江端さんのひとりごと 「『結婚のススメ』の査読」 2007年2月19日 後僚から、社内報のエッセイの査読を頼まれたので、その経緯を開示 します。 Subject: リレー随筆の検閲 Date: Wed, 06 Dec 2006 16:21:13 +0900 > 江端さん > > ○○です。 > 社内報の前々号のCHAOSに続いて、次回新春号に私のリレー随筆が > 載ることになりました。 > 1ヶ月間にわたる企画室との格闘の末、下記のようになりました。 > もともと205UのULである△△に対する個人的な提言とした書いたの > ですが、いつのまには自分のことのような話になってしまいました > > 気分転換になるかわかりませんが、読んでいただいて意見を下さい > > > 「(仮題)結婚のススメ」 > > 職場に限らず諸先輩方が同席する会に参加すると必ず「結婚しろ」 > と説教を受けます。「別に結婚したくなくてしないわけではありま > せん!」と反論していますが、お決まりの説教として軽く流してい > ます。既婚率と出生率が低下している昨今、「結婚しろ」という説 > 教を受けている人はごまんといるでしょう。しかしどうも、軽く受 > け流している場合ではないらしいのです。国の統計調査によると生 > 涯未婚率が15%を超えたといいます。晩婚化が進んでいるどころ > か全く結婚しない人が増えているのです。少子化・高齢化が進み社 > 会保障の持続性、生産活動力・経済国力低下など国家の存続を揺る > がす危機的な事態に陥っているのです。 > > 結婚をしない理由は何なのでしょうか?私の周りには断固として結 > 婚しないと言い張っている人がいます。その理由は「価値観が異な > る男女がくっついても面倒なだけ」「お互いに合わせることはでき > ない」「わたしは死ぬまで自分を変えない」といった意見がありま > す。 > > 結婚というのはすべてにおいて「妥協」だと言う人がいます。日常 > 生活において相手が全て自分に合わせてくれるわけではないし、自 > 分も100%相手に合わせることはないでしょう。しかし、現実は > 互いに譲歩して自分を変えて合わせるしかありません。例えば、本 > 当は濃い目の味が好きだが、相手が薄味の料理しか作れないのであ > れば、その味を好きになるようにすればいい。このような思考をも > つことができない限り結婚という制度はマイナスでしかないのです > 。 > > どうして皆、我を張って自分を変えようとしないのでしょうか。変 > えることが怖いのか?変えられる自信がないのか?別に自分を変え > ても「自分」であることには変わりはないわけで、たった一人の人 > に合わせることくらいで「自分」が別のものになるわけではありま > せん。むしろ、変わることを受け入れる方が、より「自分」を見つ > め直すのに良いのではないかと思います。 > > わたしは結婚を嫌がる人に「結婚しろ」という気は全くありません > 。しかし、異性とかかわることで自分が変わるのを楽しむ方が人生 > に広がりがあってよいし、国も豊かになってよいではないでしょう > か。 > > そんなわたしも現在31歳、平均初婚年齢である30歳をとっくに > 過ぎてしまいました。同年代の友人からの「結婚した」という話を > 耳にしてもおかしくないと思うのですが、その声は聞こえてきませ > ん。環境変化に乏しい日本にあって種の保存の原理は働かないので > しょうか。私は風邪で寝込み、床をのた打ち回っていると単純に「 > やはり一人は…」と思ってしまいます。恐らく大半の人は賛同する > と思いますが、いかがでしょうか。 <<ここから、江端コメント>> そうですねえ。 以下の観点がつけば、さらに良くなるでしょう。 [観点1] 「結婚しろ」という者の説明責任(「『この娘と』結婚しろ」)の欠如 →主体、客体を省いたままの提言は、無責任を越えて、無知無 能の露呈である。 上記の発言は、結婚相手を具体的に特定し、かつそのお膳立 てを全て行えるだけの時間、労力をかけることができる者の みが許される発言である、という社会的なコンセンサスを構 築していくべきである。 カウンターとしては、「部長!もっとビックになって下さい」 「課長! 愛がないっす!」