こんにちは、江端です。 仕事に疲れてきたんで、息抜きです。 caa84210@pop06.odn.ne.jp worte on Tue, 24 Mar 98 19:15:20 +0900 > うむっ!・・・『毛玉取り器と私の、前生の因縁』・・・か・・・。 > あと、目の前で忽然と消えて、主人と二人でどんなに探しても見つから > なかった「お箸置き」というのもあるので、『次元の歪みにのまれ、 > 四次元へと旅立った、お箸置きの奇怪な秘密』・・・。 > ・・・サイキックウェーブなら・・・この私は、毛玉取り器とお箸置き > なんぞをいったい何の為に動かしたのか・・・な、なぜだ?・・・(T-T)。  人間の曖昧性と脳細胞の工学的組織化に関する研究などという、全く儲からない 研究をバブルのころはさせてくれたなあと遠い目をしているドクター・・・いや、 私は博士号は習得できんかった・・・マスターエバタが、上記文章に関する意識下 の考察を行おう。  「箸置き」  これを精神世界において抹消したいという概念は、被験者の反権力的なアナーキ ズムに起因する。「箸置き」とは、それ自体においてその存在意義は、単に「箸を置 く」と言う一元的な機能に限定される事は言うまでもない。一元的であるだけなら ともかく、その機能は必ずしも我々の存在に対して直接的な働きかけをしている訳 ではない。  この部分をブレークダウンして見よう。  我々は、箸を必要とするが、箸置きを必ずしも必要としない。箸がなければ飯は 食えんが、箸置きが無くても飯は食える。箸置きの存在意義は、箸があって初めて 生じるのである。しかし、同時にそれは我々人間にとっても、また箸自身において も箸置きの必然性を保証するものではない。  さらに私見を加えるのであれば、箸置きとはある種のブルジョア的階級の象徴的 小物であるとも言える。私が結婚後、嫁さんによって箸置きなる存在を日常的に導 入されたとき、これが一種の「家庭料理における懐石料理化への飽くなき憧れ」と 言うものであると感じた事は、koboreメンバ諸氏には容易に想像がつくであろう。  箸置きは、箸置き以上の存在ではないと言う事実は、被験者に投影された。それ は、被験者の意識下に「自己の存在意義」と言う古今東西全ての人間が一度は苦し む難問を投げかけたのである。  その時被験者の中に、自己存在を否定されない危うさが意識下に発生した。そし て、その現象が意識上に上がってくる前に、その問題を投げかけるオブジェクトそ のものに対してそれを打ち消すための精神的な攻撃(サイキックアタック)が行わ れたのである。  そのオブジェクトは、被験者の高次元のエネルギーを受け、次元のひずみに吹き 飛んでいったのである。  以上が、今回の事件の顛末である。 【診断】   被験者には、意識下に反権力的アナーキズムが存在する。  これは、意識上に反権力的アナーキズムを所有しているある人物よりも、たちが 悪い事がある。なぜなら、彼は暴力による革命を主張する事があっても、無意識の ままサイキックエネルギーで邪魔者を異次元空間に吹き飛ばすようなことはしない からである。