないから
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そして、『思いっきり意訳していたって、私は悔いない』


What’s the time?
Where’s the place?
Why the line?
Where’s the race?
just in time, I see you face
Toujours gai, mon cher

You are the star
that greets the sun
Shine across my distant sky
when night is done
You’ll be the moon to light my way
Toujours gai, mon cher

It’s not too late to start again
It’s not too late
though when you go away
the skies will grey again
In the time that remains,
I will stay
Toujours gai mon cher

No regret
for the light that will not shine
No regret,
but don’t forget, the flame was mine
and in another place, in another time
Toujours gai,mon cher

It’s not too late to start again
It’s not too late
though when you go away
the skies will grey again
In the time that remains,
I will stay
Toujours gai,mon cher

Halfway measures go unsung
Take your pleasures while you’re young
Just remember, when they’re done,
Toujours gai, on cher
http://jp.youtube.com/watch?v=f5LG8M07oZw&feature=related
2008年 09月 20日
子供の運動会
私は非常に視力が良い方なのですが、それでも運動会で、自分の子供を探し出すことが非常に苦手です。

(T.B.D.)
2008年 09月 17日
ファジィカー
修士論文のファジィ推論を検証をする為に作成したラジコンカーの写真が出てきました。

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当時としては難しい双方向のデータ通信を無線機を使って実現したにも係わらず、モータ駆動電力をかせぐ為に電力線を引き回したという、訳の判らないシステムでした。

教授:「どうせ線を引き回すなら、そこにセンサと制御のデータも乗せればええんじゃないかのう」

江端:「いえ、それはですね、教授。データの遅延やら運転制御の遅れまでを考慮した推論エンジンの自動学習がですね・・・」

と色々言い訳していましたが、自分でも『意味ねーなー』と思わず呟かずにはいられないシステムでした。

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このラジコンカーは、私に、仮説やシミュレーションと現実の振舞いとの間には、滅茶苦茶な乖離(かいり)があることを、骨の髄まで私に叩き込んでくれた、貴重な教師でした。
http://www.kobore.net/fuzzy_car.PDF
2008年 09月 16日
殲滅戦
先週の連休の時に、嫁さんが干し椎茸に群生している虫を見つけて、大騒ぎになりました。

# その後の私の調査で、ジンバムシという食物に寄生する虫(人体には無害)とわかりました。

若い頃、一人暮らしが長かった私には、ちょっとしたアクシデント程度の認識なのですが、嫁さんはこのような体験がなかったらしく(未体験のまま、成人しまったというのも凄いと思うが)、対応が分からなくてうろたえていました。

虫の除去した後、嫁さんに、周辺の食料への被害のチェック、清掃方法等を教えましたが、この後の嫁さんは凄かった。

結婚して以来、見たことのない真剣さで、キッチン回りの全食品のチェックと塩素系漂白剤による徹底的な拭き掃除に、残った連休の時間の全部を費しました。

捜索範囲は、地下収納、さらにはレンジ周辺の石油を使った油脂の完全除去にまで及び、たった一匹の虫の存在すら許さず、完璧な掃討戦を敢行しました。

我が家は、まだゴキブリの存在を確認していないのですが、ゴキブリが発生した場合には、家に火をかけてでも、殲滅戦を実施するのではないかと、少し心配しています。
2008年 09月 15日
不適切な情報制御
先日、道路を横切って、膝の高さ程度の柵を越えようとして、足を引っ掛け、派手に転倒してしまいました。

肘や胴を強く打ちつけ、暫く息ができませんでした。

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私がショックを受けたことは、足を引っ掛けたこと、そのこと自体ではなく、柵を乗り越える際に、その柵の存在をきちんと認識し、高さを確実にチェックしたという確信があるという事実です。

つまり、センサ(目とか耳とか)を介して、アクチュエータ(足、腕)に命令を出すという江端智一という一個の閉じた生体システムが、不適切な情報制御の処理を実行したという事実です。

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今日は敬老の日です。
2008年 09月 14日
プライベートアウトプット
マインドマップというノート術を、パソコン上で実現するマインドマネージャというソフトを使い出してから、メモを取るのがとても簡単になりました。

仕事以外にも、日常のメモ書きも、マインドマップ形式でするようになりました。

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先日、業務とは直接関係のない講習に出た時のことです。
私がマインドマップで適当にメモを取っていると、後僚から『江端さん、なんでそんなにメモ取っているんですか』と尋ねられました。

