江端さんのひとりごと 「神々の峰」 4月の下旬の始め、日本食をトランク一杯に積めこんで、嫁さんと娘が50日 におよぶ一時帰国を終えて、フォートコリンズに帰ってくることになっており ました。 その折に、お義母さんと親戚のおばさんも連れてくることにもなっており、 嫁さんがアメリカツアーのガイド役を、お義母さんと親戚のおばさんが娘の子 守りを、という、一石二鳥のプランでした。 さらに、その途中には、サンフランシスコがありました。 ----- 嫁さんより、「サンフランシスコで合流」の指令を受けていた私は、2日間 の休暇を取り、サンフランシスコ観光ツアーのドライバー & プランナーの任 務を携え、デンバー発午前9時のフライトで、旅立ちました。 GPSレシーバー、Yahoo Mapと地図ソフトを駆使して全宿泊予定ホテル、レス トラン、各種施設の位置座標を書き込んだ、GPS Grid対応のサンフランシスコ の地図に加え、娘のベビーカー、チャイルドシートなど抱えて、サンフランシ スコ国際空港をさまよっていましたが、空中線電力が日本の50倍と言うアメリ カの市民バンドの無線機を使って、嫁さん一行と、無事SFO合流を果しました。 レンタカーを借りた後で、再度空港に戻り、荷物を積み込むと言う、常軌を 逸っした行動をしなければならなかったのは、滅茶苦茶な量の荷物が日本から やってきたからです。 なにしろ、エクスプローラの荷台に積みこんだ荷物で、後が見えなかったく らいですから。 ----- ヨセミテに向かった日は、天気が悪くて ----- と言うよりは、どしゃぶり の雨で -----、恐ろしいくらいの好天を呼ぶ、典型的「晴れ女」である、嫁さ んの神通力もここまでかと、ちょっと残念な思いをしましたが、そのうち、そ んなことを言ってられない状況になってきました。 ヨセミテ国立公園の入り口で、ついに雪が、しかも半端な量でない湿った豪 雪に遭遇。 看板を見ると、"Chain Required"。 そんなこと今頃言われたって、どうしろと言うのよ、と言いたかったです。 私は青くなり、ヨセミテ観光断念を考えましたが、取りあえず、本当にやば くなった時点で引き返えそうと決意しました。 予約したロッジは、もちろん返金なしのキャンセルとなりますが、命の方が 大切なのは言うまでもありません。 ヨセミテ公園の管理事務所にいって『この雪、これからどうなるの』と聞い たら、『今晩が山』みたいなことを言われ、『今のうちに、脱出したほうがい いと思うか』と尋ねたら、『大丈夫だ、お前達の泊るロッジは、雪でも十分暖 かい』 そういうことじゃない! 話をしていく内に、公園内にチェーンを売っている店があると言うことが判 り、それなら、まあ明日でもなんとか脱出はできるだろうと一安心して、その 日はロッジにチェックインしました。 # しかし、この情報、かなり怪しいので、信じないように。 # 実際に、その店の前まで行ってみたけど、チェーンなんぞを扱っているよ # うには見えなかった。 夜になっても、しんしんと雪はふり続け、一向にやむ気配はなく、絶望的な 気持でベッドに入りました。 夜明け前に目が覚めたので、窓から外を見ました。 そして、もう、こりゃ駄目だ、と観念して、再びベッドに入りました。 ----- 嫁さんに起こされたのは、午前7時40分。 「とにかく、いいから来て」と、引っぱられるよにロッジの外に連れ出され ました。 私の目の前に突然現われたのは、ロッジの真後にそびえ立つ、この世のもの とも思われない、信じられない光景でした。 絹衣を纏っているかのような、峰の中腹に横に広がって漂う真っ白な霧。 そして、最後にはその霧の中に散霧していく、その峰のいたるところから流 れ落ちて行く無数の小さな滝。 果てしない底なしのような真っ青な天空を貫く、朝日の光に眩ゆいばかりに 輝く切り立った冷厳な白銀の峰。 神々の峰 もはや、これ以外の表現はできない。 嫁さんは私の腕をしっかりと掴んだままで、そして私も何もしゃべれないま ま、神の住まわしむ峰を呆然と見つづけていました。 嫁さんの呼びかけに、お義母さんとおばさんがパジャマ姿のまま、ロッジか ら飛び出してきて、その峰を見て、同じように言葉を失なっておりました。 ----- 殊、旅行に関しての嫁さんの強運は、半端ではありません(アメリカ国内旅 行では、100%全戦全勝)が、今回、この神々の峰を見せる為に、その前日に、 季節外れの豪雪まで降らせるとは、とても尋常なこととは思えません。 よもや、我が妻、人ならぬ者や否や ? 神の領域に簡単に手を入れる我が妻をかえりみて、この旅の道中、畏怖を感じ 続けたことは、言うまでもありません。 (本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。)