第3章 Practice And Practice



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第3章 Practice And Practice

それから披露宴までの2週間、私の行動は忙しい。

まず、本屋に直行し、「結婚式・上手な司会と演出」と言う本を買ってきた。 まえがきから読み始める。

『はじめて結婚披露宴の司会を頼まれて、尻ごみしない人は、まずいないでしょう。 披露宴と言えば人生の節目、晴の舞台です。たとえ親友の頼みでも、安請け合いする訳 には行きません。』

(そうかあ?)

『取材、台本づくり、演出の打ち合わせなど、司会者は披露宴の本番までに、準備し ておかねばならないことがたくさんあります。』

(は?)

『また、基礎的な発声練習やアナウンスの練習、あるいは司会というものに対する理 解、心づもりを整えるのも、準備のうちと言えるでしょう。』

なんだか本を読んでいるうちに憂鬱な気分になってきた。、敬語、忌み言葉、活舌訓 練などなどの項を読んでいると逃げたくなってきた。

ハプニング対処法の項目を見て、私は真っ青になった。

この他にも「地震火災が起こったら」なんていうのもあり、悲鳴を上げそうになって しまった。とは言え、引き受けた以上どうしようもない。とりあえずハプニング起こる な、と祈るしかなかった。

取り急ぎ、その本を使って司会者用の台本を作り始めた。新郎新婦本人やご家族の名 前、ご媒酌人、来賓、スピーチを行う友人たちのリストとその詳細な関係を、台本に全 て盛り込んで、ざーとワープロで書き下してみた。

(ん、ま、とりあえずこんなもんか。)と言う程度書き上がった台本を、パソコンネ ットワークを使って、古田さんの会社のコンピュータに送る。

原稿を受け取った古田さんは、誤植などを正しく直してから、再び、私の自宅のパソ コンに送り返す。

この作業を数回行い、ついに私たちは披露宴に関する詳細な打ち合わせを、唯の一度 の電話をする事もなくやり遂げることになる。

概ね原稿ができてきた頃、ふと私は、彼らが一体どうして結婚することになったのだ ろうか?と言う極めて素朴な疑問にぶつかった。

考えてみれば、私が彼らについて知っていることと言えば、名前と出身大学、同じ会 社の同僚と言うことくらいで、後は全く何も知らない。

この時期に人のプライベートとか、そんなことは言ってられなくなった。

新郎新婦のプライベートな情報をある程度知っておかないと、披露宴の進行が続けら れなくなると「結婚式・上手な司会と演出」にも書いてあったし。

私は大至急古田さんにパソコン通信で連絡して、二人の生年月日、出身地、なりそめ 、おつき合いの期間、デートの場所、小さい頃の思い出などなどの詳細な情報を知らせ るように指令した。
つまり、

「恥ずかしがっている段階は終わったのだ!!とっとと吐け!!」

ということである。

翌日届いた情報を目にして、よくもまあこれだけ長い間、彼女の存在を隠し続けたも のであると言うのが第一印象で、どうしてこれほど完璧に秘密にしていたのかなあと、 私は不思議であった。

この後も私は、通信ネットワークを利用して、古田さんたちの情報をコンピュータネ ットワークに放り込んで占いをさせたりしていた。

コンピュータ占いの結果、古田さんたちの結婚できる可能性44[%]に対し、私は89[%] であり、あまり当たっているとは言えないようである。「ふっ、やはりF通のコンピュー タはだめだな」と呟きつつも、虚しかったけど。

原稿が概ね完成したところで、私は司会用原稿の丸暗記作業に突入した。

私以外に誰もいない独身寮の個室から、「さあ、新郎新婦のご入場です。拍手でお迎え 下さい。」とドアから漏れでくる私の声は、さぞかし恐かっただろう。

私は毎日夜の11時頃に4キロ程度のランニングをしているのであるが、走っている 途中に、状況を思い浮かべて、ぶつぶつしゃべりながら走って練習していた。

これは自分のしゃべっている速さを感じることができるので、なかなかよい練習にな ったが、都会の新興住宅街、深夜、トレーニングウェアを着た男が一人、暗い夜道をぶ つぶつ訳の判らないことをしゃべりながらジョギングしている姿は、疲れて帰ってきた OLのお姉さん達には、本当に恐かっただろうと思う。

この様にたくさんの人の犠牲の上に、私の暗記と状況設定のイメージ作りは着々と進 行していった。

ここで、問題が起こった。

実は今年8月から、ダイエットをしていた私は、式が近づくに連れて、ちょっと貧相 な顔になってきたのが気になって、3日前になって以前の食生活パターンに戻したので ある。

結果的に、お粥しか食べれない人にお餅を食わせるような、この呆れるほど愚かな行 いの結果、私は脱水状態とそれに伴って風邪をひいてしまったのである。

ちょっとぼーとする程度の軽い風邪であったのだが、私は必要以上に事態を重く見た。

高熱になろうが、骨を折ろうが「大丈夫、絶対やり遂げてみせる。」という自信は あったが、声が出なくなったらもはや手は打てない。しゃべれない司会者ではどうしよ うもない。

薬局に走って、うがい薬とトローチを山ほど買って来た。研究所でも寮でも1時間お きにうがい薬を溶かして、がらがらとうがいに励んだのであった。



Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:11:56 JST 1996