江端さんの忘備録

2013年01月分を表示
2013年 01月 19日
初音ミクの技術解説のコラム(前半)を公開しました
先日、初音ミクの技術解説のコラム(前半)を公開して貰ったのですが、その反響に驚いています。

なんか、(私の記事としては)見たことがないような、ツイート数が付いています。

-----

■インターネットは勿論ですが、各種資料、学会誌、特許庁の検索エンジンなどという、一般の人には縁の薄いパス

と、

■同僚、親戚(現役の大学生(女性)を含む)は勿論、自分の娘(中二と小4)とその友人までも、インタビューの対象に含めたコネクション

をフル稼動して調査・取材をしたかいがありました。

また、

■娘達には、3枚以上のイラストの絵を要求し、しかも4回書き直しを命じました。
(「アルバイト代が見合わないよ」と、今でも文句を言われ続けています)

これらをプロデュースするのは、正直疲れました。クタクタです。

-----

嫁さんからは、「この記事は、それだけの調査をするに『見あう』ことなの?」と、呆れたように言われたのですが、

それに「見合う」と感じさせるものが、確かにあったのですよ。

「初音ミク」には。
http://biz-journal.jp/2013/01/post_1323.html
2013年 01月 18日
ほめ屋
「ほめ屋」というサービス、または自動アプリケーションってないかなぁ、と思うのですよ。

-----

あのね。何度でも言うけどね。

そして、どの著作者でも同じだと思うけどね。

私が執筆している著作は、その裏に100倍以上の調査資料やインタビューの結果の山があるのです。

それを、泣きながら削り取って、妥当な分量にして、適当な表現にして、そして、5回は書き直して、そんでもってリリースしている訳なのですよ。

「こんな記事を、いまさら何で書いているんだ」

「調査が十分でなく底が浅い」

「目新しくない」

だと。

じゃあ、初稿から第5稿までの原稿全文と、調査資料の全てを、そっちに送ってやろうかじゃないか。

その上で、完璧な評価をして貰おうじゃないか。

何だったら、公開討論を提案してもいいぞ。

ネットじゃ手緩い。F2Fでやろうじゃないか。

いい加減で的外れな評価をしようものなら、返り討ちにしてくれるわ。

-----

と、こんなことを言っても、しょうがないのは、よく分かっているのです。

で、上記の「ほめ屋」の話になります。

否定的、非難的コメントを、私に届かないようにしてくれるサービスやアプリってないでしょうか。

これって、創作に関わる人にとって共通的にニーズがあり、圧倒的な支持を受けると思うのです。

相当高めの価格設定であっても、私ならサービス提供を受けたいと思います。

-----

「批判を受けてこそ、著作の品質を上げることができる」と決め言葉のように言われています。

しかし、私は、自分の著作の品質の向上など、人生においてただの一度も考えたことはありません。

私が望んでいるのは、いつだって、

■自分が、何の制約もなく、好きなように著作物を創作し、

■皆から、「面白い」「楽しい」と評価されること、だけ

ですから。
http://eetimes.jp/ee/articles/1204/09/news002_3.html
2013年 01月 17日
黒い苺(いちご)
半年前に、実家に入ってきた泥棒を、たまたま帰省していた私が取り押さえました。

その時は、捕まえたその泥棒を動けないように、ひもで縛っておいたのに、逃げられてしまいました。

先日、帰省した時、驚いたことに、同じ泥棒が、同じように実家の家の中に入り込んでいたところにバッタリ出会いました。

今回も私が取り押さえて、手と足を縛って、テーブルの下に放り込んでから、警察に電話しました。

ところが、今回も、また逃げられてしまいました。

変だと思って、父を問い詰めたのですが、明らかに何かを知っている風なのに、分からん振りをしていました。

また、母も何か知っているようでした。

その時、隣りの家のおじさんがやってきて、私に話があるのでついてきてくれ、と言い出しました。

「今、忙しいから」と断わったのですが、どうしてもというので、一緒に付いて外に出たところで、おじさんが大きな石を振り挙げて、今、まさに私の頭にぶつけようとしていました。

