江端さんの忘備録

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2012年 12月 31日
孤高の卑怯
私は、「はだしのゲン」の、あの広島の原爆が炸裂する瞬間のシーンを、少年ジャンプの連載で読みました。

実体験とは到底言えない、紙のメディアごときで、―― もちろん、それば小学生という時代をさし引いたとしても ―― その衝撃は激烈でした。

―― こんな凄まじい地獄が、この世にあるのか

以前、絵本「地獄」の描写の凄まじさを記載したことがありましたが、それを軽く凌駕する地獄が、確かに、たった67年前にあった。

―― 冗談じゃない、こんな地獄に巻き込まれてなるものか

―― どんな卑怯者と呼ばれようとも、逃げて逃げて逃げまくり、「戦争」から一番遠いところに、いてやるぞ

と思った、その小学生は、「自分が巻き込まれる戦争だけは絶対に阻止」という、卑怯の限りをつくした価値観を確立させて、現在、その価値観を補充するもっともらしい理屈を、日記で展開しています。

―― 正義の戦争よりも、不誠実な平和の方がいい

―― 屈辱に震える日々であっても、食料がなくて死んだり、炎で焼かれて殺されるようりは、ずっといい

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私は思うのです。

『皆、そんなに、弱い者に見られたり、卑屈に生きていくことや、卑怯者と呼ばれることが嫌か?』と。

本当に、死に直面するような事件に巻き込まれたことは、人生で数回しかないけど(十分多いと思うが)、私は、死ぬことが、死ぬほど怖かった。

まして「正義」などという、相対的な価値観で死ぬなど、馬鹿馬鹿しくてお話になりません。

ここで、「相対的な価値観」とは、例えば、

『私は、たまたまこの島国の方で生まれてきた。しかし、もし隣国の半島や大陸の方で生まれてきたとしても、それでも、私は、この「島国の正義」を唱えるだろうか』

ということです。

私は、半島や大陸で、抗議デモの方に参加していた「当事者」だったかもしれないのです。

そんな、「あやふや」で、「いいかげん」で、「何が正しいのか全く分からん」もんの為に、私のたった一つしかない命を賭けられるものか、と思うのです。

『江端、お前、発想が拡散しすぎている。私達は、戦争の話をしているのではない』と言う人は、沢山いると思います。

しかし、歴史の教科書を開くまでもなく、戦争の根っこは、いつだってこういう(ささいな)事が原因です。

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我が国が、「弱腰」と「卑怯」で、ここ70年間近くの平和を維持してきた、と言うのであれば、それを否定することなく受けいれたい、と思う。

逆に、私はそのことを胸を張って、世界中の人々に誇りたいとも思う。

―― 孤高の卑怯

(最近、このフレーズをよく使っていますが)、私は自分の主張に固執せず、「4回転ジャンプ」のごとく、コロコロを主張を変えることができる人間です。

ですが、その「4回転ジャンプ」の中心軸は、この「卑怯」にあります。

これまでも、そして、これからも。

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最後になりますが、「はだしのゲン」の作者である、中沢啓治さんの御冥福をお祈り申しあげます。
2012年 12月 30日
TOEICという名の暗黒帝国
受験生や、その家族にとって、お正月というのは楽しんで過ごせるお休みではないと思います。

私は、この時期になると思い出すフレーズがあります。

嫁さんから聞いたのですが、お受験をしているお母さんが、こんなことを言っていたとのことです。

「もし入学させてくれたら、凄く一生懸命勉強させて、その学校にふさわしい成績を維持させることを約束するから、入試の点は、少し甘く見てくれなかなぁ・・・」

―― うん、涙が出るほど、わかる。

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TOEICなどという試験が、日本全土を暗黒支配する前に、外国に赴任することができた私は、本当に運がよかったのだ、とも思います。

この不気味テストが、今のように我が国を支配した後であったら、私は永久に海外で仕事をすることはなかったでしょう(まあ、それはそれで幸せであったのかもしれませんが)。

TOEICでゲートが閉じられる→海外の経験値上がらない→TOEICゲートがさらに閉じる、の負の連鎖ですね。

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「TOEICが、実践で役に立たない」と、がなり立てている人が、まだまだ沢山いますが、

―― 何を今さら、そんな当り前のことで、怒鳴っているのだろう

という感じです。そんなことは、業界、いや、世界の常識です。

TOEICが「質問返し("Pardon?"とか"Excuse me?")」が使えるテストにしてくれれば、私はフルスコアを取得することを、ここで高らかに宣言しますよ。

# 名づけて"TOEIC インタラクション テスト"で、どうだろう?

私は、随分前から、別のテスト方法(TOPIC)を提唱しているのですが(リンク御参照)、なかなか採用される気配はありません。

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「もし海外赴任させてくれたら、現地で凄く一生懸命仕事して、その国にふさわしい会話ができるようになることを約束するから、TOEICの点は、少し甘く見てくれなかなぁ・・・」

という、若手の社会人は、かなり多くいると思う。
http://www.kobore.net/topic.txt
2012年 12月 29日
相手の潰し方
「屑」「糞」 とかの言葉を使わないと、相手を貶めることができない人は、残念ながら勉強不足だと思うのです。

「相手を凹ませたい」と思う気持は、よく分かるのです。

しかし、私の場合、これらの言葉が登場した段階で、

『あ、この人は自分で白旗を上げちゃったなー』

と認定して、その後のフォローは一方的に中止させて頂いています。

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もちろん、こういう言葉を使うことができる人が「本来好きではない」というのがメインの理由です。

で、次の理由が、そのような人が「相手をやっつけたい」と思う心が急ぎ過ぎて、十分な「弾(論理)」を持っていないことに、私が気がついてしまうからです。

昨日も述べた通り、私は自分の主張に固執せず、「4回転ジャンプ」のごとく、コロコロを主張を変えることができる人間です。

ですから、きちんと論理を展開して貰えれば、簡単に意見を変えてしまうのです。

しかし、一回でも「屑」「糞」 などという言葉を使う人間であると分かってしまった瞬間から、もう、その人の意見を聞こうという気持が、きれいさっぱり失せてしまうのです。

もしかしたら、その人は、素晴しい論理展開ができる方なのかもしれませんが、もう「生理的にダメ」なのですよ。

なにしろ、私の3大構成要素は、「卑怯」「浅学」「狭量」ですからね!(胸を張って)

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私が、「この人を潰す」と決めた場合、そのやり方は、「屑」「糞」 とかの言葉を使う/使わない以上の次元で、陰湿で周到かつ徹底しています。

まず第一に・・・

(実は、ここに、(Step1)から(Step.5)までの具体的な手順を書いていたのですが、読みなおしたら「どん引き」されそうなので、自己規制しました。ご希望があれば、個人配布することも考えます)

(でも、最後の一行だけ開示しますね)

・・・と、このようにして、その薄っぺらい論旨、客観性の欠ける事実認識、誤認と偏見に基づく歪んだ主張を、自分自身で開示して貰う方向に導くのです。

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ね、凄く陰湿で、狡猾で、えげつなくて、徹底しているでしょう?
2012年 12月 28日
イラストを描きたい
文字、画像、映像は、一括りで「メディア」と呼ばれますが、文字よりも画像、画像よりも音声、音声よりも映像、と言うように、影響力が大きくなるような気がしています。

所詮、「文字」のメディアしか扱えない私は、画像を駆使できる娘たちに、「おこずかい」と「ご追従」で、イラストを描いて貰わなければなりません。

自分の著作に、自分のコントロールできない部分を含むというのは不便です。

私の思うようなイラストにならない場合は、書き直しを「お願い」しなければならないからです。

最近は、娘達も、自分の立ち位置も理解してきたようで、昔のように

「絵を描けて、お金まで貰えるなんて!」

などと、殊勝なことは言わなくなりました。

あの頃の娘たちは、可愛かったなーー。8ヶ月も経っていないけど。

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昔取った杵柄(きねずか)で、キーボードやギターを演奏しろ、と言わたら、時間さえかければ、もう一度始められるような気はするのです(気のせいかもしれませんが)。

