江端さんのひとりごと 「Japanese Englishという発想」 日本人の英語への拒絶反応は、今に始まったことではありませんが、私は、 コロラドのある大学の英語コースの入学試験の際、『あなたは何年間、英語を 勉強してきましたか』と言う質問に対して、 20年以上 とは、書くことができませんでした。 恥ずかしかったからではありません。 用意されていた回答の最高年数が『5年以上』だったからです。 つまり、5年以上も英語を勉強している者は、100年間勉強しているものと同 等であるという、暗黙の了解がある訳です。 高校卒業が大多数を占めるの昨今、『英語教育6年以下』の戦後生れの日本 人を見つけるのは、かなり難しいのではないかと思います。 ----- 日本で良く聞かれる会話に、 『日本人が英語を使えないのは、至極当然のことで、英語を日常的に使って いないからだ』 『英語なんざアメリカに1年も住んでいれば、簡単にペラペラになるさ』 てなものがあるようですが、はっきり申し上げましょう。 なりません。 全然ダメです。 私は日本人の人口比率0.08%、日本語表記0%の、米国ロッキーマウンテン山 脈の麓の小さな街に、2年間暮してきました。 その間、仕事では勿論、進んで現地の人間とのコミュニケーションも行い、 ネイティブの英語の家庭教師を、週2回頼みました(おまけにESLに通学してい たこともある)。 英語教育の投資金額は、夫婦で100万円を下ってはいないでしょう。 ですが、ペラペラとは口が裂けても言えない有様です。 勿論、本人の資質はあると思います。 しかし、日立製作所の中堅どころの研究員を、何とか凌いでいるこの頭は、 足りないながらも、英語の論文の執筆と米国特許を読み下す程度は踏んばって くれました。 私としては、日本人頭脳の平均的前後には入っていると信じてやりたい気持 です。 ----- 2002年2月28日をもって、米国コロラド州フォートコリンズにおける、ヒュー レットパッカード社と日立製作所の2年間に渡る共同製品開発プロジェクトを 無事完了し、同3月、無事日本に帰国することになりました。 3つのバージョンの製品に関わり、その製品リリースを無事見届けたこと、 一技術者として、万感の想いであります。 これまで本質的には理解できていなかった、オブジェクト指向プログラミン グに関して、世界最高レベルのヒューレットパッカード社の技術者から直接、 指南を受ける機会を得、目から鱗の落ちる衝撃を、この2年間に少なくとも3回 は受けました。 「オブジェクト指向」に関して、中途半端な知識や、いわんや嘘の話は、私 には通用せんし、それどころかしっかりと笑い者にしてやるつもりです。 私と議論しようとするソフトウェア技術者は、心して話すように。 また、必要に迫られて色々なソフトウェアを作っているうちに、趣味が高じ てIPマスカレードや、DHCPやARPのライブラリまで作ってしまいました。 本当に、色々勉強になった2年でした。 ----- しかし、英語に関しては、当初の目標 - ハリウッド映画を観賞して、笑ったり泣いたりすること - ABC,CNNを見ながら、世界情勢を憂うこと を、ついぞ果たせませんでした。 思えば、あの悪夢の「2001年9月11日」に、私たち家族が正確な情報を把握 しきれず、どれほど怯えていたことか、説明するのが困難なほどです。 なにしろ、第一報は日本の嫁さんの実家から『とにかくテレビをつけなさい』 と言われて、テレビに向かった瞬間、世界貿易センタービルが崩れ落ちるとこ ろでしたから。 画面の左下に赤い小さな文字の"LIVE"と言う文字の点滅と、悲鳴のような声 で叫ばれ続ける意味不明のアナウンス。 その後、全米全航空機飛行停止、デンバー空港完全封鎖。 この事件の直前に、北米大陸防空総軍司令部(NORAD)(*1)のツアーを入れる 予定にしていたのですが、この後、問い合わせするのを止めました。 下手な対応をすれば、自宅のアパートをピンポイントで空爆されかねんと、 本気で思いましたから。 