「アフター・ザ・フェスティバル」
意外と思われるかもしれませんが、実は私は幼少の頃、8年程ピアノを習っていました。
中学一年の時、ピアノを辞めたのですが、その時は、私の人生の5大歓喜の1つと言っても良いくらい、嬉しかったものです。
毎週火曜日がピアノのレッスンの日でしたので、30年を経た今であっても「火曜日」と聞くだけで、悪いことが起こるような気がする程、忌まわしい気分になります。
比して、水曜日とは---- ああ、なんて美しい響きの曜日でしょうか。土曜日や日曜日の比ではありません。
次のレッスンまで6日もある人生最上の曜日、それが水曜日でした。
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『そんなにピアノが嫌いなら、どうして8年もピアノをやってきたんだ』と、多くの人が私に尋ねました。
特に8年もピアノの練習に出資してきた母のショックは、相当なものだったように思います。
母は別にピアノの練習を私に強要していた訳ではなく、8年もピアノのレッスンに苦しんでいた私の真意を図りかねていたようです。
母の疑問はもっともです。
なぜ私は、ピアノの練習を続けてきたのか。
理由はただ一つ。
「女の子にもてた」からです。
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例えば、音楽室の清掃の時、クラスの女子がピアノの前で「江端〜、ちょっと弾いてみてよ」と言い出そうものなら、もう勝ったも同然。
面倒くさそうな顔をして、教本の曲をさらっと弾いてみせ、時折、有名な曲、ベートベンの「エリーゼのために」やら、リストの「ハンガリー狂詩曲」の触りの辺りを軽く流していると、すでに5人以上の女の子が、ピアノの周りにはべっています。
女の子達のリクエストに応えて、流行りのアニメソングを伴奏付きで軽く演奏してみせると、驚きと感嘆の嬌声が上ります。
そのような尊敬の眼差しの中で、突然演奏を打ち切って、「さあ、みんな、掃除、掃除」と言って、早々にピアノから颯爽と切り上げる私。
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・・・ 今、こうやって書いていてつくづく思うのですが、本当に、いけすかない、むかつくガキですね。
叶うものなら、この自分の手で、この生意気なクソガキを張り倒してやりたい。
まあ、ともあれ8年もピアノを弾いていると、上手い下手はともかく耳で一回聞けば、主旋律くらいは軽く弾けるくらいにはなります。
別に特別な才能はいりません(同様の体験者、多数)。
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では、8年のピアノの成果は、今の私にどのように役にたっているかと言うと、
(1)カラオケで音程を外すような歌い方をすることは無い
(2)他人のピアノの演奏の出来にケチを付けることはできる
あとは、
(3)娘(7歳)の前で、アニメ主題歌の旋律を片手で弾いてみると、キラキラ(+ウルウル)した目で『パパって、すごーい』と言われる
くらいでしょうか。
今となっては、指が全く動かず、何も弾けなっています。
1日休めば3日戻り、3日休めば1月戻る、と言われるピアノの世界で、30年近く何もしなければ、何も学ばなかったのと同じでしょう。
8年間の母の息子へのピアノの出資は、一体何だったんでしょうか。
もっとも、息子がピアニストなんぞになろうなどとは思ってもいなかったでしょうから、この辺のメリット(上記(1)〜(3))が妥当なのかもしれませんが。
閑話休題
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今年(2006年)のワールドカップの決勝の、まさにその日、私は部長に随伴して、フランスのモンパルナスという街にいました。
サッカーファンの部長に、街のスポーツカフェに連れ出されるまで、ウインブルドンの決勝をテレビで見ていました。
私はスポーツ観戦そのものはあまり好きな方ではなく『見る時間があるなら、自分でプレイした方が良い』という性格ですが、テニスに関しては、少しだけ齧ったことがあるので、ウインブルドンのプレーヤ達が、いかに凄まじいプレイをするのかを理解することはできるのです。
誰が勝とうが負けようが、興味はないのですが(というか、最近のテニスプレーヤの名前、知らないし)、その「神の技」を見るのは好きです。
ですので、テレビの前で、「おお!」「すごい!!」とか叫んでいることはよくあります。
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さて、この理屈を展開すれば、8年もピアノを続けてきた私であれば、当然プロのピアノの演奏にはウンチクの一つもたれることができそうなものです。
しかし、私がオーケストラの演奏に出かけたのは、小学生の時に一回だけ。
後は、大学時代に、年に2回のペースで付き合っていた嫁さんを誘って、大学のグリークラブの「メサイヤ」を聞きながら、一緒に爆睡していた記憶くらいしかありません。
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さらに話は変ります。