しかし、美術関係、特に絵画に関しては、私は絶望的に才能がないのです。

パワーポイントで、プレゼン資料が作れるのだから、少しくらい絵だって描けるのではないかな、と、SaiとかPixiaを使ってみたのですが、惨憺たるものでした。

ドローツールは、才能を「引き出す」ことはできるかもしれませんが、存在しない才能を、「創り出す」ことはできないことを、再確認しました。

私は、自分の線画を見て、絶望しました。

「絵心がない」という表現では到底足りない。

「絵心を壊すデーモンが常駐している」と言うべきだと思います。

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しかし、私は絵(イラスト)を描きたいのです。

私の文書の意図を、さらに深く、楽しく、イラストで理解して貰いたいと思うのです。

こんな、私ですが、今からでも絵の勉強を始めればなんとかなるものでしょうか。

優しい言葉はいりません。事実だけを教えて下さい。

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ちなみに、「どうやったら、文章を書けるようになるの」と尋ねられることがありますが、私の答えは、いつでも同じです。

『こればかりは、どうやったら教えることができるか、分からないんだ』
2012年 12月 27日
電卓を叩けば恐怖が見える
今回の選挙、私の観点は、

■TPP賛成

■消費税増税(福祉財源化)賛成 (消費税30%以上でも認容)

■憲法改正反対

■安楽死法案化支持

■アジア各国の労働者の積極的受け入れ(人口が3億人以上の増加でもOK)

■弱腰外交の継続

でした。

が、この全てに同意できる人は、相当少ないでしょうし、はっきりいって一人もいないのではないかと思います(ちょっと極論に過ぎると自分でも思う)。

おかげで、選挙の支持政党探しに、酷く苦労しました。

争点にすらなってもいないことも含んでいますからね。

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ただ、上記の観点についてですが、私はこれらを意地になって固執したいと思っている訳ではありません。

誰かに論理的に説得して貰えれば、いつでも180度意見を変えられる、優柔不断さ・・もとい、柔軟性、フィレキシビリティがあると思っています。

事実、私は、自分の持論をクルクル変えており、人生トータルすると、

―― 4回転ジャンプ

くらいは回っているかと思うのです。

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ただですね、逃げられない最前線の塹壕に放り込まれれば、自動的に自分の観点は決まります。本当に簡単です。

例えば「高齢者介護問題」。

今、日本の介護の体制は、この悪夢の財政難の状況下において、贔屓(ひいき)目なく見ても、かなり厚く、本当によくやっていると思っています。

間違いなく厚く、そして、それでもこの程度が限界なのです。

我々の世代は、普通にその辺の道ばたで、猫や犬の死骸のように、人間の死骸が放置される時代になる ―― これは、私の中では、かなり確信に近いです。

(毎度、私が言っていることですが)「自分で電卓叩いてみる」と、そういう未来しか見えてこないのですよ。私の計算ミスなら、本当に良いのですが。

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私は、道ばたで自分の屍(しかばね)が腐臭をさらしていることには、全然抵抗はありません。

しかし、「死」のフェーズで、文字通り「死ぬほど苦しむ」ことだけは勘弁してほしいのです。

例えば、24時間、胃カメラを飲まされているような地獄にあって、しかも死ぬことも許されないような拷問があったら、私は死んでしまう。

# ・・いや、そうじゃないんだが、こういう状態をどのように表現すれば良いか、分からん

いずれにしても、私は、誰に対しても、何に対しても、そんな拷問を受けるほど悪いことはしていないと思う。

法治国家や福祉国家という国家のメンツの為に、絶望の地獄の苦しみ続けられることだけは、ごめんなのですよ。

また、世界を一定の客観性をもって認知できない状態になって、閉じていく世界を見ながら生きている自分の存在にも耐えられないのです。

# が、そういう状態になった自分が、不幸かどうかは、正直よく分からないのですが

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死に向かう者の苦痛に呻く悲痛な声が、どの家からも普通に聞こえてくる時代が始まる。

だからせめて、人間が、自分の意志で、人間らしい最期が迎えられる社会の実現を。

―― と、思ってしまう訳です。

そういう視点から、最初の方を見て頂くと、上記の私の考え方の一端を理解頂けるのではないかと思っています。

ただ、今回の選挙で、私の戯言を叩き潰すに足る数値データを提示して、明るい未来を客観的に示してくれた立候補者は、一人もいなかったように思います。

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まあ、いずれにしても、こんな話は、誰からも同意して頂く必要もなく、こんな戯言は、私一人が勝手にほざいて、勝手に悲観して、自己完結していれば良いのです。

そして、これが、私の戯言になってくれるのであれば、

―― 本当に嬉しい
2012年 12月 26日
同情の余地なし
駅で、私が携帯電話でメールを書いていると、ホームレス風のおっさんが、私に向かって怒鳴っているようでした。

というのは、よく分からなかったのですが。

多分、知的障害に人格障害も入っている人だろうと思われました。

このような場合、特に、サラリーマンの場合は「関わらずに逃げる」が正解です。

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しかし、その時の私の気分は最悪でした。

私は、十分な間合いを取って、そのおっさんを、最凶の眼(ガン)で睨めつけました。

そして、電車がやってくる数分間の間、そのおっさんの顔から、一瞬たりとも目を逸らさずに、睨み付け続けけました。

もし、おっさんがこちらに向かってきたら、同時に走り始めて、そのまま、全力でぶつかって壁まで突き飛ばすイメージまで完了していました。

私の殺気を察して、おっさんは静かになりましたが、私は電車に乗り込むまで、おっさんの顔から視線を逸らしませんでした。

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―― お前、自分の足で歩いて、動けるのだろう

―― お前、一応、この私に汚い言葉を吐ける程度には、世界を「認知」できるんだろう。

―― 甘えんなよ、この野郎。

―― 自分の意志で体が動かせて、何が不満だ。贅沢いってんじゃねえぞ。

と、私はそのおっさんに、暗黒サイドのオーラをぶつけ続けていました。

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介護認定のランクが認定された親を、実家に残したまま都会で働いている一人息子は、今、

「世界中の誰もかもが『敵』」

という、論理破綻した、荒んだ(すさんだ)気持ちの中にいます。

今の私には、ニートだの正規雇用問題だのに、心を砕く余裕はありません。

どのくらい、余裕がないかというと、

「立って、歩けて、世界が認知できる人間に、同情の余地なし」

というくらい、徹底しています。
2012年 12月 25日
「パワハラ上司」には「中二病のレッテル」で対抗する
最近、「中二秒」というキーワードで、日記を書いています。

中二病(ちゅうにびょう)とは、

『中学二年生頃の思春期の少年少女にありがちな自意識過剰やコンプレックスから発する一部の言動傾向を揶揄した俗語である(Wikipediaより)』

のだそうです。

Wikipediaに挙がっている事例としては、以下のようなものがありました。

■洋楽を聞き始める。

■うまくもないコーヒーを飲み始める。

■売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。

■やればできると思っている。

■母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言い出す。

■社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。

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この中でも特に、

「やればできると思っている。」

というのは、大人でもよく見られます。

これが自己完結するのであれば、人に迷惑をかけないのですが、大人の中二病は、他人を巻き込むので、更にやっかいです。

「『自分の子供は、もっと一生懸命勉強を』やればできると思っている」

「『私の部下は、私の指示通り』やればできると思っている」

「『私の会社は、私の経営理念を理解して』やればできると思っている」

という、大人たちは、

■事実上、保護者は子供の学力をコントロールできない

■自分の上司は、自分にカリスマや指導力が存在しない

■会社の経営者は、自分の経営理論がきちんとした検証プロセスを経ていない

等の、事実認識に至っていないのです。

これは、自分のことを「魔界の帝王」であるとか、「人類最後の希望を託された血脈の正当承継者」であると妄信する、中学二年生と大して変わらんと思います。

中学二年生の方が「論理的に説明できない」だけ、まだマシです。

大人の方の中二病は、下手な理論や知識、例えば、

「ドラッガー」だの「イノベーションのジレンマ」だの「破壊的経営」だのという本を読んで、

―― そうか! これならできる!!