私達、HP社の日本人開発チームは、昼休みにカフェテリアに集まると、断片 的な情報を掻き集めて、全体像を捉える作業に終始していました。 (*1)米コロラド州コロラドスプリングズ近くのシャイアン山中地下深くにある、 全面核戦争を想定した、カナダ-米国共同の大陸防衛空軍基地。ツアーで は核弾頭を塔載したミサイルを見せて貰える、と言う話も聞いた。 この後、日本領事館から、再三に渡るテロ警戒勧告が舞い込み、炭疽菌封筒 が隣の州に到達し、フォートコリンズの郵便局が炭疽菌入りの封書の取り扱い を疑われ数日に渡って郵便局が閉鎖された時、我が家の恐怖はピークに達しま した。 そんな危機的な状況の中で、「英語」と言うフィルターは相変わらず巨大な 壁でした。 ----- 米国は、報復として、限定核を行使するかもしれない。 自衛隊の交戦権、いやもとい、自衛権の行使は、日本国内に限定しているの で、自衛隊の派遣は無理だと言うのは分かるにしても、 その時、 ----- 日本国政府は、邦人救出の為に、(放射能汚染されているかもしれな い)戦地に救出用の旅客機を送ってくれるだろうか 与党は現行の自衛隊法の枠組の中での自衛隊の派兵とか言う話を始めて、あ る野党は憲法違反だと叫び、別の野党は憲法に抵触しない範囲での法律改正を 行なった後で、とか、また別の野党は時限立法にすべきであり、さらにその派 閥内部でその期限を半年にすべきだ、とか2年にすべきだと言う意見が出て、 内閣の中の外務関係の大臣が、中国との関係が悪化を懸念するとかなんとか言っ ている内に、これは十分に議論を尽すべきだというマスコミの意見に押される 形で、次期国会に継続審議になり ----- 『なんだかんだ言った挙句に、結局何もしてくれないような気がする』と言 う見解で嫁さんと一致してしまいました。 まあ、それより何より、私達夫婦が恐しかったのは、三才になる娘の病気の 時です。 自分の歯が痛いだの風邪がしんどいだのは、何とでもできたのですが、娘の 病気を放置できるような蛮勇さは、いかんせん持ち得ませんでした。 ところで、私の自慢の美しく優しく聰明かつ知的な妻は、私と同じように英 語スキルの取得に熱心でした。 ESLを含めて、週4回の英語のクラスにせっせと通い続けました。 私:「週4回もクラスを持っているなら、帰国前にはペラペラだよねえ」 妻:「外国の会社で、外人と一緒に仕事をしている人が、何をおっしゃるやら」 しばらく沈黙が続いた後、『お互いの、とっても痛い傷に、塩を擦り込み合 うのはやめよう』と言う提言と協定が結ばれました。 閑話休題。 この夫婦が、娘を診療所に連れて行く前は、丑三つ時を越えるころまで、辞 書とWebブラウザを見ながら、ひたすら調査と勉強です。 まず予約。 これは、事前に必要な情報を記載したメモを作成し、ヒアリングに長けてい る嫁さんに電話して貰います。 日時と時間が確定したら、娘の体重、身長、体温、病状(期間、頻度、様子)、 これまで行ってきた対処法、投与した薬、推定される病名を調べ、さらにそれ を、コンピュータの翻訳エンジンを使って英語に変換し、サポートレターを作 成します。 口頭による説明の誤解を避ける為です。 当日は、診察時間に合わせて会社を抜け出し、車で家に向い、嫁さんと娘を ピックアップして、診療所に向います。 日本みたいに予約した挙句に2時間も待たされるなどと言うことは絶対にな く、分単位で、きっちりと診療室に案内されます。 ドクターの診察が終った後、その所見を、夫婦二人で全身を耳にして聞きま す。 聞き取れなかったところを、そのまま放置する勇気はありません(仕事では 普通に放置していましたが)。 理解できるまで、何回でもドクターに喰い下がります。 平均3回程度の説明をさせた後、私達はドクターを解放し、薬の処方箋を受 けとり、診療所を後にします。 この後、私達は、ドクターの喋っていた内容の検討作業(ディベート)に入り ます。 