江端さんの忘備録
2008年02月分を表示
- ■2008年
02月 28日
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- ・出社時に流れる曲
- 日本で手に入る(多分、全部の)マルタアルゲリッチのピアノ演奏を、携帯電話のミュージックプレーヤにいれて、出勤時に聴いています。
ところが、このタイミングで聴いていると、丁度、会社の正門に逹した所で、必ずこの曲にさしかかるのです。
ショパンのピアノソナタ第2番(変ロ短調
作品35) 第3楽章
いわゆる「葬送行進曲」
あまりにピッタリ。
程良く「鬱」にしてくれます。
- ■2008年
02月 27日
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- ・Don't fly me to the mall
- 一昨年、米国の大学との共同研究の打合せで、ロサンゼルスの方にいって来た時の話です。
現地の大学生の心配をよそに、私は格安のモーテルに泊って、会社の経費削減に貢献していました。
水着で、そのままプール直行できるし、ロビーに出ることなくふらふら出かけられて、楽ですしねえ。
モーテルの回りのハンバーガショップで、ポテトとビールを買い込めば、その量だけで一日半は食料には困りません(米国のバーガは、デカい)
勿論、出国前には嫁さんに叱られて、帰国後は上司からも叱られました。
「ロスのモーテルで邦人射殺死体」
つまらない程、ありふれた記事になるだけだ、とのことでした。
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さて、その米国の大学の先生や学生さん達は、優秀であるばかりでなく、大変気持の良い方で、連日食事の接待をしてくれまました。
ハンバーガとビールを、ベッドの上で転がりながら食べつつ、言葉の判らないテレビのバラエティを見ているだけで十分な私には、過ぎた接待だったと思います。
当方としては、「一日だけの接待」が理想なのですが、その逆の立場では、そうとも言えない事情も理解できます。
まあ、ロサンゼルス地区は、食事も美味しいところですので、私も楽しく過させて頂きました。
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ところが、帰国前日、私が海岸線までの片道7kmの歩行を断行しようと思っていたら、(当然のことながら、殆ど強制的に)止められました。
そして、車に乗せられて連れていかれたところが
「モール」
確かに、日本人の9割以上の人が、海外のモールでお土産を買うのを楽しみにしているというのは事実でしょう。
しかし、私は残念ながら、残りの1割に属する人間で、他人は言うにおよばず、家族にさえも土産を持参しないという、極めて珍しい(と言われる)人間なのです。
私が2年間の米国(コロラド)滞在で、私が最も避けてきた場所がこそが「モール」でした。
苦痛の殿堂、精神の拷問部屋でありながら、所帯持ちには忌避できない、不条理な場所でした。
「服は、破れていなくて、怪我を回避でき、かつ体温を維持できれば良い」「時計は、時間を確認するもの。可能なら軽量の方がよい」、と考えるような人間に、モールが提供するものは少な過ぎるのです。
この話を嫁さんにすると「一体何の為に、文明が発祥した現代に生れてきたのか」「木の実を食べていた原始時代に生まれても、同じではないか」と言われて、なるほど巧い物事の捉え方だと、深く感銘を受けました。
もっとも、モールが、私の欲しいと思うオペアンブやトランジスタや無線モジュールや、その他の電子部品や通信機器を陳列してくれていれば、私もきっとモールが大好きになったと思うのですが。
閑話休題
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私は、あまり構われなくても大丈夫な人間です。
一人でいても、パソコンがあれば半日はエッセイ執筆で時間を潰しています。
1日以上あれば、きっとプログラミングを始めているでしょう。
3日あれば、多分何かの小さなシステムを作り上げていると思います(システムの研究員ですし)。
だから皆さん。安心して私を放置して下さい。
少くとも、「私をモールに連れていかないで(Don't
fly me to the mall)」下さい。
# "Fly me to the moon"のもじりです
- ■2008年
02月 23日
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- ・死ぬかと思った
- 今週の仕事は大変だった。
月曜から金曜の、朝から晩まで(会食まで)、終日エイリアン(「外国人」という意味ね)との会議で、疲労困憊、立ち上がるのも面倒なくらい、しんどい。
高い懐石やらフルコースは、体調が万全な状態で、彼女や彼氏や家族で食べてこそ楽しいものですです。
今週の夕食を総括すれば「不幸な飯」
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大体、外国からのお客さんにしても、時差ボケで、夜の会食は地獄のはずなのです。
私にしても、外国でミーティングなどはいいのですが、その後の会食が憂鬱で仕方ありません。