と信じるもんだから、更に「たちが悪い」。

「自分の器量」という、最も重要な要素(プラットフォーム)を失念する、この愚かさかげん。

はっきりいって迷惑です。

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これから、こういう実力の伴わない大人も、

「中二病」

と読んで揶揄(やゆ)しませんか。

『●●部長って、はっきりいって「中二病」だよな』という陰口は、場を陰湿にしないという効果があります。

そして、さらに期待できる効果として、「中二病」と決めつけられた大人は、間違いなく「酷く傷つく」という顕著な効果が期待できます。

「パワハラ上司」には、「中二病のレッテル」で対抗する。

来年は、これでパワハラを日本から一掃しましょう。

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では最後に。

この「中二病」という定義を、2000年程度の歴史まで、拡大して考察してみると、結構、楽しい考察ができます。

2000年程前に、現在のパスルチナ自治区に属するどこぞの田舎で、

「人間を救う為に神から使わされた子」

が生まれ出でたと信じて、各種イベントが展開されているという現象は、

2000年の時間を越える、全世界数十億人の人間を含む、世界的規模の壮大な、

「中二病」

である、と言えると思えますが、いかがでしょう。

この概念、色々な場面で使えると思うのですよ。

例えば、

「クリスマス? はっ! そんな「中二病的イベント」に参加しろってか?」

という風に使えます。

詳しくは、

■江端さんのひとりごと 「英会話スクール出逢い機関論」(http://www.kobore.net/deai.txt)

■併わせて、「クリスマス脅迫症候群」(http://www.kobore.net/deai.txt)も、ご一読下さい

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では、クリスマスイベントの被害にあっていない方の皆さん。

メリークリスマス。

# なお、クリスマスは12月25日です。24日はクリスマスとはなんの関係もない日です。
http://www.kobore.net/deai.txt
2012年 12月 24日
一億総「中二病」
マヤ暦の記載が2012年12月21日分で終了ということらしく(でいいんですよね?)、世界中で人類滅亡騒ぎが起きていたそうです。

ふふ・・・、しかし、我々日本人は、もう、この手の騒ぎには参加しない。

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我々は、

■たとえ、NASAやJAXAが、彗星衝突を正確に予知したとしても信じない。

■人類が滅亡しているそのプロセスの途中にあっても信じない。

■人類が滅亡後した後でも信じない。

それくらい恥ずかしい思いをしてきたのですよ、私達は。

20世紀の終る20年程前、「ノストラダムスの大予言」という本で、大騒ぎをして、いわば、「一億総羞恥プレイ」と呼ぶものを体験しているからですよ。

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あの時代、日本国民は、老いも若きもほぼ全員が「中二病」の渦中にあったという、世界的にも歴史的にも、大変珍しい民族なのです。
2012年 12月 23日
アンタッチャブル
以前のことですが、頼まれて寄稿したのに、書き直しを命じられ、その上、無許諾でペンネームまで変えられてしまったことがあります。

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私は、「エバァ」と言うペンネームを使っていました。

私は「匿名投稿」というのがあまり好きではなく、ペンネームであっても、誰もが私であることが、一発で分かるようにという配慮から、そのようなペンネームを使っています。

# 匿名やペンネームの意義が、何にもないけど。

ところが、このペンネームすら、私に無許諾でイニシャルに変えられていました。

別に腹は立てている訳でもないのですが、著作権法の条文集を持参して、事務局に行こうかな、と思ったのは事実です。

「会社といえども自由にできない権利(著作者人格権の氏名表示権(著作権第19条))がある」

と言うことは、今後の為にも知っておいて貰った方がいいかもしれないな、と思いまして。

まあ、それはさておき。

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新聞というのは、一人の人間が一日では読めるとは思えない程の情報を掲載しております。

どの人にとっても7割が読まれない記事で構成されている、といっても過言ではないでしょう。

これは、紙資源の無益な消費であり、環境破壊の根源であることに、意義を唱えられる人はいないと思うのです。

不思議なことに、新聞は「環境破壊の記事」を掲載しますが、「新聞の紙媒体と環境破壊」の問題について論じられた記事は、私が記憶している限り絶無です。

# まあ、自己の利権を危うくする記事が掲載されないのは当然とも言えますが。

そでも、「新聞」という紙の媒体が廃れないのは、軽量、持ち運び易さ、取り扱い易さがあるからだと思います。

それによって、新聞社も購読者も「まあ、それは言わないことにしておこう」という社会合意が形成されている、という見方で、おおむね妥当だと思います。

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一方、持ち運べず、検索しにくい「百科事典」などの市場は、ほぼ壊滅状態ですね。

CD、DVD一枚とパソコンがあれば足るのですから、飾りもの以上の価値はありません。

ならば、「百科事典」はインテリアとしての美術的価値を追求していくべきでしょう。

そこで、提案なのですが、「重厚な百科事典」のように見える「何か」を作って販売するというビジネスは、いかがでしょうか。

でその内容は白紙のままでも良いですし(メモとして利用する)、長編のマンガ「ドラえもん」「ガラスの仮面」「パタリロ」「クッキングパパ」とかを掲載するというのもありです。

実用的なインテリアとして「行ける」と思うのですけどね。

# 権利関係がぐっちゃぐちゃになりそうですが。

まあ、それもさておき。

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では、「社内の新聞を「紙」で配布する価値はあるのだろうか」と考えることはあります。

社内の業務サーバに、PDFでアップすれば十分だろうと思うし、紙の媒体で欲しい人は、自分で印刷すれば良いのだし、正直、デメリットが見えません。

しかし、社内で、この話題を振るのは、この私ですら「怖い」です。

良く分からないのですが、なにか「アンタッチャブル」のものに触ってしまうような気がして。
2012年 12月 22日
祈りで始まり、呪いで終わる
過去の自分から手紙が送られてくる、という歌やお話は沢山あります。

普通の手紙なら期日指定郵便を使えば可能でしょうし、電子メールであればそのようなサービスが実際に運用されています。

手紙の内容は、過去の自分が現在の自分に、色々な思い出を報告してくるものもありますが、または叱責や警告してくるものなどが多いように思えます。

「今の私は、過去の私の理想をちゃんと持ち続けて生きているか」

と。

うん、私は思うのです。

―― 余計なお世話だ

と。

「過去の私に、今の私の何がわかるのだ」

と、返信してやりたいと思います。

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過去の自分から手紙が送られてくる、という変なイベントが、日常的に発生する「気持悪い」職種があります。

企業研究員です。

過去に記載した、特許明細書が、特許庁審査官の激烈な厳しいコメントと共に戻ってきます。

例えば、「内容が分からん」「新しくない、簡単な発明だ」「要求する権利がデカすぎる」等。

こんな時、私は思うのです。

―― そんなことは、出願時の(過去の)私に言ってくれ

―― この時空で生きている私は、別の時間軸の私だ

と。

中二病か。

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という訳で、今年も恒例の年末特許執筆大会、別名、クリスマスパテント、略称「クリパ」(×クリスマスパーティ)を実施中です。

今回始めて、私は特許明細書の作成のパラダイムを変更しました。

―― 審査官でも何でもいい

―― 今日まで依頼元事業部と戦ってきた私を、権利化を信じた私を、私は泣かせたくない

2年前の過去の自分に

「あたしって、ほんとバカ」

と言わずにすむように、丁寧で分かりやすい記載を、丁寧に実施しています

# いや、本当のこというと〆切まぎわで、凄く雑な記載になっているのですけど。

過去の自分から送られてくる明細書が、

「(権利化の)祈りで始まり、(拒絶査定の)呪いで終わる」

というような、どっかの魔法少女のようにならない為にも。
2012年 12月 21日
ミッション:「ボカロ専用100円カラオケ」を実現せよ
今、私は、二人の娘にイラストの仕事を発注しております。