ただこのディベートは、勝ち負けは問題ではなく、真実の解に必ず至らなけ ればならないという、厳しい条件が付いていたのです。 薬は1日2回1錠か、1日1回2錠か、2日で1回2錠か、無数に存在するこの組み 合わせの中から、ドクターの発言内容を正確に推測しなけれなればなりません。 娘の命がかかっているディベート。 これに比べれば、大統領選挙のディベートなんぞ、ちゃんちゃらおかしい。 鼻で笑ってしまいます。 米国生活で、私達夫婦を恐怖のどん底に落したのは、娘が全ての水分を受け つけなくなった時のことです。 娘が、一滴の水も飲めなくなった時、私達は青ざめました。 水分さえ取れれば、自然治癒で直る病気が多いのですが、水分が取れなかっ た場合、衰弱が指数的に加速することを、私はよく知っていました。 ですから、娘が処方された特殊な飲料水を飲んで、観察期間の2時間を無事 経過した時の嬉しさは、今でも忘れられません。 「よっしゃーぁ!よくがんばったぞ!!」と叫びながら、娘を天井に向けて、 投げ上げてしまいました。 ----- 私達夫婦は、この2年間の間、喰う為の銀行口座を開設し、生きるためのガ ス、電気、水道、その他のインフラを引き、アパートの交渉を行い、そして、 娘の命を守る為に、死力を尽して英語を使ってきました。 しかし、それでもなお、私達夫婦の英会話スキルは、ついに満足のいくもの にはなりませんでした。 溜息をつきながら、成田の入国審査のゲートをくぐったのが、昨日のことの ようです。 今、私は「NHKのラジオ英会話」のテキストの後の方にある広告を読んでい ます。 『聞き流すだけで英語が身につく』『ヒアリングマラソン』『24時間好きな 時間にインターネットで英会話』e.t.c, e.t.c... 笑わせるな 毎日2時間、聞き流すだけで英語が身につくなら、誰が血の涙を流し、屈辱 に耐えながら、英語を使い続けるものか。 たった一人でもいいから、『毎日2時間、聞き流すだけで英語が身につ』い た人を、私の前に出してみろ。そして、私と英語で議論をさせてみろ。 もし、私がその会話で、圧倒的に言い負かされたら、その時初めて私は、 『そんな奴は、絶対にいないはずだ』と言う私の信念を180度転換し、私の無 礼を土下座でも何でもして謝罪できると思います。 ----- その昔、ある学者が、英会話を人並に取得できた人を追跡調査してみると、 『ある知能指数の数値を越える人ばかりだった(*2)』という結論を出したそう です。 この調査が語る事実は、 ----- 一部の秀才か天才しか英会話をものにできないんだよ。 とっとと諦めな ----- と言われているように、私には思えました。 (*2)これはテープレコーダが汎用になる前の、英語教材という概念すらなかっ た、相当昔の話である。念の為。 これを聞いて、私は『凡人だって努力すれば・・・』などとは決して思わず、 「この学者の指摘は、かなり正しい」と納得してしまいました。 一般に言語といわれるものは、幼少の脳の生成プロセスで獲得される、非論 理的な音声信号の解析であり、文法とは、その言語に対してこじつけに近い理 論の「当てはめ」を行っているだけに過ぎません。 その証拠に、いかなる言語であれ、根幹となるルールの数以上の「例外」が あるはずです。 その例外を含めて全て格子と扱う為、それらの格子は膨大な数となり、「文 法」と言う名前の最大の強敵として我々の前に立ち塞がることになる訳です。 感性の世界でしか獲得できないものを、後天学習の論理(文法)で克服できる ような頭脳の持ち主とは、確かに「一部の秀才か天才」だけでしょう。 ----- 以上、上記に掲げたスレッドの結論として、私はここに 『後天学習による外国語取得は不可能である』 ことを、断言いたします。 =========== アメリカ合州国という国に住んでいる人間は、当然「アメリカ人」なのです が、このニュアンスは、正確に言うとちょっと違うのです。 アメリカ合州国は、約2億7000万人の人間が住んでいるとは言え、人口では、 中国やインドと比べれば大したことはありません。 