油断していると皿の中に顔を突っ込んで昏倒してしまいそうな疲労の中で、訳の分からん会話に笑顔を浮べながらうなずきながら、明日の資料の構成を心配する
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こんな会食の何が楽しいもんか。
他の人は知らんが、私は酒も食事もいらん。
頼むから、「仕事だけ」させてくれ。
・・・、と言えないところに、ビジネスの辛さがあります。
- ■2008年
02月 15日
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- ・(2の3 15:00)
- (2の3 15:00)
- ■2008年
02月 13日
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- ・Runtime errorでIEが落ちまくり
- インターネットオプション→詳細設定→サードパーティ製のブラウザ拡張を有効にする(再起動が必要)
を外せば、落ちなくなる
(が、不便だ)
- ■2008年
02月 11日
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- ・役立たずの神がいた
- 私は、宗教の目的が人間に対する意思決定支援を行うことだと思っております。
そのメッセージには、「人に親切にしましょう」から「毒薬をばらまきましょう」まで、本当に沢山のメッセージがあるようです。
ところが、宗教は神の存在を前提としなければ、最初の一歩が踏み出せないやっかいな存在です(つまり、メッセージだけでは存在し得ない)。
これは宗教団体から見れば、大変もどかしいことと感じるかもしれませんが、宗教という性質上、仕方がないことなのだろうな、と思っています。
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私は、神への信仰を叫ぶ人たちの多くが、一度も「神」に接したことがないんじゃないかなぁ、と思うことがあります。
一度でも接していれば、「神は存在する!」などと必死で主張し、証拠を並べ立てたくなるのではないかと思うのです。
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私が小学生の頃、実家によくキリスト教(どこの宗派かは知らなかったけど)の布教のお兄さんがやってきていました。
私の姉などは、そのような方が来られると「ちょっと待って下さい。ちょっと準備しますから」といって、玄関から、私を呼びつけたものです。
私の論旨は単純なものでした。
「神が存在するというなら、見せて下さい」
大抵の人はこれで怯んでしまうのですが、それにも負けじと、神が存在するという付帯的証拠を述べる人が多かったように思います。
お兄さん:「りんごが丸いのは何故でしょう。食べやすくするように、そのような形状に神が準備してくれたのです」
私:「そうでしょうか。りんごを四角に作ってくれた方が、調理や運送の際にも便利だと思いますが」
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ところで、私は、数年程前ですが、いわゆる「神」というような者に、接したことがあります(と、少なくとも私は信じています)。
だから、少くとも、私に対して、「神は存在する!」などと必死で主張して貰わなくても良いのです。
私は、数年前から、神が存在することは知っています。
でも、全然役に立たない奴でしたよ。少なくとも、私が巡りあった神は。
(続く)
- ■2008年
02月 09日
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- ・百里の道も九十九里を以って道半ばとせよ
- 東京は相当の雪の日でした。
親戚の法事の横浜からの帰り道は、私の常識から言えば、絶対にノーマルタイヤで走ってはならない日でしたが、礼服のまま、雪の泥道に伏せって、チェーンを巻く勇気はありませんでした。
家の前の坂道で一旦停止し、娘を車内に乗せたまま、私は家のトイレに走りました。
外を見にいった嫁さんが、見たものは、雪の坂を滑落して自宅の前のフェンスにぶつかって停止している、5日前に購入した我が家の車でした。
車の中では娘が恐怖に引きつりながら、泣き喚いていました。
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その後、警察やら保険会社やらへの連絡をしていたのですが、連休を全部潰す程には落ち込みました。
- ■2008年
02月 08日
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- ・マミーズ英会話方式
- 引っ越してしまってからはなかなか行けなくなったのですが、相模原の米軍の居住地区のお家に、英会話を教えて伺っておりました。
この英語学習イベントを運営されている社長さんと懇意にさせて頂いていたのですが、この方の考えている英語学習のポリシーがユニークで、私も賛同していました。
そのポリシーを乱暴に纏めると、こんな感じです。
(その1)『「私」
「行く」
「新宿」という単語を聞いて、「私が新宿に行く」と理解できない日本人がいるだろうか。いや、いない』
