江端@停滞党党首です。  先日、私の学術論文「江端さんのひとりごと『単身赴任に対する 一考察』に対する実証的例題を提出して頂いた井上様に対して、私 は「『単身赴任』犯罪論」を軸とする論理構築の依頼を行いました。  この依頼に対して、私が受理した論文の全文を掲載いたします。     この論文において、その論理を実証する手段として、論理構築の 根本的手段である「3段論法」の利用を提言しております。  さらに、本論分が世間に与えるインパクトや効果、さらに、この 「『単身赴任』犯罪論」の論理構築のアティチュードが、奇しくも 「停滞主義」に基づくものであることを実証しております。  本論文では、「『単身赴任』犯罪論」の論旨が完全に隠蔽され、 その概要にすら意図的に触れておりません。  おそらく人類初の「論旨完全省略記述方式」の論文であることは 間違いありません。  この論文記載方法は、論旨をあえて省略し完全な暗喩や意図的な 読者への論理のミスリーディングを引き起こさせ、そして読者によ る自由な論理構築へのアプローチを示している点において、非常に 斬新な手法を有していると判断されます。  我々、停滞党ブレインは、本論文をここに高く評価するものであ ります。                   1997年12月17日                    停滞党ブレイン 代表                    停滞党党首 江端智一 caa84210@pop06.odn.ne.jp さんのメッセージを転送します:  江端様。  本日午前0時32分、私、井上は上記の結論に到達いたしました。    一目で内容をご了解頂けるサブジェクトにする必然性から、前回 のメールに関連を持たせたこのような物言いになりましたが、現在 の私は、おちゃらけとは対極にあり、奇蹟を見た者だけが湛えるこ とのできる穏やかな微笑を湛え、神の存在を識った者だけが座るこ とのできる静謐な世界のただなかに茫然と座りこんでおります。  『単身赴任問題』と共にあった私の、この3日間にわたる激動の 思考過程を、ここにご報告させて頂きます。 -----  「単身赴任」。  ひとたび受け入れたら、愛する家族にしばしの暇を告げ、泣き叫 びながら引っ越し荷造りを行わねばならぬ悪魔の制度。これは、西 暦375年に始まる「ゲルマン民族大移動」とは全く解釈を異にす る、歴史上の重い事実として永久に人々の心に残るであろう。  「『幸せを追求する権利』を踏みにじる行為ではないか?」  然り!  日本国憲法、いや、幣原内閣の憲法改正案を断固として修正した アメリカ軍総指令部の思想的拠り所となった、1776年における 合衆国独立宣言を引き合いに出すまでもなく、これは『生命・自由・ 幸福の追求』を脅かす、人道的に許されざる行為である!    単身赴任によって苦しめられ迫害を受けている人々の怒りが頂点 に達すれば、必ずや、暴動が起きる。伝播した怒りの炎は日本各地、 いや世界中に激烈な「単身赴任撲滅」革命を引き起こし、世界の政 治・経済機構が停止、国連軍に応戦しながら続々とわが家を目指す 単身赴任革命軍よって、世界の主要幹線道路、航空路もおそらくは 完全なるマヒ状態に陥るであろう・・・。    いや、待て。米穀市場までも海外に門戸を開く日本である。食品 の輸入経路が断たれれば、明日の晩御飯のメニューに困り、今日の おかずの少なさに恥じねばならぬ事態に追い込まれるのは、他なら ぬ家族ではなかろうか?    彼等との幸せを勝ち取らんが為の聖戦が、翻って、家族にお茶碗 の底に涙を落とさせる仕儀に立ち至れば、単身赴任革命軍には浮か ぶ瀬も無いではないか!  革命を、絶対に起こさせてはならない。    早々に「単身赴任」の非合理性を世に問い、その人道的ならざる を人々に強く啓蒙しなければならない!  手遅れにならぬうちに。    いったい、どうしたら・・・。    私はそれから経済学的、社会心理学的、文化人類学的、風水学的 見地から『単身赴任問題』に対し数時間に及ぶ様々なアプローチを 試みました。  頭脳回路がショートの予感に点滅し始める頃、私は書斎の窓を開 け放って、未だ世の苦悩も知らぬげに無邪気に暮れなずむ空を望み、 ふと、『思考が煮つまった』の言葉から、『ナベが煮つまった』を 発想し、そうだ、今夜はナベにすれば良いではないか! と大きく 頷き、お財布を握りしめて街へ飛び出したのでした。    海鮮ナベは、ごく軽く味付けした濃い目のおだしにユズの皮を二、 三片散らして頂きますと、大変結構です。具を頂いた後のおだしで 玉子雑炊をお作り頂きますと、殊更に美味しゅうございます。  