『後で、エッセイのネタになるような気がするもので』と応えると、『江端さんは、仕事だけでなく、プライベートでもアウトプットを出すようにしているのですね』と言われました。

気がつかなかったのですが、そういうことなのかな、と納得してしまいました。
2008年 09月 13日
子供は見ていた
嫁さんが、自家用車の運転を誤って幼稚園のエアコンの室外機を破損してしまいました。

修理に2ヶ月もかかると言われて、私達夫婦は青くなりました。

残暑厳しい折も折、2ヶ月もかかっていたら、幼児が熱中症になってしまうという恐怖を感じた私達は、幼稚園関係者や修理業者を説得しながら、保険会社への全損交渉を続けました。

全損交換が認められ、先日ようやくエアコンが再稼動を始めたことを聞いた時は、夫婦でヘナヘナと座り込みそうになりました。

幼稚園に通園している下の子供には、この事故のことを説明していませんでした。
説明しても分からないだろうと思っていたからです。

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先日、嫁さんから、幼稚園の先生から頂いた電話の内容を教えて貰いました。

「先日、お子さんが私(担任の先生)の所に来てですね、『ママが幼稚園のものを壊してごめんなさい』って、謝りに来たんですよ。思わず、『あなたのせいじゃないのよ』と言いながら、お子さんを抱きしめてしまいました」

この話を聞いて、さすがの私も涙が出てくるのを禁じ得ませんでした。
ちょこっとまんが(次女)

http://www.kobore.net/rio-200809014.jpg
ちょこっとまんが

http://www.kobore.net/mao-200809014.jpg
2008年 09月 12日
虚構のアメリカ人
合理的で、陽気で、前向きで、率直で、親切で、時間厳守で、プライベートとビジネスをはっきりとし区別し、なにより家庭を第一に考えるのがアメリカ人というものである。

ウソとまでは言いませんが、それを一般化できるほどの普遍的なものではないと思います。

そのような像を作ってきたのは、NHKラジオ英会話とビジネス世界のトップリーダ達なのだと思います。
彼らのまわりには、そういう、いわゆる「アメリカ人」が佃煮のようにいたのでしょう。

比して、中間かそれより下のレイヤで、一労働者として米国で労役をしていた私は、

暗くて、時間を守らなくて、不正確または虚偽の情報でババを掴ませ、非論理的な議論(UFOの基地の話を延々とする等)で空気を読めない阿呆や、不親切で、時間を守るという概念がなく、ホームパーティでは、奥さんや子供をほっといてマイクロソフトOSの悪口に花をさかせる、

というアメリカ人を山程見てきました。

自分の限定的な交友関係のみから、それをある国の国民性にまで一般化するのは、大変失礼なことだと思います。

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ただ、欧州の某国に、どうにもいけすかねえ奴が多いというのは、私にとっては一般化して良い事実になっていますし、そういう国にブランドバッグを漁りにでかける日本人が国際的に嘲笑を受けているという事実から、日本人が低能であると一般化されても、日本国民は文句は言えない、とも思っています。
2008年 09月 11日
優先席に優先的に座る
バスであれ電車であれ、優先席というのは、体に不自由のない人には座りにくいものです。

しかし、私は他の席が空いている時ですら、優先席に座ることがあります。

私は人に席を譲ることに対して、脊髄反射的な反応をすることを訓練してきたからです。

私の基準で「これは席を譲るのに相応しい人」と判断した場合、3秒以内にその人に声をかけることにしています。

但し、その場合、以下の付帯条件が付いています。

(1)その日、私が酷く疲れていないこと
私が疲れている場合は、目の前に重病人が倒れていようとも、私は自分の席を死守します。

(2)遠慮されたら、更なる申出はしないこと
「お席、お座りになりますか」に対して、「いえ、結構です」と言われた場合には、トランザクションとしては終了です。再交渉の余地はありません。

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「優先席に座ることは、本当にその席が必要な人に、席をリザーブ(予約)して上げていることになる、と考えているんだ」と娘に話したところ、「パパの考え方って、変わっているね」と感心されました。
2008年 09月 10日
丸刈りにしてみた
「できるだけ短かく、髪もできるだけ梳いて、前の方は目よりかなり上の方まで切って下さい。本を読むとき鬱陶しいので。もみあげはバッサリ」と説明するのが、単に面倒くさかったのです。