しかし労働の賃金は、労働基準法の最低賃金を遥かに下回る金額で、今の私は、

「ブラック企業」

の社長の気分です。

が、衣食住+教育は完全に担保しているので、まあ諦めて貰います。

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さて、各種連載もそれなりの数を経てきていますので、その合計賃金は、「子供のこずかい」としては、結構な額になっています。

昨日、娘(長女)に計算させてみました。

私が、「これなら音楽ポッドを軽く購入できる金額だね」というと、唖然としていました。

「なぜ・・・使ってしまったのだろう」と、絞り出すような悔悟の声で呻いていました。

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私:「遊興費で使っているんだろう」

娘:「遊興費って?」

私:「ええっとーー、ああ、『カラオケ』のことだ」

娘:「だって、なんだかんだいっても『つきあい』は大切でしょう」

娘の方が、私より立派に「サラリーマン」やっています。

私:「『カラオケ』でなくても、つきあいはできるだろうか」

娘:「そんな『場』が、今、どこにあると?」

確かにないかもしれん。

娘は、地元の公立中学に通っている訳ではないから、従って、地元ネットワーク(誰かの家に集合する、等)は全然機能しないだろう。

とすると、学業以外の『場』であって、もっともコストパフォーマンスが良いのは、確かに「カラオケ」になると思います。

すると、突然、娘が叫ぶように言いました

―― 大体、カラオケが高いよ!高すぎるよ!!

まあ、中学生の金銭感覚から言うと、確かにカラオケボックスは実に高価な遊興場であるでしょう。

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と言うわけで、娘から、以下の提案をブログで開示するように申し付けられましたので、実施します。

=================================================
ミッション:「ボカロ専用100円カラオケ」を実現せよ
=================================================

■ボーカロイド専用カラオケで十分
→ 演歌は勿論、ニューミュージック、アニソンも全て不要
→ 権利や利権に対して寛容なボカロPの承諾だけで運用可能なカラオケを構築せよ

■立地は不便でも構わん
→ 何分でも歩くし、自転車で行っても良い

■インフラはどんなに貧弱でも構わん
→ インターネットを使ったPCベースのシステムで十分
→ 建物がどんなにボロくても問題なし
→「場」が提供されれば、アメニティなどいくらでも目をつぶる

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カラオケ業界の方、ご一考下さい。

ニーズは間違いなくあります。

潜在市場は、ザックリ600万人です(中高生の人口総計概算)。
2012年 12月 20日
魂のこもっていない「3ヶ月」技術コラム
電車の吊り広告には、色々な見出しがあります。

私は、

■自分の生活で手一杯なのに、赤の他人の芸能人や政治家の私生活なんぞを知りたいなど思ったこともないし、

■選挙の日の夜には、結果がはっきりすることが判っている議席予想なんぞにも興味はないし、

■世の中の若者の性風俗がどうなろうとどうでもよいし、そんなことどうしようもない、

と思っています。特に、若者の風俗全般については、マスメディアが、全く「的を外している」のは分かっています。

統計的観点がないんですよ。

一部の例外的な若者の事例を持ち出して、一般論とするのは、(一般的手法とはいえ)やっぱり卑怯な所業だと思うのですよね。

で、何がいいたいかというと、私は、風俗雑誌や週刊誌の内容に、ほとんど興味がない、ということです。

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しかし、私であっても、―― いや、私であるからこそ、看過できないネタがあります。

具体的には、

■3ヶ月以内に、M9の地震がやってくる

■3ヶ月以内に、富士山の噴火が始まる

■3ヶ月以内に、パンデミック(新型インフルエンザ等)が発生する

■3ヶ月以内に、世界恐慌が始まる

という、いわゆる「3ヶ月」で始まる、災害や災厄に関する予測記事です。

私は、これらの内容が正当な科学的根拠、仮説やデータに基づくものであれば、これらの記事が「外れても」、私は許せると思うのです。

しかし、風評や適当な人物のコメントだけで構成されており、なんらの科学的根拠のない記事は、許せない。

私も、連載で技術コラムを書いていますが、自分で自分を納得させられない仮説やデータは、どんなに考え抜いた仮説であっても、努力してかき集めたものであっても、泣きながらそれをドブに捨てて、文章を書いているのです。

結果として、事実でないことを書くこともありますが、ぎりぎりまで数多くの資料と対峙して、可能な限り真実に近づこうと努力をしているのです。

それなのに、「3ヶ月ネタ」を自分のプライドとプロとしての矜持(きょうじ)もなしに記載する奴を、私は絶対に許せない。

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うん、この文章を書いている内に、どんどん腹がたってきたぞ。

今度、図書館にいって、過去3年分の週刊誌を全部レビューしてやろう。

そして、魂のこもっていない「3ヶ月」技術コラムを全文箇条書きで羅列して、暴露してくれよう。
2012年 12月 19日
「ボーカロイド」に愛されないエンジニア
<昨日の日記>

初音ミクなどのボーカロイドなどに、活路を見いだせるかもしれない、と、娘に、昨日、

■5曲限定
■著名な曲だけ(×娘の好み)

を選曲して貰いました。

これから、人生最初のボーカロイドの試聴に挑戦です。

</昨日の日記>

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聞いてみました。

結論から言いましょう。

「歌詞が、全く取れん」

楽曲の嗜好や、展開されるシナリオ以前の問題です。

初音ミクの楽曲から、私が一番最初に想起したものは、

―― TOEICのリスニングセクション

です。

正直に言いましょう。

「初音ミク」より「TOEICリスニング」の方が、はるかに容易です。

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昨夜、娘に上記の話をしました。

私:「Youtubeとかニコニコ動画では、歌詞がタイトル(字幕)で出てくるから、みんな、歌詞を理解できるんだよな。最初から歌詞は拾えないよね」

といったら、娘は「意味が分からん」といった顔をして、不思議そうに尋ね返してきました。

娘:「なんで? 字幕なんかなくても、最初から歌の内容は分かるよ」

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―― あれ? この娘の顔の表情、どっかで見たことある。

と考えていたら思い出しました。

「英語なんて、聞いていれば分かるよ」と言って、特別な勉強することなく、常にTOEICスコア900点台を叩き出していた、あの同僚の顔だ。

なんてこった。

娘は「ボーカロイドに愛される中学生」であり、

私は「英語」ばかりではなく「ボーカロイドに愛されないエンジニア」であったのです。

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理不尽ではないか。

何故私ばかり、このように誰からも、何からも愛されないのか。

行き場のない怒りと悲しみで、今朝は通勤電車の中から、休憩時間に至る全行程で、娘の選曲した5曲、

■千本桜
■「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】
■はちゅねミクのうた
■ブラック★ロックシューター
■初音ミクの暴走

を、何度も何度も聞きまくっています。

しかし、歌詞が全く取れません。

今の私は、「TOEICリスニングセクション(パート1)全滅」と同様の、荒んだ気持の中にあります。
2012年 12月 18日
異常偏愛奨励歌
人間は、年齢と共に嗜好が変わっていくものです。

例えば、私の場合、最近「肉より野菜が美味しい」と思うようになってきましたし、昔では考えられなかったクラッシック(但しピアノ協奏曲に限る)をよく聞くようになってきました。

まあ、歳(とし)ですね。

しかし、それでも、私が「演歌」を嗜好するようになる未来だけは、想像できないのです。

昨日の「さざんかの宿」や「孫」など、閉じた世界の狂った愛を謡いあげており、正直、

「異常偏愛奨励歌」

という気すらします。

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いや、恋愛の歌は、どのようなものであれ、そのような「歪んだ愛」を歌わなければならないことは分かっています。

「日常」を歌ったって、そりゃ売れる訳ありませんから。

しかし、今では少なくなりましたが、

「押して、押して、押しまくる」

というような歌が、結構な数ありました。

これは、明らかに、

「ストーカー応援歌」

ですよね。

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と思えば、

「あなたを遠くから眺めているだけでよい」

とか

「彼女/彼と別れるまで待つ」

というような、

「恋愛敗北至上主義」

のような歌もあります。

特に、この「恋愛敗北至上主義」の曲は、そうとうに図々しい内容が多い。

「もしあなたに彼女/彼がいなかったら・・・」という仮定形の歌詞が多いのですが、「・・・いなかったら、あなたと私は上手くいくと」と、勝手に決めつけているあたり、大した自信というか自惚れだと思える訳ですよ、私は。