「何をする!」と言いながら、飛び跳ねながら、おじさんを蹴り付けました。

しかし、おじさんも、何か本気で私に怪我をさせようという風には見えず、なにか「ふり」をしている風に見えます。

まるで、「反撃してした私に殺されたい」というような感じすらしました。

おじさんが倒れたところに落ちていたカップを口にしようとしたのですが、私は反射的に、そのコップを叩き落しました。

なぜか。私には、そのコップに毒が入っているのを知っていたようです。

「何があったんだ! 一体、皆、何を隠しているんだ!!」と、おじさんの襟(えり)を掴んで、揺さ振りました。

すると、おじさんは、深く溜息をついて、ポツリと言い出しました。

「・・・、そうだな、もうそろそろ話す時が来たかもしれない。あの

『黒い苺(いちご)』

の話を」

-----

と言う、夢を見た話を、家族にしました。

みんなが「おおーー!凄い!!」といって、続きを聞きたがりました。

嫁さん:「で、何がどうなっていたの」

私 :「そこで目が覚めたから分からん。誰より、私が、この話の真相を知りたい」

長女:「凄いなぁ、サスペンス小説じゃない。『黒い苺(いちご)』というのが真に迫っているよね」

私 :「なんかね、私以外の登場人物の全員が、真相を知っているのに、自分だけ知らないんだよね」

嫁さん:「もう一度寝れば、続きが見られたかもしれないのに」

私 :「試みたのだけでど、眠れなかった」

次女は、パソコンを立ち上げて、この話を短編小説として書き出していました。

-----

「真相と犯人が分かったら、教えてよね」と、次女に声をかけて、自分の部屋に戻りました。
2013年 01月 16日
将来の明るい社会の為に「あなたの『犠牲』が必要なのです」
いじめ対策として監視カメラを設置する、という話をすると、面白いくらい同じ反応(2つ)を聞けます。

(1)「プライバシーの侵害」
(2)「効果がない」

です。

-----

上記(1)の「プライバシーの侵害」って何でしょうか。

私は「生徒の家の部屋の中を撮影しろ」といっている訳ではないのです。

現在のイジメの問題の根幹は、誰もがその現場を目撃していながら、それが「イジメ」であるかどうかを認定する手段がなく、それを告発できるシステムがないことです。

この手段を提供するだけです。

「いじめ」と「プライバシー」 私には十分にトレードオフできると思えます。

-----

上記(2)の「効果がない」については、私もかなり調べましたが、誰もその実証実験の証拠を持っていないのです。

それは推測ばかりで、しかも理由が1つという貧弱さ。

「カメラの死角に入ったら効果がない→いじめがさらに陰湿化する」ばっかり。

3つ程、事実で反証します。

■イギリスでは、すでに4万7000台のカメラが学校内に設置されて、いじめ対策に一定の効果が認められています。

■私自身が、幼稚園に通っていた娘の問題(「いじめ」かどうかは認定できなかった)を聞いて、具体的なシステム構成図を伴う、自費による監視カメラの設置の提案を行っただけで、一気に問題が沈静化しました。

■監視カメラというのは今や、指の上の乗るくらいの小ささであり、しかも無線LANなどによって、どこでも、追加設置できます。「死角」を作らないシステムは、簡単に設計できます。

結論:物理的ないじめ対策に、監視カメラは効果があります。

-----

纒めると

「暴力」の行使が「即解雇」という、大人の当たり前のルールを、子供に適用して良いと思う。

■何を犠牲にしても、いじめを絶対に根絶する

■大人と同様に法律等を適用して、いじめの当事者を社会から追放する

という大人側のメッセージを、まだ伝え切れていない、と感じます。

-----

もちろん、このようなハード(仕組み)的なアプローチよりも、ソフト(教育等)的なアプローチが望ましいのは、言うまでもありません。

ならば、いじめ問題は「統計値」として扱い、「前年度より自殺者が減少していれば、一定の成果があった」とする考え方にシフトすべきでしょう。

そして、今、この時間に、現実に苦しんでいて、助けなければならない子供達には、諦めて貰いましょう。

将来の明るい社会の為に「あなたの『犠牲』が必要なのです」と言って。
2013年 01月 15日
「じゃれあう」というコミュニケーションは、もういらない
私は、物理的暴力を伴ういじめ対策の解決方法を知っています。

