「薬物オリンピック」
先々月から、フォートコリンズ市内にある、地元大学のESL(English Second Language)のコースに通っています。
そのコースでは、毎回結構ハードな宿題が出され、前回の講義ではテレビのニュースを見て、そのサマリを提出するという課題が出されました。
いつもより、朝早く起きて、ノートを広げてテレビの前に座ってチャンネルを替えていたのですが、この時節、やはりシドニーオリンピックのニュースが多いようです。アメリカは、特に世界一メダルを獲得する国ですから、当然かもしれませんが。
内容のメモを取る為に、真剣にニュースを見ていると、
---- 米国選手、薬物検出テストで黒判定、メダル剥奪
いう事件がトップで扱われていました。
記者会見の場面で、ある選手は「全く、何が何だかか訳が判らない」と涙ながらに訴えていましたし、別の選手は「体調が悪かったので、風邪薬を飲んだだけ」と、肩を落しながら語っていました。
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すでにオリンピックは、アマチュアリズムを完全に放棄して、プロの出場を許しています。
オリンピックのメダリストともなれば、マスコミに騒がれ、CMに出演したり、スポンサー付きの招待選手として外国に招かれたりすることになります。
うまくいけば、テレビ局専属のスポーツ解説者として、愚にもつかないスポーツ評論をやっているだけで食べていけますし、バラエティ番組などで、うまくブレイクすれば、芸能人への道は、アングラ劇場の役者より遥かに近い。
近代オリンピックの歴史をちょっと見てみるだけでも、ソビエト社会主義連邦共和国(今のロシア共和国)のアフガニスタン侵攻に、西側諸国が抗議して、各国政府がモスクワオリンピックのボイコットを表明し、その報復として4年後のロサンジェルスオリンピックでは、東側諸国が報復ボイコットをするという事件がありました。
もっと古くは、ナチスドイツが国威高揚と国際平和を掲げて、ベルリンオリンピックを大いに利用していました。
これらの例を上げるまでもなく、オリンピック自体が、すでに国家の外交の道具となっているのです。
ドラッグ疑惑に関しても、薬物の専門知識もない選手が、下手をすれば選手生命を終りにしかねない、そのような危険な行為を、自分の判断だけで試みる度胸があるとも思えません。
国家の名誉と威信がかかっている以上、その国の政府や、諜報機関が、背後に動いているだろうことは、私のような素人だって分かります。
オリンピックがある度に、このような事件や記者会見が開かれるのに、私は、いい加減うんざりしています。
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ならば、いっそうのこと、ドラッグを解禁してしまってはどうだろうか。
薬物オリンピック
人間の能力の限界を、いかに最新薬物技術で引きだすかを競う世界の祭典。これは、分かりやすい。
オリンピック選手団の中には、大量の医師団が、首から聴診器を下げながら、スタジアムの観客に手を振り、薬品の匂いで充満している競技場には、点滴、簡易ベット、各種注射器と、白衣の医師達が常時スタンバイ。
競技直前まで、大量の薬を注射され続け、呼び出しコールと同時に、無表情な顔で、むくっとベッドから起き上がる選手。
もちろん、選手はもちろん、医師にもメダルが与えられ、エキシビジョンは、スライドを使って、医師の調合したドラッグのプレゼンテーション。
閉会式には、不幸にもドラッグの影響で大会中に死去した選手の黙祷が捧げられる。
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米国のように、スポーツ生理学が確立し、ありあまる金で最新テクノロジーを駆使して開発した靴や水着を選手に与えることのできる国もあれば、選手団を送りこむことがやっと、という貧しい国もあります。
どだい公平な条件下での競技が不可能であるのに、薬物だけ禁止するというのは、--- それは元々は選手の生命の安全を守るルールであることは、勿論分かっていても --- はっきり言って、偽善でしょう。
だって、選手達は、たとえ我が身に何がおころうとも、何が何でも勝ちたい訳ですから。
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今や、古代オリンピックの基本理念「アマチュアリズム」と「無償の名誉」は失なわれ、その対極である「ナショナリズム」「商業金銭主義」の下で、現代オリンピックは確立し、ショービジネスという観点からは大成功をおさめています。
そんな状況で、今更、つまらんモラルや人道主義を掲げるのは、似非ヒューマニズムというものです。
私はここに、オリンピックに絡む全ての問題を解決すると同時に、その最終目標となる究極のコンセプトを提言したいと思います。
『勝つためには、どのような手段も躊躇うな』
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