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それにしてもですね、「演歌」の変態のコア度というのは、半端でなくスゴいと思うのですよ。

で、最近考えるのですよ。ここは一つ、対局に走ってみるかと。

しかし、モーニング娘、SMAP、AKB48、全て全滅。心の琴線に触れるどころか、遠ざかるばかり。

SMAPの「検索結果世界に一つだけの花 」という曲が、カラオケでもっとも歌われた曲だそうですね。

私はもう、世間という枠組みの中には入っていないのかもしれないと、寂しい気持ちになったのを覚えています。

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人間の歌では、もう私はだめなのかもしれない。

ならば、初音ミクなどのボーカロイドなどに、活路を見いだせるかもしれない、と、娘に、昨日、

■5曲限定
■著名な曲だけ(×娘の好み)

を選曲して貰いました。

これから、人生最初のボーカロイドの試聴に挑戦です。

私が、どういう感想を持つに至るか、来月にご報告できると思います。
2012年 12月 17日
人妻への思慕の念を大声で謡いあげる、変態の主張
所用があって、実家(名古屋)に帰省していました。

姉と事前に錬りに練った施設回り等の処理を遂行するのに、親父の車を利用したのですが、CDから流れてくる曲に閉口していました。

♪愛しても、ああ、愛しても、あーあーあ、人の妻〜(「さざんかの宿」という歌らしい)

『人の妻に横恋慕するなよ。最初から対象リストから外しておけよ、気持ち悪い奴だな』と思う私は、たぶん、条理を越えた恋愛を、一生理解できないまま死んでいくタイプです。

1ミリたりとも、残念とは思いませんが。

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「そんなCD、スイッチを切って聞かなければよいだろうが」という、あなたは正しい。

しかし、私はそのCDコンポのスイッチをオフにすると、多分、そのことを忘れたまま、車を降りることになります。

そして、親父は、CDコンポのスイッチを入れる場所がわからないまま、これからずっとその、CDを聞くことができないままになります。

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「デジタルデバイド」という言葉がありますが、本当に機械が使えない人の、その「驚異的な使えなさ」に、そのような言葉を使っている人は、全然分かっていないと思うのです。

敢えて言うのであれば

―― スイッチデバイド

スイッチの持つ意味を理解する為には、少なくとも、ある程度のマルチメディアの知識が前提となります。

このメディアに対する知識なしに、「トラック」「ダウンロード」「メモリポッド」などはもちろん、「音楽をファイルで渡す」という観念を理解することなど、絶対に無理です。

特に老齢による各種障害が伴った場合の、「スイッチデバイド」は、『冗談抜きで』命に関わります。

電話がかけられれば上級、下手をすると居間の電気の切り方、ストーブの消し方も、記憶から消え去るからです。

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話を戻します。

私が父の車の環境を変えない為には、いっさいの装置に手を触れないことです。

つまり、

『人妻への思慕の念を大声で謡いあげる、変態の主張』

を、私は我慢して聞き続けなければならかったのです。
2012年 12月 16日
優先席リザーブエージェント
優先席とは、「座っていない状態であることが危険である人に、優先席に座って貰う席」という定義で、間違っていないと思っています。

この「優先席」の取り扱いには、2つの解釈があると考えています。

1つ目には、優先席を必要としている人の為に「できるだけ座らない」という取り扱いと、2つ目には、優先席を必要としている人の為に「できるだけ座る」という取り扱いです。

2つ目の話は、聞いたことがないかもしれませんが、私の場合、優先席と一般席を区別することなく座っています。

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という話を、娘にしたところ、不思議がられたので、説明しました。


「つまりだな、優先席を必要としている人の為に、パパはわざわざ座って、その席をリザーブしている訳だよ」

これは、嘘偽りなく、この通り。

私は、私の判断基準で、席を必要としている人に、席を譲るという判断をするのに1秒も必要ありません。

判断基準は明快で、「この人、急ブレーキが来たら、倒れるな」で判断します。男女、年齢一切関係なしです。

ただし、「ワンチャンス主義」を採用しておりまして、「どうですか」と勧めて「結構です」と言われたら(遠慮されたら)、「わかりました」といって、さらに譲るということはしません。

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つまり、優先席に座っている私は、

「優先席リザーブエージェント(ワンチャンスオンリー)」

なのです。
2012年 12月 15日
江端にはタイトルの命名権がありません
以前に、どこかに書いたかもしれませんが、「自分の名前を自分で命名する権利がない」というのは、凄く不自然だと思うのです。

名前は、国家が個人を管理するIDであり、また社会生活おいて人間を特定する重要な指標なので、簡単に変えることができるのが許されない、というのは理解できます。

しかし、本当に特別な場合を除き、名前の変更が認められることがありません。(多くの場合、裁判所の確定判決文が必要。過去には「田中角栄」さんに、改名が認められたという判例があるそうです。日本の首相。ロッキード事件で有罪判決。判決が確定前に本人が死亡)

成人となる年に一回だけ、ワンチャンスがあってもよいと思うのです。

だって、名前は、自分が自分であることを示す貴重な私的な無体財産だと思うからのです。

命名してくれた人(保護者等)は面白くないかもしれませんが。

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全然次元が違いますが、私は、自分が寄稿しているコラムのタイトルを自分でつける権利がありません。

いや、正しくないな。

正しくは、その権利を移譲している、が正しいか。

一度、編集野担当者の方に、寄稿コラムのタイトルについて、「その内容では『嘘』になってしまう」ので「変更して欲しい」とお願いしたことがあります。

変更に応じて貰えたのですが、その時に、

「私どもとしても、江端さんの真面目な技術コラムに対して、このような(扇情的な?)タイトルを付けるのは大変心苦しいのです」

「しかし、一人でも多くの方に、江端さんの文章を読んで頂く為には、キャッチー(人目を引く)なタイトルをつける必要があります。私たちには、このようなジレンマがあることを、ご理解頂ければ幸いです」

という、メッセージを頂きました。

なるほどなぁ、タイトルも簡単ではないんだ、と深く理解したのを覚えています。

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電車の、吊り広告の「下品な雑誌広告」の向こう側で闘っている、出版業界の人達の顔が見えたような気がしました。
2012年 12月 14日
『初音ミク』に、期日前投票の案内をお願いする件
嫁さんが期日前投票所のアルバイトをやっており、私も昨日、期日前投票を終えてきました(残念ながら、投票所は違ったのですが)。

私が見ただけでも、13人(受付4人、比例2人、小選挙区2名、国民投票1名、都知事1日、それぞれの投票箱の前に3人)

この時、投票していたのは私一人でした。

選挙は単純な「費用対効果」で論じてはなりませんが、凄いコストがかかっていると思いました。

もうちょっと簡単にならんものかなぁ、と。

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「期日前投票の案内など『初音ミク』にでも、やらせればいいのに」

さすがにコンサートで使う巨大ディスプレイを用意しろとは言いませんが、パソコン程度でもなんとかなるのではないか、と。

AKB47なんぞを選挙イメージポスターにするより、よっぽど投票率を上げれるような気がするのです。

もしかしたら、期日前の投票率が、当日の投票率を凌駕するかもしれません。

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という話をしていたら、嫁さんに、

「あのね、いろんな人がいてねえ、結構なトラブルがあるんだよ」

と、アルバイトでのトラブルを滔々と説明されました。

本日は、そのお話は省略しますが、

―― 人間って、面倒くさいなぁ

と、思いました。

ボーカロイドの方がよっぽど簡単。
2012年 12月 13日
時間軸上の自己知識共有
電子メールは、巨大な知識データベースであるという話は、何回かしましたが、今回は、過去に作成した資料についてです。

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今、ある海外の会社へのシステム提案の仕事をしています。

ふとしたきっかけて思い出したキーワードで、昔の「ボツ」になった資料を検索してみると、10年前には、どこに提案しにいっても、無視されたようなネタが、「今なら使えるかも」と思えるようなものが、わんさかでてきて、感動しています。

―― 昔の自分って、スゲー良い目のつけどころしているじゃないか

などという、今の自分を卑下しているのか、昔の自分を自慢しているのか、よう分からんような気持になっています。

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「知識共有」という言葉には、暗黙的に他人と自分との関係の示唆があると思います。

これからは、他人のみならず、「過去の自分」と「今の自分」の関係で考えていく必要があると思うのです。

だから、これから、このような関係を、

「時間軸上の自己知識共有」

と呼ぶようにしませんか?