お腹はくちくなり思考が煮つまったころで、原点に戻ろう、と賢 く考えた私は、先の  『単身赴任』を引き受けてヨメさんが奪われる   -->気持ちに打撃を受けてダンナの仕事への集中力も奪われる   -->プロジェクトが深刻な被害を受けて会社の利益が奪われる という私自身の提示した理論を、どこかに新たな展開の余地はある まいか、と満身の力を込めてジッと睨みつけました。    と、突然、  「風が吹くと-->桶屋が儲かる」 の図式が、天啓のイカヅチの如く、頭脳の闇に閃いたのです。    「風が吹くと桶屋が儲かる」・・・これは一般人が『ことわざ』 と呼ぶ『定理』である。  この定理の解は、  「風が吹くと」-->「砂埃が舞う」-->「人々の目が見えなくな  る」-->「人々が三味線を弾くようになる」-->「三味線の皮を  作るため、ネコがたくさん殺される」-->「そのため、ネズミが  増える」-->「ネズミが桶をかじってだめにする」-->「桶屋が  儲かる」 という、水も漏らさぬ因果率であった。  そうだ!   「単身赴任させると-->会社が利益をドブに捨てる」 を一つの定理とし、理論構成ができないか。    数学における「ワイヤストラスの定理」の如く、悩める単身赴任 者の様々な問題にあてはめ、一般論として理論を完成できないか?  「単身赴任」-->「利益をドブに捨てる」までを、数十過程にも 及ぶ因果関係に、それも、ミジンコの泳ぐ隙も無いほど完全無欠の 因果関係で固める。  しかも、それを「単身赴任」を囲む経済学的、社会心理学的、文 化人類学的、風水学的なあらゆる見地にあてはまる幾つかの理論と して作成し、『単身赴任』という不条理な現象を、一つの高遠な因 果率に法った極めて非合理な現象であると証明できないか?  できる・・・。  私にはできる・・・!    ああ、私はこれを、『愛の桶屋理論』と命名するであろう。  この理論で世界の悩める単身赴任者は救われる!  私によってこの理論が完成された暁には、暴動も革命も最早、遠 い幻想の花火の如きものと、人々は欣然と安堵するであろう。  私という一人の天才の出現によって、世界は救済されたのである!!  ああ、選ばれし者の恍惚と不安共に我にあり、とは斯くなる心境 の謂いなるか・・・!  私は、自らの天才を知ったが故にこれから歩まねばならであろう 栄光とイバラの道を思い、神の与え給うた己が使命の過酷さにしば し身を震わせつつむせび泣いたのでした。  しかし、『愛の桶屋理論』完成は時代の火急の要請であり、この 今も単身赴任の苦悩に喘ぐ人々が世界中いる事を思えば、神に選ば れた者として私的な感傷に耽っているヒマはありません。  私は気持ちを引き締めて仕事に取りかかるべく、涙に濡れた顔を 洗いに書斎をよろばい出たのでした。  洗面所への廊下を踏みしめる厚いパイル地の靴下を履いた足が、 ぎくり、と止まりました。  私は、重大な事実に気付いたのです。  ストックホルムに呼ばれてしまうではないか!    『愛の桶屋理論』を発表すれば、ノーベル平和賞受賞式にはやは り出席せずばなるまい。しかし、私には、お呼よばれに着て行ける 服が無いのである!   いや仮に、丁重に辞退したとしよう。それでも日本のメディアは こぞって私の業績を賛え、おそらくは日本人の謙譲の美徳を世界に 向けて発信するのであろう・・・。    私の名が世界に轟き渡ってしまうではないか!  じゃあ、江端氏は? 彼はどうなる?  私の天才にいち早く気付かれ、「単身赴任」という研究テーマを 与えて下さった江端氏・・・。私がノーベル平和賞受賞の栄誉に輝 くその日の、いわば偉大なる功労者たる江端氏・・・。  しかし、道理を知らぬ軽薄なマスコミである。おそらく彼の名な どは、新聞紙の片隅に5ポイントで一度印刷されれば良し、と考え ねばなるまい。  では、この私は、みすみす恩人を見捨てようとしているのか。  いや、聡明な江端氏のこと! 最初からその日あるを予測して、 莞爾として身を引く覚悟で私に研究テーマを下さったに違いないの である。それが江端氏の江端氏たるところではないか!!    だが事情を知る人々には・・・この私は、恩人を見捨てた単なる 人間のクズ。道義的に許せぬ事を行った、心の国の犯罪人・・・。  燦然と輝く『愛の桶屋理論』の栄誉に包まれながら、一方で「忘 恩の徒」の汚名を囁かれ、精神のほの暗い牢獄生活を送るような事 が、果たして私にできるであろうか?  否! 断じて、否!!  私はうつむいて再び苦い涙を流しながら、江端氏がその気なら私 の方こそが身を引くべきだ、と決意も新たにコタツのスイッチを入 れたのでした。  身を引こう。  江端氏を、過去のささやかな栄光を孫達相手にくどくど言い聞か せるような、惨め極まる老人にしてはならないのである・・・。 