江端さんのひとりごと           「単身赴任に関する一考察」  先週、母方の親戚の結婚式に出席するため九州の大分に行ってきました。  披露宴の出席者130名以上と言うかなり大きな式で、母方の親戚一同 が会し、なかなか楽しい時間を過ごすことができました。  新郎新婦の友人も楽しい人が多く、イベントもかなり盛り上がっていたよ うです。  親戚側として出席しているので、残念ながら楽しく騒ぐ側には入れなかっ たのですが、新郎も新婦も良い友人をたくさん持っているようで、非常に喜 ばしい限りです。  -----  そういう楽しい披露宴の中で、私にとってひときわ不愉快だったのが、主 賓の挨拶でした。  新郎側上司によるスピーチ概要。  『夫婦と言うのは、奥さんが旦那さんをベストの状態に維持し、いつでも 旦那さんが最高のコンディションで働けるように勤めるものです。』   新婦側上司によるスピーチ概要。  『新婦は、非常にテキパキと仕事をやるので、これから毎日定時に帰っ て、旦那さんに美味しいご飯を作れるものだと思います。』  私の異変に一番最初に気がついたのは、隣の席に座っていた嫁さんでし た。  披露宴の出席者がスピーチをしている人の方へ向いている中、唯一テーブ ルの真ん中の方を向いてため息を吐きながらしかめっ面をしている私に、嫁 さんは軽く目線で合図し(まあまあ)と言った風に頷きました。  スピーチが終わった後、私は嫁さんの方に体を傾けて耳元でつぶやきまし た。『まったく、いつの時代の披露宴なんだ、これは。』と私が言うと、嫁 さんは、肩をすくめて同意の気持ちを表していました。  ----- 江端 :「夫婦は、会社や社会を守るためのサブセットか? 妻は夫の家      政婦か?」  川崎のアパートに帰って来た披露宴の次の日、私は怒っていました。 江端 :「あれって、わざとそういう演出でそういう話をしているのか な?」 嫁さん:「違うんじゃない? あれは、多分心底から、夫婦と言うものは会 社を支えるシステムと信じているね。」 江端 :「・・・地域差かなぁ。九州の人って皆あんな風?」 嫁さん:「九州は関係ないと思う。どこにいてもケースバイケースね。そう      いう人もいるし、そうでない人もいるし。」  九州出身の嫁さんは、ちょっと考えた後で応えました。 嫁さん:「ところで、智一君ならなんて言うわけ?」 江端 :「そうだなぁ・・・とりあえず、ああ言う馬鹿げたことは言わない      としても、主賓は『夫婦とはなんぞや』を言わねばならぬ役目だ      からなあ・・。」 嫁さん:「・・・。」 江端 :「『人生を楽しく過ごす方法の一つであり、それが目的の全てであ       る。』」 嫁さん:「ほ〜お。」 江端 :「うまく行けば、他のシステム(会社とか社会とか)に役に経つ場      合もあるけど、それはあくまでオマケ。」 嫁さん:「・・・。」 江端 :「夫婦の有り様だって、何通りだってあるわな。例えば、一日中寝      ていた嫁さんに、クタクタに疲れて帰ってきた旦那が嫁さんのた      めに夕飯を作って上げるのもよし・・・。」 嫁さん:「うん!うん!!」 江端 :「技術系の大企業の歯車にほとほと疲れて、リタイアした旦那を嫁      さんが食わせてやるのも、また1つの夫婦の有り様だな。」 嫁さん:「・・・。」 江端 :「つまり、夫婦で楽しく過ごせれば、みんなO.K.なのだよ。」 嫁さん:「・・・楽しければいいんだけどねぇ・・・。なんか、暗くなりそ      うな気がする・・。」  -----  「夫婦の存在理由=楽しい人生の一手段」を提唱する当の本人である江端 さんは、つかの間の嫁さんとの逢瀬を惜しみつつ、再び120km彼方の日 立の工場へ帰らねばなりません。    単身赴任。  人間の基本的構成単位である家族の一員を、本人の意思に関係なく引き離 すヒューマニズムの対極に立つ、極悪非道な行いであり、愛と信頼で支えら れた家族の全員に、深い悲しみと苦しみを与えるだけでなく、家庭の安全を 損ない、無駄な出費で経済的にも圧迫させる、聖書に出てくる「カインのア ベル殺し」に次ぐ人類史上希にみる、罪深い罪悪として後生に語られていく ことでしょう。  太平洋戦争終了後、戦勝国だけから選ばれたメンバで構成された東京裁 判(*1)では、侵略戦争を『人道に対する犯罪』と位置づけ、戦争犯罪人を裁 きました(*2)。  私は最近考えているのですが、「単身赴任」は、『人道に対する犯罪』で はないでしょうか。そして人間の基本的権利である、『幸せを追求する権 利』を踏みにじる行為ではないでしょうか。  これは「拒否すれば良い」と言う問題ではありません。  私は「単身赴任命令」自体が、人類に対する大きな犯罪行為の一つではな いかと疑い出しているのです。  私が心配しているのは、あと100年後、いや、もっと短い期間で、「単 身赴任」と言う行為自体も、アメリカの「奴隷売買」と同様の扱いを受ける 日が来るのではないかと言うことなのです。  ----- 『聞いてよ、奥様。あそこの江端さんのご主人、若い頃「単身赴任」してい  らっしゃったんですって。』 『ま!なんてこと!!「単身赴任」だなんて、なんて恥知らずな!』 『きっと奥様のこと、全然愛していなかったのね。』 『そうですわよ。夫婦が別れて暮らすことを認められる人なんて、人間の屑  ですわ!屑!!』 『奥様、お若い頃は苦労なさったのね・・お可哀相・・。』 『あの旦那さん。奥さんを愛しているような振る舞いは、見せかけなのね!  あの似非リベラリストが!!』 『最低男!!』  -----   だれか、法的にも宗教的にも倫理的にも、あるいは環境問題でも何でも構 いません。  この「単身赴任」を非合理化する明確な理論を打ち立てて下さい。  勿論、現在停滞党のブレーンで検討を続けておりますが、未だ明確なパラ ダイムの構築ができずにいます。  熟年に達した私が、世間の目や批判を気にせず生きていけるように、この 巨大な犯罪行為と認識されかねない「単身赴任」を止めることができるよう な世論形成を成し遂げてください。  何とぞ、こぼれMLの皆様の多大なるご協力を頂きたく、宜しくお願いいた します。 (*1)但し、この裁判は法の基本原則を無視した(明文化されていない法律に よる断罪、「侵略戦争」の未定義など)ものであり、近代法に照らし合わせ た場合、著しく「合法性」に欠けるものであった。 (*2)乱暴にまとめれば「戦勝国による戦争指導者への報復」 (本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおい て、転載して頂いて構いません。)