「物忘れ防止」

ではなくて。
2012年 12月 12日
「技術の進歩を遅くする」という最先端技術
以前、テキスト専用メモ「ポメラ」についてお話しました。

このポメラが、私の好みの日本語IME(ATOK、Microsoft IME、Canna等のこと)を使えないことについて不満があるというお話もしました。

まあ、ポメラは良いです。機能を制限することに価値があるデバイスだからです。

しかし、時々、

■ソフトウェアのインストールが制限されるターミナルサーバとは何だ

■業務アプリケーションが限定され、個人が自由に自分のソフトウェアを選べない環境とは、何の冗談だ。

■自分が使うIMEすら自分で選べないとは、どういうことだ。

■カルトなIME(SSKとか)を使うエンジニアなどには、「ソフト選択の自由」という、人間本来の基本的権利すらも否定されるというのか。

と叫びそうになります。

-----

かつて、「パソコン」は「自由」と同義でした。

メインメモリが64kバイト(嘘じゃないです)であったとしても、

グラフィクを80x25の半角キャラクタでしか表現できなくとも(嘘じゃないです)

3Dのポリゴン線図を書くのに、夜中に2時間毎に目覚ましをセットして、カセットテープにデータのセーブとロードをくりかえす、という苦労があったとしても(嘘じゃないです)、

そこには無限を思わせる可能性があったのです。

自分の望むソフトウェアをインストールして、自分の好きなように、自由にパソコンをカスタマイズでき、私達は、自分達が作った小宇宙の中で、自由に仕事や趣味に興じることができたのです。

勿論、私のように、妙な通信ソフトウェアを自作した挙げく、そのソウトウェアが、サーバを攻撃してしまうという ―― 誠に間抜けなこと ――をしてしまう者も、確かにいました。

しかし、そのような、ミスを叱責しながらも、そのようなソフトウェアの自主的な開発を見て見ぬフリをする度量が、この世界には確かにあったのです。

-----

わかっています。

ITは、かつての自由が許されるほど、奔放に気楽に振舞える存在ではなくなりました。

ITは、今や社会のインフラであり、節度ある規範の中でしか存在できなくなりました。

かつて「パソコン」は「自由」であり、「ネットワーク」は「空き地」であり、そこは、我々ITエンジニアだけが特権的に住み得る、夢と魔法の国、ディズニーランドのようなものでした。

私達ITエンジニアは、は一生懸命努力して、多くの人を招き入れ ―― そして、その結果、そこには、官公庁と警察とオフィスビルが立ち並び、多くの人がしかめっつらをして働いている場所と化してしまいました。

そして、世界中のどこにいても、爆撃と硝煙の漂うサイバーの戦場となってしまいました。

結果として、我々ITエンジニアは、多くの人々をITの世界に招いたことによって、逆にその人たちに、統制し、管理されるようになりました。

-----

まあ、逆説的ではあるのですが、

「技術の進歩を遅くする」という最先端技術こそが、今の我々ITエンジニアには必要なのかもしれない、

と思うこともあるのです。
2012年 12月 11日
正しい暴動のやりかた
HDDレコーダに溜っていた「ガイアの夜明け」を見ています。

番組の中では、中国の平和堂(スーパーマーケット)の、店内を破壊している暴徒の若者の映像が出てきました。

しかし、私は違和感を感じていました。

―― 素人(しろうと)だ

-----

店内に監視カメラがあるのは分かっていたはずなのに、面(メン)を晒して略奪・破壊行為を行うなど、「素人」としか言いようがありません。

加えて、世論と法治の考え方もアバウトです。

「正義」(「彼らにとって」という意味ですが)が、「適法」になるなどということは、原則として法治国家ではありえないのです。

―― 甘い、甘すぎるぞ

-----

我々がデモをやっていた時、面(メン)を隠す、というのは初歩の初歩でした。素顔を晒していたら、先輩に拳で頭を殴られたことがあります。

当時は、監視カメラという概念がなかったので、警察のカメラ係(撮影班)が、学生の写真を撮りまくっていました。

裁判になったとき、公判を維持する証拠にする為です。

私はデモが嫌いだったのですが、どうしても避けられない理由で、一回だけ参加したことがあります(リンクご参照:「正しいデモのやりかた」)

その時は、バイクのフルフェイスのヘルメットを着用して参加しました。

-----

―― あの国の若者は、政治に参加することもなく、そして、もっとも単純な「暴力的な手段による意思表示」を行うチャンスすらも与えられてこなかったのだ

と思うと、なんとも言えない、虚しく、寂しい気持になってきました。
http://www.kobore.net/tex/alone93/node24.html
2012年 12月 10日
私の著作物だけは非難してはなりません
私は、自分の書いたコラムに、「悪い評価」を書いてくる人が嫌いです。

・・・って、江端。何度、言っているんだ。いい加減しつこいぞ。

という声が聞こえてきそうですが。

えっと、今日はその話がしたいのではなくて、いわゆる「低評価」に対する、耐性、受容体の話です。

-----

Youtubeのコメントなどを見ていて、気がつくことが、あるコンテンツの「低評価」に対する、激しい憎悪です。

「なぜ、低評価をつけるのか理解できない」

という意見が、よく見られますし、

特に著作者自身の場合は、

「自分の動画に毎回低評価が付く件」

「毎回、低評価する人はだれか探しています」

「低評価を付けている人を特定出来るのか」

とか、犯人探しの様相まで呈しています。

私は「大人げない」とは言いませんよ。私も腹を立てている「当事者の著作者」なのですから。

ただ、私の場合はTwitterなどのコメントが多いので、逆に「何がどう悪かったのか教えて下さい」と聞けますし、実際に聞いています。

良いコメントと改善提案を貰える場合もあれば、「なんだ?その理由」と首をかしげる場合もありますし、逃げてしまう人もいます。

まあ、それはさておき、「低評価」の話に戻します。

-----

著作者自身でない場合では、特に「アニメソング」「ドラマ」なんかで、この「低評価」への非難コメントが多いです。

でも、これは仕方ないです。

アニメソングやドラマ主題歌は、アニメ等の内容(登場人物、背景、ストーリー)と一体化して聴取されるものだからです。

「この歌絶対にいいから!」と薦められた場合などは、想像できます。

→ アニメの内容を全然知らない人が、その歌を聞く

→ なにがどういいのか良く分からない。特に歌詞の内容が理解できない

→ 滅茶苦茶な数の「高評価」ボタンが押されている

→ なんか騙されたみたいだ。

→ えい!低評価ボタンをポチッと

と、こんな感じです。

もし、信じられないのであれば、20年〜30年くらい前に流行ったアニメやドラマの主題歌を聞いてみて下さい。

あなただって、絶対に「この歌の、どこが、どう、心の琴線に触れる訳?」と思えるはずです。

もちろん、単なる臍(へそ)曲がりで、低評価ボタンを押す人もいると思うのですが、上記のような正当な理由(?)で押されている場合がある(そして、そっちの方が多い)と私は思っています。

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私が心配しているのは、耐性の弱さや、受容体の小ささです。

何かのアクションを起こせば、必ずその逆方向のベクトルが発生する ―― これは、自然法則です。

「高評価」があれば、かならず「低評価」が存在する。

こういうことを理解できずに、社会人になること自体には全然問題はありませんが、そのようことを理解できないと、逆ベクトルが存在していることだけで「苦しむ」ことになることです。