(その2)『「私が新宿に行く」と、いきなりしゃべり出す乳幼児はいない(いたら怖い)。「私」
「行く」
「新宿」というプロセスを経ることで、会話の構文に仕上がっていく』
(その3)『英会話に必要なことは、(1)最低数の語彙を取得すること、(2)とにかく会話(しゃべること)ことの2つである』
結論:『英会話をしたければ、幼児の会話プロセスに従え』
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もっとも、この幼児のプロセスは、英会話の入口の話です。
ここから英会話を日常会話のレベルに上げていくことが必要であることは言うまでもありません。
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しかし、安心して下さい。そこまで必要でないかもしれません。
『「私」
「行く」
「新宿」という単語を聞いて、「私が新宿に行く」と理解できない日本人がいるだろうか。いや、いない』
の理論を押し通して、幼児の会話態様をそのまま使用し、海外との仕事に突入していく豪の者もいます。
私です。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/mes-mommies/index.html
- ・タイヤのサイズ
- 195/65R15/ 91H
- ■2008年
02月 06日
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- ・採暖室の思い出
- 私の住んでいる場所の近くには、冬でもオープンしている公営の温水プールがあります。
子供にせがまれ、家族で時々出かけるのですが、独身の頃はよく一人で泳ぎに来ていたものでした。
これは、その時の思い出です。
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そのプールには、游いで冷えた体を温めるための採暖室があり、私も時々その部屋で暖を取っていました。
ここでも例に違わず、おばちゃんが大声でおしゃべりをしていました。
「それでね、私もダイエットしていたんだけど、全然痩せなかったのよ」
ダイエットの話のようです。
エネルギー保存法則に因れば、喰わなければ絶対に痩せるんですが、世の中の女性のダイエット方法は、その原則を避けるように構成されることがお約束のようです。
「で、一緒にダイエットを始めた○○さんはね、もの凄い期間でダイエットに成功したのよ。私が、どうしてそんなに上手く痩せれるの?って尋ねたらね、○○さん、私に『気合が違うのよ、気合が』って、すっごく私に自慢していたのよ」
ふーん、そういう人もいるんだなあ、と感心して聞き耳を立てて聞いていました。
「でもね、違ったのよ」
ん?
「○○さん、半年後にガンで死んじゃったのよね〜〜!」と、隣りに座っていた奥さんと豪快に笑っていました。
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私は、げっそりしながら採暖室を出ました。
- ■2008年
02月 05日
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- ・正しい意見を述べる為の主体適格
- 大学に入学した頃、私はまだ未成年でした。
ですから、学寮の同僚が煙草を吸っているのを、注意したことがあります。
彼は私に理由を尋ねてきたので、「未成年の喫煙は、体の成長を妨げ、云々・・」と言ったのですが、それに対して、彼は疑問を投げつけてきました。
「子供が吸って悪いものは、大人が吸ったって悪いに決っているじゃないか」
(確かに、そりゃそーだ)と、軽い衝撃を受けたのを覚えています。
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○『お前たち!煙草なんか吸って良いのか!!』と、職員室で、くわえ煙草で説教する教師
○『先生、うちの娘、どんなに言っても、パーマをかけてくるのですよ』と担任の教師に生活指導を懇願する、銀座の夜の世界に出てくるかような、ケバイ化粧の派手な服の母親
○『それが仁義ってもんだろうが』という台詞を吐く、社会的弱者を喰いものにして生きているチンピラ
どんなに正しい意見も、その主体に適格がなければ、多くの人は受けいれることができません
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今日、人間ドックで最後の問診をした医師
『脂肪肝が出ているから、もっと体重を減らさなければ駄目だ!このままじゃ、大きな病気に繋がるんだぞ!分っているの?!』
言葉としては理解できるんですよ、私だって。
でも心がそれを拒否するんですよ、先生。
先生。先生の腹の肉、椅子の手摺りからはみ出しているんですが。
と、今日、私はどれだけ言ってやりたかったことか。
- ■2008年
02月 04日
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- ・緊急地震速報システム
- リンクのビデオを見て「これは使える」と実感しました。
いつ可能になるか判らない地震予知の研究に投資するくらいなら、このシステムの拡充に金を注ぎこむべきですね。