しかし、人種と言う点から見れば、そりゃもう滅茶苦茶な数になります。 私の嫁さんが、あのフォートコリンズという小さな街で、わずか2年間の ESL(English Second Language school 英会話教室)で知りあったが出会った仲 間は、実に20人種。 メキシコ人、スペイン人、中国人、韓国人、ブラジル人、インドネシア人、 ヨルダン人、インド人、マレーシア人、ベトナム人、ポーランド人、サウジア ラビア人、チェジニア人、ロシア人、フィリピン人、ペルー人、コスタリカ人、 ポーランド人、カナダ人、そして日本人。 この中には、亡命するする予定の人や、南極基地に従事した人など、特殊な 事情や体験を持った人々も含まれております。 ESLで驚かされることは、多くの外国の学生達が、威風堂々と英語をしゃべ ることです。 その内容は時として、拙く、思慮の足りなく、青くさい、理想論であったり もしますが、彼等の多くは、与えられた時間の限りを尽して、自分の主張を英 語で述べます。 日本人としての私は、必ずしも自己主張そのものが、正しい振舞いであると は認定しませんが(実際、阿呆な主張には腹が立つ)、正しいその姿勢に圧倒さ れ、感動させられました。 そして、私が本当に感動したのは、彼等の喋る英語が、それはもう見事なほ ど、感動するくらい素晴しい、 デタラメな文法 滅茶苦茶な発音 から構成されていることにあります。 彼等は、時として、英語そのものを取得することなんぞより、自分の考えを 他人に理解させようとすることにおいて、情熱的であり、時には狂気といえる ような凄まじさを発揮しておりました。 私は日本人が激しい自己主張をしないことを、美しい民族の特性の一つと 考えており、国際社会においてこの謙虚さや謙譲の姿勢が、今後の世界のリー ダシップを取る、新たな価値観の一つになると確信してはいますが、この優れ た資質が、日本人の英語学習プロセスに決定的な短所となっていると思いまし た。 日本の英語教育には、「言語とは、自分の意思を運ぶ乗り物に過ぎない」と 言う認識がなく、下らない入学試験や、意味のないマークシートテストに奔走 しています。 英文解読という点では、ある程度の効果を上げているのかもしれませんが、 英語会話と言う観点からは、大失敗といっても良いでしょう。 しかしこれは、日本の英語教育が諸悪の根源という訳ではなく、むしろ先程 述べた、日本人の美しい気質から考えれば、至極当然のことで、この気質を背 負ったまま英会話能力を伸ばすことは、無茶といっても良いでしょう。 従って、我々日本人は、先程述べた、デタラメな文法、滅茶苦茶な発音をも のともしない各個人の自己主張を背景として、英会話の上達を望むことはでき ないし、むしろ、するべきではないと思います。 「日本人の英会話の能力が向上しないのは、憶病だからだ」と知った顔をし てほざく、阿呆な英語評論家達に、一言言っておきます。 やかましい ----- 我々日本人は、勘違いしているのです。 それは、世の中に唯一無二の英語というものがあるという、とんでもない大 きな錯覚です。 私の嫁さんは、先程述べた20人種のESLの生徒達と、ほぼ完璧に近い、日常 生活上での意志疎通に成功していました。 信じられないかもしれませんが、彼等は、彼等独自の言葉を用いて、インター ナショナルなコミュニケーションに成功しているのです。 この共通の言語とは、英語ではありません。 私は、これらの言語を、ドメスティックイングリッシュ(国産英語)、あるい はローカルイングリシュ(地域英語)と命名しました。 すなわち日本における、このドメスティックイングリシュとは、まさしく、 日本英語 Japanese English に、他なりません。 英語は、世界中の国の数だけあるのです。 断言しますが、英語が得意でないという方も、私が喋る英語なら、その大半 を理解できます。 私自身も、日本人の喋る英語なら、ほぼ完璧に理解する自信があります。 それは何故でしょうか。 