「非接触」のルール化と運用です。

大人であれば、どのような理由があれ、他の人の体を触ることは、許されません。それだけで犯罪が成立します。子供にそのルールを適用するだけで良いのです。

プロレスごっことか、そのような遊びを、全て一掃すれば良いのです。

「子供どうしのふれ合い」がなんたらかんたら、という声が、もう聞こえてきますが、そんなものが、本当に必要なんですかね。

そんなものなくったって、人間は普通に育つし、それが理由でコミュニケーション障害になるとは思えません。

むしろ、コミュニケーション障害は、程度を越えた過度な接触(いわゆる、プロレスごっこ)が原因で発生する方が、絶対多数でしょう。

「子供時代にじゃれあうことで、人間としての『うんたら、かんたら』」というのは、真っ赤な嘘だと思う。

なぜなら、その理屈の延長上には、

―― 人類は、未だに、取った獲物を奪い合うのに、棍棒で相手を叩き殺さなければならない

という結論があるはずだから。

-----

■「じゃれあう」というコミュニケーションは、もう人類にはいらない

■「非接触」のルールを全世代に拡大適用して良い

■誰かに接触した段階で、「アウト(犯罪)」と言える世の中にする

■フィジカルハザードによる「いじめ」が残存できる余地はない

これで良いと思うのですよ。

皆さん、難しく考え過ぎなのではないでしょうか。
2013年 01月 14日
「体罰」を放棄する代償
あまりにも腹が立ったので、数日、この日記をリリースするのを差し止めていましたが、数日経過しても、私の気持には揺らぎがないことを確認したので、リリースします。