勿論、このような心ない(ように見える)「低評価」に慣れる必要はありません。

しかし、その背景や理屈を推測して、耐性を付けて、受容体を大きくすることは、何かを創作する人には、特に必要な能力だろうと思っています。

現実に、私は、これまで、そのような「低評価」に相当する仕打ちで、潰れた人を多く見ています。とても残念なことだと思います。

-----

で、一人の創作者として、私が取っている手段は、明快です。

■ 評価が見える環境を作らない

私の場合、ブログにコメント欄を付けていません。これでバッチリです。非難の言葉は聞こえてこないからです(賞賛の言葉も聞こえてこないですが)。

■ Twitterの評価は見ない

特に批判を受けそうなコラムを書いた場合には、見ないようにします。カウントだけ見ていれば良いのです。本当にまずいことなら、別のルート(編集部経由とかで)でも教えてくれるでしょうから。

■ 相手をトコトン調べる

大抵の場合、「悪い評価」を書いてくる人って、評価されるものを創作していない人が多いのですよ。Twitterのコメント履歴を見ても、非難や転送ばかりで、「何も生み出していない」。
はっきり言えば、その場の気分で好きなことを言うだけの、軽薄で浅学な人が多いように思えます(経験的には、学生が多いようです)。

■ 「絶対許せない」と思ったらトコトン闘う

公開の場(ネットでは埒があがらんから、直接会う)に引きずり出して、徹底的に議論するのです。これは負荷が多きて面倒です。
しかし、この提案をすると、大抵の人は黙ってしまいますが。

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To:創作に係わる全ての皆さん

「低評価」は、万有引力のような自然法則です。あまり気にしないで下さい。

To:創作物を評価する人

当然あなたがどのような評価をするかは、あなたの自由です。

但し、私の著作物だけは、非難してはなりません。
2012年 12月 09日
舐めてきた歴史
■昔、CPUメーカは、マイコンを舐めていました。

「は! じゃ、何か。この数十万するCPUボードが、冷蔵庫や、洗濯機や、炊飯器に入るってか。面白いギャグを聞かせて貰ったよ。ああ、出口はあっちだよ」

■昔、メモリモジュールメーカは「メガ(×ギガ)」という単位のメモリを舐めていました。

「あのなぁ、この32kバイトのメモリボードが、20万円するんだぞ。坊主。メガのメモリなんて、どこに使うんだよ。阿呆らしい」

■昔、大型コンピュータメーカは、パソコンを舐めていました。

「お前、阿呆か。こんな難しい機械を、大学の博士クラスの頭脳を持っていないような奴な、一般ピープルに使える訳ねーだろうが。さっさと帰りな」

■昔、移動体電話会社は、携帯電話という概念を舐めていました。

「あのなぁ、移動体電話っていのはな、一台15kgの重さがあってだなぁ、200万円以上して、月額10万以上もするんだぞ。そんなもの、皆が持つ時代なんて、この地球の終りまで、来る訳ないだろうが。少しは頭を使えや」

■昔、電話会社は、IPプロトコルという通信手順を舐めてました。

「バカいってんじゃねえよ。そんなIPナントカとかいうパケットなんとかで、音声品質を保証できわけねーだろうが、タコ!」

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もうこれだけ騙されれば、判ってもよさそうなものです。

あとで、馬鹿にされないように、私は今のうちに予言しておきますよ。

■「Googleが、JRを買収して、インターネットを使った列車の運行管理を始める」

■「Amazonが、東京電力の配電部門を収して、インターネットを使った系統管理事業を始める」

■「町田市が、東京水道局の施設を買収して、市内の水事業を独自で開始する」

■「江端が、住んでいる街の太陽パネル発電や風力発電の系統安定制御と売電の事業を、自宅のパソコンで開始する」

そりゃ、現在の事業利権を握っている人にとっては、考えたくもない悪夢の未来であることは判っています。

でも、我々は、これだけ「技術の進歩」という奴に裏切られてきたんです。

そろそろ学習しましょうよ。

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つまり

「私の話を、ちゃんと聞け!」

と言うことです。
2012年 12月 08日
若いエンジニアを「暗くさせる」コラム
「私が、かつて経験した海外出張のトラブルの履歴」の原稿を、本日脱稿しました。

結構しんどかったです。

先日の海外出張中、業務命令で、ホテルから一歩も出れなかったので、ひたすら原稿を書いて、飛行機の中でも書いて、シャトルバスの中でも書いて ――

そりゃまあ、それだけ書き続ければ、16枚にもなるわな。

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で、早速嫁さんに、江端家内の初版の校正をお願いしました。

全原稿を読み終った嫁さんが、開口一発、

「これを読んだ後で、『海外に出張したい』思う人間がいるかな」

と疑問を投げてきました。

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今回の原稿は16ページという長文ではありますが、そこには、私の27年間における、海外での「全トラブル」を一気に記載したものであり、よくよく考えれば、相当にキツイ内容です。

私は、中国奥地、インドのデリー、そして成田空港で、死線を彷徨った(さまよった)経験があります。

そして、今回の原稿では「成田空港」の事件を登場させています。別に従軍したとか、傭兵になったとか、ましてや武器を得りにいった訳でもなく、ごくフツーのITエンジニアとしてのビジネストリップです。

# テルアビブ空港乱射事件(by 日本赤軍)のようなものでもなく、また、成田空港管制塔占拠事件(by 新左翼党派)の事件とも関係ありません。

そういう、ビジネストリップで、「死」に近いところにあった事件を開示しているのは、確かによろしくないかもしれません。

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「「英語に愛されないエンジニア」の為の新行動論」の連載の趣旨は、若いエンジニアをエンパワー(元気づける)することであったハズでした。

ちょっと最近、若いエンジニアを「暗くさせている」かもしれないなぁ、と反省しかりです。

といいつつ、原稿の趣旨を修正する気はないんですけどね。
2012年 12月 07日
誰かが私で遊んでいる
「英語に愛されないエンジニア」のコラムの原稿を書いています。

今回の内容は、簡単に言うと「私が、かつて経験した海外出張のトラブルの履歴」を淡々と書いているのですが、

―― 16ページを越えても、まだ終わらない

# ちなみに、一般的なコラムの分量は3ページ弱です。

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「海外で働くこと」について、私には「適性」がないことは、よく理解しているつもりだったのですが、それ以前に、なにか、最初からズレていたのではないか、思い始めています。

つまり、

―― そもそも、私が、海外に行くこと自体が『間違っていた』のではないか

と。

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にも、かかわらず、本日出張先の事業部で、来週の海外出張を依頼されました。

「お願いですから勘弁して下さい」と、頭を下げて(心の中では土下座までして)、許して貰いました。

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絶対に、誰かが私で遊んでいる。
2012年 12月 06日
三国志ファンの方へのお願い
日本人には「三国志ファン」が多いように思いますが、どうも、ゲームから入った方(または、ゲームしかやっていない方)にが、困らされることがあります。

とにかく、私がこれほど明らさまに「うんざりしている顔」を見せているのに、得意気に恍惚とした表情で、三国志の人物名を片っぱしから上げて、悦に入っているのです。

―― 三国志の登場人物を多く知っていれば、インテリである

と思っているのかもしれません。

どうでも良いですが、私に「人名を並べるだけの知識」をひけらかすのは止めて下さい。

迷惑な上、鬱陶しいから。

その程度のことで「感心して貰える人」の方へ、どうぞ。

さて、私はと言えば、吉川英二の三国志を、ティーンの時に読んだだけですが、その時持った感想が、

『孔明。お前、しつこい』

です。

最後の方は、ほとんどゾンビのようで、食傷ぎみになりましたよ。

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先日もお話しましたが、今、酒見賢一さんの「泣き虫 弱虫 諸葛孔明」という本を読んでいます。