我々日本人は、確かに英語の取得に失敗しているかもしれませんが、初等教 育において「日本英語」の履修を完了しているからです。 「日本英語」とは、New Horizonや、New Crownなどの中学英語教科書のキー センテンスをベースとした英語の基本概念であり、我々が英語を使おうとする 時、かならず、その是非に関わらず、この基本文型を原形として英語を構築し てしまいます。 我々は終生、このキーセンテンスの呪縛から逃れることができないように洗 脳されていると言っても良いかもしれません。 しかし、このキーセンテンスこそが、日本英語の共通認識基盤となっている からこそ、日本人は日本人の英語を理解できるのです。 日本英語の特徴を以下に述べます。 - 発音は、日本語と同じように[a,i,u,e,o] を母音としており、発音 されない子音なんぞは勿論、英語の母音の体系などは存在しない - イントネーションの位置、単数複数、"the" "a" のようなオブジェ クトの指定子という考え方はない - 自動詞に目的語を伴っても構わず、時制の一致の考えかたは日本語 の概念ないので、これも無視 - 使役のオブジェクトは、動詞の種類に関わらず、前置詞の区別を行 わず、"by" で受けて構わない - 第4文型の2つの目的語は勿論、主語と目的語の位置が入れ替わって も良い - 副詞は、形容詞と混在して扱われてもよく、さらに動詞から思いっ きり遠いところで出現することを許容する これは、誤った英語ではなく、「日本英語」という、世界中にある数百の言 語の中にあるその中の一つ、 日本国が制定した、正統な第二番目の言語 なのです。 =========== 最近私は、私が作成したオープンソースのプログラムに関して、世界中の人 から多くのアドバイスを貰えるようになりました。 ヨーロッパと東南アジアがほとんどで、特に中国のエンジニアからの助言が 多いのですが、当然コミュニケーションは、英語をベースとしたE-mailの交換 になります。 ところが、送って貰ったプログラムのコメントやドキュメントが読めないの です。 なぜなら、中国語で書かれていたからです(正確に言うと、文字を表示でき なかった)。 これには本当に困りました。 善意で送って頂いたプログラムのコメントを、全部英語に直してくれ、とは とても言えませんでした。 たとえこのコメントが正確でなくとも、英語で(あるいは英単語だけでも)書 かれていたら、私はきっと読解できたと思うのです。 私が、ここから得た教訓は、「国際的な意思疎通においては、美しく正しい 日本語より、でたらめな英語の方が、ずっとマシ」と言う事実です。 当たり前のことですが、日本語は日本以外では通じないんです。 ----- 日本人が国際的な場面に出ることが、世界的に本当に望まれていることなの かどうか、私には分かりません。 政治や教育に携わる人々は何度も「国際化」と言う言葉を繰り返しますが、 誰も彼もが国際化に関わりたいのか疑問ですし、多分それは嘘ではないかとも 思うのです。 しかし、最後にもう一度、私が申し上げたいのは、もし、あなたが本当に世 界に出たいのであれば、あなたは既にそのコミュニケーション手段を持ってい る、という事実です。 それこそが、「日本英語」です。 世界に対して胸をはって喋れる、日本の第二言語です。 今、我々日本人に本当に必要とされていることは、より高度で精度の高い英 語教育ではなく、 「Japanese Englishという発想」 そのものなのです。 ----- 皆さん、臆することなく、日本英語で喋り、日本英語で文章を書きましょう。 そして、会話の最初、文章の最初は、以下のようになります。 This is not broken English but Japanese English. (これはブロークン英語ではありません。日本英語です) 覚えておいて下さい。 (本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。)