------

教育現場において「体罰」に「効果」があるのはあたりまえです。

「銃を付きつけられたら、誰だって従う」という、この野蛮な理屈と同じであるからです。

私は、少くとも我が国は、

―― 「体罰」に「効果」はあるのは知っているが、それを「止めよう」と決めた国

であると思っていました。

例えば、クラウゼヴィッツを出すまでもなく「戦争は政治(外交)の延長である」のは自明です。

しかし、戦争が、どんなに優れた外交的効果が期待できたとしても、我が国は、

―― 決して戦争をしない、

―― 決して核兵器を持たない

と決めました。

本当に凄いことだと思います。

一方、

―― 我が国の教育現場は、「体罰」を絶対的な意味において封印した

この教育方針は、この「戦争放棄」の理念と並び立つ、我が国が誇る教育信条であると、私は、ずっと信じていました。

-----

「今まさに、自殺をしようとしている子供を力づくで止める為に、止むなく体罰を行使した」という、緊急避難的な状況での話なら、ともかく、だ。

高々「チームを強くする為」程度のことに、「体罰が有効だ」と、この教師は言ったそうですね。

多分、この教師は人気があって、生徒からも同僚からも信頼を得ていて、間違いなく人間として尊敬するに足ると思われている人間だろうとは思います。

なにせ「校長」から体罰を「看過」して貰っていた程の人間ですから。

だが、私は、そんなことはどうでもよいのです。

この教師は、「効果」として「体罰」をいう手段を行使した ―― この一点において、私はこの教師を絶対に許せない。

この教師は、信じられないくらい、無知で、低能で、下劣で、百万の罵声を浴びせても、まだ足りないくらいに、「最低な奴」と、私は決めつけます。

その程度の知性しかない人間が教師をやっているかと思うと、絶望的な気分になります。

『「体罰」以外のありとあらゆる手段を考えて、試して、実施して、それでも上手くいかなくて辛くて、悔しくて、そうして一人で泣く』 それが、教師だろう、と思うのです。

私は、この教師を含め、「体罰」に「効果」を求める全ての教師を、問答無用で、絶対に許しません。

-----

何度も書きましたが、私は、学生の頃、ギリギリまで迷い、最後の最後で「教職」を断念した人間です。

私は、自分のことを

『効率的な手段を求めて、簡単に「体罰」を行使するタイプの、狭量で卑怯な人間だ』

と自分自身で、よく判っていたからです。

だから私は、「教師」を選んだ奴には、絶対に優しく接しない。

教師という、この世で一番辛い職業を選んだのであれば、一番辛い道を歩け。

その覚悟がないなら、初めから教師なんか選択するな、馬鹿野郎めが。

-----

しかし、教師が生徒の全ての責任を負わされる、という今の状況は、絶対的な意味で、間違っていると思います。

「体罰」以外の方法を全て試みても、なお、思いの届かない子供もいます。

それは、もう、

―― 諦める

という選択をする時期に来ているのではないか、と思うのです。


それは、教師、子供、保護者、社会の全てを不幸にするものではありますが、「どっちもダメ」などと、外部の者が勝手に言うことは、甚しく卑怯であると思えるのです。

「体罰」を放棄する代償として「諦める」というのは、概ね、妥当な対価であると、私には思えます。

今回のケースに当て嵌めるのであれは、

「体罰を行使してまで強くしたチームの実力など、髪の毛程の価値もない」

で良いのです。



-----

金八先生や、GTOや、ごくせんは、どこにもいない。

どこにもいないからこそ、これらがドラマとして成立する。

そんなことは、もう誰もが知っていることです。
2013年 01月 13日
条件付きハッピーエンド
先日、帰省の帰りの高速道路の車の中で、ノートパソコンで、嫁さんに「魔法少女まどかマギカ」を見せてきました。

娘二人と私の圧力に屈して、仕方なく視聴を開始しました(半分眠っていたようですが)が、このアニメの要件定義「黙って第3話まで見ろ」でも、嫁さんはハマりませんでした。

(おや、嫁さんは、この要件定義に当て嵌らない最初の人物になるのかも)

と思ったのですが、第6話を越えた辺りから、真剣な眼差しになってきました。

そして、第8話を終えた所で、嘔吐感を訴えたので、急いでパーキングエリアで休憩することになりました。

「物凄く、気持ちが悪くなってきた」と言う嫁さんに、私は「もう見るのを止めた方がいいんじゃないのか」と勧めました。

しかし、「ここで止めたら、一生、悪夢で出てきそうで怖い」とのこと。

-----

「もう一度、確認するけど、本当に『ハッピーエンド』で終わるんだよね」

と嫁さんから念を押されて、パーキングエリアで私は娘達と協議しました。

―― あれって、ハッピーエンドだよね

―― 見方によっては、バットエンドとも言えるかもしれない

―― しかし、「救いが全くない」という訳でもないし

などと、話し合った結果、「条件付きでハッピーエンドと認められる」と見解の一致を見て、嫁さんにその旨を告げました。

ちょうど自宅についた時に、最終話が終了し、実家から自宅までの間に、嫁さんは全12話を視聴を完了しました。

普段アニメを見ない嫁さんではありましたが、「面白かった」との評価を得て、一安心です。

-----

それにしても、自分の好みのコンテンツが、必ずしも他人の好みと一致しないということは、よくあります。

自分の好みを強制するのもほどほどにしないと、下手をすると一生恨まれる可能性もあります。

皆さんも注意しましょう。
2013年 01月 12日
我々自身がコンテンツになる日
ラスベガスで開催されている家電見本市で、日本の家電メーカが「脱テレビ」の基調講演を行ったそうです。

私自身は10年くらい前から「脱テレビ」だったので、今更という感じですが。

----

私は自分の部屋に、2万円の地デジチューナに、不要となったHDDと、ヤフオクで購入した5000円のディスプレイを繋いでいます。

ディスプレイは、パソコンとも併用可能で、録画した地デジの映像も十分にきれいです。

もはや、テレビというハードウェアの「箱」を買う理由がないのですよ。

-----

かつて「インターネットテレビ」という製品がありましたが、自社のポータルを強制的に仲介させるというアホな仕様を組み込み、ユーザに嫌われて、コケました。

また、3Dテレビも、変な眼鏡を装着してまでテレビを見たいというユーザの数を見誤って、コケました。

「テレビなんぞ、飯食いながら見る程度しか価値がない」と言うことは、もちろん家電メーカの人たちも分かっていたと思うのです。

起死回生の一手として、そこに賭けるしかなかった彼等を、同じエンジニアとして、私は批判することなんかできません。

テレビはディスプレイだけあれば良く、本体なんか雲のむこう(クラウド)にあれば良いのです。

我々はコンテンツが欲しいのであって、テレビが欲しい訳ではないのですから。

ま、それはさておき。

-----

昔、保護者は「テレビを見る=勉強する時間が無くなる」という理由で、子供から、テレビを遠ざけようとしました。

しかし、結局その時間は、PCで見る「ニコ動」や「YouTube」に置き代わっただけで、あまり何も変わっていないように思います。

それならば、家族がコンテンツをシェアする時間があるだけ、まだテレビの方がマシのような気もします。

しかし、世代毎のコンテンツの嗜好は、もう絶望的くらいに隔っており、共有される可能性はないでしょう(初音ミクを出すまでもない)