この本は、ティーンの時に私の感じてきた感想を、ズバズバと書いてくれて、本当に気持の良い本です。

なにより、三国志の主人公格の「劉備」を、とことん「バカ者」扱いしている点が良いです。

劉備の行動の中でも、三国志上最大の見せ場でありながら、しかし、よくよく考えると、低能な指導者の最悪の戦略である、20万人の民衆を巻き添えにする撤退戦のシーンが最高です。

劉備:「お前らみんな江陵に行きたいかーッ!」

民衆:「おう!」

劉備:「本当かーッ!」

民衆:「おう!」

劉備:「わしを信じるかーッ!」

民衆:「おう!」

劉備:「よっしゃ、まずは襄陽で昼飯ダァーッ!」

民衆:「おおう!」

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なるほど、あの中国史上、最低最悪の作戦は、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の乗りで実施された訳ですね。

ようやく理解できました。
2012年 12月 05日
意地の悪い芸能レポータ
この夏、英語を社内公用化することを決定して話題をかっさらった、IT会社の技術理事の方と対談形式のインタビューする機会を頂きました。

私がインタビューア(インタビューする人間)という形で、対談を進めることになったので、シナリオや資料作りも含めて、前準備には結構な時間がかかりました。

インタビュー自体は、結構楽しく(上手く?)進めることができたかな、と思っています

その対談の様子は、ビデオで撮影されて、その後ネットで公開されることになったのですが、公開前のビデオクリップが送付されてきて、内容のチェックを求められました。

私は、「上手く編集されているな」と感心したことの他には、私の声が小さくて聞きにくいところがある点のみを指摘させて頂きました。

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念の為、嫁さんにも見て貰いました。

感想を訪ねたところ、「面白かった」という感想の後、

『特に、意地の悪い芸能レポータが、木訥(ぼくとつ)とした良心的な技術者から、不利な証言を取ろうとしている感じがよく出ていて、とても良かった』

と言われました。

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正直、こういう感想は予想していなかったなぁ。
2012年 12月 04日
人類史上もっとも残酷な拷問
人類史上、もっとも残酷な拷問というのは、「穴を掘らせて、それを埋めるという作業を繰り返す」ということだそうです。

人間は無意味な労働をさせられることが、最大の苦痛であるからだそうです。

ーーーーー

今、私の目の前には、日本語でも英語でもない言語で記載された資料があります。

そして、15人の方が元気よく日本語でも英語でもない言語で打ち合わせをされています。

全然、訳分かりません。

そして、眠い。猛烈に眠い。

しかし、どんなに常識のない私であっても、大事なミーティングでうたた寝するような失礼をするだけの度胸はありません。

意味が分からなくとも、みんなが笑えば、同じように笑ってみせて、プレゼンテーションの画面に食い入るような演技をしてみせる程度のことはするのです。

少なくとも、この国のスタッフに迷惑をかけてはならないからです。

-----

毎日の激務で疲れはてている、日本のサラリーマンの皆さん。

あなたは不幸ですが、今の私ほどには不幸ではないと思います。

この年齢になって、かかる拷問を受けることになるとは思いませんでした。

私が100%役に立たない打ち合わせへの参加 ――  最大級の苦痛です。

-----

「今回の件から私が得るべき教訓は、目を開け、微笑みながら、寝るという技術を取得しておくことだ」(「貝木泥舟」風に)
2012年 12月 03日
鰐(わに)、美味しかったですよ
<昨日の日記>

「あら、あなたが仕留めてくれた「鰐(ワニ)」で、3日間生き延びれたのよ」

</昨日の日記>

で思い出しましたが、今回の出張で、鰐(わに)を食べてきました。

偉い方との会食に出席する機会を頂きまして、滅多にないチャンスを頂き、高級料理店で食して参りました。

魚の煮付け風で調理されていたのですが、白身魚のような味がして、たんぱくな味がなかなかグッドでした。

-----

以前にも書きましたが、外国において現地の人に気に入られる方法は2つあります。

「その国の言葉を、デタラメでいいから一生懸命にしゃべってみる」

と、

「出された食事を、美味しそうに全て平らげる」

です。

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私は、1つめは自信ありませんが、2つ目には自信があります(仕事の旅行を除きますが)。

多分、「人肉」と言われて出された料理も、食べることができるような気がしています。カリバリズムに対して、あんまり抵抗がないような気がするのですよ。

床に落ちた食材でも、概ね食べれます。

たかだか1万年前には、土の上に落ちていた植物の身を拾って食べていたのですし(人類の進化の時間間隔から言えば「ついさっきまで」)

まあ、本当に「人肉」が出てきたら、どう振る舞うのか、私にも分かりませんが。
2012年 12月 02日
ハネムーンの本質
<昨日の日記>

ポメラと私は、中国大陸において、核戦争で生き残った唯一の男女のペアのような状況で、対峙しています。

「お互い、生き残る為に協力しようか」

という気持ちで、ポメラを使い始めました。

</昨日の日記>

という内容を書いている途中で、私は、新婚旅行(ハネムーン)のToBe像に思いあたりました。

新婚旅行とは、そもそも「核戦争で生き残った唯一の男女のペアのような状況」に、カップルを置くことではないか、と。

つまり、「お互いが協力しあうことでしか、お互いの生命が確保されない」というような状況下におくことこそが、ハネムーンの本質ではないかということです。

これは、いわゆる「吊り橋効果」とは異なります。「吊り橋」の実験は、実験にすぎません。

-----

私が提唱する新しいハネムーンの本質とは、「サバイバル(生き残り)」です。

レベル1:英語、日本語が一切通じず、携帯電話、インターネット等のインフラが絶無である国へのハネムーン。勿論、ホテルの予約も何もしてはなりません。

レベル2:国際紛争地域へのハネムーン。数キロ先で爆撃の音が聞こえ、空爆による衝撃破で、時々窓ガラスが割れるような場所が望ましいでしょう。

レベル3:1週間後に迎えの船が来ること以外は、何も決っていない無人島への上陸。当然、食料、水は自己調達。居住場所も自分達で確保しなければなりません。

「喧嘩(けんか)」などしている余裕はありません。生き残る為に、御互いの命を預け合わなければなりません。

これこそが、「ハネムーン」の本質ではないかと、私は思うのです。

生き返って戻ってきたカップルは、もはや魂のレベルで理解しあった「戦友」です。

そんじょそこらの日常のすれ違い程度で、安易に離婚に至ることはないでしょう。

「パレスチナ ハマス幹部宅周辺ハネムーン(レベル2)パッケージ」という商品企画、どうでしょうか > 旅行会社の皆様

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結婚記念日の、夜景の美しいレストランでの、夫婦の会話。

「あのとき、お前が取ってきてくれた【蛇(へび)』、本当に旨かったな」

「あら、あなたが仕留めてくれた「鰐(ワニ)」で、3日間生き延びれたのよ」

と言いながら、ワイングラスを傾ける、初老のカップル。

美しい光景だとは思いませんか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/吊り橋理論
2012年 12月 01日
ポメラ
今回の海外出張は、

■インターネットが使えない、
■社内業務システムに入れない、

の「ないないづくし」でした。

ですから、日本から持ち込んだ2台のノートパソコンは、ただの重いだけの鉄の塊と化してしまいました。

そこで、「まあ、使うことはないだろうが」と思って、鞄の中に放り込んできた、「ポメラ」を使っています。

ポメラとは、キーボードがついただけのテキスト入力専用機で、それ以外のことは何もできないという、素晴らしく分かりやすいコンセプトの携帯メモデバイスです。

ところが、私のパソコンの(少々変態的、カルト的)設定と、

■漢字変換のクセが違う、
■キーバインドが違う、
■キーボードの大きさやタッチが違う、

という最悪の相性であったので、(甚だしくポメラに対しては理不尽とは思いますが)30分使っただけで、放り捨てました。

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で、今。

ポメラと私は、中国大陸において、核戦争で生き残った唯一の男女のペアのような状況で、対峙しています。

「お互い、生き残る為に協力しようか」

という気持ちで、ポメラを使い始めました。

世界でたった二人の状況で、贅沢はいっていられないのです。
http://www.kingjim.co.jp/pomera/dm10/