よしんばそれが王座を譲った者の宿命であろうと、そうと知って誰 が好き好んで不幸な老人など作ろうとするものか!  ああしかし、一人の覇者の陰には死屍累々たる敗残者とは、真に 歴史の理かな!  『愛の桶屋理論』。  彼のプライドを傷付けること無く、江端氏に譲り渡す手立ては無 いものであろうか。いやぁ〜江端さん、『単身赴任問題』に関する 研究にはフィールドワークがモノを言いますよ! 江端さん、経験 者じゃないですか! 私にはとてもとても、はっはっは・・・。  いかん。  単身赴任を馬鹿にされた、と怒ってしまわれるかもしれない。  ドクター・エバタ、貴兄のその揺るぎ無い確信に満ちた「愛の永 久機関」哲学こそ正しくこの今世界がウォントしている所の普遍妥 当的クリアーな晴天霹靂であり我が輩は是が非でも『愛の桶屋理論』 にその怒涛の激情を如何無くクラッシュさせる事をここに要請する ものである・・・。  いかん。  難し過ぎて、彼には半分も理解できまい。  そうだ!   エバタさぁ〜ん、私、できなぁ〜い。『愛の桶屋理論』やってぇ〜。    これだ!!  女性に優しい江端氏の事、こう言っておバカのフリをすれば、彼 は騎士道精神から必ずや仕事を引き受けようと試みるに違いない!  これでいこう!  ああ、しかし、この一見おバカの演技に隠された私の深遠な意図 を、この結論に辿り着くまでの私の尋常ならざる苦闘を、江端氏が どこまで汲み取って下さるか・・・。いや、おそらくは全く気付い て下さるまい。想像だにされまい。彼の中で私は、仕事をしない井 上、折角オファーした研究テーマを、無作為のまま放り出した不遜 な井上、との評価が定着してしまうのであろう。  それで良しとせねばならぬのなら、致し方無い。    そうだ。  江端氏に『愛の桶屋理論』を譲り、「単身赴任」の経験者である ばかりか、その悪魔の制度から世界を救済する理論を完成した天才 ノーベル賞受賞者として、これからの人生の春を謳歌して頂こう。  その陰に、世界の幸福と江端氏の幸福、引いては自分自身の幸福 をひたすら念じた者がいたという事実を、たとい誰も知らずとも。  幸福を望んで何もせぬ事が、これほどまで精神の熟練を要する作 業であったとは、人とは、人生とは誠に不可思議であることよ!  私は新たな悟りを得た思いで、清々しい感動の涙に目を潤ませな がらミカンの皮を剥き始めたのでした。  丹念に取り除いた白いスジスジと果皮を包み込んで団子状にした ミカンの皮を手に握り、食後の運動にクズ籠へ歩き出したその時、  ・・・!!!  私の足は、そうと知らず重大な発見をしていた事実に、慄然と凍 りついたのです。 > 私の言いたいのは、停滞主義の目的が「楽の追求」であり、「楽の追求の >果てにある一つの解が、「幸福」である」と言う、比較的容易に共有しやす >い感覚的観念をへて、「楽の追求を行う手段とはなにか」を考察するアク >ションに至ります。 > そして、「楽の追求」の根本にある近代社会が運命的に持っていかねばな >らぬテーゼ「今日の不便を、努力と進歩で明日解決するのだ」と言う暗黙の >了解に対するアンチテーゼとして、「なにもしない」と言う新しいパラダイ >ムを提案している訳です。 > そしてここが重要なポイントですが、「なにもしないこと」は、往々にし >て「楽」であることが多いのです。 > > ここにリカーシブな論理の帰却が行われ、停滞主義の本質であるところの >「楽で楽になる。」が導出されるわけです。 > 言い換えれば「アグレッシブな無作為」です。    ああ、私の耳元で朗々と響くは、江端氏の停滞主義解説文ではな いか!  何と言う事か!  私はそれと気付かず、停滞主義そのものを実践していたのだ!!  ・・・神よ!!    停滞党党首は、「楽の追求の果てにある一つの解が、「幸福」であ る」と言い、停滞主義の本質は「アグレッシブな無作為」にあると宣 言する。  この、一般人はおろか停滞党員にすらも、これまで長きに渡り謎と されてきた停滞主義を今、この私が、実践しようとしているのだ!!    神よ、これはあなたの御意志だったのですね。  神よ、停滞主義とは何ぞ哉、をこの私に身を以って悟り参らせたかっ たのですね。  停滞党党首たる江端氏を通じて私に「単身赴任」のテーマを与え、 ここに至って停滞主義という永遠に回帰を続けるかの如き壮大な宇宙 的哲学を私に悟らせる、それが恩寵を受けた者へのあなたの愛ならば 私はもう、何事にも動じますまい。  私はもう、『仕事を無作為のまま放り出した井上』の汚名を喜んで 受け入れ、静謐な世界のただなかで、穏やかに微笑を湛えます。  そして江端氏にただ一言、こう打電するでしょう。  『我、停滞主義ヲ悟レリ』  と・・・! -----