「丸刈りで」と言うだけなので、簡単でした。

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感想

「お、涼しくなりましたね」
"Not bad"
「いい感じですよ」
「やくざみたい」
2008年 09月 09日
「坂の上の雲」読了
多分、良い本だったとは思うのですが、この著者の本はもう10年は読まないだろうな、という感じです。

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研究員をやっていて結構大切なことに「情報を捨てる」という覚悟があります。
自分が必死になって取得した実験データを、バッサリと捨てて、研究の要点を、読者側の視点に立って明解にすることは非常に辛い作業です。

「竜馬が行く」でも思ったことですが、この著書は、本筋に関係のない情報量が多すぎるように思えます。
人物批評も、著しく主観に立脚しているような見解が多いように思えて、読むこと自体が辛い。

歴史の史実研究としては超一品だと思うのですが、娯楽としての読書をしたい私には、『ちょっと、もういいや』という感じです。

そういう所が良いのだ、という人もいるのでしょうが、私のような職業の人間には、不向きの文体なのかもしれません。
2008年 09月 06日
驚いたこと
北米の会社にチームで2年間程出向していた時のことです。

ホームパーティの時に、チームの一人の奥方に言われたことがあります。

『貴方達の会社の人間って、滅茶苦茶に勉強するよね〜〜』

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最初なんのことか判らなかったのですが、

帰宅後や休日に自宅で専門書を読み、
深夜に趣味のプログラミングをやり、
風呂場でラジオ英会話を聴く、

という日常生活に驚いている、ということらしいのです。

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仕事中は、技術書を読んでいる時間ないし、
業務に関係のない、趣味の不審者検知システムであれば、自由時間につくるしかないし、
英語ができないと、本質的に仕事が全く成立しないという職種だからやっているだけ、

というだけに過ぎず、これは多分、私の会社の人間でなくて、研究者・技術者と言われる人間なら誰もが、そんなものです。

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別に、出世しようとか、金を儲けようとかいう気持とは別に、子供達が「ドラえもん」を読むように、技術書を読みたいから読むだけであり、
ナイター見ている時間があるなら、プログラムを書いていたいだけなのです(「エッセイ」という人間も稀にいるが)。

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先日の飲み会の時に、そんな話を、研究所の偉い人としていたのですが、その時に、

『その研究員の定義は、今の世代には通用しない』と言われました。

彼が言うには、研究員という属性と、その研究員の日常が、研究に密接にリンクしておらず、研究と日常を完全に分離できるという、『スマートな若者』が増えているそうです。

それは、その偉い人の言葉を借りると『気持悪い』ということのようです。

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判っています。
間違っているのは、私達の方です。

『ライフシェアリング』という最近の考え方に対して、上記に定義した「研究員」は、あまりに古く、かつ、一方的な思い入れの上に立つ独断・偏見の観念です。

こういう考え方が、研究者や技術者の興味につけこみ、過剰な知的労働や残業時間を増大させ、業務災害(欝病など)を大量生産させている、最大級の害悪でもあることは、知っています。

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しかし、私は思うのです。

誰かを愛する時、『その人を愛することを、昼だけやろう』という愛し方ができる人はいるものでしょうか。

私は、誰かを愛してしまうこととは、自分を元気づかせ、落ち込ませ、生活の細部に入りこみ、自分の意思に関係なく平穏な人生を狂わせてしまうもののように思えるのです。

『研究や技術や学問を、昼だけやる』という観念は、もはや、そこでいう「研究や技術や学問」が、「研究や技術や学問」そのものではない、と私には思えて仕方がないのです。

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そんな訳で、『貴方達の会社の人間って、滅茶苦茶に勉強するよね〜〜』という奥様のお言葉は、

「其方こそが、気高き愛の実践者である」という、最大級のお褒めの言葉、と取らせて頂いています。
2008年 09月 04日
外国出願の意外な盲点
中国に出願した特許発明の拒絶理由対応の第2回戦をやっています。

審査官の拒絶理由に「請求項(クレーム)に記載された内容は、引用発明が・・うんぬん・・」と記載されており、それじゃあ、とクレームを読もうと思ったら、

全文、漢字からなるクレーム

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結構インパクトあります。
この気持を分って貰うために、一文抜粋してみましょう。

『根据叔利要求1所述的移功体的通信方法,其中,(中略)第二元銭区域送出前,使其声生岐分』

この請求項を、一体、私にどのように補正しろというの。

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『翻訳文がないと、拒絶理由通知、判らないよ!』と、知財部に文句を言ったら、今、中国の特許事務所に翻訳して貰っているそうです。