最近私は、新聞の書評に紹介されていた『のだめカンタービレ』というコミックの収集を始めました。
『のだめカンタービレ』とは、女性漫画誌「Kiss」(講談社)で2001年から連載されているクラシック音楽をテーマとした二ノ宮知子さん漫画作品です。
「嵌る(はまる)」という程ではなかったのですが、嫁さんも楽しく読んでいたようなので、昨日全巻を揃えました。
ラフマニノフ、リスト、ブラームス、ブラームス、もちろんベートベン、ショパン、そしてモーツアルトのピアノソナタ(注:ここでは「ピアノ独奏」の意味で使います)や、オーケストラ演奏のシーンが山程でてくるので、私も久しぶりにクラッシック音楽を聞いてみようか、という気持になってきました。
そこで、先日、レンタルCDショップでモーツアルトのピアノソナタのCDを試聴してみました。
自分でもびっくりしたのですが、
吐きそうになりました。
幼少の頃の「魔の火曜日」の記憶がよみがえり、全身全霊でモーツアルトを拒否しているようです。
このようなトラウマを作るために、ピアノをやってきたのかと思うと、甚だしく馬鹿げたことと言わざるを得ません。
習いごとは、「楽しさ」をベースとしなければならないということを、今更ながら思い知った次第です。
ショパンのピアノソナタは、曲によっては、頭が割れそうなほど甘いアメリカのケーキを思い出させますし、チャイコフスキーのあの名曲「ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23」に至っては、第一楽章の最初の3分8秒以降の演奏は、スキップして次の曲にうつる、ということを平気でやる人間です。
# クラッシックファンが聞いたら、卒倒しかねない暴挙でしょう。
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ところが、こんな私にも、たった一曲だけですが、カルトと言って良い程に「嵌った(はまった)」演奏がありました。
私が学生の頃、ちょっとしたきっかけでクラッシックのCDを手に取ったのですが、そのきっかけとは、『ふーん、ショパンもピアノ協奏曲なんか作っていたんだ』という程度のものでした。
『ショパン ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11 第1楽章』
これを聞いた時の衝撃は、文言で尽し難いものがありました。
演奏が始まって4分くらいに入ってくる、マルタアルゲリッチのピアノのソロのパートの美しさ。
その後、超速で演奏される正確で力強く繊細で、砕け飛び散る氷の一粒一粒が、全空間に対して放射するような美しいピアノの音。
11分ころから展開される高域パートの演奏はロンドンフィルの演奏と複雑に絡みあいながら、12分45秒から13分のピアノ独演の部分でクライマックスを迎えます。
私はこの部分を始めて聴いた時には、脳天から雷を喰らったかのような衝撃を受けたことを覚えています。
目を瞑ると、マルタアルゲリッチの両の手が、ピアノの鍵盤の端から端まで、ブリザードの中の突風のように、突き上げ、轟き、止まり、そして流れていく様子が目に浮ぶようでした。
安下宿の部屋にある安いステレオコンポの前で、暫く呆けている、大学3年生の自分がいたのを覚えています。
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アフター・ザ・フェスティバル ---- 後の祭り
# 時機を逸して後悔の念を表す言葉。手遅れのこと
ピアノとは、こんなにも美しく人に感動を与えるものだったのに、なんで、私は「女の子にもてるための技能」ぐらいの認識しかしなかったのかな〜〜〜、と。
しかし、そもそも私の才能程度では、どんなに練習しても知れていただろうとは思いますから、「後の祭り」は、明らかな誤用。
第一、モーツアルトのピアノソナタを聞いて吐き気をもよおすような奴に、どんな未来もあろはずがありません。
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取り返すことが完全に無くなった頃に、捨て去ったもののが見えてくる、という話は良く聞きます(失敗した恋愛の話では、ほとんどがこんなのばっか)。
けだし「失い続けること」自体が人生の本質の一つなのかもしれません。
今、私は、レンタルCDショップで見つけた、マルタアルゲリッチのピアノ協奏曲(ショパン、リスト、ラベル、チャイコフスキー(そしてモーツアルトも))を全部借りて、パソコンに叩き込んで、仕事をしながら聴いております。
ちょっと幸せな気分です。
大した才能もなく、昔も今も変わることなく、流れるがままに禄を食むだけの日々をただ生きているだけの私ですが、それでも『「祭の後」を楽しむ』力だけは、私の中に残っていてくれたのだろうと思います。
ステレオコンポの前で呆けていた過去の日々や、音楽を聞きながら特許明細書を書いている今の日々は、あまりクオリティの高い人生ではないかもしれません。
しかし、それも決して悪い人生ではないと思います。
(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおいて、自由に転載して頂いて構いません。)