-----

発想を転換しましょう。

我々自身がコンテンツになるのです。

お父さん:日曜日には、家族に練習した落語を披露して下さい。
お母さん:土曜日には、カルチャースクールで習ったラテンダンスを披露して下さい。
子供たち:学校のできごとを、毎日紙芝居で披露して下さい。

これを2週間でも続けられたら、大したものです。

うんざりして、げっそりする家族の顔が、ありありと見えてきます。

その後は、家族で見るテレビ番組は「NHKニュース」に限定してしまいます。

もう誰も文句は言えません。

極め言葉は、「好き嫌いいわずになんでも美味しく『見なさい』。そうでないと、お父さんに落語やってもらうわよ」

で、O.K.です。
2013年 01月 11日
標準偏差を表示しよう
最近、JHの高速道路情報の掲示システムを批判する内容の文章を、たくさん書いています。

なぜ「2時間以上」などという記述をしなければならないか、について、深く考察しました。

# もっと有意義なことを考察しろ、というご意見は却下

仮説の域を出ないのですが、これは「標準偏差」という概念を導入できないからではないか、と思い当りました。

-----

渋滞の予測というのは過去の事例をもってきても、かなり予測値に揺らぎが発生すると思うのです。

過去のデータの統計値から導き出される最悪の予測値を記載すれば、そりゃ、当然に

「2時間以上」

という掲示にならざるを得ません。

ですから、こう掲載してくれれば良いのですよ。

===============================
渋滞 30km 96分 ± 45分(2σ)
===============================

これなら、

■68%の確率で 74分〜118分で
■95%の確率で 51分〜141分で

渋滞を通過できるのだな、と即座に理解・・・え、ダメ?

-----

私なら、この表記で、かなりストレス少くなるのですけどね。

まあ、「絶対多数で却下」されるだろう、とは思いますが。
2013年 01月 10日
私の妻とは、江端智一の妻である
よく飲み会などで、後僚から、

「江端さんの奥さんって、どんな人ですか」

と尋ねられます。

私は、いつもこう応えています。

「うむ。私の妻とは、江端智一の妻である」

というと、大体3秒間くらいの沈黙があって、その後、

「大変よく分かりました。ありがとうございます」

と言われます。

なんだか良く分からないのですが。

-----

と言う話を、嫁さんにすると、『物凄く不本意』という顔をします。

なんだか良く分からないのですが。
2013年 01月 09日
トーキョー・ジャンヌダルク
二人の娘に勧められて、今、「トーキョー・ジャンヌダルク」という本を読んでいます。

作者は、石崎洋司さん。

我が家には、この人の著作「黒魔女さんが通る!!」シリーズが、キッチンテーブルに、廊下に、階段に、そしてトイレの中に放置されております。

このような日常生活の乱れは、子供の頃からきちんと叱って、矯正しなければなりません。

しかし、彼女達の父親自体が、各種の本をありとあらゆる場所に放置しているので、彼女達に対して、叱るべき言葉がありません。

という訳で、我が家は、家中のどこもかしこも、本箱になっています。

ま、それはさておき。

-----

「トーキョー・ジャンヌダルク」を読んで、私はつくづく思いました。

―― 音楽や美術の芸能の才能の片鱗もなかったことに、心から感謝するなぁ

と。

売れないミュージシャンの悲惨な生活(ドックフードの美味しい食べ方などの、極貧生活)の技が、余すところなく記載されていて、

―― メジャーデビューという夢を求める悲惨な代償

を、これでもかという位に記載されています。

もし、私に芸能関係の才能があり、メジャーデビューなんぞを夢みてしまったら、どんな悲惨な目にあっていたのだろうか、と、ゾッとしています。

「こーゆー話は、他人事が一番」を実感しています。

-----

が、娘達が、芸能の道に進みたいといったら、多分止められないんだろうなぁ、と思っています。

むしろ、私は、それをネタにコラムを書いてしまいそうです。
http://www.amazon.co.jp/トーキョー・ジャンヌダルク1%20─追っかけ!─%20(YA!%20ENTERTAINMENT)%20[単行本]/dp/4062693704
2013年 01月 08日
「年賀状」と「核ミサイル」の関係
「年賀状」と「核ミサイル」って似ていると思いませんか。