10秒あれば十分、場合によっては5秒でも相当有効でしょう。
P波検知とほぼ同時にS波が到達する地震や、震源地に近い地域では、間に合わないかもしれないけど、1〜2秒でもあれば必ず役に立つと思います(箪笥の側から離れる、テーブルの下に逃げ込む、等)。
先ずはテレビ等による緊急地震速報の実現が要求されると思うのですが、数秒の転送遅延を前提にする、ワンセグや地上デジタルは辛くなりますね。
http://www.youtube.com/watch?v=LXuoMwesmfo
- ■2008年
02月 03日
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- ・阿呆な教師
- 中学の時だったと思います。
かなり年配の教師が、
「戦争(太平洋戦争のこと)の頃の時代には、食べ物がなくて、とても辛い時代であった。君達なら、到底耐えられかっただろう」
と言っているのを聞いて、
中学生ながらに、私は『阿呆か、こいつは』と思ったことを覚えています。
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私はコンテクストのことを言っているのではありません。
「食べ物がない辛さ」というのは、想像を絶する地獄であることを、私は、知識として知っているに過ぎません。
(それに近い状況を、海外の一人旅の時にちょっとばかり体験しただけです)
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問題は、その後の文言にあります。
「君達なら、到底耐えられかっただろう」
この文言には2つ程、私を怒らせる事項を含んでいます。
(1)日本の国民全員がその状況にあって、それを「耐える」という以外の選択肢しかない時に、どんな人間であれ、何ができるかといえば、2つしかないはずです。
「耐える」か「自殺するか」です。
自殺しなければ、耐えるしかない状況下で、その教師が「耐えて」きたことは、何か私達に対して自慢することなのでしょうか。
(2)仮に、私たちが同じような悲惨な戦後食料時代に置かれたと仮定した場合、私たちが「耐える」か「自殺するか」以外の別の選択を取りえるか、ということです。
その教師と同じように、「耐える」しかないでしょう。
その教師は、何か立派なことをした訳ではありません。
「耐える」という誰もがしなければならなかったことを、誰もと同じようにしただけに過ぎないのです。
もっとも、その状況を大変気の毒と思いますし、私がそのような地獄がない世の中で生きられることは心から幸せだと思いますが、それは議論が異なります。
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私は、(あまり長い期間ではなかったけど)、学費を稼ぐために働きながら勉強していた時代がありました。
その話をすると、「立派だ」などと言われることがあるのですが、私は酷い違和感を感じるのです。
その時私には、「働いて勉強を続けるか」「学校を止めて働くか」の選択肢しかありませんでした。
勉強を続けたかったので働きながら勉強しました。それは、それ以外の選択肢がなく、その選択を私が選んだからです。
少くとも、こういうことで「立派だ」という言葉を使うべきではないと思います。
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限定された選択肢の中から、普通に選び取ったにすぎない事項は、特に賞賛され得る行為ではありません。
その教師が語ったことは、(我々が同じ愚を犯さない為にも)後世に伝えるべき必要な情報として、絶対的に伝えていって欲しいと切望するものですが、これらの有益な情報が、どうしてこういう形で発露されてしまうのかは、本当に不思議としか言いようがありません。
こういうことを、情報伝達以外の目的で、自慢するかのようにしゃべる奴は、阿呆だ、と私は思います。
断言します。
- ■2008年
02月 01日
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- ・外部出力端子のある携帯電話
- ボーダフォン904SH
- ・小田急電鉄
- 私が通勤に使っている小田急電鉄が、楽しい企画をしています。
子供(多分、小学生以下だろうな)の絵を拡大して、全車両に塗装した電車を走らせるという企画です。
これが、悪くない。
というか、個人的には凄く好き。
私は、小学生の高学年の時、ちょっとばかし成績の良い時代があったのですが、いわゆる通知表のロイヤルストレートフラッシュを常に妨げ続けたのが、図工と体育。
それでも教師が、「まあ、普通ね、普通」という成績を付けてくれていたのは、私の卑屈な営業活動(教師に常に愛想よく接して、好印象を続けるという)に因るものでしょう。
いけすかねえ餓鬼と思われるかもしれませんが、小学生といえども、この程度の処世術は必須だと思います。
ひねた見方をすれば、このような(大人受けする)楽しい絵を製作する能力がある子供というのは、詰るとこ(以下、検閲)
http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c717.html