有料で。

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『そりゃ酷い。なんで有料になるんだ』と憤慨したのですが、よくよく考えてみると、私が今迄対応してきた官庁であるところの、米国特許庁、欧州特許庁、カナダ特許庁とは、全部『英語』の書面で連絡を取りあうことができました。

私を含めて、日立の研究員は全員、英語で書かれた拒絶理由通知や特許請求の範囲(クレーム)に対して、辞書を引き、文句を言い、泣きながらでも、確かに対応してきたし、対応できたのです。

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各国の特許権は独立しており、当然各国の言語で権利が発生します(パリ条約4条の2)。その国で権利が欲しければ、その国の言葉で特許請求を記載するのは、至極当たり前のことです。

我が国を振り返るに、日本国特許庁だって、当然日本語で拒絶理由通知をしている筈です。当たり前です。特許権は、日本語で発生するのですから。

願書にしたって"John Smith"なんて人は日本国に出願できません。そんな名前の人は日本国にはないからです。
日本国に出願できる人は、断固として「ジョン スミス」さんなのです。

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そんなこんなで、今日と言う日は、

(1)「英語」とは結構凄い奴だったと言うことと、

(2)属地主義(法律はその国で発生し、その国の領域のみで有効であること)を、

体で理解した日になりました。
2008年 09月 03日
やればできる
先日、嫁さんからのリクエストで、家庭用の小型フォトプリンタを注文しました。

昨夜、帰宅したら、それが届いているだけでなく、既に稼動しており、試し刷りのスナップがテーブル中に散らかっていて、驚いてしまいました。

嫁さんは、パソコンの設定や各種配線、設置工事等は、何でもかんでも私に依頼をします。
その理由は『その方が時間が早い』ということになっていて、一応筋は通っています。
そんな訳で、これまで私は、我が家の専属保守員として働いてきました。

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今回の一件を鑑みるに、
『「早く試したい」という気持は理屈を凌駕する』というポジティブな解釈と、
『面倒なことは、なんでも私に押し付けよう』というネガティブな解釈があるように思えます。

ここでは、その結論については言及しません。
まだまだ、これからも私達の夫婦生活は長いのです。
2008年 09月 02日
批判ごうごう
夏休みの自由研究「虎の巻(説明編)」です。

『小学生がこんなレポート書けるか!(クオリティ高すぎ)。親の介入、バレバレ』という批判を沢山頂きました。

# 私もそう思ったんですってば。

http://www.kobore.net/summer-hw2.pdf
2008年 09月 01日
夏休みの宿題
『子供の夏休みの自由研究を、私がやって、どーするんだ』と思いつつ、嫁さんの圧力等に屈し、昨日作成した「虎の巻」を送付します。

# 折角作ったけど、娘はなんか落書きのよーな報告書を、学校に持っ
# ていってしまいましたが。

なお、著作者は私(エバタ)として、転送は原則として禁止で、よろしく。

# 『エバタがスゲー出鱈目な報告を書いていやがる』と言われるのは、
# ちょっと恥かしいので。

江端

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江端さんへ

 このクオリティの高さによって親がやったとばれますね。
 子供が作った感じを出しつつ、いかに作品のクオリティの高さを
 追求するかですね。子供の夏休みの宿題を親がやるときのジレンマですね。

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>  子供が作った感じを出しつつ、いかに作品のクオリティの高さを
>  追求するかですね。子供の夏休みの宿題を親がやるときのジレンマですね。

残念ながら、(今回は)その点では(絶対的に)安心なんですね。

昨夜、娘のレポートを見て『何を調べたのか、全然分からない』と叫んで、私のレポートを書き写す旨を提案する嫁さんに対し、
『将来、自分の報告書を見て、恥じ入るということができるから(それが、将来の糧になるのだ)』と、説得するのが大変でした。

# 単に面倒だった、というのもあるのですが。

閑話休題

ところで、小学生の夏休みの自由研究の定義について、昨夜嫁さんと議論になったのですが、下記の「嫁さん説」を聞いて、私は驚きました。

「家族全員で行なうものを、子供が纏めるもの」(嫁さん説)
「終始、子供が行なうもの」(エバタ説)

嫁さんは、親に手伝って貰わずに自由研究を行ったことがなく、私は、親に手伝って貰った記憶がないのです。

これは、どっちが正しいのですか? > 極めて真面目な質問 > To:有識者

江端
http://www.kobore.net/summer-hw.pdf