年賀状は、「貰ったら返信する」を続けていると、そのうちに、誰からも年賀状を貰えなくなります。

核ミサイルは、「撃ったら撃ち返される」がルールで、一発撃ったら、誰からも年賀状が貰えなくなります。

・・・ あれ? いや、そうじゃないか。

-----

いずれも、一種の心理戦の様相を見せる、相互の微妙なバランスの上に成りたつシステム、という点では似ているなぁ、と。
2013年 01月 07日
自分の車の車速から渋滞情報を自動的にツイートするスマホ
一昨日、JHの道路交通情報に、ツイッターのタイムラインを表示する、というシステムの提案をしました。

この話と、「自分の体重を自動的(強制的)にツイートする体重計」の話が繋りました。

「自分の車の車速から渋滞情報を自動的にツイートするスマホ」を作ってみようかと考えています。

-----

実は、車速を自動的にセンタに送信して、渋滞情報を把握するシステムは、すでにあります。

「プローブカー」といいます。

ところが、このプローブカーの情報は、各自動車会社が閉じて運用しているので、その自動車会社以外のクルマには使えない、ときています。

まあ、そりゃ、自分の会社のクルマの差別化として提供しているサービスの情報を、みすみす他社に提供して、どーする、という気持は分かります。

また、ツイッターは、ユーザが自分の言葉や主観をつぶやいた内容に価値があるのですから、機械的に渋滞の情報をツイートすることが流行る、とも思えません。

つまり、このアイデア、ビジネスモデルとしてはダメダメです。

-----

では、何故、私はこのような、

「GPSを使った渋滞情報の無償の一方的つぶやきシステム」

を作りたいか、というと、単に、

―― 作りたいから

で、たまたま私には、

―― そのスキルがある

からです。

-----

でも、ですよ。

そうすると、そのようなウワサがネットで流れちゃったりして。

そしたら、NHKとか民放のテレビ局がインタビューに来ちゃて、キャー!!

ニュースで顔バレしちゃったら、どうしようーーー!!!!
2013年 01月 06日
世界を革命しに行きましょう・・・?
拝啓 宮成楽 様

ブログにてのお手紙の無礼な仕儀、先ずはお詫び申し上げます。

『晴れのちシンデレラ』

最高です。

最初だけでなく、本を開く度に、毎回爆笑する4コママンガというのは、私の人生でも、極めてレアケースです。

雑誌の連載を読んで、初期設定が気になったので、第1巻を購入したのですが、次の日には全巻購入を完了していました。

私の娘達(中学生と小学生高学年)も気にいっているようなのですが、私程の嵌り(はまり)方はしていないようですので、この作品は、私に特に相性が高いように思えます。

初期設定とキャラクターの役割が、これほど重要なファクターとなるのかと、深く感じ入っております。

特に、オチの部分が秀逸です。

私も毎日ブログを書いていますが、このネタの「落し方」は大変勉強になります。

-----

第5巻で「革命」というキーワードを登場して頂いていますことから、「世界革命」という言葉の背景と意味をご存知であると、推察申し上げました。

この作品の世界観を維持したままで「世界革命」まで至って頂けましたら、一人のファンとして、この上もない喜びでございます。

-----

誠に自分勝手なことを、勝手に申し上げました。ご容赦下さい。

宮成楽様の、ますますのご活躍と、次回作品を心より期待申し上げております。

敬具

江端智一
http://www.amazon.co.jp/晴れのちシンデレラ%205%20(バンブーコミックス)%20[コミック]/dp/4812480248
2013年 01月 05日
「2時間以上」と表示する卑怯さ
私が、JHの道路交通情報の掲示板の表示に、心底頭に来ている話は、随分前にしました。