「係長、もっとちゃんとして下 さい」という、訳の判らん抽象発言で応酬するという作戦も ある。 不毛だが。 [観点2] 行政府の結婚率低下に対する無能・無策ぶり →いっそうのこと「我が国は結婚という態様を放棄し、個人に 立脚した共生体制を支援する(家制度の破壊)」という宣言くら いのことを視野に入れるべき。 [観点3] 「独身優位論」の弱点 →結婚経験者は、独身と結婚の両方の態様を経験しているのに 対して、独身者は結婚という態様なしに、外部情報だけで判断 せざるを得ない点に、決定的に論理の弱みがある。 →独身優位論は、独身→結婚→独身の経緯を得たものだけが説 得力を有するものであるが、(意外にも)この経緯を得て発言し ている者が少ない。 →「独身優位論」または結婚批判の論述が、伝聞情報に基づく 勝手な想像(あるいはマスコミやドラマが適当につくったアホ らしいフィクション)の産物にすぎないものから派生している、 という点が極めて残念である。 そもそも、結婚とは、ドラマで演じられる程簡単なものではな く、人類発生以来の最高の複雑系の具現化であり、最新の制御 システムも及ばない緻密な制御を必要とするのにも係わらず、 いつの間にか系を安定化させるロバスト性をも併有するという、 もう、それは本当に「訳の判らないシステム」なのである。 このような複雑系システムを、視覚と聴覚とからなる感覚器官 のみで検知される「テレビ」なるもののみを持って理解できる と考えるのであれば、『笑止』と言わざるを得ないであろう。 [観点4] 結婚というシステムがなぜ社会で維持されたかについての論述 →国家の策謀(社会構成としての家制度の維持)等の議論も展開 できるが、その説明ではちょっと弱いように思える。 → 基本的に結婚→家庭という態様が、人間の本質に(たまたま) 一致したからではないかという観点から、それの反証を行なう と説得力があると思う。 [所感] 結婚=妥協論は妥当でない(個人的所感) →私も嫁さんも、結婚していますが全く妥協していません。 原則1:「『分かりあえない』という現実を、分かりあう」 原則2:「私にとって理解不能な価値観を、相手を信じること で、『価値があるものであると認める』」 私にとって何の価値も見いだせないことだけど、嫁さんが良い といっていることだから、きっと良いことなのだ、と信じるこ とだけで良い。 相手方の価値観を発見しまたは理解する努力を行なう必要はな い、と言うことです。 # 『世の中で「良い」と言われれいるものの大半は、私にとっ # てはどうでもよいことだ』と感じてしまう、江端独特の思考 # 体系にも依存するところも大と思いますが。 → 上記の2大原則さえあれば、結婚は極めて幸せな共存態様 です。我が家に関していえば、私の子供に至るまで、全員この ルールで生活しております。 [総論] 結婚 = 社会的ステータスの時代の到来 → 大卒、一流企業、という時代を経て、我々は、「非婚」「既 婚」で差別される、「大差別時代」に突入したということであ る。 「非婚者」:コミュニケーション欠如、協調性の欠如、精神的弱 者、社会的未熟者 「既婚者」:異性との円滑なコミュニケーション、チームワー ク重視、責任ある社会人 酷い無茶苦茶な定義であり、悪意に満ちた偏見である。 しかしながら、結婚はしているものの、ろくな能力もなく日々 禄を食んで生きているの今の私にとっては、 「素晴しい差別時代」の到来 である。 # 本当の困難が到来する前に、結婚しておいてよかった、と心か # ら思う。 # 「恋愛適性力、結婚総合力が低い」という20代の自分の客 # 観評価こそが、この結婚大差別時代を乗り越えたのだと思うと、 # 自分で自分を褒めてやりたいと思う。 → しかし、これを覆す最後の手段は残っている。 非婚者がマジョリティに成り変わるのである。 つまり 「あいつ、結婚なんかして社会や国家に従奴していや がる。ばっかじゃねーの」 と言い切る世論の構築を可能とするだけのマジョリティの形成 である。 100年の計で、取りかかるべきである。 以上、健闘を祈る 江端 (本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにお いて、転載して頂いて構いません。)