例えば、東名高速道路の下りで、三ヶ日あたりで事故が発生すると、名古屋までの所要時間を、赤字で、

「2時間以上」

と表示します。

このような表示をする理由は明快です。

「クレーム回避」です。

「2時間以上」と表示おいて、1時間で通過した人は、文句を良いませんが、「60分」と表示して、通過に2時間かかった人は、激怒します。

これは、「逃げを打つためには、悪い方向に大きく見積っておく」という、官僚的なスタンスに立脚しています。

しかし、私のようなエンジニアは、莫大な税金をかけて作った高度予測システムでこのようないい加減な情報を提示されると、心底腹が立つのです。

「自分の誇りをかけて、分単位で予測した結果を表示し(ついでにバックデータも開示して)」

「外れたら、批判を謙虚に受けて、改良し続けろ」

と言いたい。

-----

しかし、組織の原理として、JHのような組織が、そのような勝負にでることは、永遠にないと思います。

そこで、妥協案を提示します。

電光掲示板に、ツイッターのタイムラインを表示しませんか。

検索ワードは「東名、渋滞」としたものだけで良いのです。

以下がタイムラインの一例です。

------

今日、お墓参りに行ってきましたが、東名高速で事故渋滞に引っかかってしまい小田原から横浜まで4時間かかってしまいました。渋滞って嫌です

------

まだ笹子の渋滞は5km位みたい。東名の渋滞ぶりを見ると、東京ー名古屋間で中央使っていた車が結構あったということなんだろうね。

------

神奈川県横浜市緑区01/03 17:50東名高速上り横浜町田〜御殿場。大和トンネル〜御殿場ICまで渋滞45夘充─D眠瓩烹音間半以上かかってます。松田バス停で追突事故のため路肩規制中です。車間距離に注意して走行してください。

------

という、ツイッターの情報を提示してくれるだけで良い。

私達は、ツイートした人に、その情報の正当性などは要求しない。

その情報の真偽は、自分の頭で判断し、自分の責任で行動する。

少くとも、

「2時間以上」

と逃げを打つ、情報量絶無の表示をするシステムに比べれば、本当にマシである。

このシステムに投入された血税のコストの100分の1で構築可能であり、

100倍役に立つ。

-----

なぜ、そう言い切れるか。

私が、そのように使っており、実際に役に立っていることを、自分で実証済みだからです。
2013年 01月 04日
技術は見て盗め
「技術は見て盗め」という時代があったそうです。

これには、2つの意味があって、

「盗む為には、その技術に前提や下調べを事前に徹底的に行っておけ」

と言うポジティブな動機と、もう一つは、

「教えるのが面倒くさい」

という、ネガティブな動機があると思っています。

-----

「技術」とは、特許の世界では、

「一定の目的を達成する手段であり、他人に伝達可能なもの」

と定義されています。

ということは、「技術」とは、運命的に「他人に伝達」することができるものである、という前提に立っている訳です。

とすると、「技術は見て盗め」は一見正しそうに見えます。

しかし、「技術」を視覚的に把握できる範囲は小さく、滅茶苦茶に効率が悪いです。

当然のことながら、そのような「技術」を更に発展させていくエネルギーが、無駄に消費されます。

そのような「技術は見て盗め」の文化で継承される「技術」はいずれ、コモディティ化されて、淘汰されていくことになるのでしょう。

「技術」は、他人に伝達することも含まれている、と考えるべきだと思います。

しかし、私の場合、「技術は見て盗め」などとは言いませんが、「教えるのが面倒くさい」と思うのは事実です。

なぜか。

面倒くさいからです。

私の時間も取られる上に、それに見合うだけのリターンがないからです。

ですので、私から自発的な意思で、誰かに技術を伝授する、ということは、絶対的な意味においてありませんでしたし、これからもないと思います。

私が特許法の解釈等について、色々な文章を書いているのは、「自発的な伝授」ではありません。

あれは、「アリバイ」。

「私は、もうちゃんと説明したもんねーー、悪いのは私じゃないもんねーー」という逃げの口実作りの為です。

-----

とはいえ、私は、

(1)ちゃんと下調べをして、
(2)その内容纒めて説明可能な状態にして、
(3)質問の目的をクリアにして、
(4)礼を尽して、

質問してくる人には、いつも優しいです。

なぜか。

そういう人には、気持よく答えられて、自分がいい気持(得意な気持など)にさせてくれるからです。

一方、そういうこともしないで、質問してくる人間には、

(1)営業時間を終えた、
(2)日没後のスキー場(のエキスパートコース)の、
(3)ホワイトアウトのブリザードの中で、
(4)一人きりで置き去りにするくらい、

の、冷酷な対応をします。
2013年 01月 03日
自分の行為を金額で換算すること
昨日、実家の車に、車載用機器を設置しました。

なんか取り付け工事費用を聞いたら、4〜5万円かかると聞いて

―― 舐めんなよ

と思ったからです。

色々苦労はしましたが、Webでの事前情報の収集、オートバックスの兄ちゃんのレクチャーなどを貰い、3時間程で設置を完了しました。

4万円、儲けた!、と思ったのですが、私が、大学で、電子/電気工学の勉強で支払った金額を思い浮べると、全くペイしていない。

-----

教訓:自分の行為を金額で換算することは、結構人生を虚しくするから、止めた方が良い。
2013年 01月 02日
実施例を挙げろ
昨年末の総選挙の結果は、結構私を驚かせました。

前々回の選挙で民主党が掲げたマニュフェストを、本当に皆さんは信じていたのでしょうか。

私は、マニュフェストをみて直感的に実現性は「2割±」と見積っていました
が、皆さんは本当に、

「裏切られた」

と感じたのでしょうか。

まあ、それはさておき。

-----

私はいつでも思うのですが、「政治不信」と叫ぶ人達に、その実施例を3つほど挙げてみろ、と言いたいのです。

「財政再建」と叫ぶ人に、その実現手段を、実現性の有無を棚上げにしてもいいから、取り敢えず実施例を3つほど挙げてみろ、と言いたいのです。

根回しもしないで、仕事を上手く回している人なんて、私は見たことがないし、正論だけで、会社を経営している経営者を、私は一人も知らない。

-----

乱暴な論を語っていることは、自分でも感じています。

しかし、一人のエンジニアとして、

実施例も図面も開示することもなく、特許請求の範囲だけを記載して、特許出願するような、そんなずうずうしいスタンスが我慢できない。

具体的な事例の一つも挙げないで、自分の言葉で語れないくせに、「政治不信」だの「財政再建」だのと、4文字の漢字だけで纒めて批判するだけの人間の側には、

―― 私は与したくない。
2013年 01月 01日
仏に逢うては仏を殺せ
このフレーズをアイロニー的に取り扱ってきた私は、物知らずでした。

「殺仏殺祖」などとして広く使われる言葉で、「私達の認識は、常に決まった枠にとらわれる」ことに対する、一種の激烈な方法論を唱えているものだそうで、本当に「仏を殺せ」と言っているものではないのだそうです。

価値観というものは、常に表と裏があり、物事を捉えるときは、二元論的な観点を常に持て、という示唆なのだそうです。

-----

私は、物事を斜め横からアプローチする内容の文章を、比較的得意としておりますが、この文章の作成方法は、意外に「仏に逢うては仏を殺せ」と似ているのかもしれない ―― と思ったりもしたのですが

<引用>
世界の全ての存在や現象に等しい価値があるのであって、人間が勝手に線を引いて区別する善悪や美醜、上下といった区分に価値を置かないのです。

野に咲く名もなき一輪の雑草も、美しくあでやかな大輪の花も仏の世界にあっては優劣をつけられないものだし、世界をそのように見られる存在こそ真の仏である、とするのです。
</引用>

駄目だ。私は、このような世界観から遥かに遠い。

遠い上に、このような世界観に、全く憧れない。

世界がどのような態様であるかはどうでもよいのです。

世界は私にいつでも優しくあるべきである ―― その一点に集約され、まったく揺らぎがありません。

-----

私にとっては

「仏に逢うては仏を殺せ」は、

「自分の認識に対して常に懐疑的であれ」

という意味ではなく、

「それがなんであれ、私に優しくないモノであれば、消えて貰おう」

という意味で